<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


響和の願う聖譚詩(オラトリオ)

「それに関しては随分と苦労してたみたいだけど、サルバーレのヤツ。ああ、マリーヤさんも結構乗り気だったみたいだけど? それにしても前代未聞よ、聖誕祭の旧教と新教の合同ミサだなんて。少なくともエルザードでは初めてだもの……ねぇ、エド?」
「まぁ……確かに」
 ――すっかり、冬の気配がエルザードを包み始めたある夕方。
 白い息に赤いコートを似合わせた少女と、黒のコートにマフラー姿の青年とが、白山羊亭へとやって来ていた。
 二人は、夕食時を前にのんびりとしていたウェイトレスのルディアをひっつかまえ、紅茶を一杯ずつ注文すると、少女はどこか偉そうに、青年はどこか控えめにカウンターへと腰掛ける。
 そうして、暫く。
 店内には、少女のまくしたてる声音が響き渡っていた。
「でね、あたし、言ってやったのよ。サルバーレのヤツにさ、あんたにそんなコトできるわけ? って。冗談だけど。半分くらい本気だけど」
 赤いコートの亜麻色の髪の少女は、近くのとあるお屋敷のご令嬢・テオドーラであった。ホットリンデンティーにたっぷりと蜂蜜と砂糖とを加えたものを、大切に両手で包み込んで飲みながら、
「かなり規模としては大きくなりそうよね。ちなみに会場はエルザード・フィルのホールだって。ね、ルディアも来るの?」
「んー……とりわけてどっちを信じてる、とかいうワケでもないし、ね。まだ決めてはいないけれど」
「そっか。確かに普通は、そんなもんよね。どーせ信じてる神様なんて、元々一緒なわけだし」
 少々不信気味な発言と共に、にっこりと微笑んだ。それから少し、唐突に、呆れたように溜息を吐くと、
「もっと仲良くすれば良いのよ。同じ神様を信じてるのに、ついこの前まで対立してたなんて……」
「それなりにお互いに事情があるんですよ、テーア。歴史の難しい所と言いますか……まぁ、今では徐々に和解が始まっていますし。もう少ししたら、こういう機会も増えるんじゃないかな、」
「そうそう、あたしもその方が良いと思うけどね」
 ホットストレートレモンティーをちびりちびりと啜る黒コートの青年――テーアの執事にして恋人のエドモンドは、僕もそう思います、とこくりと一つ頷いた。
 ――話題になっているのは、どうやら今年の聖誕祭に開催される、旧教と新教の合同ミサについて、であるらしかった。
 旧教と、新教。同じ神を信仰する筈の宗教が分裂し、対立し始めてからは、もうかなりの時が経つ。時に二つの宗派はいがみ合い、果ては殺し合い、そのような歴史的事情も相俟って、今でもその対立は尾を引いていた。
 それに、少しでも手を差し伸べようと立ち上がったのが、話題に上っているサルバーレ旧教司祭と、マリーヤ新教牧師。二人はお互いの上司への掛け合いの元、今年ようやく、大都市エルザードでの合同ミサを実現しようとしているらしい。
「まぁ、ミサというより殆どパーティですね、って、サルバーレのヤツも笑ってたけど。良いんじゃない? 旧教は新教よりお堅いから、あたし達からしてみれば、ちょっと斬新なんだけど……ミサをやって、料理を食べて。音楽を聴いて、ま、ついでにプレゼント交換なんかも悪くなさそうよね」
 ちょっと世俗染みてるような気もするけど、これが二人の考えた一番の『和解方法』なのよ――と、テーアは一口、リンデンティーを口に含んだ。


I, Primo movimento

「――まーた随分と人を連れて来たんだね? 神父……全く、あんたの人徳ってヤツは……」
 神父の教会の、聖堂で。
 お茶を運んで来た褐色肌の少女――鍛えられた肢体に、白く美しい入墨を堂々と曝しているオンサ・パンテールは、半ば呆れるかのようにして呟いていた。この教会に居候してから数ヶ月、事が起こる度に神父がどこからとも無く人手を探し出してくる事には、慣れていたものの、
「ま、仮にもサルバーレ神父も神父だと言う事でしょうね。主任司祭にある程度の人徳が無いと、教会なんてやっていけませんからねぇ、」
 どうやら今日も、又変な人物を連れてきてくれたものだと、内心正直溜息をつかざるを得なかった。
 オンサの言葉に微笑んだのは、何とサルバーレの同業者――旧教の神父、ルーン・シードヴィルであった。緑色の髪に、金色の瞳。ハーフエルフでもある近くの教会の同業者は、サルバーレと同じくローマンカラーの僧衣を着こなし、にこにこと人の良さそうな笑顔を浮かべている。
 しかし言う事言う事に、どうにも棘があるように感じられるのは――多分、オンサの気の所為ではないのだろう。
「でも、オルガンの弾き手が捕まったのには本当に感謝です。本当に宜しくお願い致しますね、アイラスさん」
「ええ、こちらこそ」
 それでもサルバーレは、ルーンの言葉に何を言い返すでもなく――おそらく同職なだけあって、言い返すだけ無駄だと言う事を知っていただけなのであろうが――、近くに座っていた薄青色の髪の青年に声をかけた。
 アイラス・サーリアス。
 深い青い瞳を眼鏡のその奥で優しく微笑ませる、いかにも人の良さそうな軽戦士であった。しかしその職からは考えにくい事に、アイラスは音楽を嗜み、文学をも愛する。しかもその楽器の腕前と言えば、半分職業的にオルガニストをやっているサルバーレでも、驚いてしまう程なのだから。
 それ故に、アイラスは今回、ミサ祭儀でのオルガンを担当する事となっていた。エルザードフィルの公演を聴きたいが故に、しかし、ただで聴くのも気が引けるものだと、手伝いを申し出てくれたアイラスには、サルバーレ自身本気で感謝している。
 その他にも、
「料理もイルディライさんにお任せしておけば、問題はありませんしね」
 少しだけ離れた場所に、大きく座っていた青年――イルディライの方へと、視線を投げかける。茶の髪に、黒の瞳。一見そうは見えなくとも、イルディライは、サルバーレにしてみれば最高の料理人であった。
 ――と、そこへ、
「いやぁ……参った。追い返すのも一苦労だ」
「でもシェアラさん、きっちり丸め込んで、献金まで貰ってきてるんですよ……すっごく巧みな話術で……」
 玄関の方から、二つの影が姿を現した。
 小さな少女に名前を呼ばれていたのは、シェアラウィーセ・オーキッドであった。長い黒髪に、青い瞳の印象的な、穏かな感じの細身の女性は、丁度近くに立っていた牧師に、麻の袋を一つ渡すと、
「献金だそうですよ」
 ふわりと長椅子に腰掛ける。
 ――シェアラの職業は、織物師であった。しかも、とびきりの腕を持つ。
 この時期から聖誕祭にかけて、シェアラへの布の発注は断れど断れど飛び込んでくる。それも、大体は金に物を言わせた貴族からの注文ばかりが。
 気に入った注文しか受ける気の無いシェアラにとって、それは良い迷惑でしかない。今回偶々この話を聞き、ミサ準備を手伝おうと思った理由の一つには、その貴族達から雲隠れしようという事もあったのだ。
「でもこれで、神父さんも安心ね。後はテーアさんやエドさんに、セシールさんもいるし、お医者さんも手伝ってくれるだろうから、もう人手には困らないはずだもの」
 シェアラの横でにっこりと微笑んだのは、マリアローダ・メルストリープ――金色の長い髪に、青い瞳がとても愛らしい、小柄な一人の少女であった。
 さらり、と自然な動作で髪の毛をかき上げると、
「私もなんだか、楽しみになって来ました。ミサの他にも、色々と楽しい事がありそうね」
 胸の前で、手を結んだ。


II, Secondo movimento-c

 その上突然、もう一つ決まってしまった事があった。
 エルザードフィルの公演のその後、
『――ええ、折角の機会ですし、お願いしますね。楽しみに、してますから』
 神父のそんな言葉が切欠となり、マリィとアイラス、そうしてセシールは、三人で演奏を披露する事となったのだ。
 公演までにはさほど日数はなかったが、三人にはそれぞれ、元々の腕前というものがある。
 マリィは歌で、アイラスはピアノで、セシールはフルートで一つの曲を奏でる事となり、三人はミサ曲とエルザードフィルの練習の後、毎日のように集まっているのだが。
「……マリィちゃん、最近テーア達とあんまり会ってないでしょ?」
「え、あ、うん……多分、そんな事は、ないけれど」
 その一休み中に不意に投げかけられたセシールへの問いに、マリィは曖昧に答えざるを得なかった。
「テーアがね、言ってたの……マリィちゃんが、普通なんだけど、あんましそういえば、最近会話してないなぁ、って、」
 ――マリィのエルザードへの滞在が長期化して暫く、テーアの意向もあって、現在ではマリィは、テーアの屋敷に部屋の一室を借りて生活していた。
 だが、
「……うん……」
 それだけでも、有難すぎる事だと思っていると言うのに。
「マリィちゃん、今回すごく一所懸命だから……」
 マリィが今回の練習にここまで打ち込んでいるのには、聖歌隊で独唱を勤める事となり、三人で公演を行う事が決まったから、という理由の他に、もう一つの理由があった。
 即ち、
 ――クリスマスなのに。
「でもテーア、ちょっと寂しがってたみたい……」
 もうすぐ訪れるのは、恋人達にとっては、大切な日であると言うのに――もし想い人が、シンが傍にいたとしたなれば、マリィとしても一緒に過ごしていたいような日であると言うのに。
 ……私がいたら、
「そっか……」
 邪魔じゃないのかな――、なんて。
 テーアとエドとは、仲の良い恋人同士なのだ。マリィがあの屋敷に滞在する事によって、二人がどう思っているかはさて置いたとしても、テーアとエドとの二人きりの時間が減っている事に間違いは無い。
 少しだけ、気に病んでいた。
 だからクリスマスくらいは二人きりにしてあげたいと、つまりはマリィのこの練習への打ち込みようは、そう考えた結果の小さな気遣いでもあった。
 ――と、
「どうしたんですか? マリィさん」
 バスケットを抱えて戻って来たアイラスが、マリィとセシールとの様子に、思わず問いかける。
 マリィは顔を上げ、やわらかく微笑を浮かべると、
「いえ、何でもないんです」
 座っていた椅子から立ち上がる。
 アイラスはそんなマリィを、一瞬きょとん、と見つめていたが、
 ――話したくない事も、あるでしょう。
「……そうですか」
 にっこりと微笑み返し、問い返す代わりにバスケットの蓋を開けた。
 そうしてもう一度、マリィを椅子へと座らせると、その隣に自分も腰掛ける。
「――ちょっと今、外に出てきたんです。そうしたら随分と美味しそうな香りのする出店が出ていましてね。思わず買って来てしまったんです」
 アイラスがバスケットの中からそれを取り出した瞬間、甘い香りが周囲に漂った。まずはセシール、そうしてマリィへとアイラスが手渡したのは、
「スイートポテト、です。お好きかどうかはわかりませんでしたけれど……」
「あ、ありがとうございます……」
 言われた通り、まだ暖かい。予想外のお土産に驚きつつも、マリィは小さくお礼を述べた。
 アイラスはいえいえ、と、微笑して首を振ると、
「宜しければ、暖かい内にどうぞお召し上がり下さい。練習は、それからにしましょう?」
 少しくらいゆっくりとしても、きっと罰は、当らないでしょうから。


III, Quarto movimento

 そうこうしている間に、時間はあっという間に過ぎ去り。
 そうして、ミサの当日。
「おい青眼鏡、」
「あ、あお……――、」
「お前だよお前、アイラス。どうでも良いから、そっち持て。ほら、広げるぞ」
 相手が男ともなると、どうにもあの似非医者は普段以上に口が悪くなる。どこぞの知らぬ医者――一応サルバーレ神父の親友らしいのだが――から、突然無礼に呼びつけられ、ひくひくとその穏かな微笑を引きつらせるアイラスへと無遠慮に指示を飛ばすと、医者はその反応は気にせずに、大きく両の手を広げた。
 その手には、シェアラの手によって生み出された、深緑のテーブルクロス。
「――ふむ、」
 その様子を見つめていたシェアラが、一つ満足気に頷いた。彩度と言い、明度と言い、この空間には申し分もない。
 その上に、気を取り直したアイラスとルーンとが、深紅の布をふわりと重ねる。
 赤と、緑。交差した布が、聖誕祭独特の色合いを静々と奏ではじめる、瞬間。
「……さすが、シェアラさん」
 テーブルの上に敷かれたクロスに見入る全員の沈黙を破ったのは、医者の間延びした一言であった。さり気なく、慣れた動作でシェアラの肩へと手を伸ばしながら、
「全くもって、素晴らしいですよ――いや、本当に素晴らしい。まさしくクリスマスにはぴったりな――?!」
 その肩に手を置こうとした刹那、思わず前につんのめる。
 振り返りもせず、何の前触れもなく一歩踏み出していたシェアラの姿と医者の残念そうな表情とを見比べながら、ルーンとアイラスとはひそひそと言葉を交わす。
「イヤですねぇ、ああいうの。己を知れとは、良く言ったものです。むしろシェアラさんに失礼ですよ」
「神父さん、それは言いすぎでは……?」
「アイラスさんも、遠慮なさる事はありません。何せ揺り篭から墓場まで、ではありませんがね、マリィさんからシェアラさんまで手を出していらっしゃるのですよ、あのお医者さんは。きっとサルバーレ神父にも手を出しているに違いありません――さあアイラスさん、思った事は、はっきりと言っておしまいなさい。ロリコンのくせに、ですとか、だからいつまで経っても結婚できないんですよ、ですとか……ほら、嘘をついても、主はお喜びにはなりません」
「サルバーレ神父さんにまで、って……ちょっとそれ、違うような気がするのですけれど……」
「全部聞えてるんだが、神父サマ」
 聞き耳を立てていた医者に睨まれ、しかしルーンはにっこりと微笑を返すと、
「おや、何か罪の自覚でもお有りなのですか? 告解の秘蹟、まぁ、許しの秘蹟とも言いますが――でしたら、いつでもお授け致しますが」
「黙れこの似非神父。全く、あのヘタレよりも性質が悪い」
「いえいえ、サルバーレ神父は元々あなたが思っていらっしゃるよりも、ご立派な人物ですよ。――多分」
「多分って……」
 アイラスの呟きも聞かぬふりで、ルーンは更に笑顔を深める。
「まぁ、どんなに心の中がどす黒くていらっしゃっても、たとえ、です。たとえあなたが同性にしか本当の意味での魅力を感じられないとしても、ですよ? 主の愛は、それでも無限です」
「お前……!」
「ああ、そう言えば祝日のミサにも欠席なさっているのだそうで。サルバーレ神父が嘆いていらっしゃりましたよ。どうにも不信者だと……女性を追いかける時のあの情熱を、少しでも神様の方へと向けてくれたら……とですね、」
「アイツめ……ヘンな事言い広めやがって……! それじゃあまるで俺が女たらしみたいじゃないかっ! それに、もう一つ! お前が考えるように、俺にホモ趣味は無い!」
「――ご自覚、無いんですか? それとも、あなた……今、自覚の無いふり≠なされましたでしょう。嘘をお吐きになりましたね? 嘘を、偽りを――汝、偽る事無かれ。……嗚呼、主よ、女性にも恵まれず、だからこそ心まで哀れな彼をお許し下さい……」
 医者に代わって天を仰ぎ、恍惚と十字を印す神父へと殴りかかろうとする医者を、アイラスが慌てて止めにかかる。
「えぇいっ! 放せ青眼鏡っ!」
「争い事はいけません! ね、気を落ち着けて、ほら――、」
「俺は元来平和主義者だがな! だからこそ俺の周りの平和を乱すヤツは許せないんだよっ!」
「……言い方を変えれば、ただの自己中ではないか」
「シェアラさんっ!」
 だが、予想外の方向から――シェアラからにこやかにつっこまれ、医者は随分と悲痛にその名を呼ばざるを得なかった。
 名前を呼ばれ、しかしシェアラは振り返らない。
 代わりに、まだごたごたとやっている男三人から距離を置き、先ほどテーブルに敷いたばかりの布へと手を触れさせた。
 周囲を見渡せば、他にもタペストリーが運び込まれ始めている。儀式の役割に則って飾られ、飾られる程に、会場が厳粛な色へと塗り替えられてゆく。
 普段は音楽を聴く為だけの空間も、今日だけは――、
 そこには、宗教という概念よりももっと、
 もっと、大切なものがあるのかも知れないな。
 そればかりは、本番を見てみないとわかるはずもない。しかし、ふとそういうのも、悪くはないと感じられる。少なくとも、今日までの牧師達の試みは――そうして、それに協力してきた者達の試みは、金では買えないほどの価値というものを、良く知っているからこそのものであるはずであった。
 ――ただ金を積めば、布を買える。そういう概念の貴族の連中とは、正反対の、価値感。
「それにしても、こんなに広いですのに。会場は、埋まるのでしょうか……?」
 不意にアイラスが、周囲に視線を巡らせた。
「いや、さすがにそれは無理だろうな。だが、お前みたいな物好きも多い。それにその為に、聖体拝領も省いたんだろ? もっと皆が気楽に、参加できるようにってさ――だからまぁ、結構、来るとは思うけどな」
 尤も、聖体拝領に関しては、旧新の折り合いがなかなか付かなかった、というのもあるんだろうけど。
 ようやくルーンへと向っていた手を下ろした医者が、アイラスの言葉に珍しく真面目な意見を付け加える。
 そこに、ゆるりと近寄ってきたルーンが、別のテーブルクロスを片手に呟いた。
「おや、聖体拝領、省いてしまったのですか」
"Accipite et manducate ex hoc omnes: Hoc est enim corpus meum, quod pro vobis tradetur.〈皆、これをとって食べなさい。これはあなたがたのために渡される、私の体である〉"
 全人類の罪を代って背負い、磔刑に処されたと言い伝えられる神の子は――主は。その受難の前夜、自らの弟子達に、こう言い残してパンを分け与えたのだと言う。聖体拝領は、司祭や牧師が信者達一人一人へと、ホスチアと呼ばれる無発酵のパンを与えていくと言う、それに倣った儀式の一環であった。
 とはいえ聖体拝領には、その特性が故のいくつかの問題も残されている。
「……まぁ、悪い判断では、ありませんでしょうね」
 教理、解釈の違い、その問題を良く知っているルーンは、確かに残念な事ですが、と小さく付け加える。同じ宗派間でやる分には問題が無い事も、
 ――こうもなると、簡単には、行きませんからね。
 そもそも、元々は同じであったものが分裂した時点で、相容れる事は難しくなっていたのかも知れない。同じものが、異なるものへと分かれる。宗教では良くある話であるにしろ、その原因の根源にあるのは、お互いに受け入れあう事の難しい『違い』であるのだから。
 しかし、
「……良くわかりませんけれど、沢山人が来るという事は、きっと良い事なのだと思いますし」
 教会一致運動(エキュメニズム)もあるように、
「ま、そもそも私達も、宗教が好きでこんな事をしているわけでは、ないしな」
 その他の宗教の、和解も始まっているように、
「俺としても、面白ければそれで良し、だ。賑やかなのは、悪くない」
 これから先、この世界が。
 もっと『違い』というものに、寛大になって行けたのならば。
 アイラス、シェアラ、医者と続けた言葉に、ルーンの視線がふと、赤と緑のテーブルクロスの上へと止まっていた。
 全く正反対の色合いが織成す、調和した小さな空間へと。


IV, Quinto movimento-a

 いよいよ、ミサ祭儀の時間が訪れていた。
 ここまでの日々、アイラスは聖歌隊の指揮を頼まれていたオンサと、又、聖歌隊で独唱を勤める事となったマリィとも、日々練習を重ねてきたのだ。
 大丈夫です――きっと、成功します。
 舞台入りの前、二人に向かってかけた言葉を思い出し、アイラスはオルガンの前に腰掛けたまま、自分の心を落ち着かせる。
 ついに、入祭が――事実上の儀式の開催が、宣言された。
 その言葉に、会衆の立ち上がる音が響き渡る。予め配られていた、今日のミサについて書かれた冊子の開かれる音に、オンサは一つ息を呑んだ。
 今日までの期間、随分と練習を重ねてきたとは言え、
 ――結果の保証までは、できないからね。
 苦笑する。
 我ながら、どうなる事やら……。
「オンサさん、」
「ああ、あたいは大丈夫。頼りないかも知れないけれど、宜しく頼むよ、マリィちゃん」
 純白の聖歌隊の衣装に身を包んだマリィが、最前列からオンサを見上げる。
 オンサは満面の笑みを返すと、ちらりと会場を一瞥した。
 マリィの為にも、牧師の為にも。聖歌隊の子ども達の為にも、会衆の為にも。どうにかこの場を、成功させたい。そうして何よりも――、
 神父、あんたの試みが、上手く行くように。
 少しでも、あのヘタレ神父が珍しく考え出した大々的なこの試みを――合同のミサを、成功させるその為にも。
「……オンサちゃん、がんばろーね〜」
「がんばろー、なの♪」
 聞えてくる子ども達の声に、大きく頷いた。
 そうして、既にオルガンの鍵盤の上へと手を置いていたアイラスへと、視線だけで合図を送る。
 その視線を受け、アイラスはゆっくりと息を吐き、オルガンの方へと向き直った。
 大きな眼鏡に楽譜の音符を映し、その旋律に従い、鍵盤の上に指を滑らせる。
 やがて間もなく、その旋律に、
♪ Puer natus est nobis, et filius datus est nobis: cujus imperium super humerum ejus: et vocabitur nomen ejus, magni consilii Angelus.〈私達の為に男の子が生まれ、御子が与えられた。その名は大いなる知恵の御使いと称えられるであろう〉 ♪
 会場の方が歌い終え、いよいよオンサ達にも出番が訪れる。
 ――ええい、ままだ。
 ふと、いつも神父がそうしている様子が、頭の中に思い浮かぶ。あのヘタレ神父も、指揮と儀式を執る時だけは、
 ……どうしてか、大真面目で。
 その幻影に真似るかのようにして、間合いを見計らい、オンサは指揮棒を振り上げた。
 子ども達が、大きく息を吸い込み、
♪ Cantate Domino canticum novum: quia milrabilia fecit.〈新しき歌を、神に歌え。主のその素晴らしき御業の故に〉 ♪
 しん、と静まり返っていた会場の中、声高らかに歌い上げた。アイラスの奏でるオルガンの音色に、見事にぴたりと一致する。
 アイラスは、オンサの指揮を振り返り見つめながら、楽譜の先を先をと追って行く。
 時に緩やかに、時に流れるように。
 そうこうするうちに、入祭唱が終わり、舞台の上へとサルバーレとマリーヤが、助祭と執事を引き連れて並び終えていた。
 普段とは違う、白い祭服の姿。
 オンサはちらりと、祭壇の方を――神父の方を、振り返り見た。
「「In nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti.〈聖父と聖子と聖霊の御名によりて〉」」
 凛、とした声音で会衆へ向けて言い放ち、神父は十字を印し、牧師は黙って手を合わせる。
 ――と、その合間、
 一瞬、
 神父がちらりと、オンサの方へと視線を投げかけた。
 小さな笑顔を、共にして。
 ……神父、
 声にはせずに、呟いた。さながらその調子で、と言われたような感覚に、オンサは胸元のクロスを緩く握り締める。
 それから暫くの間、神父と牧師とが会衆と答唱を続け、何度かオンサも指揮を振り、マリィは共に歌い、アイラスはオルガンを奏でる事となった。
 そうしていよいよ、マリィの出番が訪れる。
 書簡朗読――助祭と執事とが一人ずつ朗読台に登壇し、"Verbum Domini.〈主の御言葉〉"と、聖書を読み上げ終え、
『Deo gratias.〈神に感謝〉』
 会衆の応えに、アイラスがオルガンの音色を響かせた。
♪ Viderunt omnes fines terrae salutare Dei nostri: jubilate Deo omnis terra.〈全地は私達の神の救いを見た。全地よ、主を讃美せよ〉 ♪
 聖歌隊の歌声に、一歩前に出たマリィが大きく息を吸い込む。
 右手をそっと、胸の上へと添え、
♪ Notum fecit Dominus salutare suum: ante conspectum gentium revelavit justitiam suam.〈主は救いを示し、その正義を、諸国の民の目の前へと示した〉 ♪
 その歌声が、流麗に高らかと応えあげる。
 たったこれだけの答唱にしろ、かなりの練習を重ねてきた事に間違いは無い――これだけオルガンの近距離にいると言うのに、それでも響き良く聞えてくるマリィの歌声に、アイラスは小さく微笑みを洩らす。
 ――マリィのにしろ、オンサのにしろ、その練習への取り組みの真面目さを、アイラスは良くわかっていた。
 とっても、良い事だと思いますよ。
 そういうのは単純に、悪くないと、そう思う。
 何かの為に、何かに打ち込める事。そういう気持ちは、きっと忘れてはならない物なのであろうから。


V, Settimo movimento-a

 そうして無事に、大ホールでのミサも終わり、小ホールへと移動。その後のエルザードフィルの『交響曲第四番 イ長調 作品九十』の公演も無事終わり、その感動をそっとしまい込むかのように、団員も舞台から去り。
「さ、セシールさん、マリィさん、アイラス君。次はあなた方の出番ですよ」
 楽団の撤収と、アイラスのピアノと、セシール達への舞台設置を確認し終えた神父が、三人に向かってにっこりと微笑んだ。
 再び閉められた舞台の幕の向こう側、聞えてくるざわめきに、
「……ボク、やっぱりこーいうのは……」
 フルートを握り締め、セシールがぽつり、と呟いた。舞台の上にわざわざ置かれた台の上、
 皆の注目を、浴びるだなんて……。
 俯き、じっと足元を眺める。着替えさせられたワンピースに、洒落た靴のリボンが、いつもの練習とは自体が違う事を、静々と教えてくれているかのようで。
 ――不安になる。
 こういう時が、ボクは一番、嫌いだから……。
 先ほどまでの演奏とは、まるで訳が違う。これからの演奏では、自分の周囲を囲んでいてくれる、団員達の姿もないのだから――大勢の中の一人として一瞥されるのではなく、独奏者として、注目されるのだから。
 ……と。
 不意に、その肩に、隣でその様子を見つめていたマリィの手が、ぽん、と軽く乗せられた。
 思わず顔を上げたセシールに、
「今回も、頑張ろ、ね?」
 雪のようなワンピースに身を包ませたマリィが、ふんわりと微笑みかける。
 マリィにとってセシールとの共演は、これでもう数度目のものであった。
 ――最初の頃は、正直。
 不安だった所も、あったのだ。セシールの本番前の緊張には、マリィの方まではらはらさせられてしまう事が、度々あったのだから。
 しかし、今となっては。
 大丈夫、
「私も一緒だから」
 絶対、大丈夫――。
 セシールには、誇るべきフルートの腕前がある。それに何より、それにも勝る、音楽への想いがある。
「……今回は頼りないかも知れませんが、僕も、ご一緒させていただきますので」
 ふと聞えて来た暖かな声音に、マリィとセシールとが背後を振り返る。
 二人の視線の先では、軽く格好を整えたアイラスがにっこりと微笑んでいた。眼鏡越しの暖かい視線に、マリィとセシールは顔を見合わせ、大きく一つ頷きあう。
「宜しくお願いしますね」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
「宜しく……です」
 アイラスの差し出した手に、マリィ、セシールがその手を重ねる。
 三人が、よしっ、と気合を入れた所を見届けると、神父は何も言わず、静かに踵を返した。舞台へと幕を上げるようにと一言言い残すと、微笑と共に会場の方へと消えてゆく。
 やがて間もなく、開かれた舞台のその幕に導かれるかのようにして、
 そうして三人は、光の下へと姿を現した。
 セシールの背にそっと肩を添えるマリィと、その二人を見守るかのようにして歩き出たアイラスは、舞台の中央に辿り着くと、三人揃って頭を下げる。ぱらぱらと会場に起こり始めた拍手に、マリィは笑顔で応えていた。
 暫く、
 アイラスが、ピアノの椅子へと腰を下ろす。
 セシールが、フルートを構える。
 やがて、人々の拍手もすっかり止んだ頃。
 ――ふわり、ふわりとやわらかく、
 編曲された旋律が、アイラスの指先から奏でられ始めた。
 その音色に、フルートの奏でが響きを加え。
 最後に、
 マリィが大きく、息を吸い込んだ。
♪ Silent night. Holy night... ♪
 ふと、故郷が懐かしくなる。まだ父が、母が。傍に居てくれた頃からずっと知っていた、故郷の間でも、随分と知れ渡っていたこの曲。
 静かな夜、聖なる夜、
♪ All is calm, all is bright――, ♪
 全ては静まり返り、輝き――、
 ――故郷は決して、生きるのには、楽な所とは言えなかったのかも知れない。両親は殺され、多くの人達もそれと同じように、命を落として逝ってしまったのだから。
 しかし、それでも、
 決して故郷に、良い想い出が、無いわけではない。心の中に永遠に残された、両親の想い出があるように、
 空を仰いだ、平和なあの日。晴れ渡る風に、そよぐ白い花を見つけ、
♪ Round yon Virgin mother and Child... ♪
 思い返すに、確かにあの場所には、今とは違う幸せがあった。
 今のこの時は、確かにあの時より幸せであるのかも知れない。平和な毎日、笑顔の毎日。しかし、それでも。
 ……たまには、
 たまには少しだけ、
♪ Holy infant, so tender and mild, ♪
 お父さん、お母さん。
 私は――マリアローダは。
 決して、寂しくないわけじゃあなくて。
♪ Sleep in heavenly peace, ♪
 正直時々、思い出して泣きたくなる事もある。夕暮れの小道、両親に手を取られる小さな少女の姿に、はっと振り返った事もある。
 ……それでも、
♪ Sleep in heavenly peace――. ♪
 それでも、私は――。
 胸に手を当て、祈るように。歌い上げたマリィの想いに、アイラスのピアノの音色が重なった。
 セシールのフルートがそっとマリィに代り、主旋律を歌い上げる。
 ――いつの間にか会場は静まり返り、幾つもの見守るような視線が、舞台の方へと向けられていた。
 三人の音色を最大限に生かせるようにと、三人の手によって編曲された、独創的要素の深い伝統の曲。
 間奏に奏でられるセシールのフルートの主旋律に、アイラスも心の中で呟き歌う。
 ピアノの音色に、想いを込めて。
 ……清し、この夜――星は、光り。
 救いの御子は――馬槽の中に、眠り給う、いと安く――。


Fine



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            I caratteri. 〜登場人物
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<PC>

★ シェアラウィーセ・オーキッド
整理番号:1514 性別:女 年齢:184歳 職業:織物師

★ ルーン・シードヴィル
整理番号:1364 性別:男 年齢:21歳 職業:神父

★ オンサ・パンテール
整理番号:0963 性別:女 年齢:16歳 職業:獣牙族の女戦士

★ イルディライ
整理番号:0811 性別:男 年齢:32歳 職業:料理人

★ アイラス・サーリアス
整理番号:1649 性別:男 年齢:19歳 職業:軽戦士

★ マリアローダ・メルストリープ
整理番号:0846 性別:女 年齢:10歳 職業:エキスパート


<NPC>

☆ サルバーレ・ヴァレンティーノ
性別:男 年齢:47歳 職業:エルフのヘタレ神父

☆ リパラーレ
性別:男 年齢:27歳 職業:似非医者

☆ テオドーラ
性別:女 年齢:13歳 職業:ご令嬢

☆ エドモンド
性別:男 年齢:15歳 職業:執事

☆ マリーヤ
性別:女 年齢:25歳 職業:女牧師

☆ セシール
性別:女 年齢:12歳 職業:フルート奏者



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          Dalla scrivente. 〜ライター通信
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 Felice Anno Nuovo――明けましておめでとうございます。今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。
 この度は依頼へのご参加、本当にありがとうございました。まずはこの場を借りまして、深くお礼を申し上げます。
 そうして今回は……白状しますが大遅刻しました……新年早々大変申しわけございません。割と余裕を持って見積もっていたつもりが、納品前日のミサ実体験(ついに行って来てしまいました)の影響で話の中の嘘っぱちが明らかとなり、その上ラテン語の引用の整理に予想外に時間を要してしまいまして……。
 このお話に関しましては、この場を借りて色々解説染みた事をさせていただこうと思っております。宜しければ、もう少々お付き合い下さいませ。
 まずはミサに関しましてのお話ですが、引用させていただいた言葉は、上にもありますとおり全てラテン語となります。実はあたし、旧教に関しましての知識はほんの少しだけある事にはあるのですが、新教の知識については殆ど無い、と言っても過言でないくらいにありません。とはいえ多分、新教はラテン語でミサを行ったりはしません……はずです。ちなみに日本の旧教教会でも、ラテン語のミサは年に都心で一度あるか無いか、くらいなのだそうです。教皇庁では毎日ラテン語でミサやロザリオをやっていますけれども……つまりは雰囲気的な効果を狙っておりますのみでして、現実とは一切リンクしておりません、という事なのでございます。どうかこの点はご了承頂きたく存じます。聖歌につきましても、一応降誕祭ミサのものから引っ張ってきてはおりますが、何分色々とあるようですから、激しく間違っている可能性は十分にございます。色々とボロがありそうで、大変申しわけございません。……ちなみに聖体拝領を省くとミサと言わなくなりそうなのは、秘密にしておいてやって下さいまし。
 音楽の方につきましては、丁度ウィーンフォルのニューイヤーコンサートなどを観る(TV越しですが/苦笑)時間にも恵まれまして、「わぁ、指揮者のお兄さん素適〜☆」などと色々(音楽以外にも)感激していたのですが、2004年度の指揮者のお兄さんは、それはもうたおやかに指揮棒を操るお方でございまして(いえ、個人的な見解なのですけれども)、ちょっと天の方に視線が向き気味なあの様ですとか、胸に手を当てて恍惚と指揮を執る様ですとか、なんかもう完璧に「すみません、降参です……」と言った感じでございまして、酷く心を奪われてしまいました。もうファンになりそうです(笑)。
 ともあれ。
 "Bravo !""Bravi !"はイタリア語――だったと思うのですが、前者は男性名詞の修飾語なので、要するに、指揮者を褒めている感じになります。「よっ、マエストロ☆」と言った感じでございますね。後者は男性名詞の複数なので、女性も含め、エルザードフィルの演奏そのものを褒めている感じになるかと……。ちなみに女性一人を褒める時は"Brava !"となります。
 ――ご覧いただけるとお分かりいただけるかも知れませんが、今回のお話は迷路のように入り組んでおります。今年から時間軸ごとに番号を振っていこうという試みを始めてみる事に致しまして、今回はこのようになっております。
Primo→Secondo(a〜d)→Terzo→Quarto→Quinto(a,b)→Sesto→Settimo(a〜c)→Ottavo→Nono
 プレリュード(序章)を合わせると、合計16の小話から成立している事となります。宜しければ、他の部分にも目を通してやって下さいまし。
 では、新年早々大変失礼致しました。何分不届きなライターではありますが、今年も宜しければ、お付き合い頂けますと幸いでございます。
 なお、今回は申し訳ございませんが、都合により個別のコメントの方を割愛させていただきます。ご了承くださいませ。

 何かありましたら、ご遠慮なくテラコン等よりご連絡をよこしてやって下さいませ。
 乱文となってしまいましたがこの辺で失礼致します。又どこかでお会いできます事を祈りつつ……。
 Grazie per la vostra lettura !


05 gennaio 2004
Lina Umizuki