<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


響和の願う聖譚詩(オラトリオ)

「それに関しては随分と苦労してたみたいだけど、サルバーレのヤツ。ああ、マリーヤさんも結構乗り気だったみたいだけど? それにしても前代未聞よ、聖誕祭の旧教と新教の合同ミサだなんて。少なくともエルザードでは初めてだもの……ねぇ、エド?」
「まぁ……確かに」
 ――すっかり、冬の気配がエルザードを包み始めたある夕方。
 白い息に赤いコートを似合わせた少女と、黒のコートにマフラー姿の青年とが、白山羊亭へとやって来ていた。
 二人は、夕食時を前にのんびりとしていたウェイトレスのルディアをひっつかまえ、紅茶を一杯ずつ注文すると、少女はどこか偉そうに、青年はどこか控えめにカウンターへと腰掛ける。
 そうして、暫く。
 店内には、少女のまくしたてる声音が響き渡っていた。
「でね、あたし、言ってやったのよ。サルバーレのヤツにさ、あんたにそんなコトできるわけ? って。冗談だけど。半分くらい本気だけど」
 赤いコートの亜麻色の髪の少女は、近くのとあるお屋敷のご令嬢・テオドーラであった。ホットリンデンティーにたっぷりと蜂蜜と砂糖とを加えたものを、大切に両手で包み込んで飲みながら、
「かなり規模としては大きくなりそうよね。ちなみに会場はエルザード・フィルのホールだって。ね、ルディアも来るの?」
「んー……とりわけてどっちを信じてる、とかいうワケでもないし、ね。まだ決めてはいないけれど」
「そっか。確かに普通は、そんなもんよね。どーせ信じてる神様なんて、元々一緒なわけだし」
 少々不信気味な発言と共に、にっこりと微笑んだ。それから少し、唐突に、呆れたように溜息を吐くと、
「もっと仲良くすれば良いのよ。同じ神様を信じてるのに、ついこの前まで対立してたなんて……」
「それなりにお互いに事情があるんですよ、テーア。歴史の難しい所と言いますか……まぁ、今では徐々に和解が始まっていますし。もう少ししたら、こういう機会も増えるんじゃないかな、」
「そうそう、あたしもその方が良いと思うけどね」
 ホットストレートレモンティーをちびりちびりと啜る黒コートの青年――テーアの執事にして恋人のエドモンドは、僕もそう思います、とこくりと一つ頷いた。
 ――話題になっているのは、どうやら今年の聖誕祭に開催される、旧教と新教の合同ミサについて、であるらしかった。
 旧教と、新教。同じ神を信仰する筈の宗教が分裂し、対立し始めてからは、もうかなりの時が経つ。時に二つの宗派はいがみ合い、果ては殺し合い、そのような歴史的事情も相俟って、今でもその対立は尾を引いていた。
 それに、少しでも手を差し伸べようと立ち上がったのが、話題に上っているサルバーレ旧教司祭と、マリーヤ新教牧師。二人はお互いの上司への掛け合いの元、今年ようやく、大都市エルザードでの合同ミサを実現しようとしているらしい。
「まぁ、ミサというより殆どパーティですね、って、サルバーレのヤツも笑ってたけど。良いんじゃない? 旧教は新教よりお堅いから、あたし達からしてみれば、ちょっと斬新なんだけど……ミサをやって、料理を食べて。音楽を聴いて、ま、ついでにプレゼント交換なんかも悪くなさそうよね」
 ちょっと世俗染みてるような気もするけど、これが二人の考えた一番の『和解方法』なのよ――と、テーアは一口、リンデンティーを口に含んだ。


I, Primo movimento

「――まーた随分と人を連れて来たんだね? 神父……全く、あんたの人徳ってヤツは……」
 神父の教会の、聖堂で。
 お茶を運んで来た褐色肌の少女――鍛えられた肢体に、白く美しい入墨を堂々と曝しているオンサ・パンテールは、半ば呆れるかのようにして呟いていた。この教会に居候してから数ヶ月、事が起こる度に神父がどこからとも無く人手を探し出してくる事には、慣れていたものの、
「ま、仮にもサルバーレ神父も神父だと言う事でしょうね。主任司祭にある程度の人徳が無いと、教会なんてやっていけませんからねぇ、」
 どうやら今日も、又変な人物を連れてきてくれたものだと、内心正直溜息をつかざるを得なかった。
 オンサの言葉に微笑んだのは、何とサルバーレの同業者――旧教の神父、ルーン・シードヴィルであった。緑色の髪に、金色の瞳。ハーフエルフでもある近くの教会の同業者は、サルバーレと同じくローマンカラーの僧衣を着こなし、にこにこと人の良さそうな笑顔を浮かべている。
 しかし言う事言う事に、どうにも棘があるように感じられるのは――多分、オンサの気の所為ではないのだろう。
「でも、オルガンの弾き手が捕まったのには本当に感謝です。本当に宜しくお願い致しますね、アイラスさん」
「ええ、こちらこそ」
 それでもサルバーレは、ルーンの言葉に何を言い返すでもなく――おそらく同職なだけあって、言い返すだけ無駄だと言う事を知っていただけなのであろうが――、近くに座っていた薄青色の髪の青年に声をかけた。
 アイラス・サーリアス。
 深い青い瞳を眼鏡のその奥で優しく微笑ませる、いかにも人の良さそうな軽戦士であった。しかしその職からは考えにくい事に、アイラスは音楽を嗜み、文学をも愛する。しかもその楽器の腕前と言えば、半分職業的にオルガニストをやっているサルバーレでも、驚いてしまう程なのだから。
 それ故に、アイラスは今回、ミサ祭儀でのオルガンを担当する事となっていた。エルザードフィルの公演を聴きたいが故に、しかし、ただで聴くのも気が引けるものだと、手伝いを申し出てくれたアイラスには、サルバーレ自身本気で感謝している。
 その他にも、
「料理もイルディライさんにお任せしておけば、問題はありませんしね」
 少しだけ離れた場所に、大きく座っていた青年――イルディライの方へと、視線を投げかける。茶の髪に、黒の瞳。一見そうは見えなくとも、イルディライは、サルバーレにしてみれば最高の料理人であった。
 ――と、そこへ、
「いやぁ……参った。追い返すのも一苦労だ」
「でもシェアラさん、きっちり丸め込んで、献金まで貰ってきてるんですよ……すっごく巧みな話術で……」
 玄関の方から、二つの影が姿を現した。
 小さな少女に名前を呼ばれていたのは、シェアラウィーセ・オーキッドであった。長い黒髪に、青い瞳の印象的な、穏かな感じの細身の女性は、丁度近くに立っていた牧師に、麻の袋を一つ渡すと、
「献金だそうですよ」
 ふわりと長椅子に腰掛ける。
 ――シェアラの職業は、織物師であった。しかも、とびきりの腕を持つ。
 この時期から聖誕祭にかけて、シェアラへの布の発注は断れど断れど飛び込んでくる。それも、大体は金に物を言わせた貴族からの注文ばかりが。
 気に入った注文しか受ける気の無いシェアラにとって、それは良い迷惑でしかない。今回偶々この話を聞き、ミサ準備を手伝おうと思った理由の一つには、その貴族達から雲隠れしようという事もあったのだ。
「でもこれで、神父さんも安心ね。後はテーアさんやエドさんに、セシールさんもいるし、お医者さんも手伝ってくれるだろうから、もう人手には困らないはずだもの」
 シェアラの横でにっこりと微笑んだのは、マリアローダ・メルストリープ――金色の長い髪に、青い瞳がとても愛らしい、小柄な一人の少女であった。
 さらり、と自然な動作で髪の毛をかき上げると、
「私もなんだか、楽しみになって来ました。ミサの他にも、色々と楽しい事がありそうね」
 胸の前で、手を結んだ。


II, Secondo movimento-a

「あ、あたいがっ?! な、何を――!」
「ね、お願いしますって、オンサさん。きちんと私がご指導致しますから。ただね、ほら、私これでも一応司祭ですから、」
「いや一応って……」
「ミサ中は、祭儀を取り仕切らなくてはならないわけで……私、指揮には立てないんですよ」
 折角聖歌隊の出番がありますのに、勿体無いでしょう? と神父に笑顔で微笑まれ、それでもオンサは、たった今聞かされた衝撃的なお願い≠ノ、呆然と立ち尽くさざるを得ずにいた。
「そんな難しい事じゃあないんですよ。本当、簡単に、で良いんです。ただほら、指揮者がいないと、やはり出だしですとかが大変なんですよ。揃わないと、体裁悪くて」
 ――聖歌隊の指揮を執ってくれ。
 突然そう頼まれて、驚くな、と言う方が無理に決まっていた。いくら常日頃から神父の仕事を間近で見ているとは言え、
 あたい、音楽なんて……。
 嫌いではない。むしろ嫌いと言ってしまうのなれば、好き、と言ってしまった方が、よほど自分の音楽への想いに近くなる。
 しかし、
「神父、本気かい……?」
 わからないのだ。
 この神父と一緒に生活するようになってから、暫く。昔は、都会の方の変わった嗜みだ、という程度にしか認識していなかった音楽が身近なものとなり、ヴァイオリン、ヴィオラ、フルート、ピアノ、オルガン――大体の代表的な楽器の名前を、知らずの内に覚えてしまったほどであると言うものの。
 例えば聞いた音楽を漠然と、想いのままに、素晴らしい、面白くないと言う事は簡単な事であった。しかし、
 何が素晴らしい音楽なのかは……。
 わからない。
 あくまでもそれは、個人の感覚の内の話であるのだから。
「あたい、音楽なんて、」
「いーえ、オンサさんは良くわかっていらっしゃるはずです。と申しますか、前々から申し上げようと思っていたのですけれどもね、オンサさん、自分で思っていらっしゃるのよりも、音楽のセンス良いですよ?」
 心の中を見透かされたかのように先手を打たれ、オンサは思わず言葉を失ってしまう。
「良いと思える、その事実だけで、十分じゃないですか。何が良いのか、だなんて、そんな理由付けは評論家の方に任せておけば良いんです――尤も私、評論家の皆さんの意見なんて、あまり当てにしてませんけれどもね。特に音楽に関しては」
 珍しくきっぱりと言い切ると、音楽はそんな単純なものではありませんでしょう? と、笑顔と共に付け加えられる。
 旋律の流れだけが、音の安定さだけが、所謂――完璧な演奏だけが音楽の素晴らしさではないという事は、この神父が初中後口にしている言葉でもあった。
 大袈裟な話、エルザードフィルの演奏と素人楽団の演奏を比べた時に、必ずしも、エルザードフィルの演奏の方が素晴らしい、と言えないという事すらも。
「正直、最初だけでも良いんです。入り出しは、大事ですからね。入り出しに指揮棒を振り上げて下さるだけでも良いんだけど……オンサさんならきっと、良い指揮ができると思うんですよ」
 呟きに続けて顔を上げ、その手を取って力説する。
「子ども達からも、オンサさんは大人気なんですよ? まぁ……色々と私との関係に勘繰り入れて楽しまれてるんですけどね……」
「それは――色々と、わかるような気が」
 最近では、オンサの方にも、随分と子ども達から色々な質問が飛んでくるようになった。オンサが教会に居候を始めてから暫く――確かに、無理の無い流れではあるのかも知れないが。
 あるのかも知れないが、
「まぁ、そういうわけで、お願いできませんか? 指揮者の方を呼んでも良いんですけれど……ほら、俗な話ですけどね、謝儀がいくらですとか、色々と大変なんですよ」
 正直オンサとしても、少しばかり、恥ずかしい。
 神父の話を聞きながら、ふとそんな事を思う。
「……オンサさん?」
「――あ、ううん?」
 不意に真下から顔を覗き込まれ、オンサは思い出したかのように返事を返した。
 ――とは言え、オンサ自身にも理由はわからなかったが、なぜか冷静を装わざるを得なかった事は、神父には内緒であった。
「……お願い、できます?」
「でも――、」
「ね? 終ったら……そうだ、何か美味しい物、食べに行きません?」
「それだったらあたい、神父の作ったアイスの方が食べたいね。最近は寒いからって、作ってくれなくなっただろ?」
 ……あ。
 言ってしまった後で、はっとする。
 もう、逃げられない。
 案の定、神父はにんまりと笑顔を深めると、
「――それでは、契約成立という事で」
「神父今日は……随分と、意地悪じゃないかい?」
「おや、そうですか? そんな事は――ありませんとも」
 頭を抱えるオンサの手に、もう片方の手を重ねて強く握って言った。


III, Terzo movimento-a

 ――とは言え――
 見よう見まねでは、物事には限度があって、当然であった。
 聖歌隊の練習が始まり、神父の手ほどきを受けて指揮を振り始めたのは良いものの、
 ……どうにも、上手く行かないな。
 正直、これを引き受けた時には、もっと簡単なものだと思い込んでいたのだ――心の片隅で、どうにかなるだろうと、そう楽観視していた。
 しかし――。
 束の間の、休憩時間。オンサは大ホールの二階入り口前から、下の階をじっと見下ろしていた。
 回を重ねるごとに、神父から借りた指揮棒が重く感じられる。今は譜面台の上に置いて来たそれを思い出し、オンサは深く、深く溜息をつく。
 と――。
「……オンサか?」
「ん?」
 不意に話しかけられ、振り返る。
 そこに立っていたのは、会場の台所の下見に来ていたのであろう、イルディライであった。
 イルディライは思わず立ち止まると、オンサの瞳を覗き込む。
 彼女とは、さほど付き合いが深いわけでもないのだが、
「何か、あったのか?」
「いや、特に何も」
 あまりの雰囲気に、思わず話しかけてしまった。いつも明るいはずのその雰囲気に、どうにも活力が感じられない。
 問われて慌てて、オンサは笑顔を取り繕った。しかし同時に、それが遅かった事にも気が付いていた――どう誤魔化そうかと、言い訳を考える。
 本当に、大した事じゃあ――、
「特に、」
「そういえばオンサは、聖歌隊の指揮者を任されていたんだったな」
「ああ、確かに」
 頷くオンサに、
「……上手く、いかないのか」
 そこから安易に、想像が付いた。今この場所で彼女が落ち込む理由は、そのくらいしか考えられないではないか。
 イルディライは静かにオンサの隣に並ぶと、同じくして、柵の手すりに腕を突いた。
 何かを言って、慰めてやるつもりも義理も無い。
 無いはずなのだが――。
「……あんまり深く考えるな」
 無愛想に、ぽつり、と呟いた。はっとしたように顔を上げたオンサの方を振り返りもせずに、
「何でもすぐにできるようになっては、プロというものの存在は必要なくなる」
 あくまでもただの事実を告げているだけだ、と言うかの如くに付け加える。
 ――事実、そうだろう。
 料理にしろ歌にしろ、すぐにできるようになってしまうのであれば、プロというものは必要無い。だからこそ、その逆を言ってしまえば、
 素人が玄人の如くにできないからと言って、
 どうして気に病む必要があると言うのだろうか。
「サルバーレも、一日や二日でああなったわけではあるまい」
 普段は頼りない神父の音楽的な凄みは、イルディライも良くわかっている。しかしだからこそ、オンサにはそのようにできないからと言って、気に病む必要など欠片も無いのだ。
 言い方は悪いが、神父がオンサに期待しているのは、完璧な演奏などではあるまい。
 そうではなく、彼が彼女に期待しているのは――、
「……ほら、来たぞ」
 そうでは、なくて。
 しかしイルディライはそこまで考えると、呟きを残し、挨拶も無しにくるりと踵を返した。
 大ホールへの扉が開き、そこから神父と子ども達とかオンサの元へと駆けつける。
 尻目に、一瞥しながら、
 ――きっとそういう、所なんだろう。
 ポケットに、手を入れる。
 神父がオンサに求めたものは、決して技術などではなく、もっと違った良さ≠ネのだろうから。


IV, Quinto movimento-a

 あの日、あの後、あの場所で。
 神父と聖歌隊の子ども達には、随分と諭されたものであった。
 おかげで我ながら単純な事にも勇気を貰い、再び指揮棒を手に取り、日々練習に励み。
 そうして、いよいよミサの当日。
 入祭が――事実上の儀式の開催が、宣言される、その瞬間。
 その言葉に、会衆の立ち上がる音が響き渡る。予め配られていた、今日のミサについて書かれた冊子の開かれる音に、オンサは一つ息を呑んだ。
 今日までの期間、随分と練習を重ねてきたとは言え、
 ――結果の保証までは、できないからね。
 苦笑する。
 我ながら、どうなる事やら……。
「オンサさん、」
「ああ、あたいは大丈夫。頼りないかも知れないけれど、宜しく頼むよ、マリィちゃん」
 純白の聖歌隊の衣装に身を包んだマリィが、最前列からオンサを見上げる。
 いつもの服装に、ホーリーシンボルをぶら下げただけのオンサは、満面の笑みを返すと、ちらりと会場を一瞥した。
 マリィの為にも、牧師の為にも。聖歌隊の子ども達の為にも、会衆の為にも。どうにかこの場を、成功させたい。そうして何よりも――、
 神父、あんたの試みが、上手く行くように。
 少しでも、あのヘタレ神父が珍しく考え出した大々的なこの試みを――合同のミサを、成功させるその為にも。
「……オンサちゃん、がんばろーね〜」
「がんばろー、なの♪」
 聞えてくる子ども達の声に、大きく頷いた。
 そうして、既にオルガンの鍵盤の上へと手を置いていたアイラスへと、視線だけで合図を送る。
 その視線を受け、アイラスはゆっくりと息を吐き、オルガンの方へと向き直った。
 大きな眼鏡に楽譜の音符を映し、その旋律に従い、鍵盤の上に指を滑らせる。
 やがて間もなく、その旋律に、
♪ Puer natus est nobis, et filius datus est nobis: cujus imperium super humerum ejus: et vocabitur nomen ejus, magni consilii Angelus.〈私達の為に男の子が生まれ、御子が与えられた。その名は大いなる知恵の御使いと称えられるであろう〉 ♪
 会場の方が歌い終え、いよいよオンサ達にも出番が訪れる。
 ――ええい、ままだ。
 ふと、いつも神父がそうしている様子が、頭の中に思い浮かぶ。あのヘタレ神父も、指揮と儀式を執る時だけは、
 ……どうしてか、大真面目で。
 その幻影に真似るかのようにして、間合いを見計らい、オンサは指揮棒を振り上げた。
 子ども達が、大きく息を吸い込み、
♪ Cantate Domino canticum novum: quia milrabilia fecit.〈新しき歌を、神に歌え。主のその素晴らしき御業の故に〉 ♪
 しん、と静まり返っていた会場の中、声高らかに歌い上げた。アイラスの奏でるオルガンの音色に、見事にぴたりと一致する。
 アイラスは、オンサの指揮を振り返り見つめながら、楽譜の先を先をと追って行く。
 時に緩やかに、時に流れるように。
 そうこうするうちに、入祭唱が終わり、舞台の上へとサルバーレとマリーヤが、助祭と執事を引き連れて並び終えていた。
 普段とは違う、白い祭服の姿。
 オンサはちらりと、祭壇の方を――神父の方を、振り返り見た。
「「In nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti.〈聖父と聖子と聖霊の御名によりて〉」」
 凛、とした声音で会衆へ向けて言い放ち、神父は十字を印し、牧師は黙って手を合わせる。
 ――と、その合間、
 一瞬、
 神父がちらりと、オンサの方へと視線を投げかけた。
 小さな笑顔を、共にして。
 ……神父、
 声にはせずに、呟いた。さながらその調子で、と言われたような感覚に、オンサは胸元のクロスを緩く握り締める。
 それから暫くの間、神父と牧師とが会衆と答唱を続け、何度かオンサも指揮を振り、マリィは共に歌い、アイラスはオルガンを奏でる事となった。
 そうしていよいよ、マリィの出番が訪れる。
 書簡朗読――助祭と執事とが一人ずつ朗読台に登壇し、"Verbum Domini.〈主の御言葉〉"と、聖書を読み上げ終え、
『Deo gratias.〈神に感謝〉』
 会衆の応えに、アイラスがオルガンの音色を響かせた。
♪ Viderunt omnes fines terrae salutare Dei nostri: jubilate Deo omnis terra.〈全地は私達の神の救いを見た。全地よ、主を讃美せよ〉 ♪
 聖歌隊の歌声に、一歩前に出たマリィが大きく息を吸い込む。
 右手をそっと、胸の上へと添え、
♪ Notum fecit Dominus salutare suum: ante conspectum gentium revelavit justitiam suam.〈主は救いを示し、その正義を、諸国の民の目の前へと示した〉 ♪
 その歌声が、流麗に高らかと応えあげる。
 たったこれだけの答唱にしろ、かなりの練習を重ねてきた事に間違いは無い――これだけオルガンの近距離にいると言うのに、それでも響き良く聞えてくるマリィの歌声に、アイラスは小さく微笑みを洩らす。
 ――マリィのにしろ、オンサのにしろ、その練習への取り組みの真面目さを、アイラスは良くわかっていた。
 とっても、良い事だと思いますよ。
 そういうのは単純に、悪くないと、そう思う。
 何かの為に、何かに打ち込める事。そういう気持ちは、きっと忘れてはならない物なのであろうから。
 

V, Sesto movimento

 どうしてかアイツも、こういう時だけは人が変わったかのように――、
「ん、オンサちゃんったらどうしたの? ぼーっとさ、舞台の方なんか眺めちゃって」
 小ホールとは雖も、国営のホールともなれば、かなりの大きさとなる。本当は大ホールの方が良いのですけれどもね、と軽く笑った神父のことを思い出し、オンサは小さく微笑みを浮かべていた。
 まぁ確かに、大ホールじゃあパーティなんて、出来ないだろうからね。
 あの段差では、テーブルすら満足に置く事はできないだろう。
 オンサは肩に置かれた医者の手を軽く振り払いながら、たった一言、返事を返した。
「いや、別に」
「何、もしかしてコンサートが楽しみだ、とか? いや、でもね、コンサートだったら、今度大ホールでのニューイヤーコンサートでも聞いた方が良いと思うよ。今回は、オマケのようなものだし」
「オマケ?」
「うーん、パーティの背景音楽みたいなもんだからね。それに普段に比べれば、さほど規模も大きくないし」
「へぇ……」
 てっきり、指揮者はあの<Tルバーレだからねぇ、と、又からかわれるのだとばかり思っていた。
 医者にしては珍しくまともな意見に、オンサは知らず腕を組む。
 幕の閉ざされた舞台の向こう側、音楽の始まりに向けて、幾度となく音の揺れる空間。譜面台の調節される音、椅子の置かれる音、楽譜が床に置かれる音、チェロが持ち込まれる音、最近では、すっかりと御馴染みになってしまった。
 ――一年ほど前までは、森の向うの遠い都会での、理解に苦しむ嗜みでしかなかったというのに。
 まぁ、人のコケる音が聞えてくるのは、確かにここだけだと思うけど。
 またあのヘタレ神父、何かに足を引っ掛けたな、と、オンサが苦笑すると、
「ん、コンサートはどうやらもうすぐなようだな」
「ま、期待してないけどね〜。何せ指揮者が、あの神父じゃあ、」
「テーア……、」
「勿論冗談だってば、エド。だってあの人の取り得って言ったらさ、それと縫い物とか編み物とか詩書きくらいしかないじゃな〜い」
 その目の前に、シェアラとテーアとエドとが姿を現した。
「ま、そんな事よりさ、オンサさん、今日の料理もかなぁり美味しいですよ〜。さっすがイルディライさん、と言った所かしら……エドも顔負けよ、ね?」
「元々僕なんか、そんなに大した事、できませんから……」
「まぁたご謙遜を♪ ね、ほら、食べて食べて、オンサさんもどうぞ♪ こーれはスシってやつよね。手で食べちゃっても良いから、一々テーブルに座らなくても良いのが良い所っ」
 テーアは持ってきたお皿をオンサへと差し出すと、くるりと身を翻す。
「それじゃああたしは、もう少し色々探してくるから。ほらエド、行くわよ」
「えっ、いや、もう少しゆっくり――、」
「早くしないとマリィちゃんの出番が来ちゃうでしょ! その前に、色々と料理を堪能するの! わかったらさっさと来なさい!」
 そのまま手を取られ、テーアに引き摺られる形となって連れ去られたエドとの姿を見つめながら、シェアラは小さく頷いた。
「若いな……」
「――何、シェアラさん、シェアラさんも、お若いではありませんか。何なら俺が――ッ?!」
 その肩に、隙あらば、と手を伸ばした白衣の医者の言葉が、途中、激痛によって声にならない叫び声と変わる。
 シェアラの気が付いていない所で、医者の足は、オンサによって強く、強く踏みつけられていた――医者を睨むオンサが、視線で語る。
 今度はシェアラに手を出そうって言うのかい?
「痛いっ! 痛いってオンサちゃんっ?!」
「何せそこらに売ってるブーツとは違うからね。森の恵みが具沢山だ」
「具沢山とか、そういう問題じゃあっ?! 何、俺に恨みでもあるって言うのっ?!」
「胸に手を当ててよーく考えてみれば良い、この似非医者め。シェアラ、この男には近づかない方が良い。何せコイツ、あの可愛いマリィちゃんにまで手を出そうとしているんだからね」
「誤解だって! シェアラさん!」
 しかしシェアラは、慌てて弁解を始める医者の手を、元より何の興味を抱いていなかったの如くに冷たく叩き落とす。
 振り向きもせずに舞台を見つめたそのままで、
「指揮は、あの神父だったか。しかしまぁ……正直、あの神父に指揮が出来るほど、体力があるようには見えないのだが」
「そうそう、世界の七不思議の一つだと思いませんか? 俺もいつも、不思議に思うんですけどね、」
 腕を組んだシェアラに、それでもめげない医者が痛みを堪えつつ、笑顔で付け加えた。
 ――ああ見えて指揮というものは、かなりの体力を必要とする。
 曲や指揮者にもよるにしろ、数曲振れば、服はびっしょりと重くなる。下手な運動よりも、随分と体力を使う事に間違いは無いのだ。だからこそあの神父になぜ指揮が執れるのか、という事は、疑問に思われても仕方のない事であった。
「ま、サルバーレの数少ない取り得ではあるんですけどね」
「……医者、あんたが素直に神父を褒めるだなんて、何か悪い物でも食べて来たのかい?」
「ほ、褒めてなんていないって! それしか℃謔闢セがないって言っただけで――」
「ま、良いけどね」
 少しだけ意外と照れ屋な医者をからかうと、オンサは口元に不敵さを浮かべる。舞台の方へと向き直るついでに、懲りずにシェアラの肩へと伸ばされていた手を思い切り叩き落とし、
「さ、もう始まるみたいだ――神父のお手並み拝見、だな」
 ざわつく会場内を見回し、大きく一つ頷いた。
 これだけ賑わった会場を、どれだけ演奏に惹き付けてゆくのか。勿論それには、演奏者の腕も必要となる。しかしやはり、指揮者の腕前は、
「指揮者次第で、同じ曲でも大分変わってしまうからな」
 シェアラの言うとおりだと、オンサは開き始めた幕の方へと視線を投げかけた。


VI, Settimo movimento-b

 第四楽章が無事に終った辺りで、オンサは舞台近くに、立ち位置を移していた。
 随分と付きまとってきた医者を振り払うのには一苦労したが、それよりも、何よりも。
 ――大切な事が、あるんだ。
「……おや、オンサさん」
 予想通り、神父は舞台袖から降りて来てくれた。待ち合わせたわけでもないのにな、と、オンサは小さく微笑みを洩らす。
「ああ、そういえば先ほどは本当にありがとうございました。――知ってます? 大反響ですよ。もう一回やれ、とまで言われましたからね。まぁ皆さん、最初はオンサさんの服装に、やはりお驚きになったようですけれども」
 何せ裸ですからね、と、神父が苦笑して見せる。宗教的に考えると、儀式中は極端な露出は避けるべきなのだが、
「でも、懐かしいって仰ってましたよ。ほら、大分昔にですね、一日だけ、司祭をお願いした事があったでしょう? 皆さんあれを思い出されたようで。それだけでも、最高のクリスマスプレゼントだったとまで仰っている方もいらっしゃりましたよ」
 それでもなおかつ、神父がオンサに聖歌隊の指揮を頼んだその理由は――。
 謝儀云々は、あくまでもこじ付けのようなものであった。本当はそこに、もっと大切な理由がある。
 ……神父には、オンサにはそれができるのだという確信があったのだ。
「本当に、ありがとうございました――会場を、暖かな音楽で、包み込んでくれて」
 心のある音楽を。
 想いのある音楽を。
 そういう音楽を、神父は何よりも最もに求めていた。
 どんなに巧みな技巧よりも、何よりも本当の心のこもった音楽を。
「……そ、そんな事より、神父、」
 あまりにも率直にお礼を述べ垂れた事が恥ずかしかったのか、少しばかり俯き気味に、オンサは急いで話題をすり換えた。
 少しだけ視線は逸らしたそのままで、背に庇っていた右の手を、するりと差し出す。
 ――その先に、リボンのかかった布を持たせて。
 練習の合間、聖誕祭へと向けて、地道に地道に、つくり続けた贈り物。
「あ、あのさ、」
「はい? 何でしょう」
 あくまでも笑顔の、目の前の神父へ、
「あたいは……その、戦士だから、」
「ええ」
「あんまり上手に、出来なかったけど……あの、その――良かったら……受け取って、ほしいな」
「……私に、ですか?」
 それを差し出され、心の底から驚いた、と言わんばかりに、神父は大きく目を見張った。
「その、私に?」
 もう一度、大切な事を確認するかのようにオンサへと問う。
 私に――この、私に?
「あ、あんた以外に誰がいるってさ!」
「だって、わざわざ作って下さったんでしょう?」
「た、タペストリーなんて、役にも立たないかも知れないけど!」
「――いいえ」
 ようやく現実を現実として飲み込んだのか、神父がオンサから差し出された布へと手をかけた。
 驚きの表情を、徐々に暖かな笑顔へと解きほぐし、
「私で良ければ、是非受取らせて下さい」
「だ、だから――神父にあげるって、さっきから言ってるだろうっ……!」
「でも私、何もお返しできませんよ?」
「アイスクリームの約束とかっ!」
「……そういえば、そうでしたね」
 ようやく相手に贈り物が受取られ、腕を下ろす事を許される。戸惑いを隠すかのように大きく一息吐くと、オンサは神父の微笑を一瞥し――再び床へと視線を落とした。
 ――何となく、気恥ずかしい。
「寒いので、あまり気は向かないのですが――良いでしょう、何味になさいます?」
 ああ、でもその前に、と付け加え、神父はにんまりと笑顔を深めた。
 綺麗に折りたたまれたタペストリーを、嬉しそうに軽く数度叩くと、
「大切に、させていただきますよ。――本当に、ありがとう」


Fine



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            I caratteri. 〜登場人物
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<PC>

★ シェアラウィーセ・オーキッド
整理番号:1514 性別:女 年齢:184歳 職業:織物師

★ ルーン・シードヴィル
整理番号:1364 性別:男 年齢:21歳 職業:神父

★ オンサ・パンテール
整理番号:0963 性別:女 年齢:16歳 職業:獣牙族の女戦士

★ イルディライ
整理番号:0811 性別:男 年齢:32歳 職業:料理人

★ アイラス・サーリアス
整理番号:1649 性別:男 年齢:19歳 職業:軽戦士

★ マリアローダ・メルストリープ
整理番号:0846 性別:女 年齢:10歳 職業:エキスパート


<NPC>

☆ サルバーレ・ヴァレンティーノ
性別:男 年齢:47歳 職業:エルフのヘタレ神父

☆ リパラーレ
性別:男 年齢:27歳 職業:似非医者

☆ テオドーラ
性別:女 年齢:13歳 職業:ご令嬢

☆ エドモンド
性別:男 年齢:15歳 職業:執事

☆ マリーヤ
性別:女 年齢:25歳 職業:女牧師

☆ セシール
性別:女 年齢:12歳 職業:フルート奏者



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          Dalla scrivente. 〜ライター通信
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 Felice Anno Nuovo――明けましておめでとうございます。今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。
 この度は依頼へのご参加、本当にありがとうございました。まずはこの場を借りまして、深くお礼を申し上げます。
 そうして今回は……白状しますが大遅刻しました……新年早々大変申しわけございません。割と余裕を持って見積もっていたつもりが、納品前日のミサ実体験(ついに行って来てしまいました)の影響で話の中の嘘っぱちが明らかとなり、その上ラテン語の引用の整理に予想外に時間を要してしまいまして……。
 このお話に関しましては、この場を借りて色々解説染みた事をさせていただこうと思っております。宜しければ、もう少々お付き合い下さいませ。
 まずはミサに関しましてのお話ですが、引用させていただいた言葉は、上にもありますとおり全てラテン語となります。実はあたし、旧教に関しましての知識はほんの少しだけある事にはあるのですが、新教の知識については殆ど無い、と言っても過言でないくらいにありません。とはいえ多分、新教はラテン語でミサを行ったりはしません……はずです。ちなみに日本の旧教教会でも、ラテン語のミサは年に都心で一度あるか無いか、くらいなのだそうです。教皇庁では毎日ラテン語でミサやロザリオをやっていますけれども……つまりは雰囲気的な効果を狙っておりますのみでして、現実とは一切リンクしておりません、という事なのでございます。どうかこの点はご了承頂きたく存じます。聖歌につきましても、一応降誕祭ミサのものから引っ張ってきてはおりますが、何分色々とあるようですから、激しく間違っている可能性は十分にございます。色々とボロがありそうで、大変申しわけございません。……ちなみに聖体拝領を省くとミサと言わなくなりそうなのは、秘密にしておいてやって下さいまし。
 音楽の方につきましては、丁度ウィーンフォルのニューイヤーコンサートなどを観る(TV越しですが/苦笑)時間にも恵まれまして、「わぁ、指揮者のお兄さん素適〜☆」などと色々(音楽以外にも)感激していたのですが、2004年度の指揮者のお兄さんは、それはもうたおやかに指揮棒を操るお方でございまして(いえ、個人的な見解なのですけれども)、ちょっと天の方に視線が向き気味なあの様ですとか、胸に手を当てて恍惚と指揮を執る様ですとか、なんかもう完璧に「すみません、降参です……」と言った感じでございまして、酷く心を奪われてしまいました。もうファンになりそうです(笑)。
 ともあれ。
 "Bravo !""Bravi !"はイタリア語――だったと思うのですが、前者は男性名詞の修飾語なので、要するに、指揮者を褒めている感じになります。「よっ、マエストロ☆」と言った感じでございますね。後者は男性名詞の複数なので、女性も含め、エルザードフィルの演奏そのものを褒めている感じになるかと……。ちなみに女性一人を褒める時は"Brava !"となります。
 ――ご覧いただけるとお分かりいただけるかも知れませんが、今回のお話は迷路のように入り組んでおります。今年から時間軸ごとに番号を振っていこうという試みを始めてみる事に致しまして、今回はこのようになっております。
Primo→Secondo(a〜d)→Terzo→Quarto→Quinto(a,b)→Sesto→Settimo(a〜c)→Ottavo→Nono
 プレリュード(序章)を合わせると、合計16の小話から成立している事となります。宜しければ、他の部分にも目を通してやって下さいまし。
 では、新年早々大変失礼致しました。何分不届きなライターではありますが、今年も宜しければ、お付き合い頂けますと幸いでございます。
 なお、今回は申し訳ございませんが、都合により個別のコメントの方を割愛させていただきます。ご了承くださいませ。

 何かありましたら、ご遠慮なくテラコン等よりご連絡をよこしてやって下さいませ。
 乱文となってしまいましたがこの辺で失礼致します。又どこかでお会いできます事を祈りつつ……。
 Grazie per la vostra lettura !


05 gennaio 2004
Lina Umizuki