<東京怪談ノベル(シングル)>
夢朧
わたくしが死んだのはいつのころだっただろう。
思い起こすのは、辛い。わたくしは殺されたのだから。
そう、もう行く年月も前のことだろう。鬼灯は姫として、宮中での奉仕生活をしていた。
そのころの名は、灯姫(あかりひめ)という。面持ちは清楚。和を心得た数多の姫たちの中でも、映えるほどに。
元々女房としての入内だったが、御方の后となることが決まっていた。
もちろん、后は鬼灯一人ではない。すでに后となっている姫も居たし、鬼灯と同じように、新たに后となるものもいた。
だから、だろう。鬼灯が殺されたのは。
毒を盛られたのだ。犯人など、判りはしない。心当たりが多すぎる。
新しく可愛らしい后が増え、己への愛が遠ざかるのを恐れた現后の仕業か。
己に自信もないまま選ばれ、それでも御方の愛を求めていた后候補の仕業か。
それとも、それとは別に、ただ鬼灯の出世に妬みや恨みを持つ者の仕業か。
思考をめぐらせても、判りはしないのだ。
判ったところで、意味などないのだ。
わたくしは、死んでしまったのだから……。
愛していなかったわけではない。愛を求めていなかったわけでもない。
だから、口惜しい。
だから、哀しい。
鬼灯は肉体持たぬ魂のまま、ヒトの相容れぬ世界に漂っていた。
そんな鬼灯の魂を、拾った者がいた。陰陽寮に住まう者だった。
引き寄せられるようにその者の下へと流される、鬼灯の魂。見初めたその者は、鬼灯の抗う意志を捻じ曲げて、手中に取り込んだ。
神木と貴石で作られた人形(ヒトガタ)に魂を封じ込められた鬼灯は、そのか細い意識など切り捨てられ、ただただ使役される身となってしまったのだ。
己が魂を召し上げ、『使う』その者を、”主”と呼びながら。
それからの日々は、全てが辛かった。
主様の身の回りの雑用をし、代を脅かすあやかしどもと戦って。
生前は姫であった身。例えいまが魂であれども、それは苦痛でしかない。
それでも、わたくしは感じられなかったのだ。その痛みを。哀しさを。
なぜなら、わたくしは人形だから。
いまあるこの身も、この心も、ただ『人の形』をした『物』でしかないのだ。
物…そう、あらゆる苦痛を感じぬ硬い『身体』の中に込められただけの、『意識』の塊。
その『意識』さえ、わたくしの自由ではない。
ただただ、主様に従うのみ。主様の下で、この魂が摩滅し消え去る時を迎えるのだろう。
そう、思っていたのに。
その出会いは、鬼灯の押さえつけられた意識を呼び起こした。
苦痛を感じぬはずの胸が、痛むような鼓動を打ったのを、覚えている。
いつぞやのことだったろう。多分、主の仕事の際に出会ったのだ。
たった数瞬間だけの、出会いだったかもしれない。それでも、感じたのだ。その者に対する、深い想いを。
その想いは、いままで感じてきた何よりも、強かった。そう、生前、御方に抱いたそれよりも。
また再び主の元での雑用に勤しむ日々に戻っても、瞳を閉じればその姿が脳裏に映る。
その者は美しかった。容姿だけではない。それさえも含んだ、魂の全て。
いまの己が魂であるからこそ、感じられる美しさ。望まずに使われ、恨みさえした主に、その時ばかりは感謝したものだ。
けれど、わたくしは気付いてしまった。
出会いの衝撃に、己が抱いた想いの実に、数瞬、酔った後に。
わたくしが、決してヒトとは交われない存在であることに。
わたくしの抱いた想いが、決して叶わぬものであることに。
そう、気付いた瞬間は、全てが砕け散ったような錯覚を抱いたものだ。
自分が姿持たぬ魂であり人形である事実は変わりなく。
思いさえ押さえつけられて使役される事実は変わりなく。
それでも、想いを消すことさえ出来ない事実は、変わりなく。
愕然とした鬼灯だが、涙を流すことさえ出来ない。叶わぬ想いに染められた己が心を恨んでも、所詮自分は、『人形』なのだから……。
そんな折、主様は陰陽寮を引退なされた。
わたくしは主様には不要の物となり、人の手に渡ったのだ。わたくしが誰よりも愛した、その方の下へと。
そのことに喜ぶ前に、気付いてしまった。
わたくしの主は、その時からこの方になるという事実に。
わたくしとこの方の関係、『ヒトと人形』という壁に、『主と僕』の高みが上乗せされてしまったことに。
この方はわたくしを『ヒト』として見てはくれない。
この方はわたくしよりも早くにこの世から消えてしまう。
暗い未来が見える。傍にいられることはこの上ない幸せのはずなのに、わたくしの心は絶望で満たされてしまっていた。
けれど…―――
これもまた、いつぞやのことだったろう。
どこかの世界に、人でないものを人にする、秘術があるらしいことを知ったのだ。
抜け殻だった鬼灯の魂の内に、小さく明かりが灯る。
その灯りは、鬼灯に決意を与えた。人化の秘術を、捜し求める決意を。
新しい主に暇を貰い、鬼灯は当てのない放浪へと出た。けれど、かすかなれど希望が見えるその旅は決して苦痛でなく。そうして、この地にたどり着いたのだった。
異界の風に撫でられながら、鬼灯は瞳を伏せる。
愛しい人を、まぶたの裏に浮かべながて、ゆっくりと、瞳を開いた。
広い、広い世界。若しかしたらあるかもしれない。鬼灯の望む力。『人化の秘術』が。
馳せる思いは、薄明かりを求め、すがるようなものだった。
それでも、希望があるのなら。鬼灯は、そのための一歩を踏み出した。
主様。貴方は気付いておられるのでしょうか。
想いを映さぬこの表情の奥底に隠れた、貴方への気持ちを。
わたくしは明かしません。その時が来るまでは。
だから、主様も気付かずにいてください。
いつかわたくしが貴方と同じ『ヒト』となり、心からの思いに、微笑える日がくるまで。
その時が来るまで、わたくしは貴方を、想い続けています。
暗い、魂の世界の中。か細き少女の儚い思いは、ただ、静かに木霊していたのだった……。
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