＜聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記＞
闇に潜む凶器
静かにおし――静かにおし――奴が来るよ……
闇の中をはねるように――奴が来るよ……
静かにおし――そうでないとハートを持っていかれるよ……
小さく歌う声が繁華街の喧騒が微かに流れてくる真っ暗な路地に響く。
明るい光と喧騒に満ちた大通りから一人の男が酔いに顔を赤くし千鳥足で歩いてきた。
随分と飲んだのか、その身体からも酒気が漂い、男はひとつ大きなゲップをした。
「げっぷ……あ〜あ〜グイっと一杯ひっかけ〜とくらぁ」
だみ声を張り上げた男はふっと視線を上げ、虚ろな目を止めた。
暗い路地の真ん中に一つの影が立っていた。
何をするでもなく、ただ立っている。
男は訝しく思いながらもふらつく足を踏ん張り、ゆっくりその影に向かって歩き出した。
影は真っ黒い帽子と真っ黒の服の間から僅かに見える唇を小さく動かしているが、何を言っているのかは分らない。
闇の中に浮かぶ白い肌と不自然なほどに赤い唇に男は微かな恐怖を感じ、自然に影と距離を空け通り過ぎようとした。
何の心配もいらないよ――私がハートを戻してあげる……
歌うように呟く唇。
男は立ち止まり、影を見た。
だが、男が見たのは半月に歪んだ赤い唇とその唇の間から覗く白い歯。
目の端に一瞬きらめいた凶器の光だった。
「もう、三人目……」
心臓を抉り取るという連続通り魔殺人が起きたのは一週間前。
すでに三人の被害者が出ていた。
「恐ろしいわね……しかも、この間の事件はこの近くで起きたらしいじゃない」
不安げに眉を寄せたエスメラルダは警戒のビラを持った片手を店内にいる者たちに良く見えるように掲げた。
「皆も気をつけてよ。……どこに何が潜んでるかわかりゃしないんだから」
もう一度ビラに目を落としたエスメラルダは小さく呟いた。
「……早く捕まると良いんだけど」
そして、今日も夜はやって来る……
■それぞれの行動 ―鬼灯―
鬼灯はビラ配りの少年から、あんたも気をつけなよ、と言って渡された一枚の紙を見ていた。
黒い髪。黒い瞳。小柄な身体を纏う着物の背には大きなゼンマイがまるで飾りのように付いているが、それは飾りではなく、彼女の動力源なのだ。
自動人形の鬼灯はしばらく何度も紙面の上で視線を動かしていたが、ビラをきれいに折り畳むと懐へと仕舞った。
「連続通り魔事件……このお方は何を思ってこのような事をなさっているのでしょうか」
懐に仕舞った紙に手を当て、小さく呟いた鬼灯は再び歩き出した。
昼のベルファ通りは営業時間が夜の店が多いという事もあるが、随分と静かだ。
だが、閑静という訳ではなく、大きな何かが眠っている。そんな感じだった。
日向ぼっこをしている屋根の上の猫を見上げながら歩く鬼灯は黒山羊亭に向かっていた。
黒山羊亭も今は静かで、遅い朝食なのかそれとも朝食と昼食をまとめて取っているのか、あるいはどの両方かもしれない客が三人ばかりいた。
エスメラルダは夜の営業の為にいろいろと準備をしている最中で、鬼灯は邪魔かと思い立ち去ろうとしたが、先にエスメラルダが気がつき声をかけて来たので鬼灯は会釈をした。
「いらっしゃい。そんな所にいないで掛けて」
「はい」
エスメラルダは抱えていた木箱をカウンターの奥に押しやると、鬼灯の正面に腰掛けた。
「……エスメラルダ様。これを」
そう切り出し懐からビラを取り出してエスメラルダに見せると、彼女の表情は曇った。
「あぁ、この事件ね……また被害者が出たの。ちょっと、この近くじゃない！」
まだ新しい情報を知らなかったらしいエスメラルダは愕然とした声を上げた。
紙面に目を落とし、しばらく黙っていたエスメラルダは顔を上げ鬼灯を見た。
「このビラ貰ってもいいかしら？」
「はい。どうぞ」
「ありがと」
微笑んだエスメラルダに鬼灯は思っていた疑問をふと尋ねた。
「あの、エスメラルダ様。何故、心臓を抜き取るなどという事をしたのでしょうか？」
「……さぁ、私にはわからないわ。でも、常識のある人じゃ出来ないでしょうね」
そう顔一杯に嫌悪の表情を浮かべながら、エスメラルダは答えた。
「心臓を使った術式がありますが、その為でしょうか？」
鬼灯は独り言のように呟き首を小さく傾けた。
「そうね……それは、犯人に聞いてみないと何ともいえないわね」
「……そうですね。まずは、お会いしてみないと」
更に小さく呟いた鬼灯の言葉にえ？とエスメラルダは立ち上がった自動人形の顔を見上げた。
「お忙しい時に失礼致しました。わたくし、これでお暇させて頂きます」
鬼灯は黒山羊亭を出ると、夜を待つ事にした。
夜――
酒場の喧騒は一際大きく、ベルファ通りは活気に溢れている。
だが、それは大通りのごく一部の事。
一歩横道に入れば、闇が支配する場所だった。
狭い路地の両脇には建物の壁が高くそびえ、壁には窓はなく明りは一切ない。
視線を上に向ければ、黒い建物の屋根と屋根の隙間から覗く夜空が遠く感じ、余計に圧迫感を与える。
鬼灯は持参してきたランプの光で足元を照らしながら、裏道を進んでいた。
随分と長い事歩き回っているが、鬼灯が今までに出会ったのは野良犬が二匹と野良猫が三匹だけ。
何度も端から端まで往復しているが、未だに誰一人としてすれ違っていない。
今日は出ないのかと思ったが、夜はまだまだだと思い、鬼灯は歩き続けた。
と、彼女の進んでいる道の先――Ｔ字路のようになっている角の奥から誰かの足音が聞えてくる。
まだ、だいぶ遠くを歩いているようで、鬼灯はとっさにランプの明りを消した。
角のすぐ側の闇に身を潜め、やって来る人物を待つ。
鬼灯の目の前を通り過ぎたのはひょろりと背が高い人だった。
「こんな遅くに何をなさっておいでですか？」
「エ？」
唐突に闇の中からした声にその人物は振り返った。
どうやら男性らしい。声でそう判断した鬼灯は通り魔かもしれない男性に身体のどこかが身構えた。
「何って……そういうお嬢チャンこそ何をしてるんだい？こーんな遅い時間に出歩いてるとコワ〜イ通り魔に襲われちゃうヨ」
明りも持たない男性は、それでもしっかり鬼灯のいる場所がわかるのか、闇を見据えておどけた様に言った。
鬼灯は表情を変えず答える。
「構いません。その為にいるのですから」
そう。それが目的なのだから。
だが、それに相手の男は大層驚いたらしく大きな声を上げた。
「えぇ〜！？お嬢チャン、もしかして、通り魔捕まえようとしてる？」
「はい」
男が何故驚くのか分らないらしく小さく首を傾げながらも頷いた少女に、男が頭を掻いたのが雰囲気でわかった。
「いや〜驚き。エスメラルダちゃんが言ってたのはこの子かぁ……」
「エスメラルダ様がどうか致しましたか？」
「あ、なんでもないヨ。そっか……じゃ、お嬢チャンは俺様の助手だね。俺も通り魔捕獲するつもりなのヨ」
そう言って表情だけで笑ったらしい男に、鬼灯はあぁ、と呟いた。
少し話しただけだが、どうもこの男性は通り魔では無いのではないかと鬼灯は思い始めていたのだ。
ランプに新しく火を灯し、小さなランプの火に浮かび上がった男性は右は黒、左は銀という不思議な瞳を持っていた。
礼儀正しくお辞儀をした鬼灯は彼に挨拶をした。
「鬼灯（ほおずき）と申します」
「俺様は葉子・Ｓ・ミルノルソルン。まー気軽に『ようこちゃん』とでも呼んでヨ」
おどけたような表情でそう言った葉子は握手しようと鬼灯に伸ばしかけた手を、止めた。
静寂の支配する闇に響く高く抜けるような生き物の声。
あれは、狐のような……
「あちらのようです。参りましょう、葉子様」
すぐさま音のした方へ駆け出した鬼灯の後を葉子も駆ける。
駆け、一つ目の角を曲がるともう一声こん、と鳴き声が響いた。
「んー走るのって疲れるんだよネ。鬼灯チャン、悪いけど俺様先に行ってるからネー」
え？と走りながら振り返った鬼灯だが、葉子は気にせず建物の壁が造る闇の中に飛び込んだ。
飛び込み、そして消えた。
目の前の現象に立ち止まった鬼灯はランプを掲げて闇を払う。
だが、そこには葉子の姿はなかった。
「葉子様……先に行っているとおっしゃっていた」
再び駆け出した鬼灯は音の方向はちゃんと把握している。
音へと近づくように角を何度も曲がって進み続けた。
と、今度は別の音が聞え始めた。
誰か、男の人が歌う声――
「葉子様！」
狭く細い路地を抜けると目の前には小さな橋がかかった下水道があり、その先に今までの横道よりは少しばかり広い道に葉子とそれからあと三人、見知らぬ男性たちが黒ずくめの人物の周りに崩れ落ちていた。
鬼灯は葉子に駆け寄ると葉子を抱き起こした。
小さく、葉子の身体が痙攣しているのが分る。
「お体が痺れていますね。あの方の歌のせいでしょうか……通り魔はあの御方ですね？」
鬼灯はまったく歌が聞えていないのか、何も変わる事がないまま問いかけ、葉子は小さく頭を縦に振る事で答えた。
鬼灯は葉子を静かに横たえると立ち上がり、通り魔を見据えた。
「このような事をしてはいけません。何を思って心臓をお集めになっているのかわかりませんが、呪を施す為であればそれは大抵は禁忌の術。人を殺めてはいけません」
切々とそう訴えかけながらゆっくり通り魔との距離を縮める鬼灯に、明らかに相手は動揺しているのが分った。
「な、何故だ……？何故、『歌』が聞かない？！」
「私は人形ですから、精神干渉は意味を持たないのです」
鬼灯の魂は『核』により護られている。
「ですから、収集の方法を変えては如何でしょうか？」
「おいおい、何を言ってんだ！」
歌が途切れた事で身体の自由を取り戻した白虎模様の鎧を纏った男――シグルマは驚きの声を上げた。
「こいつの暴挙を手伝おうってのか？どうかしてるぜ！」
「ですが、是ほどまでして成就しようとしている事。この方にとって大事な事に違いありません」
「だからって、今までの罪が許されるわけじゃない」
左腕を押さえ、九尾狐が心配そうに見上げている少年――ケイシス・パールも静かに、だが厳しい口調で鬼灯と通り魔を見ながら言った。
「ですから、亡くなった方の心臓を頂くとか……」
「他人の心臓なんざ何の役にも立たねーよ」
その場の視線が顎を手で支え、うつぶせになっている葉子に集まる。
「嘘を…吐くな。彼女は、必要だと言ったんだ……」
言ったのは通り魔。
その顔は痩せこけて頬が窪み、異様に大きな目は更に大きく見開かれて葉子を凝視していた。
「嘘じゃねーよ。だって、現役悪魔の俺様がそう言ってんのよ？」
そう言いながら、葉子は収納していた翼を広げてふわりと浮いた。
「そんな……そんな……」
まるで糸が切れた人形のようにその場に力なく座り込んだ通り魔を鬼灯はただ見ていた。
「んーなんか、もう事件解決って感じ？んじゃ俺様も帰ろーカナ」
「あ、おい！おまえ……」
ケイシスが何か言って呼び止めようとするのを後ろ手に手を振って制した葉子は闇の中をふわふわ漂いながら帰って行った。
「……ったく」
「おい、兄ちゃん。何だってこんな事をしたんだ？え？」
シグルマの問いに通り魔だった男は答えない。聞えていない風でもある。
鬼灯は呆然と地面を見詰めている通り魔の前に屈んだ。
「何の禁呪を行おうとしていたのか、わたくしには判りかねますが、もし、それでも成したい事があるのならば別の方法を探しては如何でしょうか？」
「別の……方法……？」
かすれた声で呟いた男に鬼灯は強く頷いた。
「はい。世界は広いのですから、何か方法があるはずです」
ノロノロと顔を上げた男は焦点のぼやけた目で鬼灯を見た。
「そう……だろうか？」
もう一押し、しようと口を開きかけた鬼灯を遮るようにシグルマはどっかりと男の前に腰を下ろして言った。
「だから、その方法を探す為にも何でこんな事をしてたのか。話せ」
乱暴な命令口調だが、それがかえって男には良かったらしい。
ぽつり、ぽつりと話し出した。
心臓を集め出したのは死んだ女性を生き返らせる為だった事。
その女性が黒魔術も扱う占い師であった事。
その女性と出会えた喜び、死体を見つけた時のショックと闇に飲まれたような悲しみ。
涙を時折流しながら話していた男は、最後には慟哭した。
泣き続ける男を沈痛な面持ちでシグルマもケイシスも見ていたが、重苦しい沈黙を破ったのはケイシスだった。
「だが、どういう理由にしろ人を殺したって事には変わらねぇ。……償いは、するべきだ」
「あぁ、それがお前の為でもあるんだ」
そう言ってシグルマは男の肩に手を置き、力強く揺すった。
鬼灯は静かに、だが心を込めて強く、
「わたくし、貴方様のお帰りをお待ちしています。貴方様がお戻りになるまでその女性がこの世に戻れる術を探しておきます」
そういい、細くやせた男の手を握った。
重ねられた小さな白い手を見、シグルマを見、ケイシスを見上げた男は一旦は止まっていた涙をまた浮かべた。
「ありがとう……」
小さく、ただそれだけ紡ぎ出すと身体を折り曲げるようにして泣いた。
「これ、おまえの分だ」
そう言ってケイシスから渡されたのは数枚の硬貨。
男を役所へ引き渡した際に報奨金として貰った物だと言う。
「わたくしは、要りません」
「いいから。受け取れよ」
断った鬼灯の手に無理やりお金を握らせたケイシスにシグルマが小さく笑う。
「ま、受け取っておけよ。その、生き返りの術とかってのを探すのに金が必要になるかもしれねーしな」
シグルマの言葉に鬼灯は手の中のお金を見つめ、二度瞬きをすると顔を上げてケイシスに微笑んだ。
「では、確かに頂戴いたしました」
「あぁ」
ケイシスも笑みを浮かべると頷いた。
「では、ケイシス様。シグルマ様。わたくしはこれで失礼させて頂きます」
丁寧にお辞儀をした鬼灯にケイシスとシグルマはそれぞれ挨拶をした。
踵を返した鬼灯は明るくなって行く朝靄の中を歩き出した。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 種族／ クラス】
【1353／葉子・Ｓ・ミルノルソルン／男／156歳／下級悪魔／悪魔業 兼 紅茶屋バイト】
【1091／鬼灯／女／六歳／自動人形／護鬼】
【1217／ケイシス・パール／男／18歳／半鬼／退魔師見習い】
【0812／シグルマ／男／35歳／多腕族／戦士】
【0811／イルディライ／男／32歳／人間／料理人】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、壬生ナギサです。
闇に潜む凶器、如何でしたでしょうか？
今回はちょっと頑張って皆様それぞれ文章が違っております。
他のＰＣ様の描写が少ない事もありますが、どうぞご容赦下さい。
鬼灯様
初のご参加、有難う御座います。
自動人形ということで、感情の起伏は少なめに
だけども決めた事はやり通す。
というようなイメージで書かせて頂きました。
如何でしたでしょうか？
では、ご縁があればまたお会いしましょう。
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