<東京怪談ノベル(シングル)>
霧立ち昇る朝に
朝霧の白さ。
目に鮮やかに入り込む、真円の太陽。
「やはり変わりはしないのでしょう……ね。永久に――」
横で長い時間語らってくれたルディアが微笑んでいる。
何が真実で、何が偽りなのか――巡る世界に何ひとつ特別なものなどありはしない。
どれも等しく存在し、そして同じ時を翔ける。
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「今日は付き合ってもらっていいかしら?」
「もちろんですよ! みずねさん」
ふたつ返事で了解してくれたのは、白山羊亭のルディア。くるくるとよく働く可愛い給仕の女の子。
すでに宵の月。
薄衣の闇が静かにユニコーン地方を覆い始める時刻だ。
お酒をいくつか選んで、美麗な瓶ごとカウンターに並べる。ゆっくりと注がれていく朱色の液体。グラスの八分目までしっかりと満ちて、たゆたう夕暮れの湖の如く、僅かに揺らいでいた。
「どれを飲まれます? 今日は酔いたい気分なんですか?」
「そうね……これかしら」
私が手にしたのはフォズ酒。ジェンカという森に近い村が原産の品。甘く爽やかな口辺りが、思考の波を漂うにはいいかもしれない。
「ああ! そうだわ、珍しくフォズの実が手に入ったんですよ。入れましょうね」
店はほとんど終了している。奥の席に眠り込んでしまった客がひとりと、ツマミを口に運びながら談笑している男女だけ。
あとは物静かな空気が、淡いランプの光に照らされているくらい。
ルディアが店の奥へと引っ込むと、私はカウンターの正面にあるたくさんのグラスを眺めた。磨き上げられた美しい器。見つめていると、先日出会った人に訊ねられた言葉を思い出した。
『死なねぇってのは、どんな感じなんだ?』
考えたこともない問いだった。
私は巫女。『名も忘れられた幼き風の“神”』に仕える、人魚属としては珍しい役目を拝している者。
お仕えしている主が不老不死である以上、足元に鎮座する者は当然同じだけの時間を生きるのが常識。
――でも、それは生死の存在する人にとっては、驚くべきことなのかもしれない。
「ごめんなさい! 手間取っちゃって……あら? どうかされました?」
「……いいえ、ちょっと考えていることがあってね」
遠い目をしていたことに、目の前で「なんだ」と苦笑している少女は気づいたようだった。
誰かに語れば、胸に留まってしまった言葉は軽くなるかもしれない。
その為に、白山羊亭に足を運んだのだから――。
「ねぇ、ルディア……あなたが永遠の命を持っていたらどうするかしら?」
「え? わたしですか?」
少女は隣の席に座って、持ってきたフォズの実を器に入れた。
「わたしなら時間を大切に使いたいと思いますね」
「あら、どうして? 永久に生きるということは無限の時間が与えられていることになるのに」
「だからですよ」
少女は笑った。
「みずねさん、あのグラス綺麗ですよね?」
なぜ突然そんなことを訊くのか、首を傾げた。
「わたし、いつもここで働きながら思っているんです。あのグラスみたいにいつも輝いていたいなぁ〜って」
「そうね……」
「お店に来るお客さんは、いつだって違う顔をしているんです。だから、ちゃんとしっかり目を開けて見ていないと見逃しちゃう。もしかしたら、その人が笑っている顔をしたのは、その一瞬だけかもしれないじゃないですか」
私はルディアが嬉しそうに微笑むのを見つめた。
時間は区切られていてもいなくても変わらない。彼女はそう言っているのだ。ある意味、死という概念があるからこその発想なのかもしれないと感じた。
私はどうなのでしょう?
輪廻転生に順ずるものはあるけれど、あの方の元でまた新しい私に生まれ変わるだけ。同じ肉体と同じ記憶を持って生まれくるのだから、一般的な「死」の理念からは外れている。
思考し、心に問っても、やはり死を知らないゆえに、限られた命の持つ意味を知ることはできなかった。
それでも、ルディアの言葉は心に根づき、人との出会いはこれからも大切にしようと胸に刻んだ。
夜は更け、そして朝が来る。
気がつくと、白山羊亭の窓が明るくなっていた。
生まれいづるべき場所に生まれ、生きる。
それだけが、私を動かし続ける風の流れ。
「さぁ、また新しい朝ですね」
霧の中を太陽に向かって、大きく背伸びをした。
繰り返される時間。
変わらない日々かもしれない。でも、すこしづつ違う。
投げ掛けられた問いに明確な答えは出なかったけれど、私はこうしてまた毎日を過ごしていく。
僅かに晴れた霧。
青空が昨日より輝いて見えるのは、気のせいではないはずだから。
□END□
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こんにちは、ライターの杜野天音です。
折角ご依頼頂いたのに、諸事情により納品がたいへん遅くなり申し訳ありませんでした。
ご心配をおかけして頭が下がりっぱなしです…。
作品の方はどうでしたでしょううか?
通常シングルと違い、ルディアが参加していたのでスムーズに展開することができたように思っています。
みずねさんが思考する姿は、さぞかし麗しいことでしょうね(*^-^*)
ありがとうございました!
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