<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
真珠の秘密
秘密の馨がした。
蜜の味でもなかった。
蒼さと甘さ。
赤い色なのに……
■薔薇だけは知っている■
朝露を舐めてみる。
妖精の涙だと言った子守りの少女の言葉は嘘。
甘くなんか無かった。
花に留まる露に口を付けるなんて、私らしくない。
誰かの言った言葉を間に受けて口にするなんてどうかしている。
今の自分の沈んだ気持ちの所為とはいえ、してしまった自分の弱さに唇を噛んだ。
「どうせ…トールも……私の前から去るんだ……」
零れていく言葉が苦い。
耳奥で木霊する嫌な音は自分の放ったもので、更に抉っていくのに言わずにはいられなかった。
―― 行かないで……
言いたくてもいえない言葉を飲み込んで眉を顰めた。
冷えた空気が身を震わせても、動けずに立ち尽くしている。
シェリルの店の前で馬車にはねられた自分をまるでもう昔からの友人のように扱い、看病してくれたが離れていってしまうような気がして部屋を飛び出してきてしまった。
自分が貴族と分かるや態度を硬化させた人々、逆に自宅に招待すると称して攫おうとするかのように纏わり付いてきた者。
そんなことばかりで自分は気を滅入らせていた。
去っていった子守り。
暖かな家庭を築いていた村人。
毎朝、笑顔で館の警備をしていた男。
一握りの欲望と引き換えにささやかな温もりを奪っていった人々と与え続けた人々を思い出せば、俯き、苦しげに顔を顰める。
正視に堪えがたい現実に目を背けてきた自分に与えられた罰。
我が身に貴族としての誇りがあるゆえに許せなかった。
何が。
誰が?
それは記憶の中。
打った時に出来た傷も治り、打ったショックと傷のために発熱した体が癒されていけば、こうして部屋を抜け出して近くの薔薇園に来ていた。
正直を言えば、まだ熱は完全に下がっていない。
「…どうせ……」
呟いて咲きかけの蕾を握り締めた。
「…もう…誰も…」
言えば見つからぬように人目を避けて歩き出した。
怪我も治り、歩くには支障が無いが流石に寒かった所為か、悪寒がし始めた。
「行こう…トールに見つかる前に…」
言うと涙が零れてきた。
熱のために紅潮した頬に冷たさを感じる。
「さよなら」
短く言うと、花闇に紛れるように進んでいった。
■翼の忘れ物■
「シェリルさん、帰っていいですよね?」
どこかキッパリといった風にトールは訊ねた。…というよりは言った。
箒を握り締めて、トールは店長のシェリルを見つめている。
今は昼だが、今日は半日仕事にしてもらっていたのだ。
今から帰れば、ジルと一緒にお昼ご飯が食べれる。
いつもの気弱そうな人の好い印象は薄れて、しっかりと意思を持った瞳が輝いていた。
「え…まぁ、終わったんならね……」
シェリルは目を丸くした。
帰り際は「帰ってもいいかな。怒られるかなぁ〜」といった目で見つめて、答えを静かに待つのが常なのに、ここ最近のトールははっきりとした意志を見せるようになった。
「じゃぁ、失礼しますっ!」
相手の言葉を返事と受け取れば、箒を片付けにダッシュで出て行った。
倉庫の掃除道具置き場ではバタバタと音がする。
シェリルが気になって覗き込めば、明日使う雑巾を纏めて取り込んで畳んでいるのだった。
「早く行きなさいよ。ジル君待ってるんじゃないの?」
最後まで片付けていこうとする相手の様子に、シェリルは呆れたように言った。
それでも畳みつづける相手に少し大きめに言う。
「いい加減に帰りなさいって」
「だって、仕事……」
「いいから行きなさいよ。まだ、ジル君は熱があるんでしょう? 怪我人がいるのにそこまでやってけなんて言わないわよ」
シェリルは言うと、トールのバックを掴んでトールの手に押し付ける。
吃驚したようにトールはシェリルは見つめた。
「だって……」
「だって、じゃー無いわよ。一人じゃつまらないだろうし、心細いだろうから早く帰ってあげなさいって」
シェリルはトールの手にジャムとフルーツソースの瓶をトールに渡した。
「持ってきなさい」
「…は、はいッ!!」
頬を赤らめてトールは言うと、シェリルの手からバックと瓶を受け取って、代わりに手に持っていた雑巾を渡す。
走り出すとトールは飾り付けられた小テーブルの横をすり抜けて、扉を跳ね開けて店から飛び出した。
「友達…ね…」
クスッと笑うとシェリルは雑巾を棚の上にたたんで置いた。
「ジャムとフルーツソース…毎度ありぃ〜♪」
シェリルはカウンターの上にあったメモに『トール君、ジャムとフルーツソースお買い上げ』と書き込んでいた。
… * … * … * … * … * … *… * … * … * …
約束。
明日も一緒にご飯を食べようって…
一緒に笑って。
ゆっくり過ごす。
二人の約束。
少し遠い距離も、待っていてくれる人がいれば遠く感じなかった。
鞄に仕舞った瓶を思い出せば、嬉しくて頬が緩む。
早く帰って話をして、ジルの好きなものを作ろうと思えば歩く速度も早くなった。
家に着けば鍵を取り出し、もどかしげに鍵穴に差し込んで捻る。
「ジルーっ! ただいまぁ」
ドアノブを捻ってあければ家の中に飛び込んだ。
急いでジルの寝ている客間の方へ向かう。
「ジル…一緒にご飯食べよ…う……」
開かれたままの扉の向こうには誰もいなく、開け放たれたカーテンが風に揺れていた。
―― 私を見つけて……
「…じ、ジル?……ジル!?」
トールは辺りを見回してジルを探した。
家の何処にも気配は無い。
―― 見つけてよ……
「ジル……まさか!」
トールは慌てて飛び出すとジルが行きそうなところを手当たり次第に探し始めた。
怪我は治ったものの熱がまだある体では遠くには行っていない筈。
何かあったらと心配しながら探す間は生きた心地がしない。
ふと見れば、薔薇園が目に留まった。
近づいていけば色とりどりの花が咲き誇っている。
トールは薔薇の姿に惹かれて中に入っていった。
何だろう。
不思議な感覚が自分に呼びかける。
―― 私を見つけて……
聞こえてくる…呼びかけてくる、何か。
ボクの中の、もう一人のボク。
『彼を見つけて』
―― もう…独りは嫌だ……
ボクは君を探すから……泣かないで。
視界の端に光るものが見えた。
ジルの後姿が見えると走っていく。
「ジルッ!!」
トールは叫んだ。
振り返った彼の金髪が揺れる。
「トー…ル…」
そう、彼の唇が象った。
思わず避けようとする彼を捕まえたくて、トールは必死でしがみ付いた。
「…ぅ…わあ!」
「…あっ……」
思わず抱きしめようとしてしまって、たたらを踏んだジルはバランスを崩す。
抱きこんだ手を離し損ねて、トールはジルに体重を掛けてしまった。
「痛っ!!」
薔薇の花に腕を引っ掛け、ジルは眉を顰める。
倒れこんだ体は薔薇の花の植え込みに沈んだ。
絹のシャツを引っ掛け、剥き出しの手や首筋は赤い血が滲んでいた。
「ごめん…ジル…」
それを見て瞳を曇らせ、トールは言った。
「こんな所にいたんだ…心配したんだよ? ボクを心配させないでよ」
「い、痛いよ、トール」
「…あ……」
トールは視線を逸らす。
頬が紅潮し、口を噤んだ。
ジルもつられて赤くなる。
溜息を吐いて体を離した。
抱きしめられた胸に暖かさが残っていて、ジルは胸に手を当てた。
―― 神様この想い信じてもいいですか?・・・
心の中で呟いた。
誰も知らない少年の秘密。
柔らかな皮膜に包まれたまま成長してゆく真珠のように傷付きやすい心のたった一つの温もり。
やっと…
眠れる夜が来るように気がした。
秘密の馨がした。
蜜の味でもなかった。
蒼さと甘さ。
赤い色なのに……
だけど、薔薇だけは知っている
安らぎの瞬間と少年達の未来の始まりを。
■END■
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