<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


雨の一刻

 ――雨。
 世界がかける自然と言う名の魔法。
 それはこの世のあらゆる全ての物に等しく降り注ぎ、空から落ちてくる幾億粒の水滴は、瞬く間に世界を鈍色に変える。

 ここは、聖都エルザードのはずれの空き家。
 レン・ブラッドベリ(1099)は、その埃っぽく小さい家の中で雨宿りをしていた。
 外を出歩くには冬の雨はあまりにも冷たすぎて――酒を喰らい、ただ雨上がりを待つ。

 不意に、扉が開いた。
 背後に雨音を引き連れ、白い息をけぶらせながら一人の女が入って来る。
 雨に濡れた金の髪、傲慢いて愛らしいその仕草、そして整った顔。
 名前はセレネ・ヒュペリオン(1075)。
 見間違うはずもない、レンの見知りの女だった。
「奇遇だね」
「……お前か」
「ずいぶんな言い方だね。ここにあたしが居ちゃマズいのかい?」
 セレネは己の長い髪に付いた水滴を勢いよく払う――そして、その冷たい数滴がレンの頬に当たる。
 レンはいきなりの出来事に、思わずあきれ顔を隠せない。
「(ったく、あいかわらずだな……)」
「にしても、埃臭い家だね……おや、いい物持ってるじゃないか」
 肌に付いた雨をぬぐいながら家を見回すセレネの目はある一点で止まった。
 それは、レンの手に持たれた酒瓶。
 隠そうとしてももう遅し――セレネはレンの横に座り、有無を言わせず酒瓶を手から奪い取ってその蓋を開ける。
「……ったく……確かに、こう寒いと酒でも飲んでないと暖まらないね」
「おい」
「いいじゃないか、減るモンじゃなし」
「……しっかり減るんだよ」
 セレネはレンの不機嫌な声もお構いなしに酒瓶に口を付け、一気に流し込む。
 薔薇色の唇から一筋の琥珀色の液体がこぼれ、それが流れ込むたびに白い喉が動く――。
 それがレンの目にはやけに艶めかしく写り、身体の中の何かを刺激する。
「(そう言えば、ここ暫くろくに女も抱いてないな……)」
 レンは心の中で何故か言い訳っぽく呟いた。

 そう。
 行きずりの女を抱くなんてどこにでもある話だ。
 まして、見知りの女なら、なおさらよくある話。
 レンの脳裏に不埒な考えがよぎり――気が付けば、その逞しい腕はセレネの白い手首を掴んでいた。
 酒瓶が滑り落ち、床に酒がこぼれた。
「ちょっと! 何考えてんだい! 離せ…………!」
 セレネの抵抗の言葉はレンの唇でふさがれ、途切れる。
 そのまま――。

 レンはよろめいたセレネの身体を床に押し倒し、逃げられない様に腰を両腿で固定する。
「……きっとこっちの方が身体が暖まるぜ?」
 床に押しつけられたセレネに向かって楽しそうに笑う――そのレンの翠の瞳の奥には獣欲。 
 セレネの透き通る様な白い首元に口づけると、服の上から胸元をまさぐるように撫でる。
 そして――その手は這わせるようにゆっくりとセレネの腰より下に降ろしてゆく。
 行為を進める度、熱がレンの腹の下の辺りに次第と集まってくる。
 一方、セレネの手は逃げ場を求めるように床を探っていたが、それもつかの間。
 あきらめて観念したのか――しなやかな腕をレンの肩に巻き付けて、自ら顔を近づけ口づける。
 そのまま、レンが甘く熱い感覚に身を委ねようとしその時――。

 レンの頭上で何かが砕ける音が響いた。――それに続く、衝撃と鈍痛。
 頭の上からこぼれ落ちる幾つもの欠片。
 セレネは油断をさせ、近くにあった古い瓶でレンの頭を殴ったのだ。
「……くっ!」
 レンは反射的に頭を触るが、血は出ていない。
 その隙に、セレネは緩んだ拘束から這い出して扉の方へ逃げ出す。
「レンが悪いんだ……人の気持ちも考えないで!」
「なら、とっとといっちまえよ……似合わねぇ下手な芝居なんか打つんじゃねぇよ」
 レンは頭にへばりつく欠片を払い、睨み付け、足下に落ちていた欠片をセレネに向かって投げつけた。
「……いっちまえっ!」

 扉を勢いよく閉じる音が消えると同時に、空き家の中には再び静寂が戻った。
「……見かけはいい女なんだけどな、ったく」
 レンは誰に聞かせるでもない言葉を呟き、壁に身体を預ける。
 壁越しに響く雨音が、やけに痛む頭に響く。
 そして、静かに眼を閉じたその時――再びセレネの蠱惑的な肢体が脳裏に浮かび上がる。
 細く白い首筋、濡れた花弁のような唇の色とその感触――。
 身体の芯は、まだ熱いままだった。
「……くそ、抱きそこなっちまった」
 消えない感覚を酔いで誤魔化そうと、レンは酒瓶を拾い上げ、小瓶の底に残ったわずかな酒を飲み干した。

 飛び出た扉の向こう、雨足はさらに強まっていた。
 軒先に立つ頬に雨が当たり、金の髪から再び水滴がしたたり落ちる。
 セレネは左腕に赤く残った痕を確かめるように指で軽くなぞる。
 そして――己自身を抱えるようにきつく抱きしめた。
 そうしなければ体の中から何かが溢れ出して気が狂いそうで――堪らない。

 自分は本当に身も守る策を弄するためだけに抱きついたのか。
 残った身体の感覚は生ける者としての本能なだけなのか。
 それとも他に――。

 そうやってしばらくした後、セレネは軒先から雨の町に飛び出した。
 身体に溜まったままの猛り狂う澱を静めるために。
 どうしようもない己の感情を洗い流すために。


 ――まだしばらく、雨は降り続く。