<東京怪談ノベル(シングル)>


Good Luck !



SCENE[1] 敗けない悪魔


 薄冥い室の中に、カードを切るリズミカルな音が響く。
 燭台の灯は、燃え盛る光というよりは闇に添える濃色の華のように揺らめき、黒曜石の如き光沢を放つテーブルの面にじわりと映り込んでいた。
 細長い葉子の指が、シャッフルし終えたカードを、テーブルを挟んで差し向かいにどっかり坐り込んだ男の眼前へ器用に滑らせる。
 表向きに、一枚。ハートの7。
 次いで、葉子の前には、裏向きに一枚。
 カードの裏に描かれた模様は、誰の好みか深紫の薔薇。その薔薇が、テーブル上で妖しく咲いた。
「……じゃ、もう一枚」
 そう言って、葉子は表向きのカードを更に一枚ずつ、互いの前に配した。
 男のカードはダイヤの7。葉子の前にはスペードのA。
 それを見るや、男の眉がぴくりと上がった。
「さて、と。どォします? ヒット? ステイ?」
「ヒット」
 葉子の問いかけに間を措かず、男が応えた。掠れ気味の声音が、妙に力強く闇に馴染む。
 葉子は無言でカードを差し出すと、人差し指と中指をくいっと捻り、それを鮮やかに表裏反転させた。
 ――――クラブの7。
「よし、これでステイ」
 男がにやりと笑った。
 確かに、ここは笑う場面だろう。
 カードの合計はちょうど21。しかも、ハート、ダイヤ、クラブのスリーセブン。なかなかの役だ。素人相手なら、必ず勝っているところだろう。そして掛け金の十倍が懐に転がり込んでくる。
 そう、素人が相手、ならば。
「それじゃ、俺のカード、開けますネ」
 葉子は、男の表情をそれとなく確かめつつ、自分の前に伏せてあった一枚目のカードをめくった。
 葉子自身、見なくても分かっていたそのカードは、スペードのJ。
 (ア、やっぱり)
 本当に、見なくても分かっていたのだ。
 二枚目に配ったカードがスペードのAだった時から、最初に伏せたカードはスペードのJである筈なのだと。
 それはもう、運命の恋人同士が惹かれ合うように。
 その二枚は、葉子の手に触れた瞬間、赤い糸で小指を固く、血が止まるほど固く結ばれたに決まっているのだ。
 ジョーカーを除く五十二枚のカードが織りなす役の中で最高の、正統なブラックジャック。掛け金は十五倍になって返ってくる。無論、スリーセブンが敵うわけもない。
 素人相手に悦ぶべき手であるスリーセブンは、どんなゲームにも必ず勝利を収めてしまう葉子の前では赤子同然と成り下がる。
 それは、仕方のないことだ。相手が悪かったと諦めるべきなのだ。そうして、もうこんな無茶はやめようと誓うのが賢い。
 だが。
 葉子の前で怒りのあまり肩を震わせているこの男は、すでに六十六回ほど挑戦し、全敗している。そんなに敗けるのが好きなのだろうか。
「えー……そんなワケで、また俺が勝っちゃいましたケド。どうします、バエ――――」
 葉子が男の名を呼びかけた時、
「その名で呼ぶな」
 男が、怒気に溜息を重ね、葉子の声を手で払った。その節くれ立った中指に、大きな宝玉を嵌め込んだ厳めしい指環が煌めいた。
「エ? だ、だっていつもそーやって呼んで」
「今から別ルール」
「イヤ、そんな、別ルールって」
 葉子は呆然と男をみつめた。
 なんて――――なんて大人げがないんだこのヒトは。
 自分から「ヒマだから付き合え」と誘ったゲームにあっさり敗けて、明らかに拗ねている。
 テーブルに肘を突き、ラッキーセブンの揃ったカードを弄び乍ら、もう葉子の方を見ようともしない。
 仮にも上級悪魔としてこの態度はどうなのだ。
 (って言っても……一応、直属の上司だからねェ。逆らえないんだわ、コレが)
 葉子はコキコキと頸を左右に鳴らし、咳払いを一つした。
「……えェと、ですね、じゃ、今からはどうお呼びしたらイイんでしょーか」
「閣下」
「カッ……カ」
 思わず発音途中で引っ掛かってしまった。
 閣下。
 そうきたか。
 まあこの際、閣下でも猊下でも殿下でも大差あるまい。
「閣下、カードゲームは、ここまでってコトで?」
「そうだな」
「じゃ、俺は」
「……あー、とりあえず」
「とりあえず?」
「クビってことで」
 そういうことでよろしく、とでも言いたげに葉子の上司は軽く右手を挙げた。
「アー、はぃ、クビってことで――――……って、えぇエッ!? クビぃッ?」
 葉子はバンッと両手をテーブルに突き、断固抗議の体勢を取った。
「ちょっ……チョット、いくら何でもソレは!」
「暫く魔界に還って来なくていい。達者でな」
「バ……、閣下ァ、頼みますッて! 俺が何したって言うンですか! こんな、ゲームに勝ったくらいのコトで、クビはあんまり無慈悲でしょーに」
「無慈悲? 何だそれは。褒め言葉か?」
「と、とにかく! 俺はイヤです。出て行きませんヨ」
「……ほう?」
 男の眼がチロリと葉子を斜めに見上げた。
「主に逆らうつもりか、お前。下剋上気取りか?」
「下剋……、そーゆーつもりはありませんケド。クビはイヤです、職権濫用反対」
「イヤだイヤだと、子供の我が儘か」
「一体どっちがコドモですか。閣下なんて、ゲームに敗けた腹いせに部下をお払い箱にしよーっていう手前勝手な……」
 あ。
 しまった。
 さすがにこれはやや言い過ぎた気がする。
 普段はマイペースでのんびりしているように見えてキレる時はあっという間、短気な閣下はおそらくすでに。
「……闘るか?」
 ――――戦闘態勢。


SCENE[2] 勝っても敗けても


 さっきまでカードゲームに興じていたさして広くもない一室が、「闘るか?」の一言でバトルフィールドと化した。
 主が戦うと言ったら、戦うしかない。
 一介の手下に主の意志を枉げるだけの力はないのだ。
 だがしかし。
 (……この場合、戦ってどーなるワケでもねぇし?)
 真実である。
 クビを言い渡されて抗い、上司と戦闘したところでどうなる。
 先ず以てほぼ完璧に勝ち目はない上、何かの間違いで勝っても、当然のように敗けても、いずれにしろクビはクビではないか。
 葉子がその地位と権力に於いて上司を越えない限り、現実は変わらない。
 必死に抗戦して辛くも刹那の勝利を得、瀕死の重傷を負いつつ魔界を抛り出されるか。
 あっさり蹴転がされて、そのまま魔界からいずこかへ消えるか。
 その違いだけだ。
 つまり。
 (敗けるが勝ちってのは、こーゆーコト、なわけネ)
 強いて争うことをせず、さりげなく相手に勝ちを譲るのが、結局は自分の利となる。
 本当は、カードゲーム中にそれに気付き、実行に移すべきだった。
 実際、敗けようと思ってゲームに敗けられるものなのかどうか、葉子自身にも不明なのではあったが、試してみる価値はあったろう。
 (今更ンなこと言ってもナ。あー、俺ってホント、ついてねェ)
 葉子は歎息し乍ら、無意識のうちに垂れていた頭を、すいと擡げた。
 瞬間。
 葉子の眼前、鼻先一寸、閃光が走った。
 薄闇を裂光が過ぎり、その熱が葉子の前髪をじりりと焦がした。
「え……ッ」
 慌てて一歩後ろへ避けたつもりが、残った左足の甲を光の尖端が貫いた。
「ンぁッ!?」
「何を悠長に突っ立ってる」
 上司の声が冷たく葉子の頬を叩いた。
 愛の鞭とは須く、これほどに痛みを伴うものなのだろうか。
「アー、もォ……、じゃ、じゃァ、いきます――――ヨッ!」
 掛け声に合わせて、葉子は両手を頭上に翳し、左右の掌の間で真空放電させた。それを鋭く剣を振り下ろすように、一気に地に向かって擲つ。
 スィィイン、と薄刃が痺れるような共鳴音が響き、葉子の真空破は敵に噛み付いた。
 否、噛み付く予定だった。
 が。
 すっぱりテーブルを断ち割ったところで、止まった。
 ハートの7がきれいに半分に裂かれているのが、葉子の眼の端に映った。
「……アレ?」
「それで終わりか?」
「ア、いや、今のは予定外の結末で」
「それは頼もしいな」
 再び、葉子の視界に電光が散った。
 宙で数度屈折し乍ら、葉子めがけて烈しい稲妻が斬り込んで来る。
「……ッ!」
 葉子は反射的に体の前で両腕を交叉させ、闇に意識を同化させた。
 途端、葉子の輪郭が朧に歪み、彼を斬り裂いたかに見えた稲妻は、葉子の残像とその後ろの壁を割るにとどまった。
 と。
「熱ッ」
 主の背後で、葉子の声が上がった。
 振り向くと、燭台の灯を袖に移し、腕に火傷を作っている彼の姿があった。
 巧く攻撃を避けて瞬間移動した筈が、移動した先で見事に燭台にぶつかったらしい。
 いろんな意味で一筋縄ではいかない悪魔である。
「……そろそろ観念したらどうだ」
 言われて、葉子は唇を尖らせた。
「そー言いますけどネ、俺だってこのまま素直にリストラされるワケには――――」
 突然、どこからか吹いてきた強風が、葉子の語尾を遮った。
 その風はくるくると葉子の身をくるむように旋回を始め、竜巻の如く渦巻いた。
「……な……、こ、コレって、まさか」
 葉子は、息を呑んだ。

 召喚。

 人間界のどこかの誰かが、葉子を、喚んでいる。
 緻密に描かれた魔法陣、定められた正確な時刻と、的確な呪文。
 人間が悪魔と契約を結ぶために執り行う召喚の儀。
 それが今、葉子を求めて為されている。
「召喚か。新しい就職先が早速みつかったわけだ」
 上司は肯き、部下に手を振った。
「エ。や、その、待っ……」
「ま、お役御免になったら、戻って来い。その時はまた雇い直してやろう」
「……ホントですか?」
「嘘は吐かん」
 嘘は吐かないというその言こそが嘘でなければ。
 この主従関係が回復する日もまた訪れよう。
「じゃ……、えェと、行って来マス」
 これは結果的に、理不尽な理由でクビになった上、魔界を追い出されるという事態をそのまま受け容れたかたちになってしまうのだろうか――――。
 己の運命を危ぶみつつ、葉子は旋風に紛れていった。
「グッドラック」
 ここ魔界に於いて呪いの言葉にも似たその一言が、喚ばれゆく葉子を見送った。

 幸運を、祈る。



[Good Luck ! / 了]