<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
私のコビトさん
騎士はいつでも戦場で剣を振るっている。そう思い込んでいる者は少なくないが、それは大いなる誤解だ。
現に、女騎士のエンテル・カンタータは、机に向かって頭を抱えている。
(……ただの書類整理にしては、報酬が良すぎるとは思ったのよ……)
ぼやいたところで後の祭り。目の前には、ミミズがのたうち回ったような字で書かれた書類が山と積まれている。
(……大体、私、こういう仕事より、体を動かす仕事の方が好きなんだし……)
だったら、なんで「こういう仕事」を受けたかと言えば、報酬の良さに惹かれたというのもあるが、もっと大きな理由は、たまたま居合わせた顔見知りの「エンテルには、こんな細かい仕事は無理だな」の一言にカチンときたからだったりする。
この分では徹夜だろうか。少し距離を置いて眺めていたオズ・セオアド・コールは、務めて軽い口調で声を掛けた。
「手伝おうか?」
しかし、エンテルはきっぱりと答える。
「大丈夫。これは私の仕事なの。一人でやるわ」
やれやれという思いで、オズは席を立つ。言い出したら最後、絶対に引かない性格は、もう十分に分かっている。下手に口を挟んだら、爆発して手が付けられなくなるに決まっている。だから……。オズは、今の自分にできることだけをしようと決めた。
小さなケトルが小気味よい音を立て、二人分の湯が沸いたことを知らせる。褐色の小袋の中には、上質の茶葉。この辺りでは滅多に手に入らない代物だが、冒険者として仕事をしていると、意外なツテができるものだ。
火を消してから、ケトルの中に直接茶葉を入れ、蓋をして蒸らす。ティーポットを使うほど、気取った暮らしはしていない。あったらあったで便利だろうが、このやり方に慣れているから、わざわざ買おうという気にもならない。それに、オズの感覚では、仕事で訪れる要人の家で出されるお茶よりも、こうやって煎れた方がおいしいように思える。
やがて、部屋中に豊かな香りが広がり、書類を見詰め続けていたエンテルも、ふと顔を上げる。
(いい匂い……)
誰も、エンテルのために煎れたとは言っていないけれども、当人はすっかりその気である。
(応援してくれるオズのためにも、頑張んなくちゃねっ)
揃いのカップに茶を注ぎ分け、両手に一つずつ持って、オズが机に近付く。
「ほら。あまり根を詰めるな。少し休憩した方が捗る」
「うん。ありがと。そこに置いといて」
肝心な部分は聞こえないふり。オズは、書類が汚れないよう、慎重に場所を定めて、右手のカップを置いた。
「冷めないうちに飲め」
「分かってる。ちょっと静かにしてて」
素直に口を噤み、しばらくエンテルを見守っていたオズは、静かに一言残し、隣の部屋に消えた。
「俺は先に寝てる。無理はするな」
「うん。おやすみ」
一人残されて、ようやくカップに口を付ける。
(……おいしいっ。それに、なんだかほっとする感じ……)
それは決してお茶の効果だけではなく、オズが自分のために煎れてくれたからだということは、エンテルにもよく分かっている。そんなこと、面と向かっては絶対に言えないけれども。
だが、机の上に目を戻すと、たちまち心は黒雲に覆われる。書類の山は、少しも減った気がしない。
(どうしよう……。ほんとに終わるのかな?)
エンテルは、ぴしゃっと両手で頬を叩いた。
(ダメダメ。逃げ腰になっちゃダメよ。何がなんでも終わらせなきゃ)
幸いなことに、睡眠時間は少なくて済む種族に生まれついている。問題は、体力ではなく気力と……さらに言えば、事務処理能力だ。
(私には無理だなんて、失礼しちゃう。徹夜でも何でもして、見返してやらなくちゃ)
だからこそ、オズの手を借りるわけにはいかない。エンテルは自分を励まし、気合いを入れ直すと、再び書類と向き合った。
それからしばらくして、エンテルは奇妙な光景を見た。仕事をする自分の手元で、三角帽子の小さな人間が、慌ただしく動き回っているのだ。
「……え? うわっ。かわいい。コビトさんだわ」
コビトさんが代わりに仕事をしてくれるのなら、少しくらい寝てもいいかもしれない。さすがに疲れて、集中できなくなっている。ほんの少しだけ寝て、もう一度起きて続きをすれば……。
はっと、エンテルは体を起こした。窓の外には淡い光。早起きの鳥の囀りが聞こえる。
「う……嘘……」
人間、信じたくない状況に置かれると、その状況を受け入れることを無意識に拒んでしまうものだ。エンテルは固まったまま、あらぬ方向へ視線を泳がせる。
(これは夢よ。そう、夢なの。早く起きて、仕事の続きをしなきゃ……)
しかし、そう言い聞かせる「心の声」が、皮肉にも意識を引き寄せてしまう。
(コビトさんが仕事をしてくれるなんて……。よっぽど疲れてたのね。それより、私、いつ寝ちゃったの?)
恐る恐る机の上を見る。そこには山積みになった書類が……。
「えっ?」
ぐちゃぐちゃに積まれていたはずの書類は、きれいに揃った五つの山に姿を変えていた。息を整えてから、そっと真ん中の、一番上の紙を取り上げる。依頼主からの指示通りに書かれた集計表。その筆跡は、見間違いようもなく……。
「オズっ!?」
慌てて立ち上がり、隣の部屋への扉を開けると、毛布に顔を埋めるようにしてオズは眠っていた。ベッドサイドの小さなテーブルには、小さな瓶が、これ見よがしに置かれている。
「……これは……」
寝付けない夜に一口飲めば、たちまち深い眠りへと誘ってくれるリキュール。呆然と立ちつくしていたエンテルだが、やがて、笑いがこみ上げてきた。
(オズってば。わざわざ出しておかなければ、気が付かなかったのに……)
あの時のお茶。茶自体の香りが勝っていた上、仕事に気を取られていたエンテルには、多少混ぜ物がしてあっても気付く余裕はなかった。一本取られたようで悔しいけれど、わざわざこうして「種明かし」をするオズが、可笑しいやら愛おしいやら。
音を立てないよう、そっと瓶を戻し、エンテルはオズの耳元に顔を近付けた。
「ありがとう」
寝入ったばかりなのか、オズは身じろぎ一つせず、静かな寝息を立てるばかり。
(こんな朝早くに届けたら、却って迷惑よね)
オズを起こさないように注意しながら、エンテルはベッドの上に体を横たえる。少年のような寝顔を見詰め、規則正しい呼吸音を聞き、この人の側にいられる幸せに身を委ね、そして……。
「エンテルさんの代理の方ですか? 失礼ですが、お名前は……」
「オズ。オズ・セオアド・コール。エンテルは、急用でこちらに伺えなくなりましたので」
「そうですか。……はい。確かに。それでは、こちらがお約束の報酬になります。恐れ入りますが、受け取りのサインを……。ありがとうございます。エンテルさんにも、よろしくお伝えください」
一方、その頃……。
「ひっどーいっ! 起こしてくれればいいのにっ! これじゃまるで、私が役立たずみたいじゃないっ! オズ……、どうして……どうして一人で行っちゃうのよっ!」
|
|