<東京怪談ノベル(シングル)>


新しき『古巣』

「風は吹き、雲も流れる。同じに見えても、繋がってはいないだろうな……。いつまで空を眺めていた所で、状況が良くなる訳でもなし。とっとと寝床でも見つけるが吉だ」
 腰に帯びた刀も、身につけた着物も、この世界では見かけぬ物だった。ジャラリと鳴ったのは、首に下げた大きな数珠だ。鼻の上には、横一文字に刻み込まれた古傷があった。歴戦の兵を思わせる、強面にて屈強な体つき。
 男の名は、刀伯・塵と言った。幻想溢れる、この世界の住人では無い。『中つ国』と呼ばれる和の国──異界の徒である。
 そんな男が、何故こんな場所にいるのだろうか。それは塵にも分からない。まさに、晴天の霹靂とも言える、突然の出来事だったのだ。
 飲みかけの茶も、戯れていたはずの温泉ペンギンの姿も無い。笑い合っていた息子達の姿も消えた。黒いサングラスをかけた、ヤクザな陸鳥もいない。
 だが、いなくなったのは、皆の方ではなかったのだ。塵だけが、この世界へ飛ばされた。
 もちろん、『だけ』とは言い切れない。探せば、途方に暮れている仲間の姿を見つけられるかもしれない。
 だが、現時点では──少なくとも今は、目に見える場所に仲間の姿は無かった。
 混乱と迷走。いつ戻れるのかすら、分からない。覚悟を決めるしかなかった。塵は激しく戸惑った末、一つの場所と結論に辿り着いた。
「ここが良いか」
 しみじみと見上げたのは、山の裾の一軒家だ。どこか故郷の面影も感じられる飾り気の無い構えが、塵の目には懐かしかった。
 そして、この家がありとあらゆる意味で、あの家に良く似ている事を、塵は知る事になる。


   新しき『古巣』

「おわっ!」
 ズッポリと、床板に足が食われた。
「だぁ!」
 ベットリと、蜘蛛の巣が顔に貼り付いた。
「どわあ」
 ドサーーッと、腐れ材木が降ってきた。
 最悪。
 塵は、溜息をついた。溜息をつくと、魂まで出ていきそうなスリルがある。
 斜めに行く手を塞いだ材木を潜り、また一歩踏み出した。進んだ分だけ、死に近づく気がする。
(俺って、どうしてこうなんだ?)
 そんな事を胸中で呟き、塵は周囲を見渡した。
 古びた無人の家。雰囲気は『どよーん』として陰気だ。あっちもどよーん。こっちもどよーん。時々、超どよーんとか、ウルトラどよーんになったりもする、素晴らしいどよーん廃屋に、ナイスどよーん。
 あちこちから吹き込むすきま風は、甲高い女のすすり泣きのように聞こえる。
 甲高い女の笑い声とは、どんな物を言うのか。こんなである。
 ヒュヒュヒュヒュヒューーーー。
 ヒュヒーピーーー。
 ヒュイヒヒピー……。
 謎。
 大笑いじゃないだけマシかもしれない。だが、大笑いなら、そもそも家に近づかない。怖い。
 そして、落ち着くつもりで踏み込んだ家なのに、全然落ち着けず、むしろ落ち着く所か、この世界へ来て初めてのトワイライトゾーンに来てしまいましたな状態だ。
 全力で自分の運命を呪ってみる。
「いや、窓をツタが覆ってるからだろう。掃除をすれば何とかなる」
 塵はそう呟き、床を踏み外したり、蜘蛛の巣と戯れたり、腐れ材木と友達になったりしながら、家の外へと戻った。
「初めから、こうするべきだったな」
 スラリと抜き放った刀で、今度はツタとお友達だ。友達だからと言って、容赦はしない。バサッ、バサッと切り落として行く。塵は鬼神になった! 慈悲と言うものを捨て、ただ無心にツタを伐採!
 と言うか、ツタは人でも、友達でも無い。だから、鬼神にもならないし、無慈悲でも無かった。
 鬱陶しいだけで、家を暗くする原因を取り除いただけである。
「よし。これで良い」
 カチリと愛刀を鞘に収めて、塵は満足気に頷いた。塵の後ろでは、見知らぬ女が満足気に頷いた。
「!?」
 塵は振り返った。だが、誰もいない。
 気のせいであろうか。
「……多分、気のせいだ。また、幽霊──いや、気のせいだ!」
 気のせいなのだ。
 多分。
 と、思う事にして、塵は家の中に戻った。
 明かりの差し込んだ家には、埃臭い静寂が広がっている。『どんより』は無い。どよーん廃屋は、ただの廃屋になった。そのただの廃屋に、塵は感嘆の声を漏らした。
「……こいつは、化けたな」
 床板が腐っていたのは、雨漏りのせいだったようだ。一部を修繕すれば、すっかり元に戻るだろう。蜘蛛の巣は、払えば済む。
 壁にかかったカンテラに火を灯すまで、まだ大分時間がある。
 塵は腕をまくり上げた。
 
 夜──
 掃除に疲れた塵は、早々に横になった。
 ホーホーと、梟が鳴いている。
 ペタペタと、何かが歩き回っている。ガラスの向こうから昼間の女が覗いている。首筋に生暖かい風が、フンフン吹きつけられている。
 化け物屋敷だった。
「……気にするな。気にしちゃいかん」
 ゴロリと寝返りを打った。見て見ぬフリをしてみる。
 ペタペタと、歩き回っている何かがやってきた。頭に手拭いを乗せ、ホコホコと湯気を立てているペンギンだ。ペタペタの犯人である。ペタペタは、ペタペタ歩いて行って柱の影に隠れた。そっと塵の様子を伺っている。
 生暖かい風をフンフン吐いているのは、魚『みたい』だった。手足が生えているみたいだ。みたいだから、魚では無いみたいだ。そして、背中に人の顔のような模様みたいなのがあった。人面魚みたいだ。みたいだから、人面魚でもないみたいだ。何なのだろう。謎みたいだ。
 ガラスの向こうにいた女が、いつの間か家の中に移動していた。上半身が天井から生えている。ぶら下がっているのに、髪がバッサバサになっていない。重力を無視している。ある意味、ここ一番の怪奇現象だ。
 塵は唸った。
「……またか? やっぱりまたなのか。俺はこう言う運命なのか!?」
 運命です。
 どこからか、声が降ってきた。
 どこからだ。
 分からない。
 塵は言葉を無くした。
 ペタペタが、『やぁ』と、手を挙げている。
 何故、そんなに人懐っこいか?
 魚みたいな物も、塵を見つめている。
 女も、塵を見つめている。
 何故、皆、そんなに塵を見るのか。
「こう言う連中に好かれやすいって事か?」
 塵は吠えた。
 窓の外で、見知らぬ男が拍手している。一人増えていた。
「おい……」
 こんなにギャラリーが多くては眠れない。と言う問題では無い。
「俺はいつになったら、大人しく隠居が出来るんだあーーー!?」
 塵の絶叫は、窓の外にいる四十三人くらいの知らない人達の大喝采に掻き消された。四十二人も増えていた。
「ウケるな! いや、そうじゃない。いい加減にしてくれ!!」
 新しき『古巣』。
 どうやら仲間が出来たようだ。
 塵は、色々な『生』暖かい眼差しに見つめられ、朝を迎えたのだった。



                  終