<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


『精霊の洞』

●宝の地図
「これが……宝の地図です」
 タオの手にした地図は、ぼろぼろの羊皮紙だった。
「僕たちにはもう、必要のないものですから」
 道程は、頭に入っていますしね……と、言う。
「誰かに奪える、奪い合うものでもないので、話は広まっても大して困ることはありません。ただ、彼にとって安住の地でなくなったら、姿を消してしまうかもしれませんが……」
 そこは洞窟なのだそうだ。
 人里離れた山中にある、洞窟。
「そう、彼に気に入られなくては、願いは叶いません」
 彼、というのは洞窟に住まう、水の精霊。
 彼こそが、宝物。
 彼は、人のささやかな願いを叶えてくれる。
 誰かの姿を見たい。何かの今の姿を見たい。
 そんな願いを叶えてくれる、水鏡の精霊。
「その姿をとるだけで、話しかけてくれるわけではありませんが」
 それでも、そこに行きたいのなら。
「お教えしましょう、その洞へ続く道を」
 望むのなら、お教えしましょう……と、タオは囁いた。
 彼に気に入られる方法を。

●旅立つその前に
 その精霊のことを知る者はいなかった。もしや騙されたのではないかと、みずねさえ思ったほどだ。
「そんな精霊がいるのかい……?」
 何人かは逆に、みずねの話に興味を抱いた。もっと聞かせておくれと、せがんできた。
「ええ〜でもぉ……私も、よくは知らないのですぅ。ですから知っている人を探しているのでぇ」
 みずねに大したことが答えられたわけではないが、聞き返してきた者たちの多くは長いこと諦めなかった。それは強い執着で。すがるような瞳で。
 憎しみにも見える形相で。
「私、本当にぃ……」
 相手は恐ろしい人物ではなく、ただの人。ヒトだ。普段は心優しく、日々を送るヒト。
 ただ、心に何かを持っている。
 何度逃げるように、みずねはその前を離れただろうか。
 そして、遠くで振り返った。
 みずねの知らぬ執着が、ヒトにはあるのかもしれないと。
 血の涙を流して、求める物があるのかもしれないと。

 だから、かの精霊は『宝』なのかもしれないと。

 みずねがただ会ってみたいと思った相手は、彼らにとっては出会えぬ神なのだ。
 叶わぬ願いを叶えてくれる……
 その奇跡に、涙を捧げる。


 その後、精霊の話を出さずに近くの地理や治安などを聞き込めば、必要な情報は得られた。あまりに何もない辺鄙な田舎なので、盗賊も滅多に現れないらしい。
 山岳地帯で農業などには適さぬ故に近くに人は住まないが、晴れる日が多く気候は温暖であるという。
 ただ、山の天気は変わりやすい。時には大雨に見舞われるので、気をつけるようにと……
 そんなありきたりな注意を得て、みずねはようやく旅立った。
 精霊のいる洞へと。

●洸の精霊〜みずのわきたつひかりのせいれい〜
 それは形のないもの。タオはそれを「水の精霊」だと言ったが、正しくは「水と光の精霊」だということが、みずねには一目見てわかった。
「綺麗……」
 その洞窟の奥の奥。そこまでは、闇に閉ざされていた。外は昼間だと言うのに、その洞窟の深くには、わずかの光も迷いこまぬようで。だから、進むのには光が必要だった。
 しかし……水の湧く音のするそこには、光がさざめいていた。見れば高い高い天井に小さな穴が穿たれている。そこから差し込む一条の陽光は水に落ちて、わきたつ水に弾けて、拡散して。
 そんなほのかな光の前には、ランタンの灯などは無粋だった。
 みずねははっとして、そこまで来るのに使ったランタンの灯を消した。繊細な光に存在を依存している精霊には、ランタンの灯さえも強すぎる。
 よく見れば、その姿は半ば掻き消されつつある。
 このままランタンを灯し続けたら、精霊は消えてしまっただろう。そうしたら、みずねの話をしに来たという目的も叶わずに終わってしまう。
 ランタンの灯を消すと、精霊の姿は戻ってきたようだった。
 天井より差し込む光は拡散して……
 美しい人の像を結んでいた。
 水のほとりに。
 みずねに、背中を向けていた。
「あのぉ……」
 みずねの声に、ただその人の像は振り返った。
 涼しげな色の髪がさらさらと流れる。
 振り返ったものの、その印象は、それでいて冷たすぎはしなかった。怜悧ではなく、包み込むように軟らかで……どこか激しく、どこか懐かしい。
「ようこそ……見知らぬ方」
 涼しげな美しい声。
「こんにちはですぅ」
 人ならば溜め息の一つも出ようというところだろうが、みずねも巫女。神々しき姿には耐性がある。これが自分の神ではないとしても……
 この精霊が誰かの神だということを、みずねはもう知っている。
「何の御用でしょうか?」
 淡々と精霊は訊ねた。
「あなたと、お話に来たのですぅ」
 にこりと、みずねは笑ってみせた。
 精霊は首を傾げてみせる。
 さらさらと透明な水色の髪が流れ落ちる。
「お話ですか……?」
 存在を取り戻したその姿は、美しい男性だった。娘のような華奢さはない。そのシルエットは流麗だが、女のものではなかった。
「私はずっとここにいるので、外から来た方のお話相手にはつまらないと思いますよ」
「そうなのですかぁ?」
 タオは水鏡の精霊だと言った。
 ならば、どこのことでも見られるのではないかと思ったのに……
「水鏡でなんでも見られるのではないのですかぁ? だから人の姿も映せるのでしょう?」
 くすりと精霊は笑った。
「そうです、水のある場所ならば見ることは出来ます。どの時代も、どの世界も。それを写し取ることも出来る。けれど、それは見るだけです。何も聞こえない、何も触れられない……見えるだけでは、その存在の意味の半分も理解できないのですよ」
 見える物は事実だけ。
 それは真実ではない……
「そうなのですかぁ……」
 静かな沈黙が流れていった。
「ええと、私はみずねと申しますぅ。幼き風の神の巫女をしておりますぅ。そちらの、お名前はぁ〜?」
 みずねは遅くなった自己紹介をした。精霊は、みずねが巫女と名のったところで微笑んだように見えた。
 だが、その答えは拒絶であった。
「他の神の巫女姫よ、名のるわけにはまいりません」
「……どうしてですぅ?」
 悲しくなって、みずねはわけを問う。
「巫女の力を持つ方に名を告げることは、この身を委ねること」
 真名の支配の法則だ。それは多くの世界にある約束。
「ですから、名のることは出来ません」
「……ではぁ、なにか他の名前はないですかぁ。あなたにも、誰かに呼ばれた名はありませんかぁ」
 精霊はしばし考え込み……
「それでは、ホノカと呼んでください」
「ホノカクンですねぇ?」
「昔、ここを訪れた方が私を呼んだ名です。どこから来たかは聞きませんでしたが、ホノカとは、その方の故郷の言葉で水の光を意味しているのだと言っていました」
「そうですかぁ……ホノカクン、その人のお話を聞かせてくださいな〜」
 そう言うと、精霊……ホノカはとても嬉しそうだった。

●世界の約束
 この世界にいると言われていない、神にすら干渉して、伝承にすら語られぬ『何か』。
 それがホノカの元を訪れた、みずねの求めるものだった。
 だが神の圏族の末席にあろう精霊さえも、それを知ることはなかった。
「神とは、崇められる物です」
 人が祈りを捧げてこそ、神だ。
 力あるだけでは、神にはなれない。
「あなたの神も、あなたという巫女がいるから神なのです。本当に忘れられた神は、もはや神ではないのです」
 それはただの、力ある物。
「力ある物はいます。力ある物の多くは、私よりもずっと力があるし、小さな神と崇められる物よりも力のある物は珍しくはないでしょう」
 だから、どこかで息を潜め、あるいは静かに横たわって、その存在を誰にも気取られぬ『力ある物』はいるのかもしれない。
 神の存在理由が『崇められること』ならば、神の力が最も強いというのは幻想なので、いまだ知られざる『力ある物』が神に干渉出来る可能性もあるだろう。
「でも、きっとその『知られざる力ある物』がいたのならば、神に干渉したことはないでしょう」
 可能性はあると言いながら、実際に事実として過去に干渉したことはないだろうと、ホノカは告げる。
「……それはなぜですかぁ?」
「それは、干渉した時に、もはやそれは『知られざる物』ではなくなるからです」
 伝承が失われてしまうことはあるだろう。だが、『力ある物』は滅多なことでは消失しない。ならば、一度でも干渉したならば……
 条件の一つは失われるだろう。『この世界にいると言われていない』という。
「それでは……私は、それに巡り会うことはないのでしょうか……?」
 みずねの呟きに、ホノカは微笑んだ。
「それはわかりません。未来のことは、わからない」

 ただ、水鏡は事実を映すだけなのだから……

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【SN01_0925/みずね/女/24歳/風来の巫女】

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■         ライター通信          ■
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 大変お待たせしました〜。執筆いたしました、黒金かるかんです。最近こればっかりですが(汗)、またぎりぎりまでかかってしまいました。
 今回はお二人一度に受注したのですが、上にある通り、話の中にはみずねさん一人しかキャラは出てきていません。普段は一応、一度に受注した方は細部は変えても同じお話として書くのですが、今回は試行錯誤の末、一本ずつ別に書くことにいたしました……この判断が遅くなったのが敗因です(涙)。
 今回のお話は、ご希望に添えたかどうかは怪しいところですが……(汗)お気に召したなら幸いです。また機会がありましたら、よろしくお願いします。