<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


奇跡の湖の水を

オープニング


「ここに来れば冒険者に会えるんだよね?」
 薄汚れた服を着た少年は被っていた帽子を取りながらエスメラルダを見上げる。
「えぇ、何か御用かしら?貴方みたいな子供が歩くには時間が遅くないかしら?」
 エスメラルダは少年と目線を合わせて言う。だが…少年は。
「……。お母さんが病気になったんだ。奇跡の湖の水が必要なんだ」
 少年はエスメラルダにお金の入った袋を差し出した。中は大人から見れば少ない金額のお金。だが、少年にしては必死にかき集めてきたお金だろう。
 奇跡の湖の水、それは実在するのかさえ分からないと言われている代物でエスメラルダも困った表情を少年に見せた。
「…あなた、お名前は?」
「シャロン]
泣きそうなシャロンの頭を撫でながら酒場の中を見回す。幸いにも冒険者はたくさんいる。
「待っててね。今、冒険者のみんなに依頼を受けてもらえるか聞いてくるから」
 そう言ってエスメラルダは酒場の人込みの中へと消えていった。



視点⇒アイラス・サーリアス


「…奇跡の湖の水…ですか?」
 黒山羊亭で酒を楽しんでいたところ、エスメラルダに声をかけられた。詳しい事情を聞くとカウンターに座っている少年の母親の命がかかっている事を知った。
『奇跡の湖の水』と呼ばれるくらいだから『奇跡の湖』という湖があるのだろうか…。残念ながらアイラスはそんな湖の知識を持ってはいなかった。
「…う〜ん…」
 アイラスは困った表情で唸っている。人の命がかかっているのなら安請け合いするべきではない。だが冒険者の間でも『奇跡の湖の水』とは伝説だけのものとして扱われているためこの仕事を受ける者はいないだろう。
「ダメかしら?」
「…難しい話ですが…何とか力の限りを尽くしてやってみますよ」
 テーブルの上の酒を飲み干して、席を立つ。
「どこに行くの?」
「まずは文献や伝承などを調べてみます。冒険者の中で奇跡の湖の水という名前を知らないものはいないのだから何かしら手がかりがあると思いますし」
 アイラスはそうエスメラルダに告げると黒山羊亭を後にした。とりあえず最初は古い書物を扱っている図書館に行く事にした。たくさんの本棚を回り、アイラスはそれらしい書物が集まる場所を見つけた。
「これなんて載ってないかな」
 一冊の本を手に取り、パラパラとめくる。
「…あった」
 真ん中あたりのページに『奇跡の湖の水』という項目を見つけた。
『奇跡の湖の水、それは信じるものの前にしか姿を現さない幻の万能薬。この水を飲めばどんな病も去ってしまうという水。だが、手にしたものがいるのかどうかはわからない。噂ではカナンの神の森の奥深くにその湖は眠るのだとか…』
「…カナンなら幸いにもエルザードから近いな…」
 アイラスは本をパタンと閉じて、すぐにでもカナンに向かう事にした。だが、アイラスの知るカナンという場所は農作物の栽培などを中心に行う田舎村だ。そんな場所に本当に『奇跡の湖の水』はあるのだろうか…と心配になってきた。
「…信じるしかないですね」
 アイラスはそう呟くと歩く足を少し速めた。


 数時間歩き続けてようやくカナンに着いた。
「あの、奇跡の湖の水をご存知ですか?」
 道を歩く農夫に聞いてみると『知らない』という言葉が返ってきた。
「…そんな、じゃあ、神の森というのは…」
「あぁ、それならこの道を向こうにまっすぐに行けば着くよ」
 そう言って農夫は指を指しながら答えた。アイラスは『どうも』と軽くお辞儀をして教えてもらった道の方に歩き出す。
「…この森の奥に…」
 目の前にそびえるのは昼間でも大洋の光を受け付けない真っ暗な森。その神秘さゆえからか『神の森』と呼ばれているのだと誰からか聞いたことがある。それでもアイラスは眼鏡の機能で視界に問題はないのだが…。
「これから先は、魔物の領域だな…」
 そう呟いてアイラスは武器を手に持つ。耳を澄ますと奇怪な声が森中に響いているのが分かる。
「時間がない…。急いで奇跡の湖の水を手に入れなくては…」
 アイラスは深呼吸を一回すると全速力で森の最深部を目指して走り出す。
 途中で鳥類の魔物が襲ってきたが、それらにやられるアイラスではない。アイラスの武器を振り回すたびに風を切る音と魔物の悲鳴が森の中に響く。そして、数十分走ると最深部にたどり着いた。
「…そんな……」
 アイラスが目にしたものを見て落胆の声を漏らした。
 確かに『奇跡の湖』はあった。しかし、アイラスが見た『奇跡の湖』は『枯れた湖』だった。最近枯れたものではない。もう何十年も枯れたままのように見える。
「…これがなければ…」
 カクンと膝を折り、地面に膝をつく。その時だった。

(貴方は何ゆえに奇跡の湖の水を求めるの?)

 突然、頭の中に女性の声が響いた。その声と同時に枯れた湖の上に浮く女性が現れた。
「あなたは…?」
 アイラスが問うと、その女性は何も言わない。魔物の類かとも思ったが何か違う気がして武器を持つのを止めた。
「なぜ、この湖の水を求めるのです?」
 今度は頭の中ではなく、女性が直に話して問いかけてくる。
「この水を欲する少年がいるからです」
「その少年はなぜ、この湖の水を求めるの?」
「…母親のためだといっていましたが」
 アイラスが言うと、女性は「そぉ…」と小さく呟いた。
「かつてはこの湖も溢れるくらいの水がありました。どんな怪我も治す癒しの水。だけど、ある人間が言いました。この水さえあれば世界すら手に入れることが出来る、と。泉の精は悲しみ、そんな事に使われるのならばと湖を枯らしたのです」
 その女性は寂しそうに淡々と話している。
「あなたがその泉の精、ですか?」
 女性は静かにコクンと頷いた。
「ならばお願いです。一人分だけでいい。あの子供の母親を助けてやりたいんです」
「……他人にこのことを話さないと誓いますか?もし話したら私はあなたを殺しに行きますよ。それでもいいのですか?」
「構いません」
 アイラスは考えることなく首を縦に振った。
「…分かりました」
 そう言って、女性は手を空にかざした。それと同時にどこから現れたのか大量の水が押し寄せてくる。女性はそれを小さな小瓶に詰め込みアイラスに渡した。
「…約束は守ってくださいね」
 それだけ言い残して女性はアイラスの前から姿を消した。


 それからアイラスは黒山羊亭に急いで戻り、少年に『奇跡の湖の水』を渡した。少年は何度もアイラスにお礼を言って家へと戻っていった。
 アイラスは暫くの間、他の冒険者から『奇跡の湖の水』の事について聞かれたが決して話すことはなかったという。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/軽戦士


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■         ライター通信          ■
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アイラス・サーリアス様>

初めまして、瀬皇緋澄です。
今回は『奇跡の湖の水を』に発注をかけてくださいまして、ありがとうございます。
聖獣界の初めてのお仕事でしたのでかなり緊張しました。
少しでも面白いと思ってくださると幸いです^^
私自身が一人称の方が得意なので一人称になっています。
それでは、またお会いできる機会がありましたらよろしくお願いします。


               −瀬皇緋澄