<東京怪談ノベル(シングル)>


悲しみの轍



「それじゃ、これが代金だ」
「ええ、確かに。何かあったら、また気軽に言ってくださいね」
「ありがとうよ。おまえさん、本当に見掛けによらず、評判に違わないいい腕を持ってるよ。……また頼むよ」
 店を出て行く客は、帽子を軽く外すと、にっこり微笑んで会釈をし、それから扉を開いて外の街へと出て行った。
 中年の少し小太りの幸せそうな笑顔をする男性の客だった。奥さんを喜ばせるために、特別な宝石を作ってあげたのだ。
 レベッカ=アリューゼルは茶色の長い髪にそっと手をやり、小さく微笑んだ。
 小柄な17歳のやせっぽっちな娘だ。評判を聞いてやってきた客達も初めは、いつもじろじろと彼女を見て、「本当なんだろうか」という表情をする。
 だから一層こうして、人に喜んで貰えると嬉しい。
 自信もつくし。
「大丈夫よ、レベッカ。私がひ弱に見えるのなんて、長く見積もったってあと10年やそこらなんだから」
 レベッカは、工房の隅にあった鏡に映った自分に笑いかけた。
 10年たったら、きっと誰も驚かない。
 錬金術工房アリューゼル家の秘伝を知る唯一の後継者、レベッカ。
 良い仕事さえ続けていれば、きっと。父から受け継いだこの技術はさらに磨かれ、その名声は天に轟く程。
 ……そんなに人の目気にして生きているわけじゃないのだけど。
 手放しで喜んでもらえたからか、気が大きくなっているのかしら。
 ……それに名声が増えても、ろくなことないわ……。
 部屋の隅に飾られている小さな肖像画。それは、レベッカが生まれたばかりのレベッカを抱く母と、父が描かれていた。
 優しい思いやりのある笑顔は、いつもレベッカを見守っていてくれる。
 彼女は腰に手を当て、その笑顔を見つめ返す。それから、小さく息を吐くと、キッチンの方へと向かっていった。



「パパ? ママ? どこに行くのー!」
 幼いレベッカは走っていた。
 彼女の視線の先、とても豪華な一台の馬車が止まっていた。剣を腰に挿した兵士のような服を着けた人達に囲まれ、父と母は大きな鞄を抱え、鎮痛な表情で乗り込んでいった。
 行ってしまう!
 レベッカが大きな声で叫ぶと、母がこらえ切れないという風に、こちらを振り返り、レベッカに腕を伸ばす。
 途端に兵士達が母の動きを牽制した。
 まるで捕らわれ人のように、母はうなだれ場所に乗り込んでいく。
「パパー! ママー!!」
 泣きながら叫ぶレベッカの小さな肩を誰かがとめた。いつも優しい母方の祖母だった。
 けれど、その手を振り解き、レベッカは駆け出した。しかし、また掴まった。
「仕方ないのよ、レベッカ」
 暖かい祖母の腕に抱かれ、レベッカはただ叫ぶしかなかった。
 父と母が行ってしまう。
 行ってしまう。
 
 そして無情にも馬車は走り出した。
 

 
 両親はそれから一度、家に帰って来たように思う。3ヶ月後だったか、1年後だったか、定かではない。
 ただ、二人ともひどく疲れきったような顔をしていたのは覚えている。
 戻ってきてくれたことがただ嬉しく、幸せだったレベッカと違って、二人はもちろん娘と再会したことを喜んでいたが、時々ひどく沈みこんでいた。
 両親が長い留守の期間、どこに行っていたのか、どうして行かなければならなくなったかの事情は、レベッカはもう少し後になってから知ることになる。 
 アリューゼル家は代々錬金術師の家系で、優れた工房であることを知られていた。特に父は腕のいい錬金術師で、評判はとてもよく、街一番の錬金術師といってもよかった。
 「等価交換」というアリューゼル家のものだけが使うことができる物質加工技術。それを使うことの出来るのも父だけだった。
 「等価交換」とは、ある法則に使って、新しい「物質」を生み出すことが出来るというもの。それは滅多に使われることはない、秘術であった。
 それを偶然耳に入れた貴族がいたのだという。
 彼はその「新しい物質」で、価値のあるものを作り出せ、と父とその助手である母に命じたらしい。
 両親は頑固に拒否した。
 それは二人の技術をもってすれば、不可能ではないことだった。
 けれど、錬金術を私欲に利用することが、彼らにはどうしても納得が行かず、結局最後まで対立が続いたという。
 また、その対立は両親が貴族の屋敷に行くことになる前からあったのだと、後に聞いた。
「……また、行っちゃうの?」
 疲れきった父に温かなスープを運んで、レベッカは心配そうにたずねた。
「いや、多分……もう大丈夫だ。終わったから」
 父は目を細めて笑った。レベッカはみるみる笑顔になる。
「それならこれからはずっと一緒にいられるね」
「……ああ」
 父は優しく目を細め、それからレベッカの頭を優しく撫でてくれた。

 その夜のことだったろうか。
 いつもなら幼いレベッカがベッドにもぐりこむ時間に、父は彼女を呼んだ。
 一緒に手をつないで、普段はあまり出入りさせてもらえない、工房に入った。
「いいかい、レベッカ」
 父はとても優しい表情で、レベッカに「ある事」を教えた。
 まだそのことを覚えるには少し早い年齢だったけれど、17歳になった今でも彼女はそれをたやすく思い出すことができた。
 それは失ってから、必死に思い出そうとした成果でもある。
「これは、けして人には教えてはいけないよ。アリューゼル家の秘術なんだ。……お前が大きくなったときに必ず役にたつはずだ。……可愛いレベッカ。愛しているよ」
 額に優しくキスをしてくれた父。
 レベッカはきょとんとしてその父を見つめた。
 それが、別れの合図だなんて、知る由もなかった。



「いや、いやっ」
 かぶりを振り、レベッカは必死に抵抗した。
 今度は馬車に乗り込むのはレベッカの方だった。優しい祖母と共に、レベッカは西の町にある祖母の家へと向かうことになったのだ。
 普段ならもう眠りについてる真夜中。月の美しい寒い夜だった。
 せっかく会えた両親は家に残るという。
「……いやよ、私も、パパとママといるのっ!」
 暴れるレベッカを両親は寂しそうに見つめていた。
 やがて、母はレベッカを抱きしめ、父はその小さな手をとり、再びキスをした。
「いいかい、レベッカ。よく覚えておいで」
「……なぁに?」
 涙をこぼしながらレベッカは父を見つめた。
「……錬金術は決して万能ではない。……間違っても私欲の為に使ってはいけないよ」
「パパ?」
「いつでもパパとママは、レベッカの側にいて、レベッカの事を思っているわ。……どうか幸せに育って……」
 ママは泣いた。
 パパは瞼を伏せて、重いため息をついた。
 そしておとなしくなったレベッカを馬車の上の祖母に抱いたまま渡して、馬車の扉は閉まった。
 馬車の中では祖母さえも両手で顔を押さえて、泣き出した。
 走り出す馬車の音。窓の外に小さくなっていく両親。
 
 いつしか雪が降り出していた。 
 街が見えなくなり、暗闇が広がる。月明かりに照らされた白い雪だけが、音もなく静かに降り積もる。
 寂しさと不安と、悲しみと切なさ。
 レベッカは声もなく、ただその景色を眺めた。幾筋もの涙をこぼしながら。

 レベッカが長い間育ち、また両親が残ったその屋敷が不審火によって全焼し、逃げ遅れたらしい両親が死体で発見されたと聞いたのは、それから一週間程してからのことだった。

 ◆

 両親が、その貴族の陰謀に携わり、彼の為に何かを作り出していたのだろうということは推測できる。
 いや、両親達なら、陰謀に関わることをずっと拒否してきたかもしれない。
 どちらにしても、両親は口封じの為に、彼らの手によって殺されたのだ。
 祖母も亡くなり、一人ぼっちになったレベッカは再び、この街を訪れた。
 錬金術の修行もしていたが、父に教えられたあの術を試すには、そこに戻らなければならない気がしたから。
 屋敷はすっかり崩れていたけれど、地下室は無事だった。その出入り口を見つけ、レベッカは愛しい両親の使っていた錬金術の道具を見つけ出した。
 それから大量の本も。
 館の近くに小さな空き家を借りて、レベッカが工房を始めたのはそれからまもなくのこと。
 両親はまるでレベッカが戻ってくるのをわかっていたかのように、たくさんの知識を残してくれていた。
 だからいつか。
「父さんや母さんに負けないような錬金術師になるわ、私……」
 同じく地下室で見つけた肖像画を見つめて、レベッカは目を細めた。
 だからいつも見守っていて。
 肖像画の両親は、その娘をなんとなく頼もしそうに見つめている……そんな気がした。


                                             fin