<東京怪談ノベル(シングル)>


酒場の可愛い仕置き人
■□■

 盛り場の夜は早い。
 日が西に傾き始めると、とたんにそこは活気に溢れ賑やかになる。
 人々の波が灯りの点った酒場へと吸い込まれていき、中からは楽しそうな笑い声が響く。
 その陽気な酒場のうちの一件。
 まだ日が沈んだばかりだというのにも関わらず、全ての席が埋まっている大盛況ぶり。
 そしてその満席状態の客を一手に引き受けているのは有翼人の少年、ルーセルミィだ。
 客から好評のメイド服を着て、ごった返す店内を擦り抜けるように動き回り笑顔を振りまいている。

 くるりと身を翻す度に、淡い藤色の髪が窓から差し込む西日に透けて光る。
 まだ幼さの残る愛らしい顔と少年特有の長い手足。
 そして天使のような全開の笑顔。
 背には輝くほどに白い翼。おまけに服はメイド服。
 人を惹きつけるのにルーセルミィの容貌は申し分なかった。
 そんなルーセルミィはその美貌と明るさからこの店の看板だった。
 今もあちこちのテーブルからルーセルミィを呼ぶ声があがる。

「ルーセくん、赤ワインの追加お願いー」
「おーい、坊主。こっちにはつまみだ」

「はーい、ただいまー」
 かかる声一つ一つにニッコリと笑みを浮かべて返すと、注文を頭の中で一度反芻する。
 そして厨房に行き一気にそれを吐き出した。
「赤ワイングラス1につまみの追加、肉の唐揚げ大盛りとサラダ2にビール6、それと白ワイングラスで3お願いしまーす☆」
「あいよー」
 厨房でもそれを受けて、忙しく手を動かし始める。

 ルーセルミィはそんな中、厨房と店内を挟む壁の覗き窓から軽く辺りを見渡して客の状態を把握する。
 そして今のところ注文がないのを確認すると、軽く溜息を吐き近くに置いてあったイスに腰掛けた。
 ほっと一息つく瞬間。
 呼び声がかかるまでの短い休息。

 この時間帯はいつも闘いだった。
 夕刻から夜半前までこの忙しさは続く。
 この店の規模からして、もう少し給仕の人数増やしても良いのではないかとルーセルミィは思っていたが、ここまで忙しいと余計なことを考えずに済むため、そのことについては黙っていた。
 給仕として天性の才を持っているようにも見えるルーセルミィだったが、元からここで働いていたわけではない。働くようになったのはつい最近のことだった。
 若干12歳という年齢にして、ルーセルミィの過去は思い出したくもない程暗く辛いものだった。

 藤色の髪と琥珀色の瞳。
 その容姿がルーセルミィの運命を決めた。
 父から不義の子として疑われ、母から疎まれ両親に捨てられた。
 捨てられた幼いルーセルミィは右も左も分からない場所で途方に暮れるしかない。一人きりで生きていけるわけがなかった。
 両親を思い泣き叫んでみても戻ってはこない人。
 守られていたはずなのに、今その手は何も掴めず地面の冷たさだけが、ルーセルミィに捨てられたという現実を押しつけていた。
 泣きはらした顔も、嗄れた声も。
 人里離れた森の中ではどんな悲痛な声も届かない。
 そんな所をたまたまやってきた人買いに捕まり、わけの分からないままにとんでもないところに売られてしまった。
 そこでの生活は本当に思い出したくもないものだった。
 足枷のつけられた自由のない生活。
 一個人としての尊厳など与えられるはずもなかった。
 そこから連れ出してくれた人。今の生活をくれた大切な人。
 
 そんな過去を持つルーセルミィの中にある暗闇の淵を覗いたら、人は何を思うのだろう。
 ルーセルミィはもう一度溜息を吐く。
 それは先ほどの心地よい疲れとは別物の重すぎるため息だった。
 伏せた瞳に、胸から下がる銀色に光る十字架の首飾りが目に入る。
 何があってもずっと手放さなかった大切な思い出。
 思い出すと胸の奥が暖かくなる、優しい想い出。
 両親から疎まれていたルーセルミィだったが、姉だけはルーセルミィに優しかった。
 頭を優しく撫でてくれる手も微かにだが思い出すことが出来る。

 ずっと一緒にいたかった。
 優しさに包まれていたかった。

 そう想いながらルーセルミィははそっとその十字架を握りしめる。
 優しかった姉から貰った、自分の暗すぎる過去で光を放つ大切な品だった。
 


■□■

 その時、店内で何か大きなものが倒れる音が響いた。
 慌ててルーセルミィは店内へと走る。
 
「どうかしました?・・・って、ちょっとそこ退いてくださーい」
 人並みをかき分けてルーセルミィは近くに行くと、目に飛び込んでくる床にばらまかれた赤いカード。トランプのようだった。
 そしてその上には真っ赤な顔をして伸びている巨漢。
 ルーセルミィは巨漢を見下ろして涼しげに立っている優男に視線を合わす。
 その背後では悔しそうに唇を噛みながら、隙を窺っている数人の男達。
 この状況から考えられることは一つ。
 酔った席でのカードゲーム。・・・いかさまギャンブルか。
 それに逆上し殴りかかった人物が反対に伸されたといったところだろう。
 そんなルーセルミィの予想は当たっていたらしく、優男の背後にいた男達が罵詈雑言を浴びせかけ始めた。

「オレは見たんだ!オマエがいかさましてるところをよぉ」
「オマエがあれだけ苦しい状況から勝てるわけがねぇ!」
 しかし何を言われても素知らぬ顔の優男。
 よっこらせ、と顔に合わない言葉を発しながらカードを拾い始める。
 騒ぎ立てる男達の罵声は気にならないらしい。
 ルーセルミィは双方に目を向け、とりあえずは騒いでいる方を黙らせようとそちらへ近づいた。

「ねぇ、お兄さん達。ボクのお願い聞いてくれる?」
 上目遣いでルーセルミィは言う。
 目の前の人物達はお兄さんなどからはほど遠いくらいのおじさんなのだが、そう言った方が自分のお願い効果が高まることを知っているルーセルミィは、迷わずに男達をそう呼んだ。
 そして男達がそんなルーセルミィに目を向けると、両手を軽く胸の辺りで握りしめ、上目遣いで男達を見上げながら瞳を潤ませている。ルーセルミィはかなりの演技派だった。
 自分の魅力を最大限に引き出す方法を心得ている。
 この際なんでも有りなのだ。
 そしてまんまとルーセルミィの策略に引っかかり、釘付けになる男達。
 男達は酔っている上、メイド服を着たルーセルミィは美少女に見える程の可愛さ。
 瞳を潤ませた姿は儚さも漂っている。
 一気に怒りからルーセルミィへの興味に変わる男達の思考。
 よしよし、と心の中でほくそ笑んだルーセルミィだったが、次の瞬間愕然となる。
 
「もう一回やる?」
 ぽわん、とした優男が、拾い上げたカードをぴんと一枚男達に投げつけたのだ。
 せっかくそちらから意識を引き剥がしたと思ったのに元の木阿弥だ。
 ルーセルミィは優男に向かって、さくっとレイピアを投げつけたい衝動に駆られる。
 
「なんだとぉ、こらぁ!オマエのカードはいかさまだって言ってんだろうが!30回もやってオマエの負けを1回も見てねぇんだよ!それってどう考えたっておかしいだろうが!」
「それはあんた達が弱いから・・・」
「うるせぇっ!ぶちのめしてやるっ!」
 せっかく収まった店内が再びグラスの割れる激しい音に包まれる。
 はぁ、とルーセルミィは溜息を吐く。今日何度目の溜息だろう。
 店内の客達はこのよう騒ぎは日常茶飯事なので、近くの席の人々以外は変わらず歓談を続けている。
 ルーセルミィは周りの客に、ぺこり、とお辞儀をして謝罪する。
 そしてくるりと振り返り男達に小首を傾げてみせた。

「ねぇ、お兄さん達。そんな人の相手するよりどうせだったらボクと遊ばない?」
 殴りかかろうと激高する男の腕に手を絡め、ルーセルミィは言う。
 もちろん満面の笑みも添えて。
 そして側にいた男達の腰を押して扉へと促した。
 男達は抵抗することもなく、ルーセルミィに押されるがままに歩を進める。
 一瞬にして男達の意識を自分に向かわせるその手腕はいつもながら見事だった。
 ルーセルミィはその間に店内に散らばったものを片づけ始める店長たちを横目に、さっさと扉を閉めて男達を店から遠ざけた。

 少し奥まった人通りのほとんどない路地裏へと男達を連れ込むと、ルーセルミィは笑顔を浮かべ片手を差し出し告げる。
「それじゃ、お兄さん達。さっき盛大に壊してくれたグラス代いただきまーす」
 きょとんとしてルーセルミィを見る男達。
 小首を傾げて更にルーセルミィは言う。
「えーっと、ざっと見たところ壊したグラス15個にお皿が11枚、それと飲んでたお酒の代金と料理の代金合わせて・・・・」
「おいおいおいおいおい、ちょっと待て!なんでオレらが払うんだ?」
「そうだ、アイツが払えばいいじゃないか!」
「アイツ?伸されてた人?」
「違う!あの優男だよ!元はといえばアイツが全部悪いんだ!」
「あの人からも後でいただきまーす☆でもまずはお兄さん達から」
 ニッコリといつもの営業スマイルを浮かべるルーセルミィ。
 先ほどまでは天使の笑みに見えたその笑顔も、今は悪魔の笑みにしか見えない。
 
「代金支払ってくれないと・・・ボク困っちゃうんだけどな」
 お願い、と可愛らしい言葉で言うが男達は今度ばかりは騙されなかった。外気に触れ、少しは酔いが醒めてきたようだ。
 そんなもん払えねぇなあ、と一人の男がルーセルミィに殴りかかる。
 しかしルーセルミィはその間合いを読み、背中の翼をはためかせゆるやかに宙を舞うと攻撃を避けた。そしてそのままくるりと空中で一回転し、男たちの後ろに回り込む。
 接近戦は苦手でも小さい身体と俊敏な動きで男達を煙に巻くことは簡単だった。
 そのまま愛用のレイピアで男の背中をツンと軽く刺し言う。。
「動くとこのまま貫いちゃうかも」
 するとぴくりと男の動きが止まる。周りの男達は何事かと振り返るが鋭いルーセルミィの声でその場に固まった。
「動いちゃ駄目っ!お兄さん達まだ死にたくないでしょ?」
 どうすればいいか分かるかな?と笑顔でルーセルミィは問いかける。
 すると、こくこく、と必死に頷く男達。
 威勢だけはいいが、実力はルーセルミィの腕とは比べものにならないくらい劣っている。
 それ位は自分たちでも分かるのか、男達は懐から財布をとりだしありったけの金をその場に投げ捨てると走り去った。
「よし、お仕置き完了☆」
 笑顔で金を拾い集め店に戻ろうとしたルーセルミィは、先ほどからずっと感じていた視線の主に声をかける。

「で、お兄さんは何?」
「助けてやろうかと思ったんだがな」
 木の陰から出てきたのは先ほどの優男だった。
「別にボクは平気。お兄さんこそあんまり良くないと思うけど?」
「別にいかさまなんてしてない。あっちが弱かっただけ。まぁ、店には迷惑かけたしな。これからは気をつけるよ」
 そう言って男はルーセルミィに袋に入った金を放ると背を向けた。
「ちょっと多いんじゃ・・・」
「取っておけばいい」
 ヒラヒラと軽く手を振り去っていく。
「変な人」
 ま、いっか、とルーセルミィはたくさんの金を持ち、忙しさに溢れた店内へと舞い戻った。


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「いらっしゃいませ〜☆」
 今日もルーセルミィの明るい声が店内に響く。
 忙しく動き回るルーセルミィは相も変わらず、客達に一日の疲れを癒すことの出来るような笑顔を向けていた。
 その客の中にはいつのまにやら常連と化した優男の姿も見える。
 
 今日もルーセルミィの居る酒場は大繁盛。
 そこでルーセルミィは一人の人物を待ち続ける。
 何時か再び出会える日を信じて。
 自分に今の生活を、そして笑顔を取り戻してくれた人との再会を。
 そんな想いを胸に、客が酒場の扉を開けて入ってくる度にとびきりの笑顔を向けるのだ。
 自分の今の輝きを伝えるために。