<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
ALBA―白き夜明け― [後編:明けて優しい雨]
SCENE-[0] OPENING MONOLOGUE
大切なものが近すぎて
与えられるぬくもりに慣れすぎて
見喪っていたのかもしれない こころ
いつだって
足許に咲く小さな花には
気付きにくいものだから
遠くばかりをみつめて
光射す方へ駆け出して
振り返ることを忘れてしまう
ほんの少し立ち止まって
振り向いたなら そこに
私を支えてくれる人が
私をみつめる優しい眸が
いつも いつも待っていてくれたことに
気付かない筈は なかったのに
オズ
あなたに
気付かない筈は なかったのに
SCENE-[1] ただ、ひとり。
行方不明者発見の続報は、入らなかった。
オズの行方が知れなくなってから、二日。
エンテルは、オズの安否に関して、できる限り楽観的に考えるようにしていた。
そんなに心配しなくても、そのうちきっと、帰ってくる。
行方不明と言っても、この街に戻って来ていないだけで、グレンデルの森を抜けて向こう、小砂漠の方角へ仕事をこなしに行っているだけかもしれない。
それに、あんなことがあった直後で、街には戻って来にくいのかもしれない。
――――あんな、こと。
エンテルは、部屋の壁際に据えられたベッドの片隅で膝を抱え、唇を噛んだ。
もし。
もし、あの夜。
オズを部屋から追い出さなければ、彼は今も隣にいてくれたのだろうか。
オズの腕に抱かれて眠ることを、拒否しなかったなら。
あのまま、一緒に朝を迎えていたなら。
「……ううん、違う」
エンテルは、ぶんぶんと頭を左右に強く振った。
違う、違う、違う。
それよりも前に、オズの告白を、笑ってはぐらかしたりさえしなければ。
真剣に受けとめて、応えていれば。
「あんなこと」にさえ、ならなかったのかもしれないのだ。
「……愛しいって……、愛してる、って……言ってくれたのに、な……」
好き、より、ずっと重い言葉。
言おうと思って、簡単に口にできる言葉ではないだろう。
オズは、軽佻浮薄な男ではない。
必要ないと思うことは言わない。たとえ必要なことでも、言うべき時を選んで口を開く。徒に人の情を煽るようなことはしないし、感情が理性を超えるようなことも殆どない。
そのオズが、真っ直ぐにエンテルをみつめて告げたのだ。
愛している、と。
決して、茶化すべきではなかった。逃げるべきではなかった。
「分かってる……分かってる! 今なら、そう思える! けど……、あの時は」
そう、あの時は。
そんな心の余裕はなかった。
愛などという言葉を持ち出されるほど、オズに異性として、女として見られているとは思っていなかった。エンテル自身、二つ年上の幼馴染みを、はっきりと男として意識していたわけではない。いや、正確には、意識しようとしていなかった、というのが正しい。オズは男で、自分は女。そう思ったが最后、何をするにも不都合が生じて仕方なくなるような気がしていた。だから、無意識の裡に、オズを異性として見ようとする己に眼隠しをしていたのだろう。
眼隠しの向こうで、オズはいつも頼りになる仲間だった。
足の速さも、歩く歩幅も、剣の一振りも、戦況の把握も。
皆、オズに分があった。
オズは、置いていこうと思えば、いつでもエンテルを置いて先へ進んでいける筈だった。
だが、そうしようとはしなかった。
時にエンテルの手を取り、時にその背を守り、そして――――エンテルが眼隠しをしているそのことを誚めはしなかった。
「……我慢、してたのかな、オズ。ずっと。ずっと……」
旅の途中、自分の傍らで眠るエンテルの寝顔をみつめ乍ら。
嵐の夜、雷に怯えるエンテルの手を握りしめ乍ら。
大丈夫だ、そばにいるから。
そう言い乍ら、エンテルを抱きしめることもできず、ただそこにいるしか許されなかったそのことが、どれだけオズの心を締め付けて来たのか。
オズの気持ちに気付こうともせず、彼の隣で安心してさえいればよかったエンテルには、確かにオズの愛の告白は唐突で一方的なものでしかなかった。しかしそれは、オズにとっては、己の心を抑えかねての必死の一言だったと想像できる。
……もう、待てない。
オズは、苦しげな声で言った。
これ以上は、無理なのだと。
エンテルを傷つけたくはない。
それでも、もう、このままの二人でいることは、できないのだと。
そうして引かれた境界線が、つまりはエンテルを女へと眼醒めさせ、今までの絆を引き裂く一事だった。
「……オズ……」
エンテルの気持ちを確かめもせず、強引に事に及んだオズを誚めるのは簡単なことだ。
おそらく、彼との繋がりを今後どうするかを決めるのは、エンテルの心一つ。
どうしても許せないのなら、総てはここで終わり。
オズが行方不明のままどこへ消えようと、関係ない。
エンテルは、エンテルとして生きていく。
オズがいようと、いまいと、気にすることはない。
そして、いつか、誰かに恋をする。
その人と愉しい日々を過ごして、やがて結ばれて、倖せに――――倖せに。
「……倖せに……なんか」
エンテルの声が、震えた。
胸が痛い。
抱き寄せた膝に爪を立て、エンテルはぎゅっと両眼を瞑った。
「考え……られないよ。オズのいない毎日なんて……そんなの」
考えられない。
オズのそばを離れて、一人で生きていくなんて。
いつか他の誰かと出逢うなんて。
オズ以外の誰かの背に身を預けて、夕陽に揺れる白い花をみつめるなんて。
「やだ……いやだ、このままオズが帰ってこないなんて……! 行方不明なんて、そんな……」
エンテルは、押し殺した声で言い、瞼を上げてまるい膝頭をみつめた。
オズがそっと唇を触れた、小さな膝。
その膝の下には、包帯が巻かれている。
オズが巻いてくれた、包帯。
あれから数度エンテルは自分で巻き直したが、オズのように上手には巻けなかった。
思えば、オズは、エンテルを押し倒したその時も、足の傷に負担がかからぬように配慮してくれたのではなかったか。意識してそうしたのか、それとも無意識にエンテルに無理を強いる体勢を避けたのか――――エンテルには、あの夜、打撲の痛みが増した憶えはない。
「……結局、傷つけたのは……私の方なのかな。オズだってきっと、あんなこと……あんな風にしたくなんか、なかっただろうし。私……自分ばっかり傷ついたつもりで……オズを追い出して」
最后まで、眼隠しを外そうとはしなかった。
オズのしたことが罪だというなら、眼を背け続けたエンテルの行為もまた、同罪。
不意に、もしかしたらオズはもうこの世にいないのかもしれない、という思いがエンテルの胸に湧いた。
行方不明のまま、
オズは誰にも知られることなく、その生涯を閉じたのかもしれない。
だとしたら、これは罰なのだろうか。
一番大切なものに気付かずに、甘い幻だけを見ていた、罰なのだろうか。
「……オズ……!」
恋しいその名を呼ぶエンテルの声が、夕闇に融けた。
SCENE-[2] 六日めの真実
五日。
エンテルがオズと離れていたのは、実質五日間だった。
その間殆ど一睡もせずオズを想い続け、本当にもうオズは帰らぬ人になってしまったのかもしれないと自分の中の感情という感情の動きを止めたエンテルは、六日めの朝、何を期待するでもなくすでに日課となっている情報掲示板の確認に出向いた。
雨が、降っていた。
だが、傘を差す気にもならなかった。
小糠雨に濡れ乍ら、掲示板の前に辿り着いた時、エンテルはそこに見慣れた後ろ姿をみつけた。
藍の髪。
その髪より少し深い色の外套。
髪に咲いた白い花。
肩幅。
立ち方。
腰に佩いた剣。
どれも、エンテルの記憶にあるそれと寸分違わぬかたちのまま、眼前に在った。
オズのその後ろ姿を認めた、瞬間。
ああ、この人だ。
エンテルは、心の奥底から湧き上がってくる愛しさに体が震えた。
この人を、待っていた。
もう一度逢えるなら、どんなことでもしようと、思っていた。
生きてもう一度巡り逢えたなら、その時は。
「……っ、オ……、オズ……ッ!」
名を呼ばれたオズが振り返るより早く、エンテルは彼に向かって駆け出していた。まだ治癒しきっていない右足の痛みさえ、感じなかった。
「エン……テル」
エンテルは、オズの胸に飛び込むと、何も言えぬまま、声を上げて泣き出した。
今までどこへ行っていたの。
どうして帰って来なかったの。
グレンデルの森で、何があったの?
戦いに巻き込まれて、怪我はしなかった?
訊きたいことは山ほどあったが、どれも言葉にはならなかった。
「……エンテル」
体当たりにも似た勢いで無防備に身を投げ出して来たエンテルを腕に抱きとめたものの、オズは泣きじゃくる彼女をどうしてよいのか分からなかった。
かけるべき言葉も探しかねて、
「濡れるぞ」
それだけを言い、自分の外套をエンテルの頭からふわりと掛けた。
「オ……ズ、オズ……、オズ……っ」
「……ああ」
「オズ……、どう……してっ、どこ……行っ――――」
「その件なら、エンテルが落ち着いてから話す」
「オズ……ぅ、……オ、ズ……っ」
さすがに、オズは苦笑した。
何も言わず、五日も姿を消していれば、エンテルに心配をかけるだろうとは思っていた。が、まさかこうまで泣きつかれることになろうとは。
エンテルに消えてくれと罵倒されて、どんな弁明もできずに、ちょうど持ち掛けられた依頼を救いとばかりに街を出た。頼まれたのは、ソーン西方に位置する小砂漠のオアシスへの荷の護送。グレンデルの森を抜けていくのが近道と、早朝から向かったはいいが、運悪く冒険隊と魔物の戦闘に遭遇した。魔物の勢いが尋常でないのを見て取ったオズは、荷を運ぶ商人を大きく迂回させて先に砂漠へ遣り、安全を確かめてから、自分は戻って魔物を駆逐すべく参戦した。
多少勝手知ったる森の中で巧く立ち回り、暫くして何とかなりそうだと戦闘の勝利が仄見えた時、魔物の爪に引き掻かれて地に倒れた某かに足を掴まれた。思わずバランスを崩し、木々の間に大きく口を開けた地の裂け目に転落してしまった。落ちる途中で、その裂け目を縫い合わせるように走っていた大樹の根に引っ掛かり、どうにか助かったものの、それから地上に這い上がるのにかなりの時間と労力を要した。
詳しい事情は分からなかったが、地上に戻った時には魔物の残骸も人間の屍体もすでになく、とにかく先ずは依頼優先と、小砂漠のオアシスへ向かって荷の無事を確認した。これで帰れるかと思ったが、そのオアシスでさらに仕事を頼まれ、三日ほど護衛の旅に出た。街へ帰ってもエンテルに合わせる顔がないことを思い、頼まれたことは何でも請けた。その結果、街を五日間離れることになったわけである。
帰還して、何気なく広場の情報掲示板を見、驚いた。
例の魔物との戦闘で、自分が行方不明者扱いをされているとは知らなかった。
これはエンテルも気が気ではなかったかもしれないなと思ったところへ、間を措かず当の彼女が泣き乍ら駆け寄って来たのだ。
「……風邪、ひくぞ。宿へ戻るか、どこかで雨宿りを」
雨を避けられる場処を探して視線を彷徨わせたオズは、エンテルにぐいっと衣を引かれた。
「いや!」
「エンテル? 何を」
「もう、どこにも行かないで!」
「……雨宿りをするだけだ、エンテル」
「やだ……よ、一人は……いや。オズが……いないなんて……そんなの、もう……っ」
オズは、涙に濡れ真っ赤に腫れたエンテルの眼許を指で拭った。
「一緒に、雨宿りするだけだ。二人して体調を崩しても、誰も面倒見てくれないだろう」
その言葉にようやく肯いたエンテルは、オズに手を引かれて、広場に面した花屋の軒先まで歩いた。営業時間外の花屋の扉は閉ざされていたが、店の前には鉢植えが幾つか並べられており、それを足に引っ掛けないよう気を付け乍ら、二人は並んで軒下に立った。
「大分、濡れたな。宿を出る時に傘くらい持って来なかったのか?」
オズが呆れたように言った。
「……オズだって、傘差してなかったじゃない」
「俺のことはいい」
「どうしてよ」
「風邪なんて、もう何年もひいてない」
「今までひいてないからって、この先は分からないでしょ? ……先のことなんて、誰にも分からないんだから」
エンテルに鼻声で言われ、オズは、グレンデルの森でのことを思い返した。確かに、先のことは分からない。一歩間違えば、地の裂け目に落ちたあの時、命を落としていたかもしれない。もう二度と、エンテルに逢えなかったかもしれないのだ。
「……そう、だな。先のことは分からない」
素直に認めると、エンテルは泣き笑いの表情でオズを見上げた。
「うん……、分からないよね。でも、分からないからって、……それでいいわけじゃないよね」
「え?」
オズが、エンテルを見返した。
エンテルは、泣きすぎて嗄れた喉で、ゆっくり話し始めた。
「私ね、オズがいない間、いろいろ考えたの。オズのこと」
「エンテル……」
「私達、どうしてこんなことになっちゃったんだろうって……、どうしてオズはあんなことしたんだろうって。……私、非道いこと言って、オズを追い出して……オズは、帰って来なくなって。もしかしたらもう二度と、オズに逢えないんじゃないか……って……、そう、思いだしたら、止まらな……くて……」
また、エンテルの頬を涙が伝った。
「……それ以上泣くと、眼が開かなくなるぞ」
オズは、エンテルの肩を抱きかけて、ハッと手を止めた。無理矢理にエンテルを組み敷いたあの夜のことが、脳裡を過ぎった。
オズの逡巡に気付いたエンテルは、
「いいよ。……抱いて、肩」
そう言って、微笑んだ。
「……エンテル、俺は、そう言ってもらえるような資格は」
「資格なんか……、そんなの、要らない。だって、私がそうしてほしいって、思ってるんだよ。オズに、肩を抱いてほしいって。一緒にいてほしいって。ずっと、……ずっと、そばにいてほしいって」
エンテルの言葉に、オズは、途中で止めた手を彼女の肩にそっと置いた。エンテルはそれを待って、
「……オズの言ってくれた、愛しいっていうのが、どういう気持ちなのか、よく分かった」
肩に載せられたオズの手に、自分の手を重ねた。
「ごめんね、オズ。私、気付かなくて。気付けなくて、ごめん。……オズのこと、すごく大切に想ってる。今までだって、そう想ってたのに、……それを認めるのを避けてたんだと思う。認めちゃったら、何かが……毀れる気がして」
「エンテル」
エンテルの肩を抱くオズの手に、力がこもった。
「毀したのは、俺だ。エンテルの信頼も、心も、何もかも――――力尽くで、毀した」
そこで一呼吸置くと、オズは悔恨を込めた低い声で言った。
「……怖かっただろう」
エンテルは、それを否定しはしなかった。
「そう……だね。でも……、もうオズに逢えないって思った時ほどじゃなかった。オズを喪ったのかもしれないって……そう思った時は、本当に、本当に怖かった。怖くて、泣くこともできなかったくらい。……その反動かな、オズの顔見たとたん、涙が止まらなくて」
エンテルが照れたように笑った。
「……ねえ、オズ」
「ああ」
「私、まだ、オズみたいに上手に、愛してるって言えないんだけど。でも、本当に、大好きだから」
「……俺みたいに上手にって、どういう意味だ」
オズは、大好きだと言われて胸を高鳴らせつつも、エンテルの表現に険を感じたか、眉相を顰めた。
「そのままの意味だよ。オズは、包帯を巻くのも、愛してるって言うのも、上手」
「どうして包帯と同じレベルなんだ? ……それに。上手だったら、最初からエンテルに色好い返辞をもらえた筈だろう」
「あ。それもそうか」
エンテルが成る程と手を拍ち、オズは苦みを含んだ微笑で口許を染めた。
雨粒を受けたオズの白い花が、微風に揺れた。
雨は、上がり始めていた。
SCENE-[∞] ENDING MONOLOGUE
きれいだ と
素直にそう言ってしまうのが 躊躇われるほど
きれいな存在もあるのだ
この髪に咲く白き花が
いつか本当に
優しさと強さの証と言える その日が来たなら
迷うことなく告げよう
エンテル
俺にとって この世の何よりもきれいな光
白き花に力をくれる 唯一の光
その光輝くためになら どんなことでもしよう
その光守るためになら どんな力でも振るおう
その光と在るためになら どんな愛でも囁こう
二人で見る 柔らかな光射す夜明けのために
今を 伴に生きよう
[後編:明けて優しい雨 ALBA―白き夜明け―/了]
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