<PCクエストノベル(1人)>


いつかの飛翔の日 〜ヤーカラの隠れ里〜

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【1378 /フィセル・クゥ・レイシズ/魔法剣士】
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【序章】

 見えた――そう感じたその刹那に、彼は迷わず右手を伸ばした。その背中へ向けて。
 あまりに躊躇のない仕草であったので、彼は――フィセル・クゥ・レイシズは、己が今「ヒト」の形を成しているという事実をきれいさっぱり忘れ去ってしまっていた。

レイシズ「・‥…――ああ」

 大きな羽撃きを見上げながら、そして真っすぐに右手を伸ばしながら――レイシズは後を追おうと岸を飛んだ。力強いヒトの踵で、力強いその眼差しで。
 しかしヒトには、翼はない。

 大地を蹴った足先は宙を掻いた。
 すらりと長い耳の裏で風を感じた、それは久方ぶりの感触、谷底から吹き上げる強い風。
 竜が空高く舞う為の、竜の為に吹く風、であった。

 彼が見上げた竜の背中は、高く高く舞って行く。
 彼は深い谷底へと、堅い土の積み上がりに何度も背を打ちながら落ちて行く。
 刹那の間は、己の身が重力のままに落ち行く事すら気づけぬままに――ヒトの形を保ち続けながらレイシズは、尚も竜の背中に右手を真っすぐに伸ばしたままで、強く谷底へと打ち付けられたのだ。

 幾許か感じていた浮遊感の果て、彼は背中に走っている鈍い痛みにようやく、事の次第を理解した。
 視界は先ほどまでよりもかなりぼんやりとしている様に感じられる、それは光の差し込み難い山と山の亀裂まで落下したからなのか、それとも彼自身の意識が危うくなっていたからか。
 剣の腕と、頑健な身体が彼の宝だった。
 次々とその命を果たして行く同胞を横目に、彼だけが深い病を捉える事なく、剣の腕前を着実に向上させ、薄れ行く血の誇りを忘れぬ様生きてきた。
 谷底へ落下した程度の傷や痛みなど、レイシズにとっては取るに足らぬ事である。
 が。

レイシズ「・‥…やはり、」

 受け容れられる事はないのだろうか、と。
 途切れそうな意識の中で、彼は乾いた口唇だけでそう呟いた。
 暗転し、飲まれていく意識の中でレイシズは諦めの深い溜息を吐く。
 目が醒めたら、第三の眼――竜眼を開き。
 失意の中で、自分は都に戻ろう、と。

【ヤーカラの隠れ里】

 ここに「彼ら」の住まう村があるらしい、と言う噂は都で耳にした。
 遥か北西の果てに、龍人の住まうムラがある。
 彼らは人目を避けるようにひっそりと暮らし、めったにムラの外に出る事はないが、それでも彼らを追い求めるやからが後を断たない理由はただ1つ。
 彼らの血を飲めば、計り知れえぬ偉大な「力」が身に付くと言われているからだと言う。

 レイシズは打ち震えた。
 偉大なる力を欲したからではない。
 己の中で息絶えようとしている、古代竜の血が騒いだからだった。

 古代竜。
 今はその力を封印し、ただ各地でひっそりと暮らすのみとなった誇り高き竜族の筋である。
 第三の眼と呼ばれる竜眼を持ち、かつてはヒトと竜の姿の間を思うがままに行き来し、空と大地の両方を駆けていたと言う。
 レイシズはその古代竜の末裔であり、彼自身にも竜眼が備わっているのである。

 が、時を経るごとに、古代竜の末裔達からその力は損なわれ始めているのが現状である。
 さまざまな要因が原因として考えられているが、血の薄化や先細、そして原因不明の死病を発病する、など不穏な要素も着目されている。

 太古の栄華を今一度、とは言わない。
 さらなる力を手にしたいとも思わない。
 だが、己の中に流れある血を淘汰させてしまうのは不義であるとレイシズは思う。

 そんな苦悩の最中に、彼はヤーカラの隠れ里の噂を耳にしたのであった。
 誇り高き古代竜の血を絶やさぬ為にも、自分は龍人達との接触をはかるべきではないか。彼の思いは日に日に募り、噂話の果てに、ようやくその隠れ里へとたどり着いたのであった。

 果たして彼は、隠れ里があると言われている谷の入り口で、大きな龍の背中を見た。
 が、それは、思わず駆け出したレイシズの気配に羽撃き、雲間へと駆けてしまったのだ。
 ヒトの形を保つままに――古代竜へと変化する事をしないままで大地を蹴ったレイシズは崖を滑り落ち、奈落の底へと叩きつけられる事となった。
 ささいな動揺が、それをさせた。
 あまりに懐かしく、そしてあまりに巨大な龍人の勇姿を目の当たりにした事が、彼の心をせき立てたのだった。

 絶望と言う名の惰眠を貪り、彼は夢の中ですら深い溜息を吐く。
 己が目覚める場所が、どこであるかも知らないままで。

【種族の誇り:1】

 無意識に打った寝返りの背中で、彼は柔らかな草の植足を感じていた。
 あまりに柔らかで、心地よい感触であった為に――彼は再び睡魔に足を取られそうになり、しかし慌ててその眼を開ける。
 広がっていたのは絶望の奈落ではなく、すでに暮れかかっていた夕日、そしてそれに照らされる心配げな女の表情だった。

龍人の女「ああ…目覚められたのですね。只今、長老を呼んで参ります」

 未だ状況を呑み込まぬレイシズが口を開く前に、女はゆっくりと踵を返し、幾層にも重ねられた飼い葉の上に横たわるレイシズを置いてテントを去って行った。
 レイシズはその背中を見送り、幾許かの後に漸く――その後ろ姿に、見覚えがある事を思い出した。
 おそらく、今の女は、さっき自分が見かけた龍である、と。

 音も無く燃える燭台が、ほのかな温かさでテントの中を照らしている。
 レイシズは静かに眼を閉じて、背中の鈍痛が確かに和らいでいる事を感じていた。

 自分は、今――ヤーカラの隠れ里と呼ばれる龍人のムラに、いる。
 それは否定しがたい事実である事を悟っていた。

長老「これはこれは――思いの外早くに目覚められた様だ。ご気分はいかがですかな…?」

 温厚そうな男の声に、レイシズはその瞳をゆっくりと開き、テントの入り口を見遣った。
 おそらくは、先ほど女性が言っていた「長老」に当たる龍人なのであろう――節くれた大きな手でテントの口幕を持ち上げたまま、穏やかな笑みをこちらに向けていたその男性がゆっくりと中へと入ってくる。
 彼をここへ連れてきた女性は入り口で佇み、レイシズの左腕の辺りをじっと見つめていた。おそらくは彼女が世話をしたのだろう、その腕に巻かれた包帯の具合を観察している様だった。

長老「もう良い、下がりなさい――客人の看病をありがとう」

 レイシズの前で腰を下ろした長老が入り口に向かって言葉を投げる。
 恭しく頭を垂れたあと、女性はレイシズに淡い笑みを投げてから去っていった。

レイシズ「――ありがとうございました。崖からつい、…足を踏み外してしまい」
長老「彼女があなたをここに連れて来ました。・‥…時折ムラに迷い込む『ヒト』ではないみたいだからと」

 やはり。レイシズは思う。
 自分は彼女を追おうと岸から飛び、谷底へと落下してしまったのだ。
 あまりにもそぐわない――古代竜の末裔とは思えぬ醜態を思い出せば、知らず顔から火が出る思いであった。
 そんな胸の内を収める為に、レイシズは小さく咳を払う。

レイシズ「・‥…私は、古代竜の血を嗣いでおります」
長老「おお――では、竜眼を?」
レイシズ「はい」

 長老の眼差しに、幾許かの敬意と驚きの色が混じった。が、それは却ってレイシズを落ち着かないものとさせていた。

レイシズ「私達の種族、――古代竜は、年々その数を減少させております。流行り病などもその原因の1つなのですが、・‥…どうやら、古代竜が持つ力そのものが、少しずつ弱まってきている様なのです」

 静かな声音で、レイシズは長老へ言った。額に纏わりつく髪を払う様に数度頭を振ってから、僅かな沈黙の後で言葉を続ける。

レイシズ「私は、・‥…あなた方にお会いしたいと思っていました。私達と近い血を持ち、隠れ里と呼ばれる地域を作り上げひっそりと暮らすあなた達に。――ご存知ではないでしょうか。我々が、その力を衰えさせている原因を。そして、――それを止める何かしらの術を」

 長老はレイシズの言葉にじっと耳を傾け、左手で己が顎をゆっくりと撫でる。
 深く刻まれている眉間の皴は、彼がヤーカラの隠れ里の長として恥じる事なく行ってきた執政の証であった。彼は常に平等を心がけ、自愛を以て龍人たちを統べてきたのだろう。彼には絶大な信頼がよせられているのだ。

長老「――あなたは…‥・」

 幾許かの沈黙のあとで、重々しく長老は口を開いた。
 レイシズは膝の上で堅く拳を握り、長老の面持ちをじっと見つめている。

長老「あなたは、古代竜の末裔としてのあなた自身を、捨てる覚悟はお有りか…?」

 長老と眼が合う。
 数度の瞬きの後で、レイシズは首を傾ぐ――どうしてそんな事を問われるのか判らなかった。

長老「そうでないなら、お引き取り願おうか――それはあなた達自身の問題で、ヤーカラとは何の関係もない事だから」

【種族の誇り:2】

レイシズ「な…っ」

 レイシズは眼を瞠り、その上体を勢い良く起こした。
 未だ残る腰の鈍痛にも頓着せず、間近にある長老の顔を覗き込む。

レイシズ「そんな…私はあなた達と判りあいたい、私に敵意は無い…! こんな風に私を介抱してくれたあなた達なら、」
長老「谷に落ちたあなたを助けた事と、滅び行こうとしているあなた達を助ける事とはまったく別の意味を孕むのです、あなた――ああ、お名前をお聞きしておりませんでした」
レイシズ「フィセル――フィセル・クゥ・レイシズと申します」
長老「レイシズ殿。――あなたにはお判りいただけないのだろうか、我々がどうして、現世から身を隠すようにこの地で生きているのかを」

 不意に問われた言葉に、レイシズは言葉を切り――そして被りを振った。
 ヤーカラの龍人の血は、それを呑んだ者に偉大な力を与える――そんな噂と関係があるかも知れぬと脳裏に思ったが、ただ言葉を発せずに長老の言葉を待つ。

長老「――都には、まだ愚かな噂話が跋扈していると聞きました。我々の血を飲めば、大きな力を身に宿す事が出来る、と」

 レイシズはやはり黙りこくったまま、長老の言葉に小さく頷く。翡翠の様に澄んだ色を湛える瞳は伏せられて、握ったままの己が拳をじっと見つめていた。

長老「それが真実なのか、ただの伝承なのかは――今となっては我々にも判りませぬ。しかし我々の祖先は隠れ里を興し、ここから出る事まかりならぬと子孫に言い伝えて果てて行った。そしてその言い伝え通り、我々はムラから降りる事はしておりませぬ。――真実は如何様であろうと構わぬのです。ただ、都でその愚かな伝承が残るうちは、必ず――我々の血を巡り、諍いが起こる」

 燭台の炎が、ふわりと揺らぐ。
 端正な横顔をその炎に照らさせながら、レイシズは何を次ぐ事もできずに口唇をちらりと舐めた。

長老「我々の選んだ道が、必ずしも正かったとは言えないのでしょう。――わたし達は、…あなた方に、忘れ去られたいと願うのです」
レイシズ「・‥…――」

 ヤーカラの長老――今レイシズの目の前で、思案深げに眼を細めている老人は、レイシズに何がしかの言葉を投げる事で、彼らの存在が都に知れてしまう事を恐れているのだろう。
 一族を統べる者の決断である。
 苦悩に翳った眼差しでレイシズは深く俯き――そして、深い溜息を吐いた。

レイシズ「――了承…いたしました。ですが」

 言葉を切ったレイシズを、長老がじっと見つめる。先を促す風なその眼差しは、深い憂いと――レイシズへの、そして古代竜に対しての尊敬と親愛が滲んでいた。

レイシズ「これだけは、…お聞かせ願えますか。――我々に、未来はあるのでしょうか」
長老「・‥…―――」

 ゆっくりと、しかし力強く。
 長老が、頷いた。

レイシズ「・‥…、ありがとうございます」

 それだけを告げ、レイシズが眼を閉じる。
 燭台の炎だけが、2人の間の沈黙を埋めるかの様にただ、揺れていた。

【そして、旅立つ】

 隠れ里の朝は美しかった。
 見下ろす谷の奥深くは霧が垂れ込めており、その神秘を格段なものとさせている。
 ヤーカラの隠れ里を求めてやってきたヒトの魂が、こんな濃密な霧を生むのだと龍人の女が教えてくれた。

 彼らはたどり着く事がない。
 偉大な力を求め、神に近づく事を望む者達は全て浄化され、この神聖な澱の中で永遠の月日を過ごす。

 隠れ里の神秘に触れる事は叶わないのだ。

長老「限りなく眷族に近い同胞よ。――あなたが望むのなら、愚かな儀式をただ1度のみ――ここに復活させる事を許そう」

 里を発つ時。
 長老がレイシズにそう言葉を掛けると、おそらくは彼の側近に当たる龍人なのであろう――若々しくすべらかな肌を持つ龍人の女性が自らの手首を爪で傷つけた。
 顔色ひとつ変えずに、手首から深紅の滴りを零すその女性は、恭しく膝を折り、レイシズに傅く。

 レイシズはその手首を口唇に運び、僅かのみの滴りをゆっくりと――嚥下した。
 都で囁かれる噂の通り、龍人の血に特別な力が秘められているのかどうかは定かではない。
 ただ。

レイシズ「――私が天寿を全うする事があれば、きっとそれは」

 隠れ里に住まう龍人の血を、この身に受けたからであろう、と。

 ヤーカラの長老は、古代竜に未来はあると言った。
 ならば、その方法は、己の手で掴まねばならぬ。
 レイシズは遠く霞みのかかった早朝の空を仰ぎ、決心にその口唇を強く噛みしめさせた。

 ――搏。
 風を切る大きな音と共に、レイシズの背から逞しい翼が現れた。
 羽搏きに両の肩を上下させてから、レイシズはす…‥・と背筋を伸ばす。
 飛び立つ先は、南東――都のある方角へ。

 かつて、古代竜達は、この大空を己が思うままに駆け、その強大な能力を誇っていたのだと言う。
 嘶きはどこまでも届き、羽搏きは何をも吹き飛ばした――そんな時代が、遥か昔にあったのだと。

 過ぎる程の力などいらぬ。
 大切なものをもすら傷つけてしまう程の力など。

 ただ、レイシズには使命があった。
 せめて、自分たちが、古代竜の末裔である事に誇りを持ち続けられるだけの――心の糧。
 それを得なければならないと思った。それを得る為に、己は、古代竜の能力低下の原因を突き止めなくてはならないのだと。

 羽撃きに唸る風が心地よい。
 それを、どこまでも感じていたいと――レイシズは、祈りにもにた気持ちで――強く願っていた。