<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ゆずれないもの
 宿へ戻ろうと夜道を急いでいたラカエルの頬を、なにかがかすめた。頬が熱をおび、血が流れる。
 ラカエルの頬を傷つけたそれは闇夜を切り裂いて、そしてまた、夜闇の中へ消えていく。
 ラカエルは振り返った。
 路地の間に、月明かりに照らし出された黒いマント姿の少年が見える。
 褐色の肌に長い耳――ダークエルフだ。
 肌もあらわな、ひと目で男娼とわかる姿をした少年は、金色の瞳をすぅっと細めると、ラカエルに向かって邪悪な笑みを向けた。
「サリエル……不意打ちとは、相変わらず性根の悪いやつよの」
 ラカエルは、吐き捨てるように弟の名を呼んだ。
「そっちこそ。まだ生きてたんだ?」
 くす、と笑ってサリエルがラカエルの方へ手をかざす。
 夜闇の中からいく筋もの“闇”が生まれ、ラカエルのわき腹へと突き刺さる。
「……っ、ぐ……」
 ラカエルは小さくうめいた。
 先ほど頬をかすめたものとは違い、こちらは、質量を持っているかのようにいつまでもラカエルの体内へ突き刺さったままでいる。
「ふふ、痛い? その、苦しそうな顔……見ていると、なんだか嬉しくなってくるよ」
 あざけるような調子でサリエルが言う。サリエルが笑い声をあげた表紙に、のどもとの鈴がちりりと音をたてた。
「……ふざけるでないっ!」
 ラカエルは痛みをこらえて、サリエルへ氷のつぶてを放つ。
「こんなもので、僕をどうにかできると思っているの?」
 サリエルがマントをひるがえすと、氷のつぶてはマントに当たって地面へ落ちる。
 やはり、手加減したままで勝てる相手ではない、ということか。ラカエルはさらに強く、奥歯を噛みしめた。
「おぬしは間違っておる……間違っておるのだ!」
 そのまま、しぼりだすような声でラカエルは叫んだ。
 サリエルはそれを鼻で笑い、軽く跳躍すると、ラカエルのすぐそばへ着地する。
「間違っているのは、悪いことなの?」
 先ほどのような、あざけりの調子は影をひそめ、サリエルは寂しげに訊ねてくる。
「間違っているのが悪いことなら……間違いから生まれた僕は、存在からして間違っている、ってこと?」
「……!」
 しおらしい弟の様子に、ラカエルは胸を打たれた。
 少なくとも、その部分に関しては、サリエルに罪はないのだ。
「ち、違う。そうではない。私が言いたいのは……」
「……ムカつく」
 サリエルは一転、吐き捨てるように言うと、魔法の荊でラカエルを縛り上げてくる。
「さ、サリエル……!?」
「その顔がムカつくんだ! 同情なんかいらないんだよ、おやさしいお兄さま!」
 サリエルがぱちんと指を鳴らすと、闇色をした荊はまるで蛇のようにラカエルをしめつけてくる。
「……サリエル……!」
 ラカエルは叫んだ。
「やはり、おぬしは魔族でしかないのだな。……弟だと思って、手心をくわえた私がおろかだった。よいか、サリエル。おぬしがいくら不幸な身の上だからといっても、魔族の手下として罪なきものたちを殺める権利など、ないのだ!」
「……同情なんかいらないって言ってるだろ!」
 激情に駆られたのか、サリエルがラカエルの頬を平手で打つ。
 ぱしん、といい音がしたものの、痛み自体はあまりない。ラカエルはサリエルをにらみつけた。
「あぁ、たしかに僕には権利はないさ。でもね、僕には大切な人がいる。自分の命よりもずっと大切な人だ。たとえ世界すべてがその人の敵にまわるとしても、僕だけはその人のそばにいる。なにがあろうと、ゆずれないんだよ」
「……だが、そのものこそ、悪しき魔族。諸悪の根源とも言うべき、魔族なのだぞ!?」
 ラカエルは声を荒げた。
 男娼として身を売らずとも生きていけるように――そう思って、かつて、ラカエルはサリエルを弟子にした。
 だがサリエルはおのれの出生の秘密を知り、誤解をしたままで、呪いという置き土産を残して出奔し――そして、死んだのだ。そして今は、魔族の愛人として生きている。
 魔族は絶対的な“悪”なのだ。
 どれだけサリエルに対して優しい腕をさしのべようと、悪しき心を持つものであることに変わりはない。
「……なら、聞くけど。もしも、自分の好きな人が魔族だったらどうするの? 魔族だからって嫌いになれるの?」
「それは……」
 ラカエルは口ごもった。
 自分の愛する人が魔族だったとしたら。
 それでも自分は、彼女を愛せるのだろうか。
 答えは、イエス、だ。
 たとえ魔族であったとしても――この想いは変わらない。変えることなど、できるはずもない。
「ほら、答えられない。所詮、その程度のものなんだよ。やすっぽい偽善だとか、中途半端な正論だとか……同情だとか。反吐が出る」
 サリエルは指をぱちんと鳴らす。
 すると荊が伸びてきて、ラカエルの首筋にからみついた。
 棘がラカエルの皮膚に食い込む。ラカエルは、声にならない悲鳴をあげた。
「……同情などでは、なかった」
 ぎりぎりと狭められ、意のままにならない声帯をなんとかふるわせ、ラカエルは口にした。
 それを聞いたサリエルが、目を見開いてラカエルへと視線を向けてくる。
「同情でなど、あるはずがなかろう? 私と……おぬしは、兄弟、なのだから……」
「……嘘だ」
 サリエルが弱々しくつぶやく。
 その瞬間、荊の力が弱まった。ラカエルは手をかざし、氷を喚ぶ。
 サリエルは退いてそれを避けると、踵を返し、そのまま走り去ってしまう。
「……言ったか」
 とたんに力をなくして霧散していく荊に安堵しながら、ラカエルはサリエルの去っていった方を見つめた。
 サリエルの口にした「嘘だ」という言葉が、胸の奥に突き刺さっていた。
 本当は、サリエルのことを否定したいわけではないのだ。
 いや、否定することなど、ラカエルにはできないのだ。
 ほんの一瞬のことではあったが、よみがえったサリエルに、安堵をおぼてしまった自分がいる。
 けれど――それでも、否定しなければならないのだ。
 自分の愛するものたちを、傷つけさせるわけにはいかないのだから。
 たとえ、それが本当に、偽善であるのだとしても。
 相手が、弟であったとしても。