<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
夏の想い出追復曲(カノン)
平和な日常、穏かに流れる時間。賑やかではあるが、ゆるやかな街。エルザードを支配しているのは、今日も変わらぬ平和な日常であった。
……とっても、良いことだよね。
微笑んで、
「今日ものんびりと美しい陽(ひ)の光。緋色の世界に、時の鐘が優しく響き渡り――」
ぼーっと瞳を細め、男は幸せそうに、白山羊亭のカウンターに腰掛けたまま溜息を付いた。
――サルバーレ・ヴァレンティーノ神父。
この近くの旧教教会の司祭にして、ご近所では曰くへタレ神父。そうして同時に、不幸体質な故か初中後背負っている問題に、周囲を巻き込んでゆく迷惑人としても、少しばかり名が知られている人物であった。
一方、そんなエルフの神父の様子を見つめながら、別の意味で溜息を付く少女が一人――言わずもがな、白山羊亭のウェートレス、ルディア・カナーズであった。
ああ、この人、
「あのちょっと、ご注文は?」
また何しに来たんだろ……。
トレーを抱えて小首を傾げつつ、駄目で元々、話しかける。
しかし神父の方は、
「やがて世界を包み込む、夜の静寂(しじま)を思わせる束の間の夢。この短き時間に、ああ、私は一体、何を想うのでしょう――」
遠く、遠く、どこかに語りを続けるのみで。
「あのー……ちょっと神父様?」
「白き花々も今だけは光の色に身を任せ、」
「ちょっと、ご注文はなんですかっ!!」
「あああああああああああっ!! すみませんっ! すみませんっ!!」
冷やかしはお断りです! と言わんばかりに神父の意識を無理やりこの世へと引き戻し、ルディアは体裁を整えるべく、大きく一つ息を吐く。
今日は珍しく、静かに席についたと思ったらこれなんだから……!
「何かおありですか? 神父様っ! いつもは煩く入ってくるくせに、今日はやたらと静かですし、しかも私のことを無視するだなんてっ!」
「いえいえ、本当にすみませんでした……ちょっと、気分が」
「気分って、どういうことですかっ! しかもなんだか、恥ずかしいポエムを長々と――」
「それじゃあ、葡萄紅茶(グレープティー)をお願い致しますね。あ、砂糖はいりませんから。アイスでお願い致しますね」
――人の話を聞いているのかなぁ、この神父(ヒト)は……。
あからさまな呆れと共に、ルディアは手にしていたトレーを抱えなおし、しかしふつふつと沸きあがってくる怒りのような感情を、引きつってはいたが、それでも愛らしい笑顔に変えて見せた。
それから暫く、渋々と、マスターの方へと歩みを向ける。
この人がこうなのは、考えてみればいつもの事なのだ。一々腹をたてていては、こっちの身が持つまい――
だが。
その途中、ふと、ルディアの視線が吸い込まれるかのように、神父の手元に縫いとめられた。
小さな、冊子のようなもの。愛らしいイラストが、どこか小さな子ども達を思わせる――、
「……あ、なるほど、今年もそれ、出るんですか?」
はたと引き戻されたかのように態度を変えて、ルディアは再び神父の方へと歩み寄る。
彼は、手元の本からルディアの方へと視線を移すと、
「はい、出るんです。勿論、恒例行事ですからね。それで今日は、実はどなたかにお手伝いいただきたくて、ここに来たんですよ。ほら、監修が毎年私じゃあ、つまらないですからね」
――エルザード子どもリレー絵日記大会夏の部・応募要領――
微笑む神父の手元で開かれていたのは、恒例行事の公募を告げる小さな一冊の冊子であった。
I
風そよぐ、夏の沢辺。
水の香りの漂う、甘やかな流れの優しい、静かな自然の中で、
「良し、この辺にしようか」
集団の先陣を切っていた少女が――オンサ・パンテールが、ふ、と歩みを止めた。
褐色の全身に、戦士の証でもある入墨を、白く映えさせる少女。茶の長い髪が、ふわりと風に舞う。
「そうですね、それが良いかと……」
息を切らしながらも後ろにやっとの思いで続いたのは、当の神父、サルバーレであった。
「ねぇ先生、そうしましょう?」
「そうですわね。この辺が良いかと私(わたくし)も思いましてよ」
神父の話しかけるその先には、成り行きで一緒にここまで来てしまった牧師の――マリーヤの姿があった。
「ルカさんも、この辺でしたら満足ではありませんこと?」
「ああ、悪くはないだろう。ゴミも少ないしな」
牧師の言葉に答えたのは、ルカ――黒髪に、金色の瞳の良く映える、いかにも意志の強そうな青年であった。その足元には、既に幾人かの子ども達が付き添い歩いている。
子どもの扱い方は少々乱暴なものの、無愛想だが決して自分達を悪くはあしらわないルカの事を、子ども達もかなり気に入っているようであった。
――同じくして、子ども達の中心にいる人物がもう一人。
水のような青髪に、紫がかった瞳の鮮やかな青年、メム・ユペト。
小猿を相棒とする旅芸人のその少年は、その独特の芸風や技や人格で、早速子ども達の中でも『お兄ちゃん』的な存在となってしまっていた。
メムは肩の上の相棒にボールを投げながら、次々とその細かい技を披露してゆく。
「ほーら、宙返り三回! な、スゴイだろ? 拍手拍手〜!」
小猿の演技に明るく言葉を付け加えながら、周囲の子ども達と同じ、年相応の微笑みで拍手を促す。
メムの言葉に合わせ、最初は控えめだった拍手が、徐々に大きなものとなって行った。
「……本当にすごいよね!」
「ああ、俺もあんなサルは見たことないなあ」
拍手を送る中、素直に感動に緑の瞳を輝かせたのは、ファン・ゾーモンセンであった。茶の髪のやわらかな、少女のような少年。
その隣に立つファンの友人でもあるレイルも、最初はファンの事を女の子と勘違いしてしまったものだった。今でも事実を知っていなければ、性別を間違って認識してしまうかも知れない。
まぁ、ファンは可愛いからな。
こうして立っている間にも、ファンには様々な所から視線が向けられてきている。レイルは熱心にファンを見つめる、とある少年の視線に、あぁ、アイツもある意味ぎせーしゃか……と、可哀想に、と溜息をついてやった。
しかしもう一角、子ども達の視線が集中している場所があることに、レイルは未だ気がついてはいない。
自慢の長い金髪の印象的な、青い瞳の小さな少女がいた。
友人のテーアとセシールと共に、日記完成の手伝いを申し出てくれた少女――マリアローダ・メルストリープ。今日は秋色のワンピースを、少しだけ大人びたリボンで古風に纏め上げていた。
「本当ね。ここなら良い思い出も、沢山できそう」
さすがオンサさん、と、マリィが呟きを洩らす。今回子ども達を引き連れて皆がここへやって来ていた理由、それは、
「でも、意外と多いのね〜。あたしはきちんとお父様に旅行に連れてってもらえたけど……皆結構、そういう事もできないのね」
今日は執事を引き連れていないテーアが、しみじみと呟く。
――そう、
今回オンサの提案により、この場所へと来ていた理由。それは、思い出のない夏休みに絵日記を描けずにいる子ども達に、束の間の楽しい時間をプレゼントする為であった。
II
「あのいや、拝まないで下さいよ……」
偶々話す機会を得た途端、突然拝まれてしまえば、いくら神父と雖も答えにはつまってしまう。
困ったように頬に手を当てる神父の視線のその先には、きらきらと好奇に瞳を輝かせる、メムの姿があった。
「いやぁ、それにしても本当の神父様……動いてる……!」
「はぁ、私も普通にエルフですから……」
「何か呟いてる……きっとありがたいお経か何かなんだな。あぁ、南無南無――、」
「な、ナムナムって、それって東方の方の宗教じゃあっ?! もしかして私のこと、オボーサンとやらと勘違いなさっているのでは……?!」
「ありがたやありがたや……」
「わ、私は神父ですっ! 拝む対象じゃあありませんよっ!!」
流石に色々な意味で気恥ずかしくなってきたのか、視線だけでマリーヤへと解説を求める。彼女の方も神父とメムとを見かねたのか、
「メムさん、司祭は東方宗教の聖職者とは違いますのよ。司祭の事は、そうやって拝んだりはしないものですわ」
「はっ、そう仰るマリーヤさんも牧師さんでは……ああ、ありがたやありがたや……」
「ぼ、牧師もそうやって拝む対象じゃあありませんでしてよ。牧師と神父の違いは、ただ単に宗派の違いと申しますか、細かく言えばもっと変わってくるのですが――、」
「どっちも同じだろう。拘る必要などない」
マリーヤの言葉に、ルカが至極冷静に呟きを付け加える。
「……あら、貴方の見聞とやらに、神父と牧師の違いはありませんの?」
しかしマリーヤも臆せず、突っ返す。
確かルカがここに居る理由は、曰く『見聞を広めるため』であったはずだ。
その見聞好きな方が、神父と牧師との区別もできないだなんて――、
「拘る必要がないなどと……それとも、ご存知ありませんのかしらね」
「旧教が司祭で新教が牧師だろう。そのくらいは知っている」
ずばり言われてしまい、マリーヤはルカを一瞥すると、ぷい、と顔を逸らしてやった。
全く、この人ときたら……!
先ほどから言動にそこはかとない憎々しさを感じているのは、果してマリーヤの気の短さだけが原因であったのか。
「でも確かに、ボクだって最初は良くわからなかったもん。関わりないと、知らなくても当たり前だよね」
頭の後ろで手を組みながら、のんびりとファンが歌うように呟いた。
「あたしは元々旧教徒だったから、よーくわかってたけど」
「確かに実際、神父さんと牧師さんって、ぱっと見は変わらないものね」
続き、テーア、マリィと続ける。
「ま、あたいにとってはどっちでも良いけどね」
神父は神父だし、牧師は牧師なんだからさ、と笑ったのは、オンサであった。オンサはそういう事だから、と付け加えると、
「それにそんなヘタレ神父、拝むだけ無駄だな、メム。むしろヘタレがうつって――」
「うわヒドっ! オンサさんっ! 私泣きますよ! 泣きますからね!!」
「冗談だって神父、いくらなんでもそこまでは思ってないって」
胸元の十字架を握った神父を、オンサは軽く笑い飛ばす。その笑顔に、周囲も合わせてどっと笑い声をあげた。
ひとしきりに笑ったその後、
「それじゃあ、どうしようか?」
問うたのは、ファンであった。
「ボクは描きたいなぁ。ねぇ、神父さん、良いですよね?」
「ええ、勿論大歓迎ですよ、ファン君。色々あった方が、読む方も楽しいですからね」
やった! と神父の言葉に、ファンが飛び跳ねる。その様子にマリィはちらりと視線をやると、
「私は……むしろ、アドバイスする方が良い、かな」
「おや、描いていただいても構いませんよ? 遠慮なく――」
「このヘタレ神父! マリィちゃんだって参加するのは気恥ずかしいのよ! そのくらいわかんないの?!」
神父の言葉に、テーアが思わず怒鳴りつけていた。
ったく、デリカシーのない男!
「別に、恥ずかしいわけじゃあ、」
「良いの良いの。マリィちゃんはあたしと一緒に色々見てまわってアドバイスとかして歩きましょ。セシールも、ね?」
「うん、そうだね……ボクもちょっと、描くのはいいや」
「それじゃああたいは、色々な遊びを教えてやるよ。そうしたらきっと、絵日記のネタも増えるだろ?」
三人の役割分担を聞いて、それじゃあ、とオンサが手を上げる。勿論神父も一緒に、と小さく付け加えると、沢の方をすっと指差し、
「自然と戯れる事は良い事だからな」
自然を愛し、自然に愛される。ごく当たり前の事を、しかし改めて感じる瞬間がある。
あたいだって、そうだからね。
久しぶりに森に帰れば、懐かしい香りに改めてその息吹を感じる事がある――。
「それじゃあ俺も、思い出作りに一つ貢献だ。もっと面白い事もできるからなぁ、コイツは」
相棒を肩に、メムが言う。
ざわつく子ども達を周囲に、ようやく全員が見解を出した頃、ルカは座っていた大岩の上で足を組み替えながら、
「それじゃあ俺は見聞係ということで」
「はぁ?!」
「ま、適当にやるってコトだな」
マリーヤの言葉に、さらりと返す。
――こうして。
各々は、思い思いの場所へと散っていくのであった。
III
なぜか一緒になってしまったと、最初は随分と不機嫌だったマリーヤの心もようやく落ち着いたその頃、
「今っていうのは、本当に大変な時代ですのね。夏休みくらい、どこかに連れてってもらいたいものでしょうに……」
「親だって必死なんだろう。それが自分の為なのか、他人の為なのかは知らんがな」
腕を組み、ルカは沢で遊び始めた子ども達にざっと視線を巡らせていた。
聞えてくる笑い声に、無邪気な姿が自然な色合いを見せていた。土に汚れる服も気にせずに、穴を掘り、何かを探し、探検という言葉を掲げて低い木に登り――。
「平和、ですのにね」
不意に聞えた呟きに、ルカがマリーヤへと視線を戻す。
「ん?」
「都心特有の現象ですわ。私は田舎育ちでしたから……そんな話、聞いた事がありませんでしたのよ」
親の都合で、遊んでもらえなかったなどと。
心の中で付け加え、マリーヤはそっと、思いを溜息へと代えた。
それが最近、ごく当然の話になってきているだなんて……。
子ども達の笑顔が、心に痛い。
「だがな、親も生きている者でしかないからな」
『おとーさんはずーっとしゅっちょーってヤツでいないし、だからおかーさんもあそべないって……』
俯いたあの少女の言葉が、あるいは、この先の当たり前≠象徴するようになってしまえば――?
世の中が便利になる事は、大いに結構な事であると、マリーヤもそうは思っている。しかしその裏に隠された弊害を、決して忘れてはいけないと、
「子どもの事だけに、時間を費やしてはいられまい」
ふと、そんな事を思う事がある。
「……確かに、そうですわよね」
しかし、認めざるを得ない。それは、確かな真実でもあるのだから。
ルカの言葉に、マリーヤは薄い沢の流れにじっと耳を済ませた。
変わらない、自然。その周囲でめまぐるしく展開する、世の中。
対照的、ですわよね――。
「それに生まれて来た子どもの全てが愛されていると思ったら、大間違いだ」
「……ルカさん?」
厳しい語調に、一瞬にして意識が引き戻される。しかしその金色の瞳は、もはやマリーヤの方へは向けられていなかった。
代わりに、
ルカの瞳は、下の方へと――今にも泣き出しそうな、小さな少女の方へと向けられていた。
あの時の、少女。
「……わたし、」
「どうした?」
腰を屈めるルカを見上げ、少女は視線を逸らし気味に呟いた。胸元で小さな手を組み替えながら、小さな、声音で、
「ミンナ、しらないヒトだから」
それでも精一杯に、訴えかける。
――それだけで。
ルカには少女が、何を言いたがっているのかがわかってしまった。
「ああ、そうか」
思わず、その頭をわしわしと撫でながら微笑みかけてしまう。大丈夫だ、の一言こそは言わなかったものの、
「よし、俺が手を貸してやろう」
少女の意識を、惹き付ける。
知らない環境に放り込まれた時のものにも似た感情を、ルカは良く知っていた。だからこそ、
……だからこそ、
「ミンナとオトモダチになれる、手っ取り早い方法だ」
無意識のうちに、どうにかしてやりたくなる。
IV
「ほーら、取りに行ってこ〜い!」
子どもの一人によって投げられたボールへと、相棒をいそいそと走らせる。時にはこうしてボールを追いかけさせ、時にはコインの裏表を当てさせたりもした。
――こうして、子ども達の思い出に貢献する。
それが、メムの考えた絵日記を描かせる最善の方法であった。
「よーし、偉いな! それでこそ俺の相棒だ!」
ボールを抱えて戻ってきた相棒の小猿を、大げさとも言えるほどに褒め撫でるメムの顔には、知らず無邪気な微笑が浮かんでいた。遊びまわる子ども達にも似た、邪気を知らない、まっすぐな。
「おにーちゃん、ボクもやるー!」
「はいはい、順番だ、順番。きちんと全員と遊べるから、な? まだ大丈夫だろ?」
身を屈め、次ぎの子にボールを渡しながら、メムは相棒に向って確認するかのように問うた。それにあわせて、器用に小猿が頷いてみせる。
良し、
「コイツはもっと色々な事ができるからな。遠くに飛んでいったボールを取りに行くだけじゃなくて、例えばどっちかの手に隠したボールを当てる事だってできるんだ」
「へぇ、カシコイおサルさんなんだね!」
「そうそう、とっても賢いんだ。何せ、俺の自慢の相棒だからな」
胸を張るメムに、目の前の少年が好奇に溢れる視線を向ける。じっとボールと小猿とを見比べて、やがて、少年がやったのは――
「ジャンケン、しよ!」
「ボールの意味ないしっ?!」
誰かの後ろからのツッコミも聞こえなかったのか、少年はわくわくと自分の小さな手を差し出した。それに続くようにして、小猿ももっと小さな手を差し出す。
そうして、
「「じゃーんけーん」」
メムと少年との声が重なった。
「「ぽーん!」」
後ろに並ぶ子ども達も、興味深々に二人の方へと距離を詰めていた。取り囲まれた少年と小猿との勝敗の行方は、
「あー、おまえ、負けちゃってるよ。全く、駄目だなぁ。本当ジャンケン、弱いんだから……」
メムの呆れたような声音に、小猿が反省、といった風にその頭を掻いていた。愛らしいその仕草に、全員がどっと笑い出す。
「折角賢い、って褒めてやったばかりなのになぁ」
少しだけ演技染みた様子で更に呆れた風に付け加えると、小猿も更に身を小さくする。尻尾まで丸め、上目遣いに子ども達の方を見やった。
――そんな様子に。
もう一度周囲が、暖かな空気に包まれ始めた頃の話であった。
「ちょっと失礼、」
ふ、と、その笑いを凍りつかせる声音が響き渡ったのは。
黒い影の青年――ルカ。
「お、ルカさん。どうしたんだ?」
意外な人の登場に、メムは小猿と戯れるその手を止め、上を見上げた。しかしその途中、もう一度視線を下の方へと戻してやる。
……あれ?
「ルカさん、」
「ああ、この子か。ちょっと待ってろ、今わかる」
ルカの手をしっかりと握り締めている、小さな、小さな少女がいた。恥ずかしそうに皆の方から瞳を逸らし、身を小さく強張らせたそのままで。
ルカはメムの言葉に素気無く返すと、その周囲を取り囲んでいた子ども達へと視線を巡らせる。
こっそりと、
少女のその手を、少しだけ力強く、握り返しながら。
「今から俺も、お前達の思い出作りに貢献してやろう」
「こーけんってなーに?」
「お前達の手助けをしてやる、という事だ」
ルカは身を屈め、同じ高さになった少女の背をぽん、と叩き、前へと押し出してやる。さぁ、と一声かけながら、
「やれ」
「やれって……」
「さっきできたばかりだろう。あれをやれば良い」
お前にならできる、とただ一言だけ付け加えた。
――だが、確信はあったのだ。
「ルーちゃん、」
「だから、その呼び方はちょっとだな、」
できは、良い。その道の才能が、間違いなくあるのだ、この少女には。
ルカはつっこみながらも微笑みかけると、さらに少女を促した。その言葉に小さく頷き、少女は皆の方へと向き直る。
引っ越してきたばかりのエルザード。見知らぬ人々。歳は近いが、大して話した事もない子ども達の前で、
手を、差し出した。
何かを求めるかのように、そっと。
「……きて、」
呟きは、たった一言。空に呼びかけるかのように、瞳を閉ざし。
そうして、
「……うわぁ、」
誰かが、そんな声を上げた。続き、徐々に周囲が沸き上がってゆく。
少女の手の平からは、光の幻影が浮かび上がっていた。徐々にそれは形を成し、蝶々の輪郭を模ってゆく。
命を得た蝶が、間もなく、空に向って羽ばたき、舞い踊る。
その頃合を見計らい、ルカがぱちん、と一つ、指を打ち鳴らした。
刹那、色を変える空に、
「――幻影?」
「良く気がついたな。まぁ、そう言って語弊はないだろう」
じっと少女の召還を見つめていたメムが、ふ、と呟きを加えた。
ルカの魔力に姿を変えた空間は、深い、深い森と化していた。光の当たらない影に、それでも暖かな木漏れ日と優しい小鳥達の歌声。空だと思い込みそうな、緑色の木々。
幻想風景に、少女の蝶が光の尾を引く。
「随分な規模だなぁ」
「そうか?」
「コイツも、驚いてるって」
しみじみと呟くメムの足元には、布き詰まった枯葉を掘り返す小猿の姿があった。子ども達も同じくして、キノコや野花などを見つけてははしゃいでいる。
これが全て幻影などと、
……なかなか、思えないよなぁ。
「まぁ、これであいつ等も絵日記の一つや二つ、描けるようになるだろう」
周囲を見回すメムの言葉に適当に返すと、ルカはその視線を、蝶々の召還を成功させた少女の方へと投げかけた。
――ルカの思惑通り、
その周りを子ども達に取り囲まれた、先ほどの内気な少女の方へと。
V
そうして、夕方。
「はーい、描けたら出して下さいね〜。あんまり折らないで、あ、丸めても駄目!」
思い思いの場所で、思い思いに日記を綴って来た子ども達が、神父の呼び声に合わせて絵日記を提出しはじめていた。
ちなみに勿論、中には別の思い出で提出用の日記を描き上げた子もいたにはいたのだが、それとは別に、今日は日記を描いていたようであった。
「メムにーちゃん、俺のこの日記どうだー?」
「お、良い感じだ! いやぁ、良く描けてるな〜。でもコイツ、こんなに可愛いかぁ?」
「うん、可愛い!」
すっかりと子どもの一団を束ねてしまったらしきメムに、元気な少年が答える。メムは少年の言葉ににっこりと微笑むと、よーし、出して来い! とその背を一つ、勢い良く押してやった。
少年が、マリィ達の、絵日記のアドバイスをしている横を通り抜けて行く。
「そこはもう少し、茶色を混ぜると花っぽく見えると思うの――うん、そういう感じ、ね。どうかな?」
「うん、きっとこんな感じだと思うの! おねーちゃん!」
お手本用の日記を描き上げてから、マリィとテーアとセシールの三人は、ずっとこの調子で子ども達へと数々のアドバイスをしてきていた。テーアには元々ガキ大将気質があったものの、マリィやセシールにも、年齢やその気優しい性格、という武器がある。知らない子達ともすぐに打ち解け、多様にアドバイスを求める声に、適確に答えていけるその強みが、絵日記の完成度にも貢献すること間違いなしであった。
「マリィさん、ボクも見てほしいんですけれど……」
と、不意に見慣れた少年が、絵日記を差し出してくる。
「あ、ファンさん。私で良ければ、」
「えと、ここなんですけれど……もうちょっとほら、太陽みたいなリンゴの色になれば良いなぁ、って思ったんです。このお花、もっときれーな色、してたから――」
「……太陽みたいな、リンゴの色、ね」
要するに、もっと鮮やかな赤、って事かな?
画材は、クレヨン。随分と創作的な日記に、少しだけ読み入りながらも、
「もう少しこっちに赤を入れれば綺麗に見えると思うの。それから、こっちの青を深くすると、綺麗に見える、かな?」
妖精の踊る、赤い花の絵日記。否、絵日記という名の小さな童話に、マリィはそれにしても、と微笑を付け加えた。
「ファンさんのお話、とっても暖かいのね」
「そう、かな……えへへ、でも、そう言ってもらえるとウレシイ、です」
絵日記を引っ込めながら、ファンは丁寧に目礼する。そうして神父の方へと、一目散に駆け出した。
「……しかしだな、あー……まずいのは文章だろう。ここ、直すべきだと思うがな」
「えー、どしてー? どこがイケナイのぉ?」
「いや、いくらなんでも……この絵日記に十三日の金曜日殺人事件っていう発想はだな、」
「むぅ?」
「とにかく! 直すときっと良いことあるぞ」
「え、なら直す〜! おにーちゃん、何買ってくれるの〜?」
「何も買わん。さっさと直せ」
「いじわるー!!」
そのすぐ傍でも、ルカの手による日記の推敲が行われていた。どこが駄目、あそこが駄目、という適確な指摘に、評価を求める子ども達の列ができていた。
ぶっきらぼうにあしらわれ、それでも、順番が来たばかりの少女は嬉しそうに日記を直し、そうして――
「ボルジア家の毒殺話も止めろ。しかもマニアックな……ってゆーか普通に書け、普通に」
「えー、ふつーってナニ〜?」
「普通だ普通。もっと子どもらしくだな――良いから変えろ。もっと楽しい話題にするんだ」
それから暫く、ようやく列が一歩進む。おにーちゃん、ありがとー! と丁寧にお礼を述べた、魚獲りの話を殺人事件に重ねて絵日記を描き上げていた少女が、神父の隣に並ぶ、オンサの方へと駆け寄っていく。
「はい、おねーちゃん!」
「お疲れ様。良く頑張ったな」
今は取り返した前垂れをきちんと垂らしたオンサは身を屈め、少女の頭をふわふわと優しく撫でた。と、嬉しそうにしていた少女が不意に、
「あ、そーだおねーちゃん、これ預かってたの! レン君の日記ー!!」
「ん、これも出しとけば良いんだね?」
「そう! お願いしまーす!」
言うなり少女は踵を返し、どこかへと飛び去ってしまった。オンサはすぐ傍の大岩の上で、日記を取りまとめる神父に、まず一枚目の――少女の日記を手渡した。
そうして、もう一枚――
だが。
「……?!」
見た瞬間、まずそのイラストに絶句してしまう。色鉛筆で描かれた絵の中には、流れる沢と、野に咲く花とが、多視点画として描き出されていた。しかし、驚くべきはそこではなく――、
「ん、オンサさん、どうしました?」
「あいや、何でもない! 何でも!」
慌てて日記を背に隠し、オンサは真っ赤になった体を冷やそうと、息を整える。
描かれていた、二人の男女。銀髪の気持ち良さそうに眠る青年と、茶の髪の――全裸の少女。
間違いなく、あの時の二人の姿。
「……誤解があるにしたって……!」
単純にやはり、このように突きつけられてしまうと気恥ずかしいものがある。
さてこの後はどうしようか――とあたふたとするオンサの手元に、次々とそのネタの日記が届き始めたのは、もう間もなくの話であった。
その後、無事に編集された絵日記は、コンテストへと送られたのだと言う。
結果が出るのは、冬も春に近づき始めた頃。
氷の水に流れる季節、もしかするとこの教会では、ちょっとした喜びの話題が聞かれるようになるのかも知れない。
――そうでなくとも。
帰ってきた絵日記の冊子に全員が微笑み会うのは、目に見えた未来の真実なのだから。
Finis
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I caratteri. 〜登場人物
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<PC>
★ マリアローダ・メルストリープ
整理番号:0846 性別:女 年齢:10歳 クラス:エキスパート
★ ルカ
整理番号:1490 性別:男 年齢:24歳 クラス:万屋 兼 見世物屋
★ メム・ユペト
整理番号:1206 性別:男 年齢:12歳 クラス:旅芸人
★ ファン・ゾーモンセン
整理番号:0673 性別:男 年齢:9歳 クラス:ガキんちょ
★ オンサ・パンテール
整理番号:0963 性別:女 年齢:16歳 クラス:獣牙族の女戦士
<NPC>
☆ サルバーレ・ヴァレンティーノ
性別:男 年齢:47歳 クラス:エルフのヘタレ神父
☆ マリーヤ
性別:女 年齢:25歳 クラス:女牧師
☆ テオドーラ
性別:女 年齢:13歳 クラス:ご令嬢
☆ セシール
性別:女 年齢:12 クラス:フルート奏者
☆ レイル
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Dalla scrivente. 〜ライター通信
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まず初めに、お疲れ様でございました。
今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。今回はお話の方にお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました。
実はこれから一週間ほど蝦夷を離れて内地(笑<蝦夷でいう『本州』の事です)に行って参るのですが、出発の当日に納品、というなかなかな事をやらかしてしまいました。いつもながらに、大変お待たせいたしまして本当に申しわけございません。
その上上にあります理由の為、今回は個人宛のコメントの方を割愛させていただきたいと思います。本当に申しわけございませんが、ご了承いただけますと幸いでございます。
では、乱文かつ必要最低限の内容となってしまいましたが、この辺で失礼致します。
PCさんの描写に対する相違点等ありましたら、ご遠慮なくテラコンなどからご連絡下さいまし。是非とも参考にさせていただきたく思います。
次回も又どこかでお会いできます事を祈りつつ――。
20 ottobre 2003
Lina Umizuki
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