<PCクエストノベル(1人)>


ボルシチの人

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【冒険者一覧】
【整理番号 / 名前 / 職業】

【0849 / 鷲塚 ミレーヌ / 派遣会社経営】


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アクアーネ村。
エルザードと他地域との小さな中継地点でもあり、又同時に、有名な観光地でもある。
水によって生かされる『水の都』――村中に張り巡らされた運河にゴンドラの揺れる光景は、この村特有のものでもあり、とにかく歴史が古い為、たまに発見された遺跡に大騒ぎになる事も。
村中に漂う水の香りが、夏でもどこか涼しさを思わせる。
そんな観光の地に訪れた、鷲塚ミレーヌはこの穏やかで涼しげな風景に目を細めた。

ミレーヌ:「綺麗な村だわ。流石、水の都と言われるだけあるわね」

整備された運河沿いを歩くミレーヌ。
だが、彼女はただの観光客ではない。
派遣会社の代表取締りという立派な肩書きがあるにも関わらず、彼女の関心がある事。それは、ボルシチ。
趣味はボルシチ作りで、彼女にとってボルシチは愛の象徴。夢の象徴。
一日に一回、偉大なるボルシチ神へのお祈りは欠かさない。
そして、何よりその偉大なるボルシチ神の生まれ変わりだとかなんとか……
兎に角、そんなボルシチ命のミレーヌは今日はここアクアーネにボルシチを広めにやって来たのだ。

ミレーヌ:「ここなら、ボルシチの名を広めるのにうってつけの場。ボルシチの店をオープンさせるのも良いかも知れないわね」

ふふふ、と怪しく一人笑いをしながら歩くミレーヌに通り過ぎる人は不審な目を向けるが、彼女は気にしない。
運河沿いの店をチェックし、観光客の集客状況もチェック。
一通り歩き回ったミレーヌはカフェテラスに入った。
カフェテラスでは老若男女、語り合ったり、一人静かにお茶を飲みながら読書をしたりしている。
中には勿論軽くお食事といった人も。
ミレーヌはウェイトレスに紅茶を頼むと、サラダとスープを頬張っている人を見て、目を細めた。

ミレーヌ:「……そうだわ。こんな気持ちの良いテラスを持つ店でボルシチを出すの。もちろん、どこへ行っても食べられないようなおいしいボルシチを……!」

うっとりとした目で幸せな想像を組み立てていたミレーヌだが、一つの怒鳴り声に現実へと引き戻された。

男の声:「貴様らのような輩はここから出て行け!!」

声の方に視線を向けると、一人の老人が観光客らしき男女四人に肩を怒らせ詰め寄っている。

観光客の男:「なんでだよ。あんた、何だってんだ? 何で、そんな事言われなきゃなんねーんだよ」
老人:「何故じゃと!? 水を汚しておいてよう言うわい。そんな事もわからんボンクラは出て行けと言うんじゃ!」
観光客の男:「なんだと、ジジィ!」

まさに一触即発。
両者とも引こうとせず、逆に掴みかからんとする勢いである。

老人:「まったく、最近はロクなヤツがおらん。この水はお主らが楽しむだけのもんではないわ。新鮮でおいしい野菜を作る為の水源であり、わしらの大切な飲み水なんじゃ!」

周りもハラハラと事の成り行きを見守ろうとする中、ミレーヌは立ち上がる。
立つと、老人が何故そんなにも怒っているのかがミレーヌにも分かった。
岸辺沿いのベンチの下。観光客である四人組みの足元には果物の皮や紙くずなどのゴミが散らかされている。
もちろん、風に飛ばされたのか運河にもゴミが浮いていた。

観光客の女:「うるさいわねぇ。片付ければいいんじゃない」
老人:「片付ければ良いじゃと!? そんな気持ちしか起こらんのか!」
観光客の男:「ガミガミガミガミ、うっせーんだよ!」

老人に向かって振り上げられた手は、ミレーヌによって止められた。

ミレーヌ:「お年寄りに手を上げるなんて、感心しませんよ」
観光客の男:「何だよ、あんた」

突然の第三者に戸惑う男。
ミレーヌは手近に転がるゴミを拾い上げる。

ミレーヌ:「新鮮な野菜……それはボルシチ作りの為の第一の条件」
老人&観光客:「は?」

何を言い出したのかと、目を丸くする周囲にお構いなし。
ミレーヌはぐっと拳を握り、更に続ける。

ミレーヌ:「ボルシチ……それは愛。それは、夢。人の数だけボルシチはある」
老人:「な、なんじゃ?」
ミレーヌ:「ボルシチのレシピは町の数だけ、家庭の数だけあると言ってもいいでしょう。野菜をたっぷり使ったボルシチ。ベーコンや肉を使ったボルシチ」

どこか演歌調を思わせる語り口のミレーヌにどうしたものか、周りは心配そうに見守る。

ミレーヌ:「しかし、どんなにレシピが変わろうともボルシチに欠かせないもの。そう! それはビート!! ボルシチの命と言っても過言ではないでしょう。ビートが無ければそれはただのスープ」

一度、言葉を切るとミレーヌは老人と観光客たちを静かに見た。

ミレーヌ:「ここは観光地。静かに風景に目を向け散歩するも良し。仲間で楽しむも良し。ですが、人様に迷惑をかけないというルールを無視すれば、立派なボルシチにはなりません」
観光客の男:「いや、ボルシチになりたくねーし」
老人:「大体、ボルシチとは何なんじゃ?」
ミレーヌ:「なんですって!? ボルシチをご存知ない?」

老人の疑問の声にミレーヌは驚愕の声を上げる。

ミレーヌ:「やはりここにも……ふふっ、アクアーネに来たかいがあるというもの。これぞボルシチ神のお導きっ!」

一人また盛り上がるミレーヌに何か言いたそうに手を伸ばす老人より先に、ミレーヌは彼らに言った。

ミレーヌ:「わたくしが皆さんにボルシチをご馳走しましょう」
老人:「はぁ……ボルシチをかね?」
ミレーヌ:「そうです。ボルシチのおいしさは食べてみないと分かりませんからね」

そう微笑んだミレーヌは身を翻し、カフェテラスへと戻ると傍観していたウェイトレスに一言、厨房借りるわ。とだけ告げさっさと店の中へと入って行った。

老人:「何なんじゃ?一体……」
観光客の男:「わかんねーけど……なぁ、ジイサン。散らかして、悪かったな」

まだ、多少態度は悪いが、明らかに先ほどとは柔和な話腰に老人は目を丸くする。
が、恥しそうに仏頂面で言った若者に老人も肩の力を抜く。

老人:「分かれば良いんじゃ。分かれば」

ゴミを片付け始めた若者たちを見て、満足そうに頷いた老人はカフェテラスを見た。

30分後。
皿に盛られた鮮やかな紅色の液体。
その湯気の向こうに嬉々とした表情のミレーヌがいる。

ミレーヌ:「さぁ、どうぞ!」

恐る恐る、老人はスプーンを手にとって一口すすった。
それを見守る人々の中、老人はビックリした顔でミレーヌを見上げた。

老人:「うまい」
ミレーヌ:「そうでしょう」
観光客の男:「ホントだ。うめぇ!」

他の者達も一口二口、その美味しさに顔が綻んで行く。

ミレーヌ:「ボルシチはまだまだありますので、皆さんも食べて下さい」

そう、カフェ内にいた他の客に言うと、我も我もと見た事のないスープを飲もうとミレーネに群がった。
カフェテラスには何時の間にかボルシチの香りで満ちている。
その光景にミレーヌは満足そうに頷いた。

ミレーヌは去った。
ボルシチの名がまたこれで広まったという実感と共に。
その後、アクアーネでミレーネの話は語り継がれる事になるだろう。
――ボルシチの人という呼び名で。