<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
天球儀は海を指すU−森と海−
□オープニング
兄弟子の使いだという少年について、フェンリーは森へと歩いていた。
海岸沿いの道。
砂浜と深い森が隣接する不思議な場所。海からの南風が彼女の若草色の裾を揺らす。優しい潮の香りとほど良い暖かさ。それだけならば、ただ穏やかな昼下がりの散歩であっただろう。
しかしフェンリーは今、リレン師として周囲の変化を捕らえようと必死だった。視線が移動する先、打ち寄せられた貝殻や海草に混じって、白い種のようなモノが無数にあった。
「これは――まさか……?」
微細な砂浜に座り込む。指先でそっと、帯のように敷き詰められている球体を拾い上げた。雫形の白。表面は滑らかで僅かに透けている。太陽に翳すと、中には星が内包されているかのように輝いた。
「察しの通り、呪詛の種だ」
「シュウ兄! やはりそう…なのですね。――まさか、本当にレンが熟成を……?」
突然の声に振り向いたフェンリー。太陽を背に立っていたのは、彼女の兄弟子であるシュウ・ホウメイだった。黒髪に深い蒼の瞳。海の静けさを思わせる雰囲気を持つ青年。
フェンリーを先導していた少年が、手間賃をもらって弾むように去って行く。その姿を見送り、シュウに問った。
「このこと、グラーダの方々にお話されたんですか?」
「フッ……私がそうするように見えるとは、お前も相変わらずだな。決まり手のないことを告げる気はない」
「ですが――」
「それが例え真実でも、だ。お前もここで育ったんだ、森の地理は覚えているな?」
フェンリーが頷く。シュウは流し目で笑った後、眉間に皺を寄せた。
「――だが、いくら熟知している森とはいえ、私とお前だけではこの広いテファンの森全体を調べることは難しい……」
「誰かお手伝いをして頂ける方を探しますか?」
「そうだな……それはお前に任せよう。私は一足先にエルド・レテラ古木へ向かう」
上空を舞っていた白鷲キーンと黒鷲ヨカが、それぞれ主の腕に降り立った。フェンリーはキーンを幻に戻すと、踵を返してグラーダの街へと足を向けた。また、助けてくれる人を危険に晒すことになるかもしれない――不安を禁じえない。
手にした天球儀を覗き込む。
フェンリーの心を察するが如く、星が一列に並び「迷うこと無き」と教えていた。
□森に入りし者達――シグルマ+みずね+リース・エルーシア
高遠聖+オンサ・パンテール
フェンリーは重くなりかかる足を運んで、グラーダの街角に立った。あれから丸1日が経過している。ここに来るまでの危険な道のりを助けてくれた人々がまだいるのか、不安に心が翳る。少し躊躇し、再び歩き始めたフェンリーの耳に聞き覚えのある笑い声が聞こえた。
「ガハハハ! こりゃ、美味い酒がある店だな。それに、面白い嬢さんもいるしな」
見れば昼間から盛況な酒家。その窓越しに見えたのは、紛れもない多腕族のシグルマの姿だった。
「シグルマさん!! よかった、まだいて下さったんですね」
「おお? フェンリーじゃねぇか」
突然開いたドア。飛び込んできた女性の姿に驚いた顔を向けたシグルマ。安堵と申し訳なさと早急さを併せ持つフェンリーの顔に、状況をすぐ把握したのだろう、瞬時に表情が引き締まった。
と、シグルマのドアを塞ぎかねない逞しい体の横から、褐色の肌が美しい少女の顔が覗いた。
「何? あんたの知り合いかい? ――フェンリーじゃないか! こんなところで何してるんだ!?」
「オンサ!! あなたこそ、どうしてここに?」
親友であるオンサ・パンテールの突然の登場に、フェンリーは目を丸くした。眩しい光に艶めく褐色の肌には腰巻きひとつ。長く波打つ茶髪と豹を思わせる紋章が彼女を飾る唯一の物。ふたりの顔を見合わせ、シグルマが笑った。
「おいおい、知り合いだったのか。いやぁ、このオンサってのは、酒は強いし脱ぎっぷりも気持ちがいいんで意気投合していたんだ。話は早い、また俺の力を借りたいんだろ? こいつもかなりやるようだから一緒に行ったらどうだ?」
「フェンリーがあんたの言っていた雇い主だったとは、あたしも気づかなかったよ」
オンサは爽やかに笑うと、「もちろん、助けるよ」と肩を叩いてフェンリーに事の詳細を尋ねた。
「――なるほどね、森に異変が」
「人出がいるの。早急に……。シグルマさん、リースさんとみずねさんはまだここに?」
本当は知らせたくないと言う表情を見せつつも、それでも願わねばならない事情がフェンリーの顔には覗えた。シグルマは肩をすくめた。
「フェンリーひとついいか? 他人の心配をしているようだが、あんたが難しい事でも俺には簡単な事もあるし、その逆もあるからあまり気にしない方が良いぞ。多分、あいつらもな」
屈強で頼もしい仲間は、彼女達のいる場所へと案内してくれた。グラーダで一番美味しいと有名な魚介料理店へと。
「フェンリー!! どうしてここが!? なんだ、シグルマも一緒だったんだね。助けが必要なら、ぜったいに行くよ!」
「やっぱり、必要となる時が来ましたね。リースさんと一緒に力を蓄えていて良かったわ」
ここまで連れてきてくれた仲間、リース・エルーシアとみずねは口々に手助けをかって出てくれた。
「ほらな」
シグルマが目配せする。フェンリーは嬉しくなった。こんなにも人に親切にされることが幸せだなんて、いつもひとりで樹木に対することの多いリレン師は目頭を熱くした。気づかれぬよう溢れかけた雫を拭いて、笑顔で頭を下げた。
「ありがとうございます……。これから行く場所はとても危険です。どうぞ、ご自分の身だけは守って下さい」
心配そうな顔。そこに、聖書を胸にレンガ通りを神父らしき人物が通りかかった。リースが思いついたように彼に声をかけた。
「ねぇ、神父さん!? あたし達のために祈ってくれない?」
一同が驚いて見つめる。声をかけられたのは、銀の長い髪に柔らかな赤い瞳の青年だった。突然のことだったが、彼は聖職者の名に相応しい暖かく微笑んだ。
「ええ、もちろん構いませんよ。神はすべての人に平等ですから」
聖書を胸に手を頭上にかざす。彼の口から語られるのは神の言葉。清らかなる響きにフェンリーの心も少し落ちつきを取り戻した。
「宜しければ、事情をお聞かせ願えませんか?」
高遠聖と名乗った青年は、促すように首を傾げた。フェンリーはテファンの森で起こっていることを伝え、今自分が手助けしてくれる人を探しているのだと言った。頷きながら聞いていた聖は、説明が終わると決意の瞳で彼女を見つめた。
「調査、ですか? リレン師というお仕事を存じておりませんが、僕でもお手伝いできるでしょうか…? 宜しければご一緒しましょう……呪詛が蔓延している、などと知ったら神も哀しまれることでしょうし」
「え? ……いいのですか」
「もちろんです。僕は誰かの手助けになることなら、喜んで働きますよ。それに危険な場所のようですから、治癒が出来る者がいた方が便利ではありますしね」
フェンリーはありがたく受領し、聖を加えてテファンへと向かうことにした。
+
互いに自己紹介を終えた頃、森ではシュウが行く手を阻まれていた。
「うむ……、北周りは駄目か――。一度入り口に戻らねばならんな」
呟いてシュウは青い衣を翻して、光の射さなくなった森の奥に背を向けた。背後で植物達がざわついていることに、日頃冷静であるはずのシュウは気づかない。フェンリーには平静を装ってはいたが、誰よりもグラーダの住人を思って憂慮している姿だった。
「フェンリー、人数はこれだけだな……」
「ええ……二手に分かれますか?」
「そうだな。北周りは行って見たが、滝が新たに出現していた。南と西周りで行こう」
ふたりが組み合わせを思案し始めた時、みずねがシグルマに呟いた。
「良い風が吹いているとは思えません。少し待っていてもらえませんか?」
「みずね、何をするつもりなんだ?」
「森には水が常にあるようです。ということは、魚も常に海と森を行き来しているということ」
「あっそうか、みずねは人魚だもの。魚に森がどんな状態なのか訊いてみるんだね!」
リースの青い瞳が輝いた。訊いていたオンサが驚く。
「あんた、人魚なのか? あたしは森の戦士だから、人魚を見るのは初めてだよ」
「ふふふ、では行ってきますね」
聖とリースが手を振る。フェンリーにシグルマが報告している様子を見ながら、みずねは森のすぐ傍にある澄んだ海へと飛び込んだ。浮かび上がった時には耳は鰓に変化し、美しいエメラルドグリーンの鱗が光っていた。
「高遠だったかな……、あんたは神父らしいが、治癒能力は高いのか?」
「シュウさん、初めまして。ええ、自負するつもりはありませんが、やはりそれが自分の本職ですから」
シュウは満足げに頷くと、海を見つめた。しばらく後、みずねが海岸に戻ってきた。姿はもとに人型になっていた。
「魚達からこれをもらいました。皆さんでつけて下さいね」
「これは……耳栓?」
みずねが差し出したのは、海の綿とも言われる海草の実だった。
「彼らが言うには、植物の様子がおかしいようなのです。水の中には影響があまりないようですけど」
「レンは呪詛を放ち、感染した者を操ることがある……防止策としては有効かもしれないな」
シュウはみずねからもらった実を耳に入れ、森へと皆を促した。
□蔓延の兆し(フェンリー同行組)――オンサ・パンテール+みずね+リース・エルーシア
「オンサ、あの高い枝の葉を取って来れられる?」
「ああ、いいよ。どの葉でもいいのか?」
頷くフェンリーを下に見て、オンサ・パンテールは軽やかに樹木に登っていく。空に向かって高く伸びた枝。
「彼女、すごく身が軽いんだね。もう、あんなところにいるよ」
リースが明るい声で笑った。フェンリーは女性ばかり、みずねとリースそれからオンサに守られながら古木方面へと向かっていた。みずねは常に周囲に風の眷属を配し、渡しておいた耳栓をするように勧めた。少し会話しくにいが、レンがどのような感染経路を辿るのかは良く分かっていない。幻聴を利用するものであれば、耳栓はかなり有効な手段と言える。
「キャッ!」
「フェンリー、どうした!!」
突然上がったフェンリーの声。疾風の如く速さでオンサが丸いお尻を揺らして降りてきた。彼女が目にしたのは、水に濡れてしまった親友の姿。
「ごめんなさい。穴が開いているのに気がつかなくて――」
「びっくりしたよ」
オンサが胸を撫で下ろす。みずねがかけ寄って、不安げに足元を見つめた。
「レンの影響かしら……水が濁っているように見えるわ」
「そうですね…もしかしたら――キャッ! オンサ何するの!?」
「何って脱がしてるんだよ。濡れたままじゃ、風邪ひくぞ」
オンサの手がまだ喋り続けていたフェンリーのドレスの裾へとかかっていた。腰紐以外は身につけていないオンサにとって、濡れた衣服ほど気持ちの悪いものはないのかもしれない。けれど、フェンリーは肌の露出が苦手だった。
「いいの! あ、私は大丈夫だから、そのままにしておいて……ありがとう。ごめんさない」
驚きと困惑の混ざった声で赤くなった頬で頭を下げた。みずねも驚いたが、濡れても何も思わない彼女にとってもオンサの行動は不思議に見えた。リースがその様子を見つめつつ、笑いを堪えるのに苦労している。
「ねっ、あれなんだろう?」
リースが樹達の根元を浸している海水が盛り上がっている場所を指差した。みずねからもらった耳栓は、触った感触が気持ちいいので耳に入れるのが遅れた。そう、ちょっとした時間差だった。変化の兆しは元気に先頭を歩いていたはずリースの体に起こった。
「う、動かない――足が……」
「リースさん、どうしましたか?」
心配して駆け寄ったフェンリーの腕を取って、リースが叫んだ。
「あたし、変だよ! 逃げてー!」
「リースさん、もしかして操られているの!?」
みずねが近づく。言葉とは裏腹にリースの腕はフェンリーを放さない。やはり、レンに侵されてしまったようだ。オンサがフェンリーに問う。
「フェンリー。レンを治療するリレン師。どうすればいい!」
「とにかく、私をリースさんから解放して下さい。でも、傷つけないで――」
「当然!」
みずねがオンサの横へと移動し、互いに間合いを取る。リースは懸命に抗う自分の体と戦っていた。けれど、握り締められたフェンリーの指先が青ざめていく。
「ごめんなさい! あたし、あたし――」
「落ちついて、リースさんのせいじゃないから」
リースの金髪が風でなびく。それが突然強くなった。息もできないほどの風にリースの体が一瞬ひるんだ。その時をオンサが見逃すはずがなかった。みずねの放った風の眷属。風がおさまると同時に、オンサの身が翻った。
「きゃう!」
リースの体がフェンリーを手放した反動で、水に尻餅をついた。
「無事か? 行けるな」
オンサの問いにフェンリーは答え、白鷲のキーンを呼んだ。そして唱える呪文。
「闇から人へ伝わりしレンよ。姿を元へと戻り、己自身を見出せ! フェブル・ラル・オード!!」
リースの体から黒い靄のようなものが空へと抜けていった。目を白黒させて、リースはようやく自分の体を取り戻した。
「すみません……私がもっと注意していなければなりませんでした」
「ううん。謝らないで。危険は承知の上だもん、ね。フェンリー」
笑顔を見せてくれたリース。フェンリーは感謝した。自分と戦うことほど恐いものはないかもしれない。
たくさんの仲間に支えられ、幸せだと思った。
「先を急ぎましょう。シュウ兄の方も何かあったかもしれませんから」
フェンリーの言葉に、一同は森の奥への歩みを再開した。
□古木の意味するもの――シグルマ+みずね+リース・エルーシア
高遠聖+オンサ・パンテール
先に到着したのは、シュウと一緒に行動したふたりだった。大きく枝を広げたエルド・レテラ古木。葉は凍葉期に失われ、芽吹きの樹葉期がきたが新芽のひとつもない。「エルド」は森、「レテラ」は知る者。この地に生活していた古代ルティアニアの言葉。「森を知る」巨木は、命の炎をわずかに灯していた。
「おい、これが元凶なのか?」
「植物とは思えません。強い思念を感じます」
聖が驚きの声を上げた。と、フェンリー達が森の葉影から現れた。
「みずね、あんたは無事だったのか?」
「シグルマさん! 大丈夫ですわ……皆さんがいましたから、ね」
走り寄ってくるシグルマに笑顔を見せ、リースとオンサに向かって頷きをひとつ。
「もちろんだよ! だってフェンリーのこと、守らなきゃね! オンサ」
「そう、私達はもう友人だからな」
笑い合う女性陣に、シグルマが肩をすくめ聖が可笑しそうに微笑んだ。彼らから少し離れ、ふたりのリレン師が古木へと近づく。
「フェンリー。レンが蔓延していることははっきりした。そして、古木が元凶であることも」
「私にはこの木が何を語ろうとしているのか聞こえません……なぜなの――私が、…劣っているから?」
「それを言うな、まだ修行が足りないだけだ」
兄弟子に諭され、フェンリーは小さく頷いた。
「シュウ兄、持ってきた『ユルス』だけでは無理です……」
傍に立った彼に、フェンリーが声を落した。
「仕方ない、蔓延防止策だけ昂じておこう。『ユルス』の陣を用いる」
ふたりのリレン師は空に白と黒の鷲を飛ばした。唱えられる呪文。
「大地に芽吹き、空へと伸びる樹木よ。『ユルス』の力借り、レンを封じよ! フェブル・ラル・オード!」
レンの完全なる解放には大量の鉱石が必要と判断された。それぞれの想いを胸に、一度森を出る帰路についた。
僅かに、森を覆っていた闇色の影が薄くなっていた。
しかし、真の闇は消えてはいない。白い種が熟成の時を人知れず刻んでいた。
□END□
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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+ 0812 / シグルマ / 男 / 35 / 戦士
+ 0925 / みずね / 女 / 24 / 風来の巫女
+ 1125 / リース・エルーシア / 女 / 17 / 言霊師
+ 1711 / 高遠・聖 / 男 / 16 / 高校生+神父
+ 0963 / オンサ・パンテール / 女 / 16 / 獣牙族の女戦士
+ NPC / フェンリー・ロウ / 女 / 21 / リレン師
+ NPC / シュウ・ホウメイ / 男 / 23 / リレン師
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■ ライター通信 ■
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大変、大変遅れまして申し訳ありません。ライターの杜野天音です。
今後はこのようなことのないよう努力致します。
耳栓を生かし切れなかったように思います。ですが、人魚の姿にはなって頂きました。森には水が常にあるので、みずねさんにとっては歩きやすい場所だったのではないかと。如何だったでしょうか?
謎だらけで分かりにくかったかもしれませんが、気に入ってもらえれば幸いです。
次回は未定です。クリショか自サイトの掲示板にてご確認下さい。ありがとうございました!
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