<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


恋の味
 野辺の撫子が散り、秋桜が花開く季節。冬の訪れを風に忍ばせ、やがて木々は色付く。
 春の盛りが歌ならば、秋のそれは竪琴の調べ。
 暖かな陽射しに別れを告げる寂しさと、豊穣の祈りに満ちて。世はひそやかに彩られてゆくのだ。
 だから、秋は別れが詠まれるのだろう。
 そして、秘めたる恋を――。


 溜息を重ねて。
 ふと気付き、永遠は口元に手を当てた。
(「だって‥‥どうしたら良いのか、分からないのですもの‥‥」)
 自分に言い訳をして、再び「ほぅ」と息をついた。
 恋い慕うひとがいた。年上のあのひとは、きっと‥‥今、自分がこんなに思い悩んでいる事など知らないのだ。散り降る木の葉を見るだけで、儚い姿が身につまされてしまうくらいなのに。
 庭に置かれた籐の卓と椅子に腰掛けて、窺える景色はもの思いを誘う秋の色。
(「言えたら、いいのに‥‥」)
 思ってから、永遠は『違うわ』と言うように小さく嘆息した。長い千尋の髪のひと房が、サラリと肩を滑り落ちる。
 ――あのひとも、自分を好いてくれていたら良い‥‥。それが、願い。
 そんな様子を気に留めて、鏡月はそっと近付くと永遠の肩を抱いた。
「どうしたの? 溜息ばかりついて」
「‥‥!」
 そんな風に、気付かれていたのが彼女には驚きで。何でもない、と咄嗟に首を振りかけて‥‥止まる。
 もしかしたら母も、同じ気持ちになった事があるかもしれない。自分の恋は、多分‥‥母がしただろう恋と似たところがある。
「私‥‥‥‥慕っている方が‥‥いるんです」
「‥‥そう。どんな方なの?」
「父様に、似て‥‥。年上で、とてもしっかりしたひとです」
 本当は、永遠がはらはらしてしまうようなところもあるけれど。それは秘密にして。
 ――片想い。
 それでも、想い人の事を口にする永遠の表情は、温かく穏やかで、そして少し‥‥切なげだった。何か、そのひとと話すきっかけだけでも欲しいと、伏しがちの瞳が語っている。
「その人が好きな、お茶請けを作ってみたらどうかしら? 家族のみなの分はついでね」
 微笑んで、鏡月はやわらかな口調で言う。
(「我が家に招くなんて、遠い先の事に違いないわ」)
 そう心の中で苦笑して。
「作り過ぎてしまったから、とでも言って、そのひとに届けて差し上げなさいな」
 そうすれば、相手を訪ねる口実と、自分で作ったのだと話すきっかけも作れる。何も話せず帰ってくるなんて事のないように。
「でも‥‥あまり甘い物は好きではないみたいで‥‥」
 言い挿すものの、永遠の表情には紅が差す。
 伝えられぬ想い。せめてその想いを込めて、あのひとの為に。大したものでなくても良い。ただあのひとの為に作れるなら‥‥。
 そう思うだけで、胸が躍る気がする。
「それなら和風なお菓子がいいかしら。それとも、大人の味に仕上げたいなら、洋菓子かしら? ほんのりブランデーを使って、アップルパイとか。林檎なら、ちょうど美味しい季節だもの。紅茶に合うスコーンも良いわね」
「‥‥」
 作る、とすら言い出せぬ我が子の代わり、鏡月は顔を覗きこんで問う。
「作ってみる?」
「‥‥はい」
 小さく、コクリと頷く永遠。
 再び微笑すると、鏡月はその手を取る。
「じゃあ、早速、用意しましょう! 天気が良いから、下ごしらえはテラスでね」

 まずは林檎のフィリングを。
 林檎は4つ。拙い手で皮を剥き、永遠はサクリと林檎を縦に切る。八つ切りにして、砂糖とレモンの汁で火にかけて。
「焦がさないようにね?」
「‥‥っ」
 鏡月の言葉に、永遠はおっかなびっくりで鍋の様子をうかがった。弱火でかき混ぜられながら、林檎は少しずつ透き通ってくる。
「もう良いわ」
 言われて火を強めると、鏡月の手がシナモンをふる。
「ブランデーはあなたが、ね」
 小さな器に入れられたお酒は、スプーン4杯が普通のお味。
「6杯では‥‥多すぎるでしょうか? 5杯くらい‥‥?」
 折角のフィリングが、そのひと雫で失敗したらと、永遠はドキドキしながら琥珀色の液体を加えていく。
「‥‥」
 火から下ろした鍋を、心配そうに覗き込む彼女を笑い、鏡月は「まだよ」と次の用意を始める。
 ボウルに卵と水を加えて溶いておき、アプリコットのジャムは少量のブランデーと火にかけて。窯に火を入れて温めて来たら、準備完了。
 その間、台に打ち粉をして、パイ生地を伸ばすのは永遠の手で。パイ皿よりも少し大きくなるように、厚みに差が出ないように、ゆっくり、めん棒に力を入れていく。
 ちょっとヘコみが気になって、つい伸ばすと斜めになってしまった気がして‥‥。そうやって繰り返すうちに、結局、伸ばしすぎて。
「あ‥‥」
 薄すぎる気がする。ふと手を止めて、永遠は困ったように鏡月を見やる。
「‥‥やり直しね」
 苦笑して返されて、永遠はしゅんとした。
「大丈夫。平気よ。さ、もう1度やってごらんなさい。多少、いびつでも分からないわ」
 安心させるように言う鏡月に励まされて、もう1度。用意した生地を伸ばして‥‥。
「これで、大丈夫でしょうか?」
 微かなヘコみは見ない振り。
「ええ。あとはあなたがやってね」
 手が空かないと言った振りで、鏡月は小麦粉やらを入れたボウルをサクリと混ぜている。そちらはスコーンの生地。
「‥‥はぁっ」
 緊張の息をつき、永遠は自分の手元を見る。
 そして、パイ皿に生地を敷き、フォークの先で底にポスリと小さな穴を開けたら。砕いたビスケットを下敷きに、林檎のフィリングを詰めていく。
 敷き詰めているのは、自分の想い。
 そんな気持ちで、永遠はいっぱいに林檎を詰める。あのひとが、もしも美味しいと言ってくれたなら、‥‥それだけで今は幸せ。
 余った生地で、網目のフタをして。卵を塗ったら‥‥。
「これで、良い?」
 自信なさそうな永遠の手元には、すっかり仕上がったパイ皿。
「焼いていらっしゃい。熱いから、気をつけてね」
「はい‥‥」
 窯の方へとかけて行く後ろ姿を、鏡月は苦笑しながら見送っていた。
「それにしても、変なところまで親の血を引いたのね」
 それはそれで、嬉しいような。同時にこそばゆい気持ちにさせられる。
「‥‥あら」
 台の上に、すっかり忘れ去られたもうひと皿。家族の分のパイが、用意だけされて放置されていた。
「まったく、あの子ったら」
 クスクスと笑い、パイ皿と準備の済んだスコーンの生地を並べた鉄板を手に、鏡月はその後を追った。

 『ついでに』作られたアップルパイとスコーンを前に、家族が居間で紅茶を淹れる頃。
 今、渡しに行こうか、都合を聞いて後から訪ねようかと、また、ハラハラと思い悩む永遠がいたのだった‥‥。
 林檎の酸味とほのかな甘み、そしてブランデーの香りが、しばらくは永遠にとっての恋の味。


●ライターより
しのぶれど色に出でにけり我が恋は ものや思ふとひとの問ふまで
 出だしは、この短歌をずっと思い描いていました。秋に詠んだかは‥‥謎(何
 それから、『あのひと』がタラシなのか、そうでなくて鈍いのか、悩みつつ書いたのですが。これで大丈夫でしたでしょうか。