<東京怪談ノベル(シングル)>


後悔先に立たず

 「おい、そこのお前」
 そう呼び止められた時、その時点で気付くべきだった。と、今更ながらに翔はその時の事を振り返り、思った。


 それは、とある日の午後、涼しげな風が心地よく頬を撫でる、野原での出来事だった。

 「おい、そこの!」
 「…………」
 「…おいこら、そこのお前!!」
 「…………」
 「聞いてンのか、ボウズ!」
 「……え?」
 ようやく気付いて散歩途中の翔が振り返ると、そこには見るからに屈強そうな男達が数人、明らかに翔の方を睨むようにして立っていたのだ。
 「…えーと、僕の事…です、か?」
 「他に誰がいると言うんだ」
 男の一人、スキンヘッドの男がそう言って睨みつけるので、別に嫌がらせのつもりではないが、翔はきょろきょろと辺りを見渡した。それを見た男が、ダンと足で地面を踏み鳴らす。
 「わざわざ確認しねえでも分かるだろ!」
 「え、いやー。もしかしたらって事もあるかと思って」
 翔が笑って後ろ髪を自分で撫でる。本当にそう思っての行動だったのだが、男達にはそうとは採って貰えなかったようだ。

 男達の名乗った、如何にもな名前には聞き覚えがない。勿論、顔に見覚えもない。翔は、自分の記憶力に自信がない訳ではなかったが、男達が躊躇いもなく自分を呼び止めたと言う事は以前どこかで出会った事があるのだろう、と結論付け、一生懸命過去の記憶を呼び起こそうとした。
 「おい、何を考え込んでいる」
 「うーん、どこかで会った事があったかなぁ、って思って…でも、どうしても思い出せないんだよねぇ」
 確かに、大柄な見た目よりずっと印象薄そうだけど、とはさすがに言わなかったが。
 「と言うか、何か僕に用事?ちなみに、今、持ち合わせはないから、何も買う事は…」
 「おい、俺達を行商か何かと勘違いしてんじゃねえだろうな。こんな鍛え抜かれた身体の行商人なんざ、いねえだろうがよ」
 さっきのとは違う、褐色に日焼けした男がそう言って、自分の胸元を立てた親指で指し示す。自分でそう言うだけあって、その男が中では一番逞しく、使い込んだ肉体の持ち主だった。尤も、他の男達もそれなりに逞しい、筋肉隆々の身体をしてはいたが。普通の少年なら、そんな身体の、目付きも態度も頭も悪そうな男達に囲まれては、怯えてしまうか焦るかしそうなものだが、見た目よりは遥かに場数を踏んでいる翔は、怯えもせずに順番に男達の顔を見渡し、観察をしていく。その態度を見て、スキンヘッドの男が満足げに頷いた。
 「肝っ玉の据わったガキだ、それでこそ相応しい」
 「相応しい?って何に?」
 首を傾げて尋ね返す翔に、また違う男がにやりと口端を吊り上げて笑った。
 「こういうのを、腕が鳴ると言うんだ。俺等の輝かしい第一歩と言う所だろうな」
 「……輝かしい…?」
 翔はまた首を傾げる。ふと、男達の腰に下げられた、幾つかの何かに気付いた。
 それは剣の柄であったり、鎧か何かの欠片であったり。それらは武器や防具の一部ばかりであったのだ。それを見た時、翔は、街で聞いた話をふと思い出した。

 「最近流行ってるんですって。自分達の力を誇示したいだけの愚か者って」
 翔がよく食事を取りに行く、大衆食堂の女の子がそう言った。
 「愚か者、だなんて辛辣だねぇ。何か恨みでもあるの?」
 そう言って笑う翔に、女の子はぶーっと頬を膨らませた。
 「愚か者よ!だって強さって、そう言うものだけじゃないでしょう?そりゃ、闘技場とかでならそれでもいいかもしれないけど、そいつ等は違うのよ?行く先々でめぼしい相手や名の通った相手を見つけると、どこであろうと勝負を申し込むんですって。で、それでとにかく、どんな手を使ってでも勝って、自分はそいつより強いんだ、って世間で言いふらすんですって」
 「…それは、…また分かり易いね」
 翔は小さく苦笑いをする。同意を得た女の子は、でしょう?!と息巻いた。
 「確かにね、力と力でぶつかりあった、ってだけならそうかもしれないわ。でも、冒険者の強さって、そう言うものだけじゃないでしょう?それなのに、力勝負、技勝負だけで自分達の方が上だなんて、そんなの分かんないじゃない。しかもそいつら、冒険者ギルドとかで、それを自分達の売り込み文句にするんですって」
 「へぇ…でも、ギルドも馬鹿じゃないんだから、そんな事には惑わされないんじゃないの?」
 「ま、確かにね。でも困るのは、そうやってギルドを通して仕事を得ようとする奴らより、個人的に話を持ち掛けて仕事を取ろうとする奴らよ。そう言う事情を知らない人達は、そいつらがすごーく強い冒険者だと思っちゃうらしいのね。何か、勝利の証に武器や防具の一部を奪ってコレクションにしてるらしいんだけど、そう言うのを見せられると妙な説得力があるんだって。それなのに、思ったよりも全然役に立たなくて、金をドブに捨てた気分だーって怒ってた人もいるのよ」
 女の子の口ぶりでは、どうやら身内か親しい人かが、これで損をしたのだろう。またむーっと唇を尖らせて、女の子は翔の顔を覗き込んだ。
 「いい?そんなのに出会っても、勝負なんか受けちゃダメよ?翔が負けるとは思ってないけど、勝負するだけ時間の無駄だから!」

 勝負に勝って、その戦利品として相手の武器を奪う。似たような話を自分が前にいた世界で聞いた事があるな、と翔は思った。
 『…ああ、あれは牛若丸と弁慶の話か……ん?』
 ちょっと待った。翔は首を傾げた。
 食堂の女の子の話では、奴らはめぼしい相手や名の通った相手を選んで勝負を挑んでいる筈だ。と、言う事は、そんな奴らの一部らしい、この男達に呼び止められている翔自身、それだけの評判を背負っていると言う事になる。
 『…でも、そんなに僕って、強いと評判だったかなぁ……特別、目立つような真似はしてないし、人の噂話に昇るような派手な仕事はあんまり請けてないしなぁ。…どこでそんな話を仕入れてきたんだろ』
 実際、実力の程はともかく、翔はあまり派手に動き回る事はしていないし、仕事も選んで受けている。だから、もし目の前の男達が、翔の評判を聞きつけて…と言うのなら、一体どこで?と言う話になるのだ。

 が、その疑問も、すぐに解消した。
 「ま、今までは田舎モンばっか相手にしてたからな、大した事ねえ奴らばっかだったな」
 「ああ、全くだ。武器も防具も安モンばっかでよぅ」
 「これから聖都ソーンに乗り込む俺達だ、ケチをつける訳にはいかねえよ」
 「大丈夫だよ、だからこそ選んでんじゃねえか、初戦の相手をよ!」
 男達は好き勝手に言葉を交わし、そして最後に翔の方を見た。小柄な翔を見下ろし、ケッケッと下卑た笑いを漏らす。そんな男達の言葉を聞き、反芻してようやく事情が飲み込めた。
 「………へえぇえ〜…なるほどー…意を決してて聖都に乗り込む初戦だし、気合い入りまくりだから負けたくない、負けない為にはどうすればいいか…そうだよねぇ、負けたくなかったら、自分が強くなるよりは、弱い相手を選んだ方が、賢いし手っ取り早いよねぇ……?」
 だから、見た目小柄で子供で、雑魚に見える翔を相手に選んだと言う訳だ。
 「…なーるほど……確かにね、本当に愚か者だよねぇえ〜…?全く、見る目が無いって言うか…」
 「………お、おい…これは、……?」
 男達が不意に辺りを見渡し始める。特に風が吹いている訳でも、気温の高低差が激しくなった訳でもないのに、男達と翔を取り囲む大気の密度が変わり、歪むような印象を受けたのだ。男達が翔を見ると、翔の足元から風が巻き起こり、砂埃を伴いながら上空へと抜けていく。その流れが凝り固まり、凝固したような状態になると、無色透明である筈の風が、あまりの高密度に白銀に発光しているかのように見え始めたのだ。
 【風神之御剣】、発動の前触れである。
 勿論、男達はそんな事知る由もない。ただ、目の前の少年から発せられる迫力と気の高まり、それらが翔の見た目からは到底想像できないパワーを放出し始めたので、ただ戸惑うしかなかったのだ。そんな男達を半目で睨みつけ、翔は珍しくも荒々しい口調で怒鳴りつけた。
 「一昨日来やがれ〜!!!」
 「ぎゃああぁあぁぁぁあぁ〜!!」
 ガッ!と突風が吹き荒び、翔の黒髪を逆立つ程に巻き上げる。最大出力の【風神之御剣】は、幾人かの男達、その重そうな身体の持ち主達をも簡単に軽々と吹き飛ばし、あっと言う間に空の彼方へと消してしまった。

 「……ふぅ」
 まさに星となってしまったかのよう、男達の飛んでいった末を眺めながら、翔はひとつ息を吐く。今までで最高の力で放った【風神之御剣】だったが、それでも肉も骨も砕けずに、ただ吹っ飛ばされただけの男達、それはまさに丈夫さの賜物であり、鍛えられた肉体だけは紛い物ではなかったのだな、とその事だけは感心したのだった。


☆ライターより
天風・翔様、いつもありがとうございます!ライターの碧川桜です。相変わらずお待たせしまして、申し訳ありません。
蓋を開けてみれば、今回はいつも以上にコメディの要素が濃かったような気がしますが、如何だったでしょうか?ご期待に添えたかどうか少々不安ですが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
ではでは、またお会いできる事をお祈りしつつ、今回はこれにて失礼致します(礼)