<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


シーツ
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人の手によって丁寧に洗われたシーツは、二つの景色を想像させる。一つは、青空を背景に輝く清潔な白さ。そしてもう一つが、病人を包み込む、少し元気のない白だ。
穏やかな白い波間に、病人の肌色の悪さはいっそう目立つ。それはエンテルをとても不安にさせるのだ。
「何かしてほしいことある?」
「何も……」
いつもなら、「何もしなくていいから用を増やすな」とか、「じっとしていてくれればそれでいい」とか、わざわざエンテルをむっとさせるような憎まれ口を叩くオズは、その元気すらないのか気だるげに短く返事をしたきりである。ますますエンテルは不安になった。
紙のように白い顔をしてベッドでぐったりしているオズを見ると、エンテルは胸がざわざわする。いつもは一々癇に障るオズのピリッと辛い言葉が恋しくなったりもしてしまう。
「ごはん、作ってあげようか?」
オズの額に水で濡らしたタオルを宛てて、エンテルはその顔を覗き込んだ。オズは眉を顰めただけで返事にかえる。どんな動きも億劫なのだ。風邪とはそういうものである。
本当は、「お前は何もしないで大人しくしてくれるのが一番有難い」とかなんとか、そんな思いはオズの胸を過ぎったのだ。だが、口を動かすのも一苦労なので、オズは余計な体力を使うその一言を省く。
そもそもエンテルは料理を知っていただろうか。野宿する時に枝に刺して肉を焼く、あれを料理と言うのなら、生肉を食べたって手料理と称して差し支えない。つまりエンテルの家事の腕前とは、その程度だとオズは承知している。
だが、眉毛をへの字に曲げて、自分のことを心配そうに覗き込んでいる相棒を前に、強い言葉を言いようがなかった。敢えてここで口を開くなら「ありがとう」なのだが、それは心力の弱った今でも言いたくない。
回らない頭で考えた末に、オズはエンテルに頷いた。
「……メシ」
「何が食べたい?」
オズの力になれると思って、エンテルが表情を明るくする。
本当は何も食べたくないのだ。しかしそれを告げるのすら面倒だった。
「なんでもいいから……消化いいもん」
「わかった。待ってて、安静にしてるんだよ?」
オズをたしなめるような言い方をして、エンテルはぱたぱたと部屋を出て行く。遠ざかる足音を聞きながら、オズは重い瞼を閉じてシーツに沈んだ。

□―――食堂
騎士寮に備え付けられた厨房は、食事時でもないのに煙が立ち込めていた。黒煙である。
ハッキリ言って、食事時だって滅多にこんな惨状は見られない。
「焦がしちゃった……」
口にしなくてもそんなことは明らかだ。エンテルはただの黒炭と化した元食料を名残惜しげにフォークでつついた。
これはどうするべきか。迷いながらもゴミ箱行きである。ありとあらゆる生き物の糧として、これは明らかに不適切だ。
ザラザラと、食料らしからぬ堅く乾いた音を立てて、料理の燃えカスはゴミ箱に落ちていく。
黒い塊を目で追いながら、エンテルはふぅ、と誰も居ない厨房でため息をついた。
想像の中ではあんなに滞りなく進んでいる看病が、こんなに大変で難しいものだったとは。手は魔法のように動いて食材を調理してはくれないし、ましてや味見なしでは味つけだってわからない。
それとも自分に才能がないのかと、エンテルは少し肩を落とす。
「もう!落ち込んでる場合じゃないでしょ。オズが待ってるわよ」
自分で自分に言い聞かせて気を取り直し、エンテルはよし、と拳を握った。
「ガーリックステーキは諦めて、スープを作ろう!」
……処女作は失敗してよかったのかもしれない。病気で弱った胃腸には、ガーリックとビーフの取り合わせはかなりヘヴィーである。そんなわけで、スープの中にごはんをいれた、洋風おじやを作ることにした。
エンテルが作ると洋風どころか何風でもないので、ここは一つエンテル風と名づけることにする。身体によさそうなもの…ということで、思いつく限りのものを混ぜ合わせた。
チキンスープにミルク。タマネギ。ご飯。
鶏がらのダシにミルクを入れるあたりで、すでに何かが間違っている。ミルクが温まって変なにおいがしてきたので、思わず匂い消しにスパイスを入れる。
匂いは余計酷くなった。
「……エンテル」
低い、力のない声が聞こえたのは、エンテルが丁度踏み台に上って、調味料を取ろうとしていた時のことである。
「なんだ、この殺人的な匂いは」
「あっ、オズ。寝てなきゃダメよ!まだ顔色悪いじゃない。出来たら持っていってあげるから、ベッドに入ってなさいよ」
心配半分、調理場の惨状を見られたくないの半分で、エンテルはオズを追い払おうとする。
立ち込めた悪臭に余計色を失くしたオズは、鍋を覗き込んで明らかに(体調が悪いくせに)辟易した表情を見せた。
「お前……これは」
「身体にいいものばっかり入れて作ってるんだからそんな顔しないでよ」
「……化学変化ってあるだろう」
「知ってるわよそれくらい」
性質の違う二つ以上のものが混ざり合って、まったく違う別の物体に変化することである。
つまり、いくら身体にいい食材だからといって、何でも混ぜたら何が出来上がるかわからない、といいたいのだろう。失礼な話だと憤ってみたが、確かにそれは当たっている。
オズが出て行く気配を見せないので、エンテルは諦めて作業を続けることにした。踏み台に上って、高い位置にある調味料に手を伸ばす。
ガクン、と視界がずれたのはその時だった。足の裏に、あるはずの堅い感覚がない。足を踏み外したのだ。
「きゃっ……!」
床は赤いレンガづくりである。ごつごつしていて足場がよくないと、騎士の間でも評判が悪かった。転んだら、怪我をしかねない。衝撃を予感して、エンテルは堅く目を瞑った。
どさっと背中が地面に落ちる。
思った程の痛みも衝撃もなく、エンテルはひどく柔らかく、床に叩きつけられた。背中に触れているのは、堅くて冷たいレンガではない。
「オ、オズッ……」
「この……馬鹿っ。気をつけろ……」
オズは、エンテルの下敷きになって、床と彼女の間で苦しそうに呻いた。咄嗟に、オズがエンテルを抱きかかえることで、彼女が床に落ちるのを防いだのである。
「ごめん!オズ。ごめんなさい!」
起き上がるのに苦労しているオズに手を貸す。触れた手のひらは、びっくりするほど熱かった。まだ熱が下がっていないのだ。もしかしたら、今ので熱が上がったのかもしれない。
「……いいから」
泣きそうな顔をしているエンテルに、オズはふっとため息をついた。馬鹿にしているわけではないらしい。……無理に身体を動かしたので、疲れたのかもしれない。
「見ててやるから……新しく作り直さないか、それ」
「……うん、でも、オズ、身体は?」
オズの顔色はますます悪い。心配しているエンテルの前で安定を欠いてふらふら揺れている。エンテルの視線に気づいたオズは、さりげなく壁に身体を預けた。
「何か、食ったほうがいいだろ。……見ててやるから、作ってみろ」
「……わかった」
エンテルは素直に頷いた。
弱った身体を動かしてまで自分を助けてくれたオズに、意地を張る気持ちは失せていた。

□―――朝
目を覚ますと、まず始めに夜が明けて芽吹いた草木の匂いが鼻先を擽った。昨日は感じられなかった生命の息吹だ。それはそのまま、オズの調子が快方に向かっていることを示している。
熱は夜のうちに体から抜けたらしい。昨日に比べて大分軽くなった身体を起こすと、足元に不自然な重みを感じる。
「……エンテル」
猫の子のように背中を丸め、エンテルはオズのベッドに突っ伏して眠っている。
身体を起こした拍子に額から落ちたタオルの冷たさが、つい先ほどまでエンテルが彼を看病していたのだと語っていた。
木漏れ日が落ちて、白いシーツに複雑な模様を作っている。ちらちらと揺れるそれは、エンテルの髪でも、伏せた瞼の上でも踊った。
手を伸ばして、エンテルの髪に触れる。
「一晩中起きてたのか」
そういえば熱に浮かされて意識の浮沈を繰り返しながら、何度となく人の気配を感じた気がする。
それは寄せては引いていく細波のように、常に傍らにあるくせに心地がいい。
未だに眠り続けている少女を見守って、オズはやさしい笑みを見せた。彼女が起きている時は、どうしても意地を張ってしまって見せられない表情だ。
「さて」
熱を出したせいで節々が痛む体を伸ばし、オズは光に輝くシーツから視線を転じて窓の外を眺めて考えを巡らせた。
まずは、病人の匂いが染み付いたシーツを洗濯しよう。
そして青空ではためくシーツを見ながら、エンテルを食事にでも連れ出すか、と。


― シーツ ―