<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
ALBA―白き夜明け― [前編:それだけの夜]
SCENE-[0] OPENING MONOLOGUE
今宵
一番守りたかった筈の絆を この手で千切り棄てた
たった一つの 真実と引き替えに
抑えきれない 本能と引き替えに
喪ったのか 手に入れたのか
そのどちらであったとしても
もう 今までと同じではいられない
エンテル
「今日という日がなかったなら」
幾度おまえがそう望んでも
それは意味のないことだ
たとえ今日でなくとも この日はいつか来たのだから
今日という日は
訪れるべくして 二人に訪れたのだから
SCENE-[1] 峠にて
おんぶなんてされるの、いつ以来だろう。
オズの背で、エンテルはふとそんなことを思った。
今朝早く、オズとエンテルの二人は、行商人を襲う盗賊が現れるという峠へ出向いた。無論、賊を駆逐してくれとの依頼を請けてのことだ。賊は、当初威勢こそよかったものの、腕の立つ騎士二人を相手に長丁場の戦闘をこなせるほど錬成されてはおらず、戦況不利と見るや散り散りに逃げ去っていった。
「蜘蛛の子を散らすが如く、っていうのは、こういう時に遣う言葉だな」
あっさりと騎士に背を向けて四方に散っていく賊を眺め、オズはそんなことを言ったものだった。
エンテルは、「悠長なこと言ってないで、追うよ!」と、オズの制止も聞かず賊に続いて峠を駆け下り、これが最后の悪足掻きと待ち伏せていた一人に、右膝下をしたたか撲ち叩かれた。
敵の武器が剣でなく棍だったことに、オズは心底感謝し乍ら、賊の鳩尾に深々と鞘ごと剣を突き込んでやった。これでもかなり手心を加えた方だ。幸運を悦ぶがいい。
周囲の安全を確かめたオズは、地に坐り込んで顔を顰めているエンテルに近寄ると、傷の具合を診た。幸い、骨に異常はなさそうだったが、赤く腫れた打撲の痕が痛々しかった。
「深追いが危険なことくらい、分かってるだろう」
オズの言葉に、エンテルは力なく「ごめん」と謝った。自分に地の利がない場処での深追いは、危険。分かっていた筈だったのに、つい、追ってしまった。その結果、負わずに済んだ傷を負い、オズにも心配をかけた。
「……ごめん、オズ」
どんな時も前向きに物事を乗り越えていこうとするエンテルも、こと騎士としての仕事に関しては、己の過失をしっかり受けとめ、そのために意気消沈することもある。騎士や剣士というと聞こえはいいが、実際に敵との戦闘となれば、その一挙手一投足に命が懸かる。自分の、そして伴に戦う仲間の命が。一瞬の気の弛みが、命取りになるのだ。
「何度も謝らなくていい。この程度で済んでよかった。……ほら」
オズはそう言うと、エンテルに背を向けて腰を落とした。
「え? な、何?」
「その足じゃ、歩けないだろう」
「それは……、でも、だからってオズ、……おんぶしてくれるって言うわけ? 街まで?」
「他に何か妙案があるか?」
「ない、けど」
確かに、峠を下って道なりに少し行けば、都街に辿り着く。そう遠くはない。陽が暮れるまでには宿に戻れるだろう。
オズに、背負ってもらって。
エンテルは少し躊躇いつつ、オズの頸に腕を回し、背に体を預けた。オズは思いの外軽々とエンテルを背負い上げ、歩き始めた。
それほど力があるようにも見えないのに、やっぱり騎士だよね。それに、男だし。
エンテルは改めてそんなことに感心し、安心してオズに身を委せたのだった。
エンテルの眼前で、歩調に合わせてさらさらと揺れる、オズの髪。その深い藍に咲く白い小花が、傾きかけた陽に淡く色づいて見える。
「……ねえ、オズ」
エンテルが、ひょいと顔をオズの肩越しに覗かせて、
「白って、きれいな色だよね」
いきなりそんなことを言った。
オズは、頸に触れたエンテルのあたたかな吐息に一瞬体を硬直させ、それから小さく溜息を吐いた。
「何だ、唐突に」
「ん、何となく、ね。白は、本当はいつだって白に変わりないのに、夕焼け空の下では橙に輝くし、月光の下では銀色に映えるし」
「つまり、染まりやすいということだろう」
「違う。白は、染まってるんじゃなくて、許してるんだと思う」
「許す……?」
「そう。自分の上に色が降りてくるのを許してる。どんな色が寄り添ってきても、自分を見失わない自信があるんだよね、きっと」
それに、優しいんだろうね――――と付け加えて、エンテルは微笑んだ。
エンテルのその発想に、オズはすぐに言葉を返すことができなかった。
そんな風に考えたことなど、なかった。
白は、どちらかといえば弱い色なのではないかと思っていた。
だが、エンテルの考え方では、許すことを知り、己を知っている白は、何よりも強い色だということになる。
「……優しさと強さの証、だよね。オズの、白い花」
耳許で囁かれ、オズはぴたりと足を止めた。
どうしたの、と問う声が背から降ってきたが、暫くそのまま動けなかった。
胸の裡で高鳴る鼓動が、エンテルに聞こえてしまうのではないかと思った。
背に押し付けられた柔らかな肢体が、
耳朶近く響くその声が、
エンテルの存在の総てが、
オズの中で大きく膨らみ、脈動していた。
――――エンテル・カンタータ。
同じ孤独を知る、幼馴染み。
伴に歩み、伴に駆け、伴に笑い、伴に戦ってきた、かけがえのない仲間。
信じるということを教えてくれた人。
誰かを心から大切に想うというのがどういうことなのか、
そして、
人を愛するというのがどういうことなのか、
気付かせてくれた、少女。
「……オズ? 重いなら、降りるけど」
エンテルが、オズの肩をつついた。
「いや、大丈夫だ。何でもない」
応えると、オズは再び歩き始めた。
エンテル一人くらい、背に負って歩けなくてどうする。
大切な女一人、まともに守れなくてどうする。
重いのは、エンテルじゃない。
エンテルに向かって真っ直ぐに想いを遂げようと、ともすれば暴れ出しかねないこの心。
それを押し止めようと己の心身に課した枷が、重くて仕方ない。
重くて、仕方ない――――。
SCENE-[2] 沈みゆく夜に
エンテルをベッドに坐らせ、オズは宿の主人から借り受けてきた薬で傷の手当てをした。腫れた患部に砕いた氷を当ててやると、エンテルは「気持ちいい」とホッとしたような笑顔を見せた。
二人が宿に帰り着いたのは、まだ夕暮れ時の朧な光の消えぬ頃合だった。部屋に戻るなりオズはエンテルの傷を診せろと言って手当てを始めたが、エンテルは、自分の足許にオズが跪いているそのことが何とはなしに気羞ずかしく、視線をすいと窓際へ避難させた。治療のためと分かってはいるが、オズの顔の前に素足を投げ出し、平然としていられるものではない。彼の指先が触れるたびに、得体の知れない感覚がそこから立ち昇り、心がざわめくのだ。
薄いカーテンの隙間から斜めに射し入る夕陽が、エンテルの眸を過ぎった。
「……ありがとね、オズ」
エンテルが、オズの背のぬくもりを思い出し乍ら、言った。オズの体温と、揺れる小花と、柔らかな陽の色。不謹慎なようだが、足を怪我したからこそ手に入れた優しい景色が、今もエンテルの脳裡に揺れていた。
オズは、何の礼だ、と言いたげに一度顔を上げ、それからまたすぐ視線を戻すと、エンテルの足に包帯を宛い、慣れた手つきで巻き留めた。
「ふぅん、オズ、包帯巻くの上手だね」
エンテルが意外そうな表情で、包帯に保護された傷の上をそっと触った。
「打身や多少の斬り傷なら、剣戟中にはよくあることだからな。自然、慣れるさ」
「そっか、そうだよね。でも……私、オズが怪我したとこって、そういえば見たことない気がするんだけど」
「そうか? まあ、最近はそう簡単に敵に隙を与えたりはしないからな。大した怪我も――――」
オズの語尾を遮って、エンテルが、「あ!」と声を上げた。
「オズ、実はどこか怪我したりしてない?」
「え?」
「私に隠してない?」
「隠してどうなるものでもないだろう。別に、どこも」
「だってほら、私をおんぶして歩いてた時、いきなり立ち止まっちゃったりしてたし! あれって、受けた傷が痛んだせいとか」
「……考えすぎだ、エンテル」
オズが歎息した。
そう、考えすぎだ。
いや、逆にもう少し考えろと言うべきか。
傷が痛むから立ち止まったのだというのは、言われてみれば最も考え至りやすい結論に違いない。
だから、もう少し、もう少しだけ、複雑に考えてみてほしい。
「エンテル」
オズが、まだエンテルの前に跪坐したまま、
「俺は、傷など受けていない。傷が痛むから立ち止まったわけじゃない」
そう言ってエンテルの顔を見上げた。
エンテルは、オズの真剣な眼差しに気圧され、それをはぐらかすようにベッドの上で軽く体を揺らした。エンテルの動きに合わせて、ギシ、とベッドのスプリングが騒いだ。
「そうなの? なら、いいんだけど。あの時のオズ、あんまり急に歩くのやめたから、何かあったのかと思って」
「……他にどうしようもなかったんだ」
「どうしようもなかった? 何が?」
「エンテルのことが気になって」
「あ。やっぱり重かったんだ」
「そうじゃない。……俺の背に身を委せて、耳許で無邪気に囁き続けるエンテルが、……愛しくて仕方なかった」
「……え?」
エンテルが、揺らしていた体を止めた。
――――エンテルが、愛しくて、仕方なかった。
まさか、オズの口からそんな言葉を聞くとは思わなかった。
「い……愛しい、って、や、やだ、オズったら、何」
エンテルは困惑を誤魔化すように、あはは、と笑い、オズから眼を逸らした。
「本当の、ことだ」
ふっ、と。
オズの声に続いて、熱い吐息と濡れた感触を右膝に覚え、エンテルは慌てて自分の足を見た。
オズが、エンテルの膝に、接吻けていた。
「な……っ、オ、オズ! 何してるのよっ」
エンテルはカッと顔に血を昇らせ、ぐいとオズを押し遣った。
「……エンテル」
「び、びっくりするでしょ! いきなり、そんなこと!」
「エンテル。俺は、おまえを大切に想ってる。……愛してる」
痛いほど心に斬り込む一言だった。
しかし。
オズの真摯な告白を受け、当のエンテルはそれを咄嗟に笑い飛ばすしか、感情をコントロールする方法を知らなかった。
「ま、またそんな! もう、冗談でしょ? 急にどうしちゃったの? オズ」
エンテルのその態度に、オズは喉の奥を小刻みに震わせ、固く拳を握りしめた。
どうして。
どうして分からない?
どうして伝わらない?
長い間「仲間」だったからか。「幼馴染み」だったからか。「友達」だったからか。
だから、エンテルは嗤うのか。
愛しいなどと想われるだけの理由に思い当たらないと。
愛しいなどと想うだけの気持ちが己の裡にはないと。
だから、エンテルは――――。
「……っ、きゃあっ!?」
オズは、自分の心に鳴り響く声の向こうに、エンテルの短い悲鳴を聞いた。
オズ自身、何がどうなっているのか理解できないままに、エンテルをベッドの上に押し倒していた。
「や……っ、ち、ちょっと、オズッ?」
両腕を押さえ込まれ、エンテルが足をばたつかせた。白いシーツの上に、金の髪が流れ乱れる。オズに組み敷かれたエンテルの華奢な体躯が、何とかしてそこから逃れようと無駄な抵抗を試みていた。
「ね、ねえ、オズ、待って……!」
「……もう、待てない」
オズが、掠れた声で応えた。その眦が赧く染まり、彼の裡に満ち滾る熱を思わせた。
「待てないって、だ、だって、私……っ、ん、んん……ッ?」
オズの行為を阻止しようと言葉を継いだエンテルの口を、上から降りてきた彼の唇が塞いだ。
SCENE-[3] 真夜中の覚醒
光を求めて瞼を上げたつもりだったのに、そこに在ったのはただ一色の闇だった。
素肌に触れるシーツの冷たさが心地良い。
気怠い熱を孕んだ体が、いつもより幾分重く感じられ、エンテルは闇の中で一つ深呼吸をした。
いつの間に、眠ったのだろう。
ああ、そうか、今日は峠の賊を追い払いに行って、それで帰って来るなり疲れて寝入ってしまったのか。
ぼんやりと甘く靄めいた頭で何とかそこまで考えた時、エンテルは、闇の中に微かな寝息を聞いた。
自分のものではない、けれど自分に近しい呼吸音。
「……オズ……?」
その名を呼んだ、刹那。
睡気によって閉ざされていたエンテルの記憶が一気に甦った。
「あ……!」
エンテルは、ガバッとベッドの上に起き上がると、申し訳程度に腰に被せてあったブランケットを引き寄せ、一糸纏わぬ己の身に巻き付けた。
体のあちこちに残っている、オズの匂い。
強く握りしめられた、手頸。
唇を押し付けられた、頸筋。
荒い息遣いの中で、心と体が、軋んだ。
「な……、なん……で」
エンテルは、声を詰まらせた。
突然あふれ出した涙が、胸許にぱたぱたと落ちた。
なんで……、なんで!?
なんでオズは、こんなこと!
愛しい?
愛しいって、言った?
オズはそう言った?
それで、その結果が……これだって言うの?
「……オ……オズっ!」
エンテルは、闇に向かって叫ぶと、規則的な呼吸を繰り返している男を求めて腕を伸ばした。
エンテルの手は、すぐにオズの体に届いた。エンテルの声と手の感触とに眠りを破られたオズは、ベッドに半身を起こしかけて、肩をドンッと力委せに突き飛ばされた。
「……エンテ――――」
「自分が何をしたか分かってるのッ?」
夜を切り裂くエンテルの叫号に、オズは押し黙った。
「答えてよっ! わ……私はオズのこと、信頼してたんだからねッ? 信じて……ずっと信じてたのに! なんで、どうして、こんなかたちで裏切るの!? 愛してるなんて適当なこと言って、いきなりこんなことするなんて、いくらなんでも非道いよ……ッ」
エンテルの声は涙に濡れ、哀しさと悔しさに打ち震えていた。
今、激情の裡に在るエンテルに、オズが言えることは何もなかった。
何を言っても言い訳にしかなり得ないと分かっていたし、それ以前に、エンテルの言うことは真実に違いなかった。口では愛していると尤もらしいことを言い乍ら、結局オズのしたことはといえば、愛している筈の女を――――強引に、抱いただけだった。世が世なら、純潔を穢した者と裁かれても反論はできない。
確かに、穢したのだから。
この世で、最もきれいな存在を。
幾度もその笑顔に触れたいと望み、けれどそうすることを躊躇うほどの清らかな何かを持っているように思えてならなかったエンテル。
そのエンテルを、あろうことか、己の欲動のままに抱いた。
だから、エンテルには、冒涜の罪人を誚め詰るだけの理由がある。権利が、ある。
「……オズ」
どれだけ待っても何も言おうとしないオズに、エンテルは痺れを切らした。
「もう、行って。出て行って。今すぐ、私の前から消えて……!」
エンテルが一方的に叩き付けた絶縁状ともとれるその一言を、オズは沈黙したまま受け容れた。
脱ぎ棄てた衣服を手早く身に着けると、オズは何を言い置くこともせず、静かに部屋を後にした。
これは、予想できなかった結末ではない。
喪うかもしれない、と。
今まで築き上げてきた、総てを。
一夜にして喪うのかもしれないと分かっていた。
それでも。
いつからか欲しいと願ってしまった一つの心を、堪えきれぬ熱情を、素知らぬ顔でやり過ごすことは、もう、できなかった。
それだけの夜だった。
SCENE-[4] 別離の先に待つもの
遅めの朝食を摂ってから宿を出、街に繰り出したエンテルは、広場の噴水前に設けられた情報交換板を見るや、その場に立ち尽くした。彼女の眼は、今日の日付で大きく掲示された真新しい一枚の紙に釘付けられていた。
オズ・セオアド・コール。
何度確認しても、確かにその名はそこにあった。
「……オズ……が?」
エンテルは強張った声で呟き、紙面に印字されたオズの名を指先でなぞった。
《 ソーン西方、グレンデルの森にて――――二日前より冒険と称して森を探索していた一行が、本日未明、魔物の群れと遭遇したとの伝令あり。現在、すでに魔物との戦闘は終熄し、この一件に於ける被害状況が確認された。死者二名、重傷者二名、軽傷者三名、行方不明者一名。なお、目下行方不明とされている騎士は、冒険者一行とは別件でグレンデルの森に入り、戦闘に巻き込まれた模様。当該騎士氏名、オズ・セオアド・コール 》
オズが、行方不明。
冒険者達と魔物の群れとの戦闘に巻き込まれて、行方不明。
エンテルは、次第次第に動悸が烈しくなっていくのを覚えた。
「別件で森に入ったってことは……やっぱり、何か依頼を請けて、出掛けて行ったってこと……だよね」
オズが早朝から森に出向くとしたら、その理由しか思い当たらない。
依頼された任務を遂行すべく森へ入り、偶然戦闘に巻き込まれた。
死傷者の人数を把握した上でオズを行方不明と断じているのだから、周囲をある程度調査した結果、どこにもそれらしき人影はみつからなかったということだろう。
行方、不明。
オズは、どこへ行ってしまったのだ。
エンテルは、胸の前でぎゅっと両手を握り合わせた。
[前編:それだけの夜/了 後編に続く]
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