<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
チョコレートの麗人
●オープニング
最近、ベルファ通りに妙な噂が流れている。
「通りがかった男に、お菓子の小箱を渡す女がいるらしいの。中身はチョコレートって噂。そして、それを食べた男は……みんな死んだわ」
本当ならば立派な殺人事件。なのに、なぜエルザード城が動かないのか。
「決まってるじゃない。脛に疵(きず)を持つ男たちばかり狙われてるのよ。いい気味だと思われて、誰も届けやしない。届けたところで、誰も協力しないと思うわ」
それにしても、こんな噂が流れていたら、見知らぬ女から菓子を受け取ったり、まして食べたりしないだろうと思うのだが……。
「そうなのよ。それが不思議なところ。それほど不用心な連中じゃない。いいえ、さんざん危ない橋を渡っている男たちが、どうして……」
そう言って、エスメラルダは深々と溜息を吐いた。
●情報収集
世の中で「噂」ほどアテにならない物はない。
「困りましたね。さっぱりですよ」
テーブル席からカウンター席に戻ってきたアイラス・サーリアスは笑顔のまま、しかし、寂しげに言った。
「全然手掛かりなしか?」
黒い騎士服を纏った男――榊遠夜が応じる。
「有名な噂には違いないんですが、みんな、自分が見たわけじゃないと。何か知っていそうな人はいるんですが、詳しく聞こうとすると追い払われて……」
あまりしつこく食い下がったり、交換条件として情報を提供しては、自分自身が噂の種になってしまう。あくまでもさりげなく情報収集したいアイラスとしては、収穫がなくても、目立たないように振る舞う方が大事だ。
そこへ、小柄な赤毛の男が音もなく近付き、アイラスの隣に座る。
「『夜蝶』について調べているのは、あんたか?」
「ヤチョウ……?」
男は視線だけで口を閉じるよう命じた。
「夜に舞う蝶が、義賊を気取って、男たちを食い殺している」
「ヘンリー。『いつもの』でいいの?」
エスメラルダの言葉は、その、ヘンリーという男が信用に値することを意味していた。
「ああ。……あんたたち、俺から聞いたということさえ黙っててくれるなら、話してやってもいいぜ」
遠夜もアイラスも、真剣な目で頷いた。
ベルファ通りから入り組んだ狭い路地を行った先に、汚らしい外観の酒場がある。普通の人なら決して足を踏み入れたくないような建物は、表通りを歩けない人々の住まいと化している。
ある日、その一室で、一人の男が血を吐いて死んだ。遺体の引き取り手すら現れなかった男の死は、持病の発作だったと片付けられた。ただ奇妙だったのは、食べかけのチョコレートが床に転がっていたこと。そして、枕の脇には、洒落た箱とリボンが残されていたこと。
「……俺の知り合いが見たことだから、これ以上詳しいことは、俺も知らねぇ」
そう言うと、ヘンリーは固く口を閉ざしてしまった。
●手掛かりを求めて
黒山羊亭を一歩出れば、薄暗い街灯と月明かりだけが道を示す闇。
「あの人の話を聞く限り、チョコレートに毒が入っていたと考えるのが自然ですね」
ただの偶然、事故死であればと微かに期待していたアイラスは、少し気が重い。それでも顔には出さず、手掛かりを求めて歩き出す。
「……どうかしましたか?」
立ち止まったままの遠夜を振り返ると、その手から、梟のような物が数体飛び立った。
「ああ、これは『式』と言って……、そうだなあ、召喚獣みたいな物と言えば分かるかな?」
迷い込んでしまった「異世界」で、陰陽の技がどれほど通用するか不安はあったが、特に違和感は感じられなかった。遠夜は安堵の笑みを浮かべる。
「召喚獣ですか? それで一体何を?」
「うん。上から見れば、見付けやすいと思うんだ」
大した手掛かりがない以上、頼りない噂を信じるしかない。探すべきは女。それも、おそらくは若く美しい女性。「客を待つ」女なら、多少なりとも人が通る場所にいるだろう。だが、「夜蝶」を見た者はいない。つまり、人通りのない場所にいるということだ。
暫くして、仮初めの命を吹き込まれた梟が一体、遠夜の元に戻って来た。
「見付けたか。……行こう」
再び羽ばたく梟の後を、アイラスが先に立って追い掛ける。
「……っつ!」
細い路地は道も悪く、窪みに足を取られ、遠夜は小さな声を上げた。
「大丈夫ですか?」
アイラスは返事を待たず、遠夜の腕を引く。
「みっともないな……」
苦笑する遠夜に、アイラスは笑いかけた。
「暗いのだから仕方ありません。夜道は僕に任せてください」
●殺人鬼の正体
理由は告げず、ただ言外に夜目が効くことを臭わせて、アイラスは梟を追う。やがて、ぼんやりとした人影が目に飛び込んできた。
「……男か?」
遠夜の問いに、アイラスは小声で答える。
「はい。でも、その先に、黒い服の女性が……。見えますか?」
「う……あ……何となく」
遠夜の目にも映るよう、二人は慎重に歩を進める。だが、アイラスは不意に足を止めた。
「あの女性……。羽根がある……?」
「えっ?」
ほんの一瞬、それも僅かに視界が光る。その一瞬の間に、遠夜は女の姿を認めた。黒づくめの服。背中には確かに、漆黒の蝶の羽根が。
「まさか本当に『夜に舞う蝶』だとは……」
「気を付けてください。今の光、たぶん魔法です」
夜蝶。魔法。思い当たる物が一つ。風の守護聖獣パピヨン。
「まさか聖獣そのものではないでしょうが、風の魔法を使ってくるかもしれません」
「飛ばれると厄介だな」
二人とも、戦いになれば負けない自信はある。だが、それで殺してしまっては、あの女性と同じになってしまう。できれば、傷一つ付けずに捕らえたい。
息を潜め、遠夜が前に出る。しかし、自分が相手に気付いているということは、相手も自分に気付いている可能性があるということ。突然、女は顔を上げ、血のように赤い唇を歪めた。
「……ふん……。あなた、あたしのことを守って頂戴。あいつを殺すのよ」
「遠夜さん! 伏せてっ!」
外套を払い、隠し持っていたサイを手にすると素早く構え、突進してきた男の首筋に一撃。男は、呆気なくその場に崩れ落ちた。
その間に、遠夜も態勢を立て直し、女に呪縛符を放つ。空に逃げようとしていた女は、さながら蜘蛛の糸に捕らえられたかのように、羽根だけを震わせながら硬直した。
「男の純情を弄ばないようにね」
にっこりと笑う遠夜を、女は冷ややかに見据える。
「殺しなさい」
「うーん。殺すのは簡単だけど……」
背後からアイラスの声が聞こえる。
「遠夜さん。殺すのは止めてください」
「分かってる。僕らと一緒に、然るべき場所に来てもらえればいいかな?」
「そうですね。その前に、聞きたいことはありますが」
アイラスは地面に膝を付き、自分が倒した男の体を調べていた。そして、ただ気を失っているだけであることを確認すると、ゆっくりと立ち上がり、女の方に向き直った。
「魅了の魔法ですか? それで警戒心を失わせて、毒入りのチョコレートを食べさせる……。随分と回りくどいことをしますね。一体、どうして?」
答える代わりに、女はスッと視線を逸らした。それを見て、遠夜がクスリと笑う。
「攻撃魔法は使えないんじゃないのかな?」
そろそろ呪縛の効果が切れる。遠夜は、少し乱暴に女の右腕を掴んだ。
「触んないでよ」
「おとなしく付いて来るとは思えないからね」
アイラスも反対側に回り、左腕を掴む。
「失礼します。……あの、お名前を伺ってもよろしいですか?」
クッと喉の奥を鳴らし、女は笑いを飲み込んだ。
「面白いわ。こんな時に名前を聞くなんて」
「呼ぶのに不便ですから」
「……いいわ。今回はあたしの完敗。ご褒美に教えてあげる。あたしの名前はリリス。ついでに……」
呪縛が解けたらしく、大きく顔を動かし、俯せに寝ている男を顎で指した。
「あの男。表の顔は善良な薬師だけど、裏では麻薬を作ってる。騙されて、一度でも薬に手を出したら最後。後は薬欲しさに、どんな悪事にでも手を染めざるを得ない。そうやって、たくさんの人が、裏の世界に追い込まれたわ。泣いた家族がどれだけいるか、あんたたちは知らないでしょうけどね」
「だからと言って、殺していい理由にはならないでしょう?」
「ここは裏通り。表の世界の人間が信じる、言葉の力なんかありゃしないのよ」
冷たい横顔は凛として、気高ささえ感じられる。
(狂気、か……)
遠夜は寒気を覚えた。確かに、彼女の言うことにも一理ある。だが、受け入れることはできない。理屈ではなく感情として、彼女の言い分を認めることはできなかった。
「あの男を生かしておいたせいで、また不幸になる人間が増えるのよ」
「そうでしょうか?」
アイラスは穏やかに言った。
「リリスさんが思っているほど、人は腐りきっていないと思いますよ」
「そうだといいけど」
リリスは思いのほか素直に歩いていた。しかし、ベルファ通りに出た途端、急に力が抜けたように、二人に体重を預けてきた。
「リリスさん?」
顔を覗き込むアイラス。一方の遠夜は、ハッとして上空を見る。
「しまった!」
夜空に浮かぶ、大きな黒い蝶。符を使おうにも、既に距離が遠すぎる。
「あんたたちに免じて、しばらくは消えててあげる。今度会うことがあれば……、その時は手加減しないわ。覚悟してて」
蝶の姿は粒子に砕け、闇に溶けて消えた。アイラスの腕の中には、あの目立つ羽根を失い、静かに眠る一人の女性。
「この人は……」
「憑依されていただけです。記憶もないでしょう。エスメラルダさんの所に預けるのが一番いいと思います」
●ありふれた光景
二人が連れ帰った女性の身元は、結局分からなかった。意識は戻ったものの、本人が頑として身元を明かさなかったからだ。リリスの行動から考えるに、「表の世界」の住人ではなかったのだろう。エスメラルダの好意を受け、黒山羊亭のホステスとして働いていたが、ある日、挨拶一つなく去って行ったという。しかし、それにも、エスメラルダは平然と言ってのけたものだ。
「ベルファ通りではよくあることよ」
その後、事件の噂は次第に聞かれなくなった。もとより、それほど臆病な人間が集まる場所でもない。まるで最初から何事もなかったかのように、人々は行き交う。ただ、遠夜とアイラスの二人だけが、時折、不安な気持ちで名前を思い出す。
(リリス……。今度会ったら……)
(手加減なしは、お互い様ですよ……)
【完】
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / クラス】
【0277 / 榊 遠夜 / 男 / 16 / 高校生/陰陽師】
【1649 / アイラス・サーリアス / 男 / 19 / 軽戦士】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは。あるいは、はじめまして。担当ライターの小早川です。
私の過去の作品に比べると、かなりダークな物になっております。これは「黒山羊亭」という場所柄ということでご理解ください。エンディングも微妙ですが、少なくともバッドエンドではありません。むしろ、想定していた中では最善に近い結末でした。
NPCのリリスは、後でまた出てくるかもしれません。出てこないかもしれません。出てくるとしたら、ソーンでロクでもないことが起きた時でしょう。雌雄を決したいかもしれませんが、むしろ出てこない方が、ソーンにとっては良いことでしょうね。
アイラス・サーリアス様。描写にあたっては「PC設定図」を参考にさせていただきました。また、プレイングからも、冷静で落ち着いた人柄が感じられました。できれば「何と言って説得するか」まで考えていただければ、なお良かったかと思います。
それでは、またお会いできますように。
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