<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


宵待月・肴つき

●ほろ酔い月夜
 微かに秋の気配の薫る風。
 夏が長くなったのか、それとも冬が遠くなったのか判らない季節に和紗司は庭に出て杯を傾けていた。
 湯上がりの肌が上気している事もあり、薩摩絣の落ち着いた紺の色が司の肌に擦れて心地よい。
「はい、どうぞ‥‥」
「ん‥‥」
 杯の底が見え隠れを始めると、覗き込んでいる訳でもないのに鏡月が徳利を手にして、司の杯に新たに燗したての酒を注いでくる。
「‥‥」
 無言でそれを受け、再び傾ける杯を口にやる司を見つめる鏡月には幸せという甘味の効いた魔法でも掛かっているのか、側にいるだけで優しい気持ちにさせてくれる。
「良い月だな‥‥」
「ええ‥‥」
 傾けた杯を煽った際に、司は見上げた空に浮かぶ白い月でも見たのだろうか。
 ふと、鏡月も司に倣って雲の切れ間に浮かぶ真円の輝きを見上げる。
 おぼろに霞む夜の月が、しんしんと二人の身に降り注ぐ光の雨の様に感じられる。
 冷た過ぎず、痛みもなく、只そこに降り注いでいるという現実だけがあるはずなのに、何故か己の身の汚れを全て洗い流してくれている様な気がする。
 太陽光の目映い輝きを一度その身に受けて、返すのは滾る様な輝きがまるで嘘の様に静かに、なだらかに流れる様な光。
 それが身体の隅々まで洗い流してくれる様な気がするのは、自分という女が何処かに汚れを持っているという無意識の表れではないだろうか‥‥。
 鏡月にとって、自身が潔癖性と言うつもりも事実そうでもない。
 普通に掃除洗濯はこなしているつもりだが、時には鬱になって掃除にかかれない時もあった。
 世に言う育児疲れであるが、今はそれも懐かしく感じられる。
「?」
 ふと、月を見上げていた鏡月は自分に注がれた視線に気が付いた。
「なんだ、もう気付いたのか‥‥」
 つまらない、本当にそう言いたげな司の言葉。
 かなり徳利を空けたはずなのに、彼の口調はいつもと少しも変わらない。
 ただ、鏡月を見る両の目に、常には見せにくい優しさが表れている様な気がした。
「何か私の顔に付いてます?」
 少し慌てて、頬に手を添えてみる鏡月。
「いや‥‥違う‥‥月がな‥‥お前の瞳に映ってる‥‥それが奇麗だからな‥‥」
 苦笑して、鏡月の様子を見つめる。
 常に不言の人である司にじっと見つめられて、笑える人間は珍しい。
 慌てるにしても、鏡月の様な恥ずかしがっての慌てぶりなど、ついぞ見かけたこともない。
「‥‥いや、あいつら位か‥‥」
 つい先程まで、訪問客に甘えていたわが子達を思い出して二重の意味で司は笑った。
「さっきまで暴れていた二人はもう寝たんだろう?」
「ええ。今はぐっすりと。余程お姉さん達と一緒に遊べて、嬉しかったんでしょうね」
 さらりと言ってのける鏡月だが、客人と言っても今日の二組の客は非常に変わっていた。
 方や元軍属のオーストラリアの牧場主。
 もう一方は司の古い友人達で、異国に行った際には一緒にホストをしたとかしなかったとか言われていた謎の多い武道の達人が二人‥‥と、その奥さんと娘達5人。
 特に、余り同年代の子ども達と遊ぶ機会の少ない司達の双子の兄妹にとってはほんの少しお姉さんであっても、子供と一緒に遊べたのが何より嬉しそうだった。
「そうか。これで家庭教師3人予約だからな‥‥」
 実に楽しそうに笑う司。
「そうですか?」
 自分で教えれば‥‥と、首を傾げる鏡月。
 彼女自身も剣の使い手であるし、司も職務柄身に付けたものは正規のものであるはずだから。
「何も中途半端にかじった俺でなくとも、現役の免許皆伝者二人に退役したとはいえ最前線での経験もある奴に任せられるなら任した方が良い。少なくとも、忙しいとは言ってもあの家族なら子ども達に寂しい思いはさせないだろうからな」
「まぁ‥‥」
 面倒くさがっている様に見えて、その実は相手の事をよく知っているからこその段取りを既に始めているのだろう。
 例え、それが子ども達にとっては不服であったとしても、親として与えることの出来る最高の環境があるのだからと‥‥。
「それにしても、良くあの二人が‥‥」
 大戦後、在野に下って姿を消した二人の拳士達。彼等が司を訪ねてくるとは、元上官に当たる二人とは言っても鏡月にとって不思議で仕方がなかった。
「子ども達の面倒は見るから、何かあったら頼む‥‥そう言うことなんだろう‥‥」
 鏡月の悩み顔を見ながら司が独白する。
 互いに面倒ごとを頼むのに不器用な方法を取るものだと思いながらも、無骨で、それでいて誰にも負けぬ程に心優しき仲間達。
「きっと、良い師匠になってくれるだろうさ‥‥」
 眠っている双子の兄妹を思い出して笑う。
 たまの休みに家で居ると、何時までも司の側から離れようとしない息子、そして兄と父の間を行ったり来たりして構って欲しそうにしている妹の姿は本当に双子なのかと疑いたくなるのだが、全く異なる個性を既に持っているのだと気付かされる一面でもある。
「貴方は、私のことよりもあの人達と戦っていた時の方が嬉しそうに言われますよね‥‥」
「妬くな」
 頬が膨らんでいたのだろう。
 つい愚痴を漏らしてしまった鏡月の腰を抱く様にして引き寄せてやる。
「知りません‥‥」
 ふいと、横を向いて少し怒った風になる。
「そうか‥‥」
 こうなると鏡月は梃子でも動かない。
 それを知っているから、司は困ったなと言いながら‥‥その実、全く悩んでもいないのに強く鏡月の肩を抱く様にして引き寄せてやる。
「‥‥」
 頬が司の肩に落ち、それでも何も反論しようとしない鏡月の腰から手をずらす。
「‥‥っ」
「どうした?」
 司の手が僅かに鏡月の腰から離れたのに鏡月が震えた。
「‥‥ほう? こんな所に華があった」
「え? それは‥‥」
 司が淡い茂みの中にあった一輪の花に手を伸ばした。
「ん?」
 慌てた鏡月を見つめる司。
 その眼は、今は怒っているから口をきかないんだろう? と、意地悪く鏡月が話しかけるのを防いでくる。
「寒いからな‥‥まだ小さい‥‥」
 若草を避ける様に、花を夜気の中に晒してやる。薄い紅の色の花弁は固く閉じており、それをつつく様にして愛でていた司の指の下で風に揺れる様に左右に、上下に花弁が揺らされている内に、堅かった花弁が徐々に開かれていた。
「堅かった花弁だが‥‥中には密があるものだな‥‥」
「‥‥」
 司のすることをじっと見つめながら、それでも無言で居続ける鏡月。
「外も奇麗な紅色だが‥‥奥の方も‥‥」
 夜気に晒されながら、司の手でほころんでいく花弁の隅からまだ少ないながら、密が零れる。
「ほう?」
 それが面白かったのだろう。
 司は花弁を弄ぶ手をいっこうに止めようとせずに、話しかけたがっている鏡月のことを敢えて無視する形で自分が開花させてしまう様にした花を熱心に見つめていた。
 一片、一片の花弁はまるで人の血を落とした様に鮮やかな紅の色。花弁の中央から零れた密は、良く探ればまだ奥の方に溜まっている様にも見える。
「あ、あの‥‥」
 沈黙を続けることに耐えられなくなった鏡月が漏らした溜息に、司はやっと笑顔を向けた。
「なんだ? もう、いいのか?」
「‥‥はい‥‥」
 流石に、無視を続けられることは辛い。
 常に無言であることが多い司だとは言っても、あからさまに無視されていては悲しくなって、胸が締め付けられるのだ。
「‥‥馬鹿‥‥」
「‥‥どうせ、馬鹿です‥‥」
 暖かい言葉。
 鏡月にだけ通じる、優しい司の言葉。
 肩に添えられた手の温もりに安堵した鏡月を支えながら、司は戸を閉めて鏡月を室内に誘った。
 真円に輝く月だけが、二人が奥の部屋に帰って行くのを見つめている、そんな夜だった。

【おしまい】

●ライターより
 挑戦状リターンでした。
 ‥‥負けません。
 ええ、泣きながらも、負けませんとも!!(泣きダッシュ!)