<PCクエストノベル(2人)>
箱庭 〜不死の王・レイド〜
__冒険者一覧__________________________
【1244 /ユイス・クリューゲル/古代魔道士】
【1256 /カイル・ヴィンドヘイム/魔法剣士】
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【起章】
明るくきらきらとした朝の光が降り注ぐ、馴染みのカフェテラスである。
白く小さな両手で、ぽったりと厚みのあるミルクカップを抱え――カイル・ヴィンドヘイムは、モーニングコーヒーならぬモーニングミルクを愉しんでいた。
薄い唇の上の方に、うっすらとホットミルクで口髭のような白い跡ができている。
それを盗み見ては笑いを噛みつぶしている緋色の髪の男が、ユイス・クリューゲルである。
カイル・ヴィンドヘイム:「・‥…ちょっと。人の顔見て、何笑ってるんですかユイスさん」
ユイス:「んー別に? 幸せを実感してるんじゃない、こんなにも自分を思ってくれている友達がいてくれるんだって事実に」
カイル・ヴィンドヘイム:「茶化さないでくださいよ、もう」
ユイスが自分の鼻の下を伸ばしながら指を差し、白く残ったミルクの跡を拭えと無言で示す。おそらくは、今回が初めてではないのであろう。カイルはその意図をすぐさま汲んで、服の袖で己の口許をぬぐった。
カイル・ヴィンドヘイム:「本当に、ユイスさんは人が悪いと思う・‥…ずっとこれ見て笑ってたんですか」
ユイス:「うん。自分の鼻の下をそんなにしてまで俺の事を思ってくれてる事実に感動してた」
カイル・ヴィンドヘイム:「………。」
カイルはむっとしたようにミルクカップをテーブルに置いた。が、その仕草までが、ユイスに取ってはおかしくてたまらない。
おかしい、と言う言葉には、些か語弊があるだろうか――もとい、嬉しくて、たまらないのである。
事の発端は昨日の夜。
やはりこのカフェで久方ぶりにカイルと出会ったのがきっかけだった。
この店は夜になるとちょっと洒落たショットバーにもなる。互いの無事を祝って、ユイスは度の強いアルコール、そしてカイルはホットワインで乾杯をした。
その時に話題になったのが、これから2人が赴く南の地――不死の吸血鬼・レイドの牙城と噂されている地域、である。
不死の王、レイド。
かつてはソーンから遠く離れた西の地下に封印されていたが、浅はかで矮小なドワーフに封印を解かれてしまってからはその消息を絶っている。
以来、人々が恐怖に打ち震えているのを尻目にどこかに身を寄せている、らしい。
ユイス:「登場の機会を虎視眈々と狙ってるんじゃないかと思ってね――いつか見てみたいと思っていたんだが、俺が明日からしばらく予定が空きそうなんだ。丁度良いから、行ってくる」
小さなグラスを指に捉えて転がしながら、まるで明日から湯治にでも行ってくる…などと言った明快さで告げるユイスに、カイルはあんぐりと口を開けて絶句してしまう。
レイドの噂ならば、カイルの耳にも時折届いてはいた。
ありとあらゆる魔法を使いこなす上、ヴァンプ特有の禍々しい能力も軒並み揃えて有していると聞く。ましてや、長い眠りから開放されてまだ日が浅いとなれば――
誰がどう説明しようと、極めて危険であるという事実はひっくり返す事ができないだろう。
そんな噂通りの危険な存在であるならば、湯治ほどの安易さでユイスを1人で行かせてはいけない――すっかり冷たくなってしまったワインのグラスをぐっと空けて、カイルは真摯な眼差しでユイスに宣言したのだった。
カイル・ヴィンドヘイム:「ユイスさん、…僕も一緒に行きます」
今度は心ひそかに、ユイスが絶句してしまう番…であった。
当初、どうしてカイルが同伴を申し出たのかが彼には理解できなかった――カイルは自分と違ってとても甲斐甲斐しいから、暇を持て余して仕方がないのだと言うわけでは無さそうだし、好奇心に駆られて何かを即断するような安易な子供にも見えない。数刻前までのカイルの様子を見ている限り、両者の間に何かしらの確執が存在するようにもユイスには感じられなかった。
だとしたら、いきなり、何故。
ユイス:「――ああ、そっか。・‥…悪くないな、一緒に行こう」
心配、されているのだと。ユイスは気づく。
目の前でワイングラスの細い部分を指先できゅっとつまみ、何かとても確かな決心をした強い顔をして口唇を噛むカイルが、自分の事を心配し、明日は危険な南の地まで行動を共にすると言う。
どれほどに頼りない男として自分は見極められているのだろう。そんな事を思ってユイスは苦笑する。
そして、やはり人間とは良いものだ、と思う。
どうでも良いふうを装ってはいたが、ユイスがレイドに見えようと思ったのには理由があった。
ただの物見遊山などではない。それほどまでに強大な力を持つ存在が人々を脅かしているのなら、自分がそれを封印しなおさなければならないと思ったからである。
自由とは、己の好き勝手気ままに行動することではない。何事にもルールは存在し、その枠組みに則った言動こそが自由の代価なのだ。
そのルールを成したのが、ユイス自身――古代人と呼ばれる者である。魔道士などとは言わば世をしのぶ仮の姿であり(個人的な趣味と実益を兼ねては、もちろんいるのだが)、彼の成した理の範疇から逸脱する存在を裁く権利を持つ…言わば、神にも等しい存在なのだった。
――封印? 別にいつでもいいし。
カイルを伴ってレイドに見えれば、己の力を以てレイドを再封印する事はおそらく叶わないだろう。己の力をヒトに誇示してはいけない。神であると、悟らせてはいけない。
それに、と。
ユイスは口許だけをにまりと笑ませながら、深紅に燃える髪を掻き上げる振りをしてその表情を隠す。
誰かに心配されるってのは、なかなか悪い気がしないものじゃないか―――?
カイル・ヴィンドヘイム:「早くしないと置いていきますよっ」
最後の一口を飲み干してからカイルが口をぬぐい、立ち上がった。
はいよ、と間の抜けた返事をしながらユイスも席を立ち、しゃらりと首飾りを鳴らしながら店を出る。
空は遠くまで透き通るように真っ青で、柔らかな朝の日差しが2人を照らしている。
【承章】
なるべく最短の距離でレイドの許に辿り着くために、目的地までは道なりに進んで行くことをユイスが提案した。
広大な森林地帯を東西に分つように、一筋の道がある。それを南に下って、適当なところで東に折れれば良い。
適当なところで――という部分が僅かに引っ掛かるが、大筋は彼にしてはなかなか理知的で論理的な提案である。カイルはそれを承知し、2人は少しの無駄もないように森へと入って行った…のだが。
カイル・ヴィンドヘイム:「・・・ユイスさん」
ユイス:「ほら、こっち来て見てみろよカイル! おかしいなあこいつ、俺が突っついたらもそもそ動き出したぞ!」
当の本人は、数刻前の己の言葉などどこ吹く風で、道端で見つけたカエルを追ってどこまでも付いていったり、森の奥の大気がうっすらと靄がかっているのを発見すれば「温泉だ!」と言って駆け出したりと言った始末である。
当初、それらのいちいちを窘めて先を急かせたカイルであったが、すっかりと道を逸れてしまい森の奥深くに入り込んでしまった事を悟ってからはおとなしくなって、ユイスの言うままに道草を喰って遊んでしまうに至っていた。
ユイスの言う「もそもそと動き出した」ものを見に、ぱきぱきと木の枝を踏んでカイルはユイスの許へ歩む。草むらに、子供のような体勢でしゃがみこんでいるユイスの横に己もしゃがみこむと、カイルはほんの少し眉を寄せた。
カイル・ヴィンドヘイム:「・‥…この子」
ユイス:「おかしいだろう? ヘビのくせに、身体がこんなに膨れ上がってるんだ。おまけにとろくさい」
カイル・ヴィンドヘイム:「…食事の後なんですよ。ゆっくりと時間をかけて消化している所だから、邪魔してはダメです」
ユイス:「食事?」
カイル・ヴィンドヘイム:「この大きさだと、鳥の卵か…野うさぎさんの子供か何かだと思いますよ」
不意に、ヘビの腹を突いていたユイスの指が止まった。
ひく、ひく、と脈打つように腹を蠢かしているヘビの様子をじっと見つめ、ああ、と小さくカイルの言葉に相槌を打つ。
ユイス:「ああ、…そうか」
カイル・ヴィンドヘイム:「?」
ユイス:「そうだよな…‥・そういう事、なんだよな」
カイル・ヴィンドヘイム:「ええ…そりゃ、食べられちゃった卵や動物さんたちは、かわいそうだって僕も思います。けれど、…このヘビさんだって、こうやって一生懸命生きてるんですよね」
これが、生きると言う事なのだと。ユイスは目がさめたような顔でヘビを見ている。
目の前で行われている、これは『生と死の儀式』、なのだ。
ヘビは生きるために、鳥の卵や小さな動物を食し、それを自らの血肉へと変えていく。
卵は孵化すれば空を羽ばたく鳥となって、昆虫ややはり小さな動物を狙うだろう。
小動物は草を食べ、自分よりも小さな動物を殺して食し、生き残った者たちは生き残った者たちで等しくそれを繰り返していく。
己に与えられた生を全うするために、他者に与えられた生を奪いながら、生き繋いでいく。
それが、生きる事――なのだ。
ユイス:「――頭では、理解していたつもりなんだけど…な…」
そう言って、曖昧に苦笑するユイスを傍らで見上げながらカイルは、彼は今までの半生をどう過ごして来たのだろう、と想像する。
何でも知っているようで、何も知らない――例えば、ヘビの腹が膨れていることの理由、など――非道く年齢を取ってしまった子供のような、そんな男である。
カエルを追いかけてははしゃいで突き回し、温度の高い湧き水から立昇る湯気を発見しては温泉だと言って食い入るように見つめている。
落ち着き払って物事を俊敏に対処する場合と、触れれば壊れてしまうような不安定さを見せる場合と。
まるで、その姿は――
ユイス:「行こう。多分、もうすぐだと思う。……ナルシストっぽい匂いがする」
カイル・ヴィンドヘイム:「―――は?」
カイルの思考が、そんなユイスの言葉に寸断された。
すっくと立ち上がったユイスは遠くをじっと見つめ、まるで本当に風が匂い立っているかのように鼻をひくつかせている。つられてカイルもくんくんと鼻を鳴らしてみたが、辺りに漂っているのは湿った土の匂いと、樹木の香りのみである。
やめよう。
大切な友達…ただそれだけで充分ではないか。
彼の事を考えても、答えは当分見えそうもない。カイルは諦めたように立ち上がり、食べ物の匂いにつられて彷徨う動物のようなユイスの背中を追う。
【転章】
それでも、である。
さすがに、自分の命の危険がかかっている時くらいは、彼もその言動を改めるのだろう――そんなふうに軽く考えていた自分自身を、カイルは全力で呪うことになるのである。
ユイス:「すごいな、本当にいるんだ…もう、あからさまに『俺は吸血鬼です!』みたいだよな、その格好」
ユイス曰く『ナルシストっぽい匂い』を発散させながら――そして大変信じがたい事に、ユイスの道案内の果て実際に遭遇することが叶ったのだ――レイドは、物憂げに細めた眼差しで2人に一瞥を投じたあと、ふん、と小さく鼻を鳴らした。
歓迎されていない。しかも、かなりあからさまに、である。
ユイス:「知ってるか、カイル――ナルシストって言うのは、自分のお眼鏡に適った美貌の持ち主じゃないと話しすらしてくれないものなんだ。だから一見、ものすごい自信に溢れたいけすかない野郎だと思うかもしれないが、」
言いながら、すたすたと躊躇のない足取りで、ユイスはレイドに歩み寄っていく。
ぎらり、と――レイドの眼差しがユイスの首筋を捉えたのを見た時。
ユイス:「大丈夫。隷人(レイド)は優しいから、すぐに――」
カイル・ヴィンドヘイム:「あ」
殺気、と言い表してしまうにはあまりにも凝縮されすぎる爆ぜたレイドの感情が、彼の指先で鋭い刃を形どる。カイルが息を呑んでその足を踏みだすのと、視界の端できらめいた刃にユイスが本能的にその上体を逸らせたのとが、ほぼ同時――だった。
カイル・ヴィンドヘイム:「っユイスさん!!」
ユイス:「…うわ」
おそらくは、ユイスの胴を分つつもりで繰りだされた刃だったのだろう。
寸でのところ逃れた、ユイスのその脇腹を鈍い衝撃が襲う。
大きくよろめいたユイスは、左の腹部を抉り取るかのように焼き付く激痛に一瞬だけ顔を顰め――おとなしく、草の上にぺそりと転がった。
髪の色よりも赤く、そして鮮やかに黒ずんだ血液が草を染める。あーあ、などと残念そうな声を漏らしながら、ユイスはしきりに裂けた自分の服ばかりを気にしていた。
レイド:「――その名で私を呼ぶな…‥・!」
苛立ちの王がユイスに宣告する。大気中の酸素が燃焼するちりちりとした音、そして匂い――レイドに触れている空気が青白く発光していた。
それを見て、蒼ざめたのはカイルである。今にも泣きだしそうな顔に駆け寄り、傷を庇うユイスの手のひらをそっとどかせる。鼓動と共に脈打って零れる腹部の傷は、今すぐにでも治療を施さねば致命傷にもなりうるだろう。
きっ、とカイルはレイドを睨め付け、口唇を噛む。
レイド:「・‥…私は今、虫の居所が悪いんだ」
カイル・ヴィンドヘイム:「―――っ…!」
レイド:「そこに転がっている赤いのと、同じ運命を辿りたいと言うのか」
カイル・ヴィンドヘイム:「っそんな事!!」
させない――と、カイルがぎゅっと左の手のひらを握り締める。
それを勢い良く広げた、その瞬間に。
彼の掌中に、まばゆい光を帯びた大剣がその輪郭を露にした。魔法の気を帯びたその剣は祝福の銀白に輝き、辺り一帯を照らす。
不意の光にレイドは端正な顔を背け、羽織った漆黒のマントで双眸を覆った。その一瞬を、カイルは見逃しはしなかった。
カイル・ヴィンドヘイム:「許さない…絶対に!」
カイルが剣の柄を強く握り締め、枯れ草の積み重なった大地を蹴る。
万に一つも無かった筈の勝機を、カイルはまばゆさの中に見いだした。だがこの一撃をかわされてしまえば、それすら失ってしまうだろう。耐久戦となっても、手負いのユイスを背中に隠している以上、圧倒的有利なのはレイドに他ならない。
ライカンスロープ――獣の姿を本性とし、ヒトの姿こそがかりそめであるカイルがその力を摩耗し尽くしてしまえば、彼の姿は本来の姿に戻ってしまう。
戦いに負ける事をカイルは厭う。
が、その姿をユイス――友達に晒してしまう事の方を、今のカイルは厭んでいた。
この一撃で、全てを決める――カイルは様々な想いを胸に、マントに包まれたレイドの身体の中心目がけて剣を撃った。
―――が。
ユイス:「待って駄目、やめろカイル」
そんな言葉が耳に聞こえた、とカイルが思ったその瞬間。
地を蹴った右足を、信じられないほどのしっかりとした強さで。
大きな手のひらに掴まれた。
カイル・ヴィンドヘイム:「ぎゃ…‥・っ・・・!」
レイド:「――!?」
あまりに予想外すぎたユイスの暴挙に、心臓の筋肉が痛いほどに収縮し、カイルは怒りとも困惑ともつかない奇妙な声を上げてしまう。
宙に浮いた身体は完璧に支えを失って、飛んだ勢いのまま前のめりに倒れ込む。
そして、あろうことか――顔を背けたままのレイドの肩口へしたたかに額を打ち付け、レイドもろともどすりと草の上に重ね転がった。
あまりと言えばあまりの、三つ巴である。カイルが握り締めていた大剣はすっかりその形を失い(肌が粟立って痛くなるほどの衝撃を得たのだ。カイルの集中力はぱちりと音を立てて切れてしまった)、後には無様に寝転がる3人の男だけが残っている。
ユイス:「もう判ったから良い、帰ろうカイル。・‥…そうだ奴人(レイド)、もう2度と封印されたくないなら、ヒトのいる場所には近づくな。…生きるな、とは言わないから」
一体、己の身に何が起きたのか。
1人把握できないままでばちばちと長い睫毛で瞬きをしていたレイドが、ユイスの言葉にはっと正気を取り戻す。
次いで、今までに自身が体験したことの無い、ざわざわ身の毛がよだつほどの怒り――それに再び我を失いそうになった頃には、既に。
ぽかんと口を開けてレイドを凝視しているカイルと、その足を掴んで苦笑しているユイスの姿が朧になり始めていた。
レイド:「待…‥・っ」
レイドが手を伸ばす。
どうしてお前が、私の名を知っているのだと。
どうしてかつての名を呼び、意味あり気な言葉を残していくのだと。
指先は、掻き消えていく霧のように散っていくユイスの輪郭を掴み――握り締めた時、手のひらの中には何も残されてはいなかった。
赤毛の男――ユイスが転がっていた辺りには、大きな血溜まりが出来ている。狐に抓まれたような、呆気にとられた眼差しがそれを見下ろした。
そして、しばらくの後。
レイドは諦めの溜息を吐き、ばさりとマントを翻す。
風を受けて優雅に膨らんだマントが、ゆっくりと風に沈殿して行き―――
後にはただ血溜まりのみが、そこに何がしかが存在していた証となり、残されていた。
【結章】
場所は裏路地。
おそらくは、朝発ったカフェテラスの裏手に位置する暗がりである。
残飯を漁っていた野良猫がいち早く何かを察知し、麻袋を蹴って逃げ去った、そのすぐ後で。
腹から血を流して無様に唸っている赤毛の男と、ぺっそりと石畳に突っ伏して眉を顰めている銀髪の少年とがいきなりに姿を現す。
銀髪の少年――カイルは、それでも状況を把握することができず、しばしぼう然と石の間に生した苔を見つめていた。夕餉の時刻に近いからだろうか、細く薄暗いこの裏路地にも焼けたパンの香りがうっすらと漂い始めている。
瞬間移動。
そんな能力の呼び名が、カイルの脳裏を掠めた。
ユイス:「あ…あとは任せた…‥・よ・・・」
がっくり、と芝居めいた様子で首を落としたユイスをカイルが振り返り、次いで患部のおびただしい出血を見て慌てふためいた。
跳ねるように立ち上がり、見覚えのあるカフェへと足を踏み入れ――カイルに比べればずっと体格の良いユイスの身体を治療院へ運んでくれる者を探しにかかる。
聞きたい事が、山ほどあると思った。
なぜ、あれほどまでに無防備に――不死の王と謳われるレイドに近づいていったのか。
この男の奔放さを、今回ばかりは思うさま叱りつけてやりたいとも思った。
だけど。
カイル・ヴィンドヘイム:「死んじゃ…‥・駄目ですよ、ユイスさん…!」
今この瞬間だけは、その命を繋いでくれればそれでいい―――屈強な男達に身体を担がれるユイスの、冷や汗の滲むこめかみを見つめてカイルは祈る。
いくらかでも止血の助けになればと、傷口に添えていた自分の手のひらが涙で滲むのをカイルは感じた。
【後日譚】
ユイス:「だから…そんな危険だと思わなかっただけさー…機嫌直そうよ、こうしてぴんぴんしてるんだから」
内臓に達するほどの深い抉り傷を負いながらも、普通の人間では考えられないような驚異的なスピードで回復へ向かっているユイスと、カイルはもうずっと口をきいていない。
考えてみれば、彼の重症は彼の自業自得なのだ。カイルが気にしてやる必要など全くないのである。
自分が心配すればするほど、この赤毛の男は付け上がるのだから――
ユイス:「ねえってばー…カイル? カイルちゃん?」
頑として口をきかないカイルの背中を懇願の眼差しでじっと見つめながら、ユイスはユイスで堪らず吹き出してしまう。
この数日は、こうしてカイルをからかうのが彼の日課なのである。自分に背中を向け、むっとした表情のまま分厚い本(薬草の煎じ方や効能が記載されている古いもの、のようだ)のページをめくっているカイルの頬をつんつんと突っついてやったら、きつく巻いている包帯の上からぺしんと患部を叩かれた。
五臓六腑に染み渡る、とはまさにこの事だ。身体中を駆け巡った激痛に、うっ、とユイスは呻く。
カイル・ヴィンドヘイム:「自分の浅はかさが招いた事態なんだって、きちんと身体に判って貰わないといけませんからね!」
ユイス:「あ、やっと口きいてくれた」
カイル・ヴィンドヘイム:「――この本、重石にしますよ」
言うが早いか、少しのためらいも見せる事なくカイルがぱったりと本を閉じ――日当たりの良いベッドに横たわっているユイスの腹部にそれを置く。
ああ、ともうう、ともつかない珍妙な叫び声をあげるユイスの様子を見下ろしながら、怒っているふうを装うカイルの口の端が安堵に思わず緩む。
ユイス:「―――っ参った…」
ギブギブ、とベッドシーツを手のひらで叩きながらユイスが声を絞りだした。ふん、とそっけなく鼻を鳴らしながらも腹上の本をどかしてくれたカイルが、再び自分に背を向けてページをめくり始める。
微苦笑しつつこめかみの冷や汗をぬぐいってからユイスは、眼鏡のつるに指先を触れさせて窓の外の景色を見上げた。
思い通りにならない事ばかりだ、と思う。
裂けた皮膚が再生する疼くような鈍痛も、血液を大量に失ったせいで霞む視界も。
レイド――かつて彼が『奴人』と呼ばれていた頃、その時代を自分は知っている――に腹部を抉られた時、もしかしたらこのまま自分は「死ねる」のではないかと、ふと脳裏を掠めた。
だが、死ねなかった。
死ねるわけがないのだ。生も死も内包しているはずの自分自身は、生と死のルールの範疇外に存在しているのだ。この意識が寸断され、霧散する可能性はない。存在の苦しみから逃れる方法など、それこそ存在しえはしないのだから。
思い通りにならない事ばかりだ、と思う。
だからこそ、全てのものが愛おしく見えてしまうのだとも、思う。
ユイス:「・‥…箱庭、か」
カイル・ヴィンドヘイム:「はい?」
ユイス:「…なんでもない」
己の範疇の外に存在する何かが、欲しかったのだ。
だからこそ、この理を編んだのだ。
己の意のままに扱える何かなど、もう欲しくはない。
だから。
カイル・ヴィンドヘイム:「日差しが、強くなってきたから。カーテン閉めるよ、…ユイス」
カイルの声に小さく頷いて、ユイスはゆっくりと浅い微睡みの中へと堕ちて行った。
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