<東京怪談ノベル(シングル)>


守りたい想い

 女の子なら誰でも、きっと思ってる。
(誰かに守られたい)
 守って欲しい。
 でもアンジェリカは、もうそれでは足りない。
(失う辛さ)
 突然目の前から、幸せが消え去った。
 叫んでも手を伸ばしても、もう2度と戻ってはこないことを知ったから。
(大切な人が、できたから)
 守られるより守りたいと、思うようになった――。



「ねぇマスター! なんかいい仕事ない?」
 白山羊亭のカウンターに腰かけて、アンジェリカはマスターに問いかけた。すると案の定、マスターは驚いた表情をつくる。
「おや珍しいね。いつもはスパイクの仕事にくっついていくだけなのに」
「だってアンジェリカも修行したいんだもーん。おいてかれるのは嫌なの!」
(そう)
 おいていかれるのは嫌。
 ”おいていかれた”と思った時、アンジェリカは強くそう感じた。
(守るためには、一緒にいなきゃだめだもん)
 そしてそのためには、強くなければ。
(強く、ありたい――)
 そのアンジェリカの真剣な瞳を見て、事情を悟っているマスターは小さく笑った。
「ハハ。まあ、ああいう男を相手にするのは大変だろうな。――いいだろう。お嬢ちゃん向けの仕事、一本紹介してあげよう」
「やったぁv」

     ★

「――え〜〜〜?! アンジェリカ向けの仕事って……」
 白山羊亭の地下に連れて行かれたアンジェリカは、思わず顔をしかめた。
「そう、ネズミ退治だ」
「げぇ……」
 余計に顔が歪む。
「こらこら、女の子がそんな顔するんじゃない」
「だってぇ……」
 いくら修行といっても、ネズミと戯れたくはないし、だいいち。
(ネズミが出るような場所に、長くいたくないよぉ〜)
 既に耐えがたい臭いがアンジェリカを包んでいた。
「ただのネズミ退治じゃないんだぞ? 奥にはこの辺りのネズミを取り仕切っている女王ネズミがいるはずだ。それを退治してほしい」
「なんだか蜂みたいな話ねぇ。女王はやっぱり大きいの?」
 アンジェリカは鼻をつまみながら問う。自然と鼻声になった。
「ああ、結構手強いと思うぞ。地下は頑丈な造りになっているから、思い切りやってくれ。――それと」
「?」
 マスターが握りしめた手を下向きに差し出してきたので、アンジェリカはその下に広げた手を差し出した。マスターの手が開かれ、何かがアンジェリカの手の平に落ちる。
「――あ」
 鼻栓、だった。
「秘密兵器だ」
「どこがぁ」
 にやりと笑ったマスターに、アンジェリカは脱力した。しかしつけなければ片手が塞がってしまうので、おとなしく装着することにする。
「似合ってるぞ?」
「嬉しくなーい」
「ハハハ。――ほら、早く行かないとスパイクが捜しにくるかもしれんぞ」
「それも嫌ー! 行ってきますっ」
 こんな姿を見られるわけにはいかないと、アンジェリカは地下道の奥へと走り始めた。



 一体何のために造られたのか、地下道の脇には様々な物が放置されていた。
(武器に防具に……さっきはパ、パンティなんてあったもんなぁ)
 おまけにカビたパンやら高級そうなワインやらも転がっていて、それをアスレチックコースのように楽しんでいるネズミの姿を見ることができた。
(奥って、どれくらい奥かなぁ?)
 もうずいぶんと進んでいて、色んな物を見てきたけれど……まだ普通サイズのネズミしか見ていない。
 ――と。
 なにやら先の方から、うるさいほどのネズミの声が聞こえてくる。1匹2匹のネズミの声ならあまり気にならないのだけれど、これだけよく聞こえてくるということは。
(ネズミが集まってるの……?)
 だとしたら女王が、いるかもしれない。
 アンジェリカは疲れて歩いていた足をまた走らせた。
(あの角の先ね!)
 思い切りよく曲がる。
 その途端。
「きゃっ」
 アンジェリカは何かにぶつかって後ろへと飛ばされた。しかし角を曲がったアンジェリカの後ろはすぐ壁で、アンジェリカは壁に背中をしたたかにぶつけてしまった。
「いたたたぁ……なぁに?」
 背中をさすりながらアンジェリカが視線を前に向けると、そこには想像を絶する生き物が立っていた。
「――嘘ぉ……」
(大きい!)
 それは大きなネズミだった。通路いっぱいいっぱいのサイズ。もちろん、アンジェリカより大きくて――太い。
「ねぇアンタ! 今私のこと”太い”って思ったでしょ!」
「え?!」
 しかもそのネズミは、口をきいてきたのだ。
「ちょっと細くて可愛いからって、いやぁねぇ。見てなさいよ! 今酷い目にあわせてやるから!!」
 女王ネズミ(?)はそう告げると、何故か通路の奥へと向かって走っていった(もちろん4本の手足を使って)。
「? ?」
 どうしたらいいのか困っていると、不意に立ちどまった女王ネズミが振り返って叫ぶ。
「何してんの! さっさとついてきなさいよ。女と女の真剣勝負よッ!」
「え……」
 そしてまた、アンジェリカにお尻を向けた。
(一体なんなのぉ〜)
 放心しかけたアンジェリカだったが、ここでこうして座りこんでいても仕方がないので、嫌々ながらもついていくことにした。



 やがてアンジェリカと女王ネズミは、少し広い場所へと出る。見えている壁がやけにボコボコな所を見ると、自分たちの歯で空間を広げたのだろう。――多分、この女王のために。
「さぁ勝負よ! ……お前たちは手を出すんじゃないよ?」
(え?)
 後半を誰に向かって言ったのかと辺りを見回してみると、壁際にいつの間にかギャラリーができていた。しかも。
「なぁなぁ、どっちが勝つと思う?」
「俺はヤッパ女王かな。体格的に見ても」
「意外と金髪のねーちゃんいけるかもよ?」
「オッズはどうなってるんだ」
「今のところ五分だな」
(………………なんでぇ……?)
 ネズミが話している言葉がわかるのだった。
 その事実にアンジェリカが呆然としていると。
「何変な顔してんだい。さっさと始めるよ!」
「な……っ」
 ”変な顔”と言われたのは、さすがに心外だった。
「変な顔って何よぉ……ネズミなんかに負っけないんだからぁ!」
「そんな鼻栓して凄んでもまったく怖くないね! 行くよ!!」
「臭いんだからしょうがないじゃなーいっ」
 飛び掛ってくる女王ネズミに向かって、アンジェリカは叫んだ。それからすぐに戦闘態勢へと切り替える。
 これまでのアンジェリカの戦闘経験は、どちらかといえばサポートがメインで、あまり魔法を組み合わせて使うといったことをしたことがなかった。
(でも今日は、アンジェリカしかいない)
 アンジェリカが自分をサポートしながら、戦うのだ。
「ミラーイメージ!」
 女王ネズミがアンジェリカにのしかかろうとした瞬間、アンジェリカは回避の魔法を唱えた。幻だけが女王ネズミに押しつぶされ、アンジェリカはその隙に女王ネズミの背後へと回りこむ。
(お次は――)
「ウィンドスラッシュ!!」
 唱えたアンジェリカの指先から、真空の刃が放たれた。しかしそれは、女王ネズミの中心を捉えたりはしない。それて身体の表面を少しずつ切り裂く。
「…………」
 アンジェリカは殺せなかったのだ。それは女王ネズミが、人の言葉を話したからかもしれない。
「――負けたわ」
 アンジェリカに背を向けたまま、女王ネズミはポツリと呟いた。
「本当は知ってたの。あなた、私を退治しに来たんでしょ? あなたには十分その力がある。……殺しても、いいのよ?」
 あくまでこちらを見ない。声は涙ぐんでもいなかった。だからアンジェリカには、わかった。
(嘘じゃない)
 すがって泣きつくのは簡単なのに、それをしないこのネズミの心は、嘘ではないと。
 アンジェリカはゆっくりと女王ネズミに近づく。すると周りのネズミたちが騒ぎ出したが、女王の言葉を守っているのか誰もアンジェリカに襲い掛かったりはしなかった。
 すぐ傍まで近づいたアンジェリカは、手を伸ばして女王ネズミの身体に触れた。ピクリと、そこが震える。
「――”命の水”よ、ここに――」
「?!」
 自分がつけた傷を、治してゆく。
「どうして……?」
 やっと目を合わせた女王ネズミに、アンジェリカは微笑んで。
「死ぬ覚悟があるのなら、ここを出て行く覚悟もあるよね?」
「!」
(いつまでも閉じこもっていないで)
 外へ飛び出して、もっと強くなろう?
 それは遠い日に、自分に言い聞かせた言葉だっただろうか。
(――そう、なのね……)
 アンジェリカが女王ネズミを殺せなかったのは、人の言葉を話したからだけではない。
(自分と、重ねたから)
「選択肢は、1つじゃないよ。あなたはまだ生きることができる。あなたが望むなら、アンジェリカ、あなたを殺さない」
 よくわかっていた。
(あの時選択肢をくれたら)
 あの盗賊がアンジェリカたちに選択肢をくれていたら……どんなに高価な物だっていらない。
(命が欲しいのだと)
 言えたのに。
 たとえそれがどれだけ惨めな言葉だとしても。
(生きてさえいれば)
 いつか笑い話にさえ、なったのに。
「――あなた……」
 アンジェリカが余程悲しそうな顔をしていたのだろうか。女王ネズミが心配そうに声をかけてきた。それから少しアンジェリカを見つめて。
「……わかったわ。私、ここを出て行く。他の皆も、ちゃんと連れて行くわ。人間の傍にいない方が、本当は平和に暮らせるものね」
 どうやらちゃんとわかってくれたようだ。
「――ありがとう」
(殺させないでくれて)
 アンジェリカが思わず呟くと、女王ネズミは少し笑った。
「さぁ行きましょう。こっちから出ると近いわよ」
「え? 奥にも出口があるの?」
「ええ、黒山羊亭に繋がっているの」

     ★

「わぁホントだ」
 数時間ぶりに外の新鮮な――臭いのしない空気を吸って、アンジェリカは思い切り伸びをした。
「やっぱり外の方がいいわ。……あなたも、そう思うでしょ?」
 試しにそう女王ネズミに振ってみると。
「――ええ、そうね」
 笑って答えてくれた。
 ――と。
「マスター! アンジェリカ知らねぇ?」
 壁の――黒山羊亭の中から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「いや〜知らないな。でもさっき外から声が聞こえてきたような気がするが」
(きゃ〜〜〜マズイ!)
 鼻栓はしていない。けれどものすご〜く、臭っている。
(急いで帰らなきゃ!)
「じゃあアンジェリカ、行くね。女王ネズミさんたち、お元気で」
 小声で告げると、女王ネズミは何かを悟ったようで。
「あれがあなたの、守りたい人なのね」
「え?」
「守りたいものがあるから、強くなれるんでしょ? 私もこの子たちを守りたいから、ここを出る決心をしたの」
「――ええ、守りたいわ。だから強くなりたい」
 本心を返すと、女王ネズミは微笑んで手を振った。
「あなたなら、なれるわ」



(守りたい――)
 だってきっと、その人を守ることで、自分の心をも守ることができる。
 大切に、もう傷つかぬように。
 そうしてアンジェリカは、この想いを育ててゆこう。
 並んで歩いてゆこう。
(ゆっくりと)
 ゆっくりと……。





(終)