<東京怪談ノベル(シングル)>


…まったく。

 妹を助けて、とその女性は涙ながらに翔に語った。両親を早くに亡くし、姉妹二人きりで身を寄せ合うようにして貧しいながらも真っ直ぐに生きてきた。そして今、ようやく掴みかけた幸福。姉の方が裕福な男性の元へと嫁ぐ事が決まり、心優しい未来の夫は、妹の面倒もみる、一緒に暮らそうと自ら申し出てくれたのだ。そんな矢先、美少女と名高い妹の、予想だにしない誘拐事件が起こったのだった。

 「幾ら私が彼の元に嫁ぐ事が決まったからと言って、営利目的で妹を誘拐するとは思えません。それなら私を攫った方が手っ取り早いでしょう。それなのに奴らは、一緒に居た私ではなく、妹の方を攫っていった。これにはきっと、何か理由があるに違いありません」
 ハンカチで赤く泣き腫らした目元を覆いつつ、それでも気丈な態度で語る姉も、評判の妹に負けず劣らず美しかった。こんな場面で、女性の美しさに見蕩れるなど不謹慎だったなぁ、と翔は内心で苦笑いをする。
 「と言う事は、犯人の目星は付いてないのですね?」
 「ええ、私達は、今まで目立たぬ日々を送ってきました。人様から羨まれる事は勿論、恨みを買うような事などありえません。…勿論、私達にも知らない所で悪感情を持たれている可能性は無きにしも非ずですが。ですが、そのような可能性をも含め、自分達の身の回りを振り返ってみましたが…」
 「該当するような相手は無し、と」
 翔が言葉の続きを引き受けると、姉はこくりとひとつ頷いた。
 「でも、お姉さんは、犯人達の顔は見たんですよね?」
 「いえ、深夜でしたし焦るやら恐いやらで顔は…ですが、犯人の一人に、腕に何かの刺青をしていたのははっきりと見ましたわ。何やら、不思議な紋様だったので、特に印象に残ってて…」
 どんな?と聞き返す翔に、姉は小首を傾げて記憶を手繰り寄せる。首の動きに伴って、さらりと艶やかな金髪が、肩から豊かな胸元へと落ちた。
 「ええと、あの、縁取りだけの…ハートマーク…なんですが、その絵柄に絡むように…筋肉隆々の男性がしなだれかかっている…そんな風に見える紋様でした…」
 それを聞いた途端、翔の背中を何やら寒々しい、イヤーな感覚が走った。

 そんな特殊な図案の所為だろうか。姉が目撃した刺青の持ち主は、気抜けする程あっさりと見つかった。それはとある盗賊団に属する一人の男のものだったのだが、その聞き込みの途中にも翔は、話を聞いた相手達から、そいつらを本当に探しているのかと散々念を押され、益々不信感を募らしていた。中には、神妙な顔で翔の肩をぽむりと叩き、『……頑張れよ…』と悲痛な声で応援され、訳の分からぬ翔はただ首を捻るだけだった。
 が、その疑問はすぐに解消される事となる。

 それは姉から依頼を受けた二日後、運良く新月の夜を迎えた今夜。季節柄、きぃんと冷えた空気の中、翔は例の盗賊団のアジトへと忍び込んでいた。寂れた廃墟の片隅にある、今は誰も使っていない酒場が奴らの隠れ家だった。蝋燭だけの乏しい光と、僅かな声が聞こえてくる。感覚だけを頼りにして翔が物陰に身を潜めつつ近付いていくと、不意に大きな声が響いてきた。翔は思わず、見つかったのかと首を竦めて身を小さくする。が、それは翔に向けられたものではなかったようだ。
 「何をしてやがったんだ、全く、この間抜けどもが!」
 その声をした方へと、細心の注意を払いながら翔が首を伸ばして物陰からそちらを窺う。何本かの蝋燭と、真ん中で焚かれた焚き火、それらのみを光源として浮かび上がるシルエット。それを見た途端、翔は思わず、顎が外れたかのようにあんぐりと大きく口を開いてしまった。
 『……な、な……何だ、こりゃ!?』
 翔の、内心の叫びも致し方ない。焚き火を囲む男達、盗賊団の一味は須く盛り上がった筋肉の逞しい屈強な男達ばかりだったのだが、なにゆえか、奴らは全員、褌一丁だったのだ。
 『こ、この寒いのに…剛毅だなぁ…』
 動揺の所為か、翔の突っ込みは今ひとつ的を得ていないようである。暫くして立ち直った翔が、改めて辺りを窺う。すると、奴らの会話のおかしな点に気付いたのだ。
 「一体誰でぇ!コイツを攫ってきたのはよ!何の役にもたたねぇじゃねぇか!」
 「全くだ、よりによってオンナを攫ってくるとはよ。ったく、間抜けにも程があらぁ」
 『………?』
 「やっぱよぅ、俺はこう…くるくる巻き毛の金髪で青い目と白い肌の、天使みてぇな美少年がいいなァ…」
 「何を言ってんだ、やっぱり小柄でも黒髪黒瞳で健康的なのがイチバンさ!ちぃと肌が褐色とかだと、もう辛抱堪んねぇ」
 じゅるりと涎を垂らさん勢いの褌を、隣の褌がけっと鼻で笑う。
 「これだからお前らはセンスが無いっつうんだよ。今の流行は何と言っても長身痩躯の美少年に決まってるじゃねぇか!大人と少年の鬩ぎ合い、みてぇな微妙なバランスが…」
 等と、各自の美少年の好みを熱く語る褌達。思わずそのまま回れ右をして立ち去りたい衝動を必死で押さえ込みつつ、翔は男達の遣り取りを聞いていた。それを聞いていれば、翔でなくともこの男達の正体はすぐに知れた事だろう。この盗賊団は、全員がホモなのだ。しかも、全員が美少年好きらしい。これは元の世界で言うところのショタと言う奴だろうか。と翔はどこで得たのか、そんな記憶を引っ張り出し、深い深い溜息をついた。

 喧々囂々とおのが美少年論を飽きもせずにぶちまける男達だったが、その暑苦しそうな情景の向こう側、筋肉と筋肉の隙間から、後ろ手に縛られた金髪の美少女の姿が垣間見えたのだ。翔は一旦奴らの隠れ家を出ると、ぐるりと建物の外側を廻り込み、少女の背後へと忍び寄った。
 「………?」
 すでに口元の覆いも外され、ただ呆然とむさ苦しい男どもを言い争いを眺めていた少女だったが、背後に近付く影に気付き、首を捻って振り向こうとする。が、そこに翔の姿はなく、いつの間にか翔は、少女の居る位置から見て斜め前方、男達に背を向ける形で、物陰にその身を潜めていたのだ。
 「……っ、ぁ………」
 何かを言いかける少女に、翔は立てた人差し指を引き結んだ己の唇に宛がい、ジェスチャーで静かにと促す。姉に似てとても美しい顔立ちの少女は、これも姉同様に見た目のたおやかさよりずっと気丈なのか、恐がっている様子もなく、男達に気付かれないように目線だけで分かったと頷いた。
 少女は、近付いた翔が姉の名前を告げると、ほっとしたように笑みを向ける。その華やかな笑みに少しだけ見蕩れつつも、翔は手際良く少女を拘束する縄を解いていく。確かに、翔の行動は気付かれないように細心の注意を払って行われていた。が、盗賊団連中は、既に少女の事は眼中に無いのか、全く意識を向けようとはしない。いい加減厭になってきた翔は、敢えてその場ですっくと立ち上がり、少女の手を引いてその場を立ち去ろうとする。褌一丁ズのすぐ横を、何でもない顔ですたすたと通り過ぎていくのだが、それにさえ男達は気付かずに熱弁を揮っていたのだった。

 盗賊団のアジトから離れ、前もって待ち合わせをしていた箇所で、少女は姉と再会した。涙を流して喜び、抱き合う少女達を目を細めて嬉しげに見守る、将来の義兄。この三人は、きっと幸せになるだろう、と翔は何故か確信を持った。
 「助けてくれてありがとう。本当は少しだけ不安だったのよ」
 一通り喜びを分かち合った後、少女が翔に微笑み掛けた。照れ臭そうに泣き腫らした目元を気にする様子はとても可愛らしく、こんな美少女に興味を持てないなんて、ホモって何だか損だなぁ等と、少々ずれた事を翔は思った。そんな翔の思いなど知る由もなく、少女は翔に歩み寄って言う。
 「良かったらこれからウチでご飯を食べない?謝礼金は勿論だけど、私からもお礼したいし…」
 「とっても嬉しい申し出だけど、まだ僕にはやらなきゃいけない事があるんだ。ご飯はまた次の機会にとっといて欲しいな」
 にこりと笑い掛ける翔の笑顔、その裏側にある何やら不穏な雰囲気に、向こうに居る褌達がぞくりと寒気を覚えたとか覚えなかったとか。

 それから暫く後の事だった。三人揃って帰路についていた少女達は見る事は無かったが、盗賊団のアジトがあった辺りの上空、そこに白銀の光の柱が立ったかと思うと、ガレキや何かと一緒に、褌の男達が空高く舞い上がった。お約束のように、キラリと星になる事はなかったうえ、全力の翔の【風神之御剣】を、しかも何発も喰らったのに、誰一人として死者が出なかった事は、さすがの翔も感心せざるを得なかった。

 「…最近の筋肉バカは、打たれ強いのだけが取り柄なのかなぁ…」
 ついこの間も似たような事があったゆえ、翔は思わずしみじみと呟く。読んでいた瓦版を、そのままぽいっと肩越しに投げ捨てる。藁半紙のそれはひらひらと風に煽られ、やがては水溜りの上にぽとりと落ちた。現在の新聞で言うなれば大衆紙、その瓦版の端にこっそり載っていた、例の褌盗賊団の怪しげな噂も、染み込む水にあわせて徐々に滲み、やがてその姿を消していった。


おわり。