<PCクエストノベル(1人)>
ひとしずくの勇気 〜アーリ神殿〜
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【1341 /スティラ・クゥ・レイシズ/遠視師】
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【序章】
穏やかにただ過ぎていくだけの時間の流れが、人の心をこれほどまでに研ぎ澄まさせてくれるのだと言う事を、彼女――スティラ・クゥ・レイシズは、ここに来て始めて知る事となった。
アーリ神殿。
聖なる獣と呼ばれる一角獣・ユニコーンと、彼らの声を唯一聞くことができる巫女たちの住まう場所である。
流れる水は清く、空気は澄み、
時折、巫女にほお擦りをするユニコーンの甘えた啼き声が耳に届く以外は、聡明に吹き下ろす風と葉鳴りの音しか聞こえることはない。
スティラ:「・‥…どうして、こんなに…静かなのでしょうか…?」
下界での喧騒や雑念は、どこに行ってしまったのだろう――スティラは白く乾いた遺跡の柱に手のひらを這わせながらふと思う。
ここは、神にもっとも近い場所である、とも。
神に愛された獣と、それを護る数人の巫女たち。
彼女がここで彼らと幾許かの時間を過ごすこととなったのには、少しばかりの理由があったのだった。
【回想】
彼女は、常人には見ることの叶わない遠くの景色や、過去や未来を遠視することを生業としている。
そう言った力を持つ者を人は「遠視師」と呼ぶが、若くしてその能力の片鱗を見せたスティラのそれは未だ安定せず、自らの意のままに力を制御することができないでいた。
人が望む景色を、『時』を、人が望む時に見せること。
遠視師として身を立てることを願う彼女にとって、それができないことは致命的である。
―――ゆっくりと、己の能力が開花していくまで耐えろ。焦るな。
兄が何度となく自分に言い聞かせたその言葉を、スティラは反芻する。彼からすれば、唯一残って入る肉親である妹の事が心配で堪らないのだろう。事あるごとにスティラを気に掛けて、彼女が1番良いようにと考えて行動してくれる。
だが、時折――ごく稀に、スティラにとってそれが負担となることも、無いわけではなかった。
スティラ:「お兄さまはすでに、一人前の剣士としてご立派に身を立てていらっしゃる。それなのに、私は未だに――自分の能力ひとつすら把握することができていない…」
それだから、兄の心配と反対を押し切るようにして、彼女は単身アーリ神殿へと赴くことを決心したのだった。
出発前日の兄の様子と言えば――神殿に身を寄せてから数日経った今でも、それを思い出すとスティラの頬に深い笑みが刻まれる。言うことを聞かない妹への腹立たしさ半分、もどかしさ半分と言ったふうで、夕食の間にナイフを3度ばかり取り落としてしまうほどの狼狽えぶりを見せていたのだ。
スティラとて、安易な気持ちでアーリ神殿への訪問を決めたわけではない。
男人禁制であるアーリ神殿には、もしも自分に何かがあったとしても、兄は踏み込むことができない――そんな状況を、思えば彼女は体験したことがなかったのだ。
幼い頃からずっと、兄の側を離れて暮らしたことなど無かった。
父と母を失ったあの日からずっと、スティラは兄と2人きりで生き、哀しみと喜びを分かち合って来た。兄の庇護から離れたことなど1度も無かった――兄はいつも、自分を庇い、愛し、誰よりも深く理解してくれている。
だからこそ、スティラは、その庇護から離れた自分がどう考え、行動するのかを知りたかった。
スティラ:「自分の能力を制御するには、まず私自身が自分のことをきちんと判ってあげたい。そのために、私は…自分の考えた方法で、それに近づくべきだと思うの、お兄さま」
頑固で妹思いにすぎる兄も、それ異常に頑固な妹の決心に最後はとうとう折れた。
でも、と。
お前に――まさかとは思うが、と兄は慌てたように付け足した――もしものことがあったとしたら、私は形振り構わず神殿へ向かってしまうだろう。過保護すぎると言われても構わない、私は私の考え方でお前を愛している。
らしくない、しばしの別れの挨拶がスティラには心強かった。
庇護されること、護られることへの安堵ではない。
自分は、決して1人ではない――そんな実感が、彼女を笑顔で旅立たせたのだった。
【巫女との対話】
突然現れた不意の珍客に、ユニコーンの首筋を撫でてやっていた巫女の1人がきょとんとした目をスティラに向けた。
スティラ:「ほんの少しで良いんです。私は、この場所で…私自身の存在理由をきちんと知りたい」
スティラの熱心な言葉に、巫女はしばしの思案のあとで首を縦に振ってくれた。神に愛された獣を慈しむ彼女達に、スティラの真っすぐな思いが届いたのだ。
何をするわけでもなく、ゆっくりと過ぎていく時間の流れを感じる日々。
日々の生活に追われて積み重ねられていく小さな雑念が少しずつ浄化されていく。
そして何より、スティラが自分自身の能力に対してずっと持ち続けていた劣等感のような感情が、うつくしい景色や空気に癒されていくのを彼女は感じていた。
耳を澄ませていると、時間の流れと共に大自然の囁きが聞こえてくるような気がする。
それらは緩やかにスティラの心を撫で、彼女の迷いを優しく削ぎ落として行くのだった。
巫女:「慣れましたか、ここの、生活に」
ユニコーンの小さな嘶きを聞いた方角へゆっくりと視線を投じると、若い巫女が微笑んでスティラに問うた。スティラがアーリ神殿に赴いた時、巫女の長が祈りを捧げている祭壇へと彼女を伴った巫女だ。数日の間にすっかり打ち解けた彼女にスティラは笑みを返して、その目を眩しそうに細める。
スティラ:「ええ、もうすっかり――あまりに時間がゆっくりと過ぎていくので、何をしに来たのか忘れてしまうくらいに」
巫女:「それくらいが、良いと思います。あなたはとても優しい人、すぎるから…たくさんの声を、聞いてしまう。たくさんのものを見て、しまう。この子が心配しているの、あなたの優しすぎる、ところ」
そう言うと巫女は、自分の横でさらりとたてがみを揺らしたユニコーンの背中をそっと撫でてやる。まつげの長い優しい目でユニコーンはじっとスティラを見つめ、前脚のひづめを鳴らしながら草を踏んだ。
巫女:「あなたと同じ、種類の…あなたよりも器用な、ひとは、自分の思う通りに…耳と目をよく開いたり、塞いだり、する能力も持ってる…ほとんどは。でも、あなたはそれをしない。できないのと違う、しない」
ぱちり、と目を瞬かせて、スティラは巫女を見つめる。
彼女がここに来てから今日までに、どの巫女ともそう言った種類の話をしたことが無かった。スティラ自身もそれを少しも不思議に思わなかったし、この神殿に満たされている清浄な空気を肺に吸い込んでいるだけで、時々何かを判ることのできそうな気分になったから――それを探りたいと思う気持ちばかりで、巫女に自分の力の相談を持ちかけるなどと言ったことなど考えたこともなかったのだった。
スティラの表情をじっと観察したあとで、巫女が困ったようにちらりと口唇を舐めた。自分の言わんとしていることを、スティラが理解していないのだと思ったのだろう。たどたどしい言葉を一生懸命に選びながら、巫女はなおも言葉を続ける。
巫女:「あなたは、あなたが思って、いるほど…弱くないの、哀しく、ないの。それと同じね、あなたの回りの人も、あなたが思っているほど弱く、ない。哀しくない」
スティラ:「…………」
そのとき、一陣の風がゆるやかに吹きよせた。スティラの目の前で、ユニコーンの銀のたてがみがさらさらと心地よさげに揺れる。
その風に前髪を額に遊ばせる巫女の眼差しが、細められると同時に、深い水の色を湛えたように、スティラには見えた。
巫女:「あなた、優しいから…見たくないのね、哀しいこと。だから耳と目を開けない、耳と目を塞げない。でも、哀しいことも、弱いことも無いから、あるけどほんの少し、だけ。だから…勇気を出して」
そう言うと、巫女は両手をゆっくりと伸ばし、そっとスティラの右手に触れた。
されるがままに握られた右手から、巫女の手の温かさがスティラの中へと滲み込んでくる。
スティラ:「・‥…勇気…?」
握られた右手を見下ろしながら、スティラがおうむ返しに呟く。
伝わってくる手の温もりに、ゆっくりと――彼女は自分の心がほぐされていくのを感じていた。
【最後の夜】
その夜スティラは、自分のために巫女たちが用意してくれているタオルケットに包まりながら、眠れずに昼間の巫女の言葉を思い出していた。神殿の夜は冷え込みすぎることがない。眠りから醒めたユニコーンがひづめを鳴らしながら水呑みの泉へ歩いていくのを遠くに聞く。
スティラ:「―――勇気…」
あれから、今までずっとその言葉を反芻しているうちにスティラは、自分が今までに知らず心を閉ざしてきた瞬間の事を思い出しはじめていた。
例えば、仲良くしていた友達の父親が病に倒れることを『遠くに見た』時。
例えば、目の前で優しそうに笑っている中年の旅人がその日の夜に犯すであろう犯罪の瞬間を『遠くに見た』時。
例えば、自分の手からベーコンを食べる犬が半日後、さらに大きな獣に食べられてその命を落とす事実を『遠くに見た』時―――
自分の両親が、床に伏した果てに亡くなることを、『遠くに見た』時―――
スティラ:「・‥…―――」
ぎゅ、と毛布の中で両肩を抱いて、スティラは丸くなる。
思い起こせば自分は、自分の心の琴線を揺るがす何かを見てしまいそうになったとき、決まってその目を閉じ、耳を塞いできていたのだ。
そう、今のように。
この神殿で過ごした数日は、スティラの心を研ぎ澄まさせ、穏やかにさせていた。
それが少しずつ、彼女の心を固く包み込んでいたヴェールのような膜を解し始めていたのだった。
スティラ:「…・‥…あ」
ゆっくりと、目を開ける。
毛布の端が柔らかく重なりあっているのをじっと見つめてから、静かに辺りを見回した。
それは、先ほどまでの世界と、まったく違った景色に見えた。
辺りは薄暗がりに包まれていて、空には満点の星が降り注ぐかのように輝いている。
空気は澄み渡り、永遠に続くような静寂を満たしていた、のだが。
スティラ:「・‥…聞こえる…」
なめらかな絹糸のように束ね合わせられていた夜の静寂の隙間から滲みだすかのごとく、スティラの心にそっと触れる『音』があった。
それは、自然の息吹。
自分たちが生きるこの世界の成り立ちの、真実を語る万象の声を、スティラはその耳にかすかに聞き始めていたのである。
知らず、真実に触れることを畏れて生き続けてきたスティラの、それは大きく踏みだした1歩と言っても良かったのかもしれない。
空に鏤められた星々のひとつひとつが、繊細な言葉でスティラに語りかけてくる。
風に揺れる小さな草がスティラの方へゆっくりと葉先を向け、問いかけるように小さく茎を震わせる。
スティラ:「こんなに…」
毛布からそっと抜け出して、スティラは立ち上がった。
目に映る全てのものが自分に問いかけ、囁きかけ、話しかけてきていた。
手を伸ばし、触れた足下の土が指先をほのかに温める。これほどまでに、全てのものが自分に言葉を投げ掛けていたと言うのに―――
スティラ:「私は、…自分が傷つくことを畏れるあまり――目を逸らして…‥・」
自分が、心のどこかで望んでいるから――それは現実に起こりうるのだ。
誰かが哀しみ、涙を流すことを、自分が願っているから、それは起こるのだ。
自分が遠視した悲劇が現実になるたびに、スティラはそう思い、自分を責めてきた。誰かが、そして自分が――哀しい思いをしないためには、自分が心の目を閉ざしてしまう他はないのだ、と。
しかし、それは違うのだと――こんなにもたくさんのものたちが、スティラに繰り返し告げ続けていた。彼女は、今ようやく、その事実を受け容れることができたのだった。
スティラの遠視の能力は、彼女自身が塞いでしまっていたものだったのだ――彼女は夜が明けるまで、全てを愛おしく感じてしまうような万象の囁きにじっと耳を傾けていた。
神殿の柱の脇に佇むユニコーンのたてがみが、月の光に照らされて輝いていた。
【終章】
全ての巫女が床から醒めるころを待ち、スティラはアーリ神殿を発つことを皆に報告した。
良く晴れた朝の光が、露に濡れている草木を照らす。昨夜は饒舌だったそれらは、再び沈黙している。だがスティラは、それを不安に思うことはなかった。
スティラ:「ようやく、判りかけた気がします…‥・。本当にありがとうございました」
多くを語らないスティラに、巫女たちは優しく微笑む。昨日、スティラに「勇気」と言う言葉を投げた巫女のみが、大きく頷いてユニコーンのたてがみを撫でていた。
スティラ:「――精一杯の、お礼の気持ちです。上手にできるかどうか、判りませんけれど」
そう言って、スティラはゆっくりと深呼吸をする。
再び大きく息を吸い込んだ後、――細くとも高い、優しく響き渡る声で、聞慣れぬ言葉の歌を歌い始めた。
それは、竜族である彼女の母親が残してくれた子守歌――子供のころには何度となく耳にした、穏やかな歌だった。
何のしがらみも、閉ざした心もない…この子守歌を聴いて眠ったあのころの気持ちに戻って、もう1度全てのものと接して行くのだ――それはスティラの新たな決心でもあった。
高く、そして低く空気を震わせる、スティラの歌声。
彼女の意図を汲んだユニコーンが小さく嘶き、さらりとたてがみを揺らして聞き入る。
最後のフレーズを歌い終ったスティラが、ふ、と息を吐いて巫女たちを見回すと、満面の笑みを浮かべた彼女たちがスティラを見つめていた。
大丈夫、と。スティラは思う。
大丈夫だ、自分は、自分と向きあうための方法を、ここに住まう人たちに、大自然に、教えて貰ったのだから。
神殿が見えなくなってしまうまで何度も振り返り、見送りの巫女たちとユニコーンに手を振った。
少し歩けば、自分の帰りを待ってそわそわと落ち着かない様子を見せる兄の姿など見えるだろうか。
兄の目に、アーリ神殿での数日を過ごした自分は、どう映るのだろうか。
軽やかな足取りで、彼女は砂利の道を下っていった。
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