<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


響和の願う聖譚詩(オラトリオ)

「それに関しては随分と苦労してたみたいだけど、サルバーレのヤツ。ああ、マリーヤさんも結構乗り気だったみたいだけど? それにしても前代未聞よ、聖誕祭の旧教と新教の合同ミサだなんて。少なくともエルザードでは初めてだもの……ねぇ、エド?」
「まぁ……確かに」
 ――すっかり、冬の気配がエルザードを包み始めたある夕方。
 白い息に赤いコートを似合わせた少女と、黒のコートにマフラー姿の青年とが、白山羊亭へとやって来ていた。
 二人は、夕食時を前にのんびりとしていたウェイトレスのルディアをひっつかまえ、紅茶を一杯ずつ注文すると、少女はどこか偉そうに、青年はどこか控えめにカウンターへと腰掛ける。
 そうして、暫く。
 店内には、少女のまくしたてる声音が響き渡っていた。
「でね、あたし、言ってやったのよ。サルバーレのヤツにさ、あんたにそんなコトできるわけ? って。冗談だけど。半分くらい本気だけど」
 赤いコートの亜麻色の髪の少女は、近くのとあるお屋敷のご令嬢・テオドーラであった。ホットリンデンティーにたっぷりと蜂蜜と砂糖とを加えたものを、大切に両手で包み込んで飲みながら、
「かなり規模としては大きくなりそうよね。ちなみに会場はエルザード・フィルのホールだって。ね、ルディアも来るの?」
「んー……とりわけてどっちを信じてる、とかいうワケでもないし、ね。まだ決めてはいないけれど」
「そっか。確かに普通は、そんなもんよね。どーせ信じてる神様なんて、元々一緒なわけだし」
 少々不信気味な発言と共に、にっこりと微笑んだ。それから少し、唐突に、呆れたように溜息を吐くと、
「もっと仲良くすれば良いのよ。同じ神様を信じてるのに、ついこの前まで対立してたなんて……」
「それなりにお互いに事情があるんですよ、テーア。歴史の難しい所と言いますか……まぁ、今では徐々に和解が始まっていますし。もう少ししたら、こういう機会も増えるんじゃないかな、」
「そうそう、あたしもその方が良いと思うけどね」
 ホットストレートレモンティーをちびりちびりと啜る黒コートの青年――テーアの執事にして恋人のエドモンドは、僕もそう思います、とこくりと一つ頷いた。
 ――話題になっているのは、どうやら今年の聖誕祭に開催される、旧教と新教の合同ミサについて、であるらしかった。
 旧教と、新教。同じ神を信仰する筈の宗教が分裂し、対立し始めてからは、もうかなりの時が経つ。時に二つの宗派はいがみ合い、果ては殺し合い、そのような歴史的事情も相俟って、今でもその対立は尾を引いていた。
 それに、少しでも手を差し伸べようと立ち上がったのが、話題に上っているサルバーレ旧教司祭と、マリーヤ新教牧師。二人はお互いの上司への掛け合いの元、今年ようやく、大都市エルザードでの合同ミサを実現しようとしているらしい。
「まぁ、ミサというより殆どパーティですね、って、サルバーレのヤツも笑ってたけど。良いんじゃない? 旧教は新教よりお堅いから、あたし達からしてみれば、ちょっと斬新なんだけど……ミサをやって、料理を食べて。音楽を聴いて、ま、ついでにプレゼント交換なんかも悪くなさそうよね」
 ちょっと世俗染みてるような気もするけど、これが二人の考えた一番の『和解方法』なのよ――と、テーアは一口、リンデンティーを口に含んだ。


I, Primo movimento

「――まーた随分と人を連れて来たんだね? 神父……全く、あんたの人徳ってヤツは……」
 神父の教会の、聖堂で。
 お茶を運んで来た褐色肌の少女――鍛えられた肢体に、白く美しい入墨を堂々と曝しているオンサ・パンテールは、半ば呆れるかのようにして呟いていた。この教会に居候してから数ヶ月、事が起こる度に神父がどこからとも無く人手を探し出してくる事には、慣れていたものの、
「ま、仮にもサルバーレ神父も神父だと言う事でしょうね。主任司祭にある程度の人徳が無いと、教会なんてやっていけませんからねぇ、」
 どうやら今日も、又変な人物を連れてきてくれたものだと、内心正直溜息をつかざるを得なかった。
 オンサの言葉に微笑んだのは、何とサルバーレの同業者――旧教の神父、ルーン・シードヴィルであった。緑色の髪に、金色の瞳。ハーフエルフでもある近くの教会の同業者は、サルバーレと同じくローマンカラーの僧衣を着こなし、にこにこと人の良さそうな笑顔を浮かべている。
 しかし言う事言う事に、どうにも棘があるように感じられるのは――多分、オンサの気の所為ではないのだろう。
「でも、オルガンの弾き手が捕まったのには本当に感謝です。本当に宜しくお願い致しますね、アイラスさん」
「ええ、こちらこそ」
 それでもサルバーレは、ルーンの言葉に何を言い返すでもなく――おそらく同職なだけあって、言い返すだけ無駄だと言う事を知っていただけなのであろうが――、近くに座っていた薄青色の髪の青年に声をかけた。
 アイラス・サーリアス。
 深い青い瞳を眼鏡のその奥で優しく微笑ませる、いかにも人の良さそうな軽戦士であった。しかしその職からは考えにくい事に、アイラスは音楽を嗜み、文学をも愛する。しかもその楽器の腕前と言えば、半分職業的にオルガニストをやっているサルバーレでも、驚いてしまう程なのだから。
 それ故に、アイラスは今回、ミサ祭儀でのオルガンを担当する事となっていた。エルザードフィルの公演を聴きたいが故に、しかし、ただで聴くのも気が引けるものだと、手伝いを申し出てくれたアイラスには、サルバーレ自身本気で感謝している。
 その他にも、
「料理もイルディライさんにお任せしておけば、問題はありませんしね」
 少しだけ離れた場所に、大きく座っていた青年――イルディライの方へと、視線を投げかける。茶の髪に、黒の瞳。一見そうは見えなくとも、イルディライは、サルバーレにしてみれば最高の料理人であった。
 ――と、そこへ、
「いやぁ……参った。追い返すのも一苦労だ」
「でもシェアラさん、きっちり丸め込んで、献金まで貰ってきてるんですよ……すっごく巧みな話術で……」
 玄関の方から、二つの影が姿を現した。
 小さな少女に名前を呼ばれていたのは、シェアラウィーセ・オーキッドであった。長い黒髪に、青い瞳の印象的な、穏かな感じの細身の女性は、丁度近くに立っていた牧師に、麻の袋を一つ渡すと、
「献金だそうですよ」
 ふわりと長椅子に腰掛ける。
 ――シェアラの職業は、織物師であった。しかも、とびきりの腕を持つ。
 この時期から聖誕祭にかけて、シェアラへの布の発注は断れど断れど飛び込んでくる。それも、大体は金に物を言わせた貴族からの注文ばかりが。
 気に入った注文しか受ける気の無いシェアラにとって、それは良い迷惑でしかない。今回偶々この話を聞き、ミサ準備を手伝おうと思った理由の一つには、その貴族達から雲隠れしようという事もあったのだ。
「でもこれで、神父さんも安心ね。後はテーアさんやエドさんに、セシールさんもいるし、お医者さんも手伝ってくれるだろうから、もう人手には困らないはずだもの」
 シェアラの横でにっこりと微笑んだのは、マリアローダ・メルストリープ――金色の長い髪に、青い瞳がとても愛らしい、小柄な一人の少女であった。
 さらり、と自然な動作で髪の毛をかき上げると、
「私もなんだか、楽しみになって来ました。ミサの他にも、色々と楽しい事がありそうね」
 胸の前で、手を結んだ。


II, Secondo movimento-b

 ――儀式の方に参加しても良かったのだが、正直な話、あまり疲れる事はしたくなかった。
 まぁ、協力を申し出たのは、私の方なんですけどね。
 新教の牧師の――マリーヤの手伝いをしながら、ルーンはふと、そんな事を考えていた。
 単純に、斬新で良いと思ったのだ。旧教と、新教の合同ミサなど。
 ……同じ宗教間で争うなどと、馬鹿らしいですし。
 これを機に、旧教と新教がより理解を深め合えれば良いと、そう思った事が始まりであった。以前から顔を見合わせた事くらいはあったサルバーレに、ミサへの協力を申し出、自分の教会の信徒もこちらのミサへと参加するように促し。
 ――と、
「予算が……足りません……」
 不意に、ルーンの思考が一瞬、遮られる。
 俯いたままじっと黙し、頭の中で様々に数字を組み替えていたマリーヤは、ついに一枚の羊皮紙に音を上げざるを得なかった。
 調達すべき物の書き出しや、業者への委託事等、事務的なやるべき事なれば沢山存在している。マリーヤを筆頭に、ルーン、シェアラが中心となり、三人が主にそれらをどうこうしているのだが。
「まだ買ってない物なら沢山ありますのよ……料理の材料は、どうにかなるから良いんです。しかしほら……これですと、会場の装飾までには手が回りませんでしてよ……」
 ずり落ちそうになる眼鏡に手を当てながら、マリーヤは椅子の背もたれに体重を預けた。木の軋む音に、
「何か削れるものはないんですか?」
 ――そう言えば、シーピーを料理してもらったら、どんなお味になるんでしょうねぇ。
 一度途切れた思考に、今は教会のシスターへと預けてきている、熟れたメロンにも似た非常食、もとい、愛玩動物――でもないのだが――のバロメッツの事をことを思い出していたルーンは、経理の疲れからか、手元で教会の可愛い植物達の絵を描いていたその手の動きを、無意識の内に止めていた。
 ……何せ今回は、最高の料理人さんがいらしているそうですし。
 うっすらぼんやりと、まだそんな事を考えつつも、
「削れるものはありますのよ。ただ……削ってしまって、納得できるようなものはありませんのよ」
 ああ、なるほど、そういう事ですか。
 一つ頷き、ルーンは立ち上がった。ヤコブ、ヨハネ――と、様々な名前の振ってある奇怪な植物の絵を、引っくり返して机に置き直し、そのまま、マリーヤの方へと歩き出す。
 そのまま覗き込むようにして、赤い訂正が幾つも入れられた羊皮紙を覗き込んだ。
「やはり会場の装飾費用も、バカにならないようですね」
 訂正の赤も、そこの部分に集中している。
 ルーンはざっと、一覧表に目を通してゆく。思わずはらりと羊皮紙を手に取ると、
「――ん、布の類なら、用意できるが」
 ふと、シェアラの声が聞こえてきた。
 いつの間にかルーンの隣に立っていたシェアラは、一つ頷くと、マリーヤの方へと視線を投げかける。
「つまらない注文より、よほど良い。それにあなた達なら、きっと大切に使って≠ュれるのでしょう?」
「……えと、」
「ただ飾る事にしろ、その意味の価値は人によって変わってくる。貴族達の多くは、意味もなく飾り立てるのが好きだからな――例えば自分の財力を見せ付けるためだけに、だ。芸術品にしろ布一つに関しても、その本来の素晴らしさには少しも目を向けない。しかし……あなた達は、そうではないのでしょう?」
 宗教というものを頭ごなしに擁護するつもりはないが、事実、金にものを言わせた貴族の邸宅と、教会などの宗教的な場所での装飾の意味合いは、大分変わってきてしまう場合が多い。本当に価値のある方は――考えるまでもない。
 金より大切なものを、忘れてしまってはな。
 気に入らない、と、否定の回数を重ねる度、金を積んでくる貴族の遣い達を思い出せば、うんざりとした溜息が零れ落ちてしまう。
 全く……この時期だから、尚更だ、な。
「そういえばシェアラさんは、ご高名な織物師さんですものね」
 シェアラの言葉に、希望を取り戻したかのようにマリーヤが椅子に座り直した。
「でしたら、お願い致しても宜しかったでしょうか?」
「ああ、構わない。そうなれば良識のある奴等なら、これ以上私に発注を持ち込まなくもなるだろう」
 ――ただし、その良識も疑わしいがな。
 心の中で付け加え、シェアラはちらりと窓の外を一瞥する。先ほども貴族の遣いが来ていたようだが、果していつまであそこでシェアラを待っているつもりなのだろうか。
「……ああ、そういえば私の方もですね、モミの木でしたら、大きいのを幾つかご提供できると思います。私の教会の近くで、栽培しておりますので」
 不意に、机の上に表を戻したルーンが、にっこりと微笑んだ。
 少しだけ自慢気に指を一本おっ立てると、
「この前友人と言いますか知人と言いますか、とにかくお手入れを手伝ってもらったばかりですから、きっと買ってくるよりも立派であると思いますよ」
 大きいだけに、飾り甲斐もありそうですし。
 いっその事、子ども達と一緒にモミの木を飾る集会でも開きましょうか? と、そのまま更に微笑を深める。
「てっぺんのお星様なんか、魔法の光でも灯せば、とっても綺麗に輝きますからね」


III, Quarto movimento

 そうこうしている間に、時間はあっという間に過ぎ去り。
 そうして、ミサの当日。
 会館前に飾られたモミの木に飾り付けをする子ども達からはしばらくの間だけ離れ、ルーンも会場内の装飾を手伝っていた。
「おい青眼鏡、」
「あ、あお……――、」
「お前だよお前、アイラス。どうでも良いから、そっち持て。ほら、広げるぞ」
 相手が男ともなると、どうにもあの似非医者は普段以上に口が悪くなる。ひくひくとその穏かな微笑を引きつらせるアイラスへと一つ指示を飛ばすと、その反応は気にせずに、大きく両の手を広げた。
 その手には、シェアラの手によって生み出された、深緑のテーブルクロス。
「――ふむ、」
 その様子を見つめていたシェアラが、一つ満足気に頷いた。彩度と言い、明度と言い、この空間には申し分もない。
 その上に、気を取り直したアイラスとルーンとが、深紅の布をふわりと重ねる。
 赤と、緑。交差した布が、聖誕祭独特の色合いを静々と奏ではじめる、瞬間。
「……さすが、シェアラさん」
 テーブルの上に敷かれたクロスに見入る全員の沈黙を破ったのは、医者の間延びした一言であった。さり気なく、慣れた動作でシェアラの肩へと手を伸ばしながら、
「全くもって、素晴らしいですよ――いや、本当に素晴らしい。まさしくクリスマスにはぴったりな――?!」
 その肩に手を置こうとした刹那、思わず前につんのめる。
 振り返りもせず、何の前触れもなく一歩踏み出していたシェアラの姿と医者の残念そうな表情とを見比べながら、ルーンとアイラスとはひそひそと言葉を交わす。
「イヤですねぇ、ああいうの。己を知れとは、良く言ったものです。むしろシェアラさんに失礼ですよ」
「神父さん、それは言いすぎでは……?」
「アイラスさんも、遠慮なさる事はありません。何せ揺り篭から墓場まで、ではありませんがね、マリィさんからシェアラさんまで手を出していらっしゃるのですよ、あのお医者さんは。きっとサルバーレ神父にも手を出しているに違いありません――さあアイラスさん、思った事は、はっきりと言っておしまいなさい。ロリコンのくせに、ですとか、だからいつまで経っても結婚できないんですよ、ですとか……ほら、嘘をついても、主はお喜びにはなりません」
「サルバーレ神父さんにまで、って……ちょっとそれ、違うような気がするのですけれど……」
「全部聞えてるんだが、神父サマ」
 聞き耳を立てていた医者に睨まれ、しかしルーンはにっこりと微笑を返すと、
「おや、何か罪の自覚でもお有りなのですか? 告解の秘蹟、まぁ、許しの秘蹟とも言いますが――でしたら、いつでもお授け致しますが」
「黙れこの似非神父。全く、あのヘタレよりも性質が悪い」
「いえいえ、サルバーレ神父は元々あなたが思っていらっしゃるよりも、ご立派な人物ですよ。――多分」
「多分って……」
 アイラスの呟きも聞かぬふりで、ルーンは更に笑顔を深める。
「まぁ、どんなに心の中がどす黒くていらっしゃっても、たとえ、です。たとえあなたが同性にしか本当の意味での魅力を感じられないとしても、ですよ? 主の愛は、それでも無限です」
「お前……!」
「ああ、そう言えば祝日のミサにも欠席なさっているのだそうで。サルバーレ神父が嘆いていらっしゃりましたよ。どうにも不信者だと……女性を追いかける時のあの情熱を、少しでも神様の方へと向けてくれたら……とですね、」
「アイツめ……ヘンな事言い広めやがって……! それじゃあまるで俺が女たらしみたいじゃないかっ! それに、もう一つ! お前が考えるように、俺にホモ趣味は無い!」
「――ご自覚、無いんですか? それとも、あなた……今、自覚の無いふり≠なされましたでしょう。嘘をお吐きになりましたね? 嘘を、偽りを――汝、偽る事無かれ。……嗚呼、主よ、女性にも恵まれず、だからこそ心まで哀れな彼をお許し下さい……」
 医者に代わって天を仰ぎ、恍惚と十字を印す神父へと殴りかかろうとする医者を、アイラスが慌てて止めにかかる。
「えぇいっ! 放せ青眼鏡っ!」
「争い事はいけません! ね、気を落ち着けて、ほら――、」
「俺は元来平和主義者だがな! だからこそ俺の周りの平和を乱すヤツは許せないんだよっ!」
「……言い方を変えれば、ただの自己中ではないか」
「シェアラさんっ!」
 だが、予想外の方向から――シェアラからにこやかにつっこまれ、医者は随分と悲痛にその名を呼ばざるを得なかった。
 名前を呼ばれ、しかしシェアラは振り返らない。
 代わりに、まだごたごたとやっている男三人から距離を置き、先ほどテーブルに敷いたばかりの布へと手を触れさせた。
 周囲を見渡せば、他にもタペストリーが運び込まれ始めている。儀式の役割に則って飾られ、飾られる程に、会場が厳粛な色へと塗り替えられてゆく。
 普段は音楽を聴く為だけの空間も、今日だけは――、
 そこには、宗教という概念よりももっと、
 もっと、大切なものがあるのかも知れないな。
 そればかりは、本番を見てみないとわかるはずもない。しかし、ふとそういうのも、悪くはないと感じられる。少なくとも、今日までの牧師達の試みは――そうして、それに協力してきた者達の試みは、金では買えないほどの価値というものを、良く知っているからこそのものであるはずであった。
 ――ただ金を積めば、布を買える。そういう概念の貴族の連中とは、正反対の、価値感。
「それにしても、こんなに広いですのに。会場は、埋まるのでしょうか……?」
 不意にアイラスが、周囲に視線を巡らせた。
「いや、さすがにそれは無理だろうな。だが、お前みたいな物好きも多い。それにその為に、聖体拝領も省いたんだろ? もっと皆が気楽に、参加できるようにってさ――だからまぁ、結構、来るとは思うけどな」
 尤も、聖体拝領に関しては、旧新の折り合いがなかなか付かなかった、というのもあるんだろうけど。
 ようやくルーンへと向っていた手を下ろした医者が、アイラスの言葉に珍しく真面目な意見を付け加える。
 そこに、ゆるりと近寄ってきたルーンが、別のテーブルクロスを片手に呟いた。
「おや、聖体拝領、省いてしまったのですか」
"Accipite et manducate ex hoc omnes: Hoc est enim corpus meum, quod pro vobis tradetur.〈皆、これをとって食べなさい。これはあなたがたのために渡される、私の体である〉"
 全人類の罪を代って背負い、磔刑に処されたと言い伝えられる神の子は――主は。その受難の前夜、自らの弟子達に、こう言い残してパンを分け与えたのだと言う。聖体拝領は、司祭や牧師が信者達一人一人へと、ホスチアと呼ばれる無発酵のパンを与えていくと言う、それに倣った儀式の一環であった。
 とはいえ聖体拝領には、その特性が故のいくつかの問題も残されている。
「……まぁ、悪い判断では、ありませんでしょうね」
 教理、解釈の違い、その問題を良く知っているルーンは、確かに残念な事ですが、と小さく付け加える。同じ宗派間でやる分には問題が無い事も、
 ――こうもなると、簡単には、行きませんからね。
 そもそも、元々は同じであったものが分裂した時点で、相容れる事は難しくなっていたのかも知れない。同じものが、異なるものへと分かれる。宗教では良くある話であるにしろ、その原因の根源にあるのは、お互いに受け入れあう事の難しい『違い』であるのだから。
 しかし、
「……良くわかりませんけれど、沢山人が来るという事は、きっと良い事なのだと思いますし」
 教会一致運動(エキュメニズム)もあるように、
「ま、そもそも私達も、宗教が好きでこんな事をしているわけでは、ないしな」
 その他の宗教の、和解も始まっているように、
「俺としても、面白ければそれで良し、だ。賑やかなのは、悪くない」
 これから先、この世界が。
 もっと『違い』というものに、寛大になって行けたのならば。
 アイラス、シェアラ、医者と続けた言葉に、ルーンの視線がふと、赤と緑のテーブルクロスの上へと止まっていた。
 全く正反対の色合いが織成す、調和した小さな空間へと。


IV, Quinto movimento-b

 祭儀仕様に飾り立てられた、本来は、エルザードフィルの為にある大ホール。普段は楽団が並ぶであろう舞台には、大きくこの宗教の象徴とも言える十字架――尤も、今回は新教との体裁を整えるためか、そこに神の御子の姿は無かったが――を掲げ、その手前には、祭壇が置かれ。
 舞台横には、純白の衣装に身を包んだ聖歌隊。会場には、多くの人々。
 旧教、新教を問わず集められたいつもと違う兄弟達≠ノ――そこには決して、戸惑いが無いわけではないのだが。
 いよいよ本番が――ミサが、始まる。
 魔法によって拡張された入祭宣言に、ふっつりと。その場にいたほぼ全員が立ち上がり、舞台の方へと向き直っていた。
「……入祭?」
 聞きなれない単語に、椅子の上で足を組んだまま、イルディライが呟いた。本当は下で料理の準備をしている手筈だったのだが――勿論、祭儀に参加するつもりなど毛頭もなかったのだが、会館の台所を取り仕切るおばちゃんが随分と信仰深い人であった所為で、祭儀に出て来いと追い出されてしまったのだ。
「つまりは儀式が始まると言う事ですよ。司祭達が、今から入場して来ます」
 立ち上がり、参加者全員に配られた今日のミサについての解説がなされた薄い冊子を開きながら、ルーンが背後を振り返る。さすが専門家だな、と言うイルディライからの言葉に、
「どうです? 一緒に歌ってみませんか? 今日は典礼聖歌集が無くとも歌えるように、全部こっちの冊子に書いてありますし」
「生憎、楽譜も読めなくてな」
「旋律はすごく簡単ですよ――と、もう始まりますね」
 不意に奏でられたオルガンの前奏に、会話を切り上げ、ルーンは舞台の方へと向き直った。
 ……そうして、
♪ Puer natus est nobis, et filius datus est nobis: cujus imperium super humerum ejus: et vocabitur nomen ejus, magni consilii Angelus.〈私達の為に男の子が生まれ、御子が与えられた。その名は大いなる知恵の御使いと称えられるであろう〉 ♪
 紙も見ずに、歌い上げる。
 鳴り響くオルガンの音色に合わせ、入祭唱が奏でられる。会場の人々の声が天井に高く調和し、その中をやがて、サルバーレとマリーヤ達が、助祭や執事を従えて入場して来た。旧教で、降誕時の祭服は白。牧師の方も今回はそれにあわせたのか、神父と同じような祭服を身に纏っている。
♪ Cantate Domino canticum novum: quia milrabilia fecit.〈新しき歌を、神に歌え。主のその素晴らしき御業の故に〉 ♪
 今度は、しん、と黙りかえった会場席の方へ、舞台の聖歌隊から歌声が響き渡った。
 そうして何度か、会場と聖歌隊との歌のやり取りが続き――、
「「In nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti.〈聖父と聖子と聖霊の御名によりて〉」」
『「Amen.」』
 祭壇の前の神父と牧師との言葉に、丁寧に胸元に十字を印して応えるルーンの姿を後ろから見つめながら、イルディライがぽつり、と呟く。
「暇だな……」
 目の前で続く、祭壇前の神父と牧師と、会場との答唱を聞き流しながら、ふと考えた。
 そういえばもう、寝かして置いたパン生地が出来た頃ではないだろうか。
「……その頃だな」
 大袈裟な話、呼ばれているような気がするのだ。正確な時間などわからなかったが、もうそろそろその頃だと、静々と伝えてくる何か≠ェある。
「Fratres, agnoscamus peccata nostra, ut apti simus ad sacra mysteria celebranda.〈兄弟の皆さん、神聖な祭りを祝う前に私達の犯した罪を認めましょう〉」
「Confiter Deo omnipotenti……おや、イルディライさん?」
「料理に戻る。台所の管理人も、ここにいるだろうから見つかりはしないだろう――」
 マリーヤの言葉に、会衆と共に言葉を唱えていたルーンが、立ち上がったイルディライの姿に思わず振り返る。
 しかしイルディライは一言言い残すと、静かに扉の方へと向かって行った。
 ――颯爽と料理に、取り掛かるべく。


V, Settimo movimento-c

 そうしてミサも終わり、暫く。
 ミサの会場に連れて行くわけにはいかないと、小ホールにお留守番させていたシーピーを迎えに行ったその後。
 ルーン達は、会場の片隅の席に座り、エルザードフィルの演奏を遠くから見守っていた。豪勢に広げられた料理に手をつけながら、第四楽章の終わり、沸き起こった拍手と喝采に、思わず三人もフォークを置き、拍手の音を響かせて。
「いやぁ、良かったですねぇ、演奏」
「ああ、悪くはなかったな」
 ――そうして、その後。
 楽団の撤収も終わり、再び幕の閉められた舞台の方を一瞥しながら、クルミのたっぷり入ったチョコレートケーキを突付くルーンが、腕を組み、椅子の背もたれへと体重を任せているイルディライの方へと声をかけた。
 イルディライの方も料理を終え、後は最後のメインとも言えるデザートが出来上がるまでの時間を、どうにかして過ごすのみであった。その矢先、台所の椅子に座っていた所を、ルーン達に呼び出されて来て見れば。
 一緒に、料理を食べませんか? などと。
「……いや、しかし美味しい。良い料理人が来ているとは聞いていたが、まさかここまで美味しいとはな」
 穏かな声音に、しかし上機嫌さをほのめかし、プリンをつついていたシェアラが呟いた。先ほども、東の国の料理を中心に色々と楽しませてもらったが、この料理人の腕前には、万が一の間違いもありそうにはない。
「……褒めても何も出んぞ」
「事実ですから」
 プリンを一口、そっけなく付け加えられた言葉に、流石のイルディライも沈黙してしまう。
 照れている――のとはまた違うのかも知れないが、一方的に褒められる事には、やはり慣れないものがある。
「しかしシェアラ、シェアラの織物師としての腕前も、只者ではありませんでしょう」
 珍しくイルディライは自分から話題を振ると、目の前に敷かれているテーブルクロスへと視線をやった。
 話によれば、この布はシェアラの手による物なのだと言う。申し分の無い織り込み具合から感じられる、素材以上の高級感。
 いかにして、一つの素材を良いものへと作り変えてゆくか。そこには、職人としての共感すら感じられるような気すらしてしまって、
「――少なくとも、私だけ≠ナは、布を織る事は出来ませんから」
「と、言いますと、」
「どう糸を織ってゆけば良いのか、という判断は、私だけが下すものではない、という事です」
 紅茶を一口、シェアラがソーサーの上へとカップを置く。
 二人の視線が、ふっと交差する。
「……なるほど、な」
 その瞳から、イルディライはシェアラの意思を汲み取ったような気を感じていた。
 要するに、そういう事だ。
 要するに――、
「……話が、見えないのですが」
 完全に部外者となっていたルーンが、ついに会話の理解に音を上げる。手に取った珈琲の香りに瞳を細め、一口含むと、
「一体、」
 どういう事です?
 今の会話に、なるほど、などと納得できる部分などあっただろうか。
 疑問に思うルーンのその言葉に、シェアラは再び紅茶を一口すると、
「教会にも、良くあるためには良い司祭が必要なのでしょう。しかし同時に、教会が良くある為には、信徒の協力が必要だと――そういう、事です」
 作り手が、行い手が良くある事は、良いものをつくる為には必然的な事であった。しかしその為に、対象の良さ≠ノ気がつき、それを活かしていく事も、又大切な事であるのだから。
 イルディライにとっては材料の良さに、シェアラにとっては糸の良さに、いかにして気がつき、活かしていくべきか、という事を考える事は、最も大切な事の一つであった。
 職人としての。或いはそれも、職人としての腕の内の、一つとして数えられるのかも知れないが――、
「手元にあるものを、最大限に活かさなくては勿体無い」
 生かすも殺すも、職人次第だ。
 イルディライが、そっけなく付け加えると、
「でしたらイルディライさんでしたら、バロメッツは、どう料理なさいます?」
「――は?」
「あまり美味しそうでは――あるかも知れませんが、非常事態が起きた時にですね、それから調理方法を考えるのでは、遅いですからね。今の内から有効な調理方法でも、お伺いしておこうかと」
 ――そう言えば、随分と静かだと思ったら。
 ルーンの連れていたバロメッツは――シーピーは、今はルーンの膝の上で、随分と気楽な笑顔で眠ってしまっていた。いかにも心地の良さそうなふかふかな毛が、割れたメロンの間からひょっこりと覗いている。
 しかし、
「……食べるのか?」
「ええ、何かあった時には」
 イルディライの半ば呆然とした問いに、ルーンは変わらぬ笑顔でこっくりと頷いた。
「天災は忘れた頃に、と言うではありませんか。いつ何があるかわかりません。非常食は、持ち歩いて当然かと」
「……ペットじゃあ……なかったのか……?」
 きょとん、と続けたイルディライの言葉に、しかし首を横に振ったのは、ルーンではなくシェアラであった。
 一見人は良さそうに見えても、ルーンの性格には多少――どころで済めば良いのだが――の問題がある事に、まず間違いは無い。
 ……聞くだけ、無駄かと。
 イルディライの視線に、シェアラは無言の微笑で小さく答えていた。


Fine



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            I caratteri. 〜登場人物
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<PC>

★ シェアラウィーセ・オーキッド
整理番号:1514 性別:女 年齢:184歳 職業:織物師

★ ルーン・シードヴィル
整理番号:1364 性別:男 年齢:21歳 職業:神父

★ オンサ・パンテール
整理番号:0963 性別:女 年齢:16歳 職業:獣牙族の女戦士

★ イルディライ
整理番号:0811 性別:男 年齢:32歳 職業:料理人

★ アイラス・サーリアス
整理番号:1649 性別:男 年齢:19歳 職業:軽戦士

★ マリアローダ・メルストリープ
整理番号:0846 性別:女 年齢:10歳 職業:エキスパート


<NPC>

☆ サルバーレ・ヴァレンティーノ
性別:男 年齢:47歳 職業:エルフのヘタレ神父

☆ リパラーレ
性別:男 年齢:27歳 職業:似非医者

☆ テオドーラ
性別:女 年齢:13歳 職業:ご令嬢

☆ エドモンド
性別:男 年齢:15歳 職業:執事

☆ マリーヤ
性別:女 年齢:25歳 職業:女牧師

☆ セシール
性別:女 年齢:12歳 職業:フルート奏者



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          Dalla scrivente. 〜ライター通信
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 Felice Anno Nuovo――明けましておめでとうございます。今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。
 この度は依頼へのご参加、本当にありがとうございました。まずはこの場を借りまして、深くお礼を申し上げます。
 そうして今回は……白状しますが大遅刻しました……新年早々大変申しわけございません。割と余裕を持って見積もっていたつもりが、納品前日のミサ実体験(ついに行って来てしまいました)の影響で話の中の嘘っぱちが明らかとなり、その上ラテン語の引用の整理に予想外に時間を要してしまいまして……。
 このお話に関しましては、この場を借りて色々解説染みた事をさせていただこうと思っております。宜しければ、もう少々お付き合い下さいませ。
 まずはミサに関しましてのお話ですが、引用させていただいた言葉は、上にもありますとおり全てラテン語となります。実はあたし、旧教に関しましての知識はほんの少しだけある事にはあるのですが、新教の知識については殆ど無い、と言っても過言でないくらいにありません。とはいえ多分、新教はラテン語でミサを行ったりはしません……はずです。ちなみに日本の旧教教会でも、ラテン語のミサは年に都心で一度あるか無いか、くらいなのだそうです。教皇庁では毎日ラテン語でミサやロザリオをやっていますけれども……つまりは雰囲気的な効果を狙っておりますのみでして、現実とは一切リンクしておりません、という事なのでございます。どうかこの点はご了承頂きたく存じます。聖歌につきましても、一応降誕祭ミサのものから引っ張ってきてはおりますが、何分色々とあるようですから、激しく間違っている可能性は十分にございます。色々とボロがありそうで、大変申しわけございません。……ちなみに聖体拝領を省くとミサと言わなくなりそうなのは、秘密にしておいてやって下さいまし。
 音楽の方につきましては、丁度ウィーンフォルのニューイヤーコンサートなどを観る(TV越しですが/苦笑)時間にも恵まれまして、「わぁ、指揮者のお兄さん素適〜☆」などと色々(音楽以外にも)感激していたのですが、2004年度の指揮者のお兄さんは、それはもうたおやかに指揮棒を操るお方でございまして(いえ、個人的な見解なのですけれども)、ちょっと天の方に視線が向き気味なあの様ですとか、胸に手を当てて恍惚と指揮を執る様ですとか、なんかもう完璧に「すみません、降参です……」と言った感じでございまして、酷く心を奪われてしまいました。もうファンになりそうです(笑)。
 ともあれ。
 "Bravo !""Bravi !"はイタリア語――だったと思うのですが、前者は男性名詞の修飾語なので、要するに、指揮者を褒めている感じになります。「よっ、マエストロ☆」と言った感じでございますね。後者は男性名詞の複数なので、女性も含め、エルザードフィルの演奏そのものを褒めている感じになるかと……。ちなみに女性一人を褒める時は"Brava !"となります。
 ――ご覧いただけるとお分かりいただけるかも知れませんが、今回のお話は迷路のように入り組んでおります。今年から時間軸ごとに番号を振っていこうという試みを始めてみる事に致しまして、今回はこのようになっております。
Primo→Secondo(a〜d)→Terzo→Quarto→Quinto(a,b)→Sesto→Settimo(a〜c)→Ottavo→Nono
 プレリュード(序章)を合わせると、合計16の小話から成立している事となります。宜しければ、他の部分にも目を通してやって下さいまし。
 では、新年早々大変失礼致しました。何分不届きなライターではありますが、今年も宜しければ、お付き合い頂けますと幸いでございます。
 なお、今回は申し訳ございませんが、都合により個別のコメントの方を割愛させていただきます。ご了承くださいませ。

 何かありましたら、ご遠慮なくテラコン等よりご連絡をよこしてやって下さいませ。
 乱文となってしまいましたがこの辺で失礼致します。又どこかでお会いできます事を祈りつつ……。
 Grazie per la vostra lettura !


05 gennaio 2004
Lina Umizuki