<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
マイ・スウィート・マーメイド
「きゃあっ」
ティア・ナイゼラが、ショーウィンドウに両の掌と鼻の頭をくっつけて、桃色の声を上げた。
ケイシス・パールは、恋人の発するいかにも嬉しそうなその声が嫌いではない。嫌いではないのだが――――
「……またか」
今は、歎息するしかなかった。
アルマ通りの中でもかなり女性客の割合の高い、ブティックと小洒落た雑貨店が多く軒を連ねるショッピングスクエア。ティアとのデートでさえなければ、罷り間違ってもこんなところへ足を踏み入れたりはしない。
ケイシスは、右肩に載せた九尾狐越しに、ちらとティアの視線の先にあるものを見遣った。
特設ハロウィンコーナーに展示された、パンプキンデザインのキャンドル。
鮮やかなオレンジ色のキャンドルに描かれた表情が実に様々で、まあ確かに面白いといえば面白い。だが、つい歓声を上げてしまうほど可愛いとも思えない。
「ケイちゃん!」
ティアが、怪訝そうな顔をしているケイシスの腕をぐいと引いた。
「わっ! お、おい!」
ケイシスは、ティアに急に引き寄せられ、両腕に抱えた荷のバランスを崩しそうになって慌てた。
「お……おまえな、俺が今どーいう状況にあるか考えてから行動しろって」
「えっ?」
言われて、ティアはショーウィンドウから眼を離し、ケイシスをみつめた。
左手に、ワンピースとショートブーツ、愛らしい仔猫のぬいぐるみが三匹入った手提げ袋を引っ掛け、右手にティーカップやシェルフレームのミラー、ラベンダーのピロースプレーなど、細々とした雑貨類が丁寧に包装されてやたら嵩張る箱を抱えている。
「あ……、だから、私も持つって言ったのに」
そう言ってケイシスの持つ荷に手を伸ばしたティアの細い腕に、マザーオブパールと呼ばれる白蝶貝で作られたブレスレットが輝いていた。これも、先刻アクセサリーショップで入手したばかりの品である。
ティアは確かに可愛いものには眼がなく、衝動買いも珍しいことではないが、今日はいつもに輪を掛けて景気よくショッピングに興じている。それには、理由があった。
今日は、ケイシスが一緒だ。
別に、荷物持ちになってくれる人がいるから気持ちよく買い物をしているわけではない。
好きな人と一緒にいると、ただそれだけで気分が昂揚してしまうのだ。
嬉しくて、でもそれを言葉では巧く言えずに、勝手にはしゃぎ出す鼓動に導かれるまま、足取りも軽やかに並んで道を歩く。
眼に映る景色は何もかもが魅力的で、店に陳列された商品達も、普段よりずっと可愛らしく見える。
つまり、そういうことだ。
結果、ティアに悪気はないのだが、ケイシスの荷は時間の経過とともに増すばかりだった。
「女に荷物持たせるわけにはいかねーだろ」
ケイシスはティアから少し身を退き、
「……で。そのキャンドル、買うのか?」
顎をしゃくって、きれいに磨き上げられたウィンドウ向こうのハロウィンキャンドルを指した。
「ううん、違うの。私が見てたのはキャンドルじゃなくって」
ティアが嬉々として、ケイシスの視線を指先で誘った。
「あれ」
「あれ、って……」
その瞬間、ケイシスの金の両眼に映ったものは。
キャンドルを大量に抱え込んで、円らかな眸で客をみつめている――――ティアの身長ほどはありそうな巨大なクマのぬいぐるみだった。
胴体にめり込んだ有るか無きかの太い頸に巻かれた赤いリボン。そのそばに添えられた真鍮製のタグには、「ラブリー・アイ」とあった。このクマの名前だろうか。
ふさふさとした毛並みがあたたかそうで、ティアがクマの胸にぽすっと顔を埋めて愉しげに笑っている様が容易に想像できた。
それはいい。
好きにすればいい。
だが。
「……式神、喚んでもいいか」
ケイシスが乾いた声で言った。
何でもいい、そのあたりの草や紙片を依代に式神を出現させ、使役でもしないことには、どう考えてもあんなに巨大なクマを持ち運ぶのは無理だ。無理に決まっている。
「シキガミ? って、……式神? 喚んじゃうの? せっかくケイちゃんと二人でデートなのに」
「そんなことは分かってる。けど、欲しいんだろ? あのクマ」
「だって、アイちゃん、可愛いんだもん」
アイちゃん。
ラブリー・アイのことか。
恋人のケイちゃんに九尾狐の焔ちゃん、カッパのピーちゃんに加えてクマのアイちゃんまで合流したらば、もうすでにこれは誰と誰のデートなのだか分かるまい。この上さらに式神の一、二体加わろうと、さして事態は変わらないように思える。
とは言え、ケイシス自身、確かにこの場に式神を喚び出すことに躊躇いを覚えないでもなかった。これでも一応、久方振りのティアとのデートなのである。
「……仕方ねぇな」
ケイシスが盛大な溜息を吐き、空を仰いだ。
「一回、この荷物をどこかに預けるか、部屋に持ち帰るかして……クマ買いに戻ってくるか」
たとえ他に荷がなくとも、ラブリー・アイを持ち帰るのは至難の業ではあるのだが。それについては、買った後で考えることにした。
ケイシスは、跳び上がって悦ぶティアの反応を頭の隅で期待したが、予想に反して彼女はただ大人しくケイシスをみつめていた。
「ん? 何だよ」
「……うん、やっぱり……アイちゃんは、いい。やめておくね」
「は? 珍しいな、欲しいと思ったものを途中で諦めるなんて」
「ふふ。だって、さすがにアイちゃん、大きすぎるし。抱えて帰るのも大変だもん」
「おまえが抱えるわけじゃないんだから、大丈夫だろ。俺が運んでやるよ」
「ケイちゃんにはもう充分、いろいろ持ってもらっちゃってるし」
全くそのとおりである。
が、そうしおらしく遠慮されてしまうと、逆に何とかしてやりたくなるのが男というものでもある。
「らしくねぇな。気に入ったモノはみつけた時に手に入れておかねーと、後で後悔してもしらねぇぞ」
「……いいの。一番気に入ったものは……大切なものはもうここにあるし」
ティアが、にっこり微笑んだ。
「大切なもの?」
「うん!」
元気よく応え、ティアは腕に抱いていたピーちゃんを自分の顔の前に掲げて言った。
「私には、アイちゃんより、ケイちゃんが大事。一番、大切」
「……な……」
思わず、ケイシスは絶句した。
ラブリー・アイと同列に扱われたことがかなり引っかかりはしたが、はっきりと一番大切だと告げられたその言葉にカッと眼許を紅潮させた。
「な、何言ってんだよ、おまえ」
「思ったことを言っただけだよ?」
「……そーかよ」
ケイシスはティアから視線を外し、顔を見られまいとでもするように彼女に背を向けた。
「あれ? ケイちゃん? どうしたの?」
ティアの声が、熱を持ったケイシスの耳朶にやわらかく触れた。
「……メシでも、食うか」
ケイシスがぽつりと言った。
彼の肩で、焔が一声、「こん!」と啼いた。
ベルファ通りまで足を伸ばし、二人は赤煉瓦のこぢんまりとした南プロバンス料理専門店に入った。
ペットはテーブルの下へ、とウェイトレスに言われ、ピーちゃんと焔は仲良く籐籠に入れられて、ケイシスとティアの足許に身を落ち着けた。
「ん、美味しい!」
ティアが、運ばれてきたラタトゥイユを一口食べ、ケイシスを見た。
「ああ、旨いな」
ケイシスは、スペアリブのオーブン蒸し煮をがつがつと腹に詰め込み乍ら応えた。
あたりに、ローリエやオレガノ、タイム、ローズマリーなどのハーブの佳い薫りが漂った。
その薫りの中で、ティアは心地よさそうに深呼吸し、いきなり席を立った。
「あ? おい、ティア、何――――」
「うん、何だか今、とっても気分がよくって。ねぇ、ケイちゃん、今日のお礼に、私、歌唄うね!」
ティアの宣言に、ケイシスの蒸し煮を食べる手がぴたりと止まった。
テーブル下で、ピーちゃんと焔が身を竦める気配がした。
「い……いや、礼って、ンなもん、要らねぇから。いーから、ここに坐って食事の続きを」
「だって、今日はたくさん荷物持ってもらったけど、私はケイちゃんに何もしてあげてないもん」
ケイシスの語尾を遮ってティアが言い、胸の前で両手指を組み合わせた。放っておいたら今にも唄い出しそうである。
「大丈夫、これでも私、毎日歌の練習してるの」
それは、歌の修行のために城を出された人魚姫の日課としては、称められていいことだろう。
しかし。
だからといって!
「まっ、待て! 分かった、分かったから、とりあえずここで唄うのはやめろ!」
ケイシスがガタンと椅子を引いて立ち上がりかけ、ピーちゃんがティアの足に縋り付き、焔が耳を塞いだ直後。
どこにあるのか分からないメロディラインからさらに道を外し、音をぐにゃりと捻じ曲げたようなティアの歌声が、店内に響きわたった。
それまでテーブルごとにさざめくような笑声を立ち昇らせていた客達は、一斉に歪な静寂の裡に没した。
可愛いものが大好きな、珊瑚色の髪を靡かせる可愛らしい人魚姫。
彼女の歌声を壊音波と的確に表現したのは、誰だったろうか。
後日。
ティアの許に、大きな荷物が届いた。
「わぁ……! アイちゃん!」
ティアは夢中でラブリー・アイの胸に抱きついた。
あたたかな陽溜まりのようなぬくもりに包まれた彼女の眼に、ぬいぐるみに添えられた一枚のカードが映った。
『この前は、結構たのしかった。また、逢おうな。 ケイシス』
たったそれだけの、短いメッセージ。
「……ケイちゃん」
ティアは、カードにちゅっと接吻けると、改めてアイを強く抱きしめた。
「ふふ……、大好き!」
[ マイ・スウィート・マーメイド / 了 ]
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