<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


憂い顔の姫君
「お願いしますなのです、助けてくださいなのです!」
 今日も白山羊亭には、助けを求める依頼人の声がこだまする。
 それは自体はいつもの光景なのだったが、今日は、少しだけいつもと違うことがあった。
 駆け込んできた依頼人は、どこからどう見ても、二足歩行する大き目のウサギ、だったのだ。
「あら、ウサギさん。そんなに慌ててどうしたの?」
 白山羊亭のウェイトレスであるルディアが、首を傾げながらウサギに訊ねる。
「大変なのです。私のお仕えする姫君が、憂い顔の病にかかってしまったのです」
「憂い顔の病……?」
「そうなのです。憂い顔の病にかかると、だんだん元気がなくなって、最後には儚くなってしまわれるのです。だから助けてくださいなのです」
「それだったら、病院に行った方がいいんじゃないかしら?」
「ダメなのです。憂い顔の病を治すためには、思い切り笑わせるしかないのです。どうか助けてくださいなのです、なにか、姫を喜ばせるような特技のある方にご協力いただきたいのです!」
 ウサギが叫びを上げながら、がっくりとうなだれた。
 そのふさふさとした後頭部を、ルディアはそっとなでてやる。
「えーっと、どなたか、ウサギさんのお姫様のこと、助けてあげられる方、いませんか?」
 白山羊亭の中にいる冒険者たちに向かって、ルディアが首をかしげながら訊ねた。

「あの……」
 そこへ、淡い青色の髪をひとつに束ねた、メガネをかけた旅装の青年が近づいてきた。青年はウサギの前で立ち止まる。
「アイラス・サーリアスと申します。もし、よろしかったら、お力になれればと思うのですが」
「あの〜、もしよかったら、私もお手伝いいたしましょうか?」
 おずおずと翠色の髪の女性が声をかけてくる。おっとりと細められた瞳は銀色で、どこか人間離れした雰囲気があった。
「エルダーシャ、です。よろしくお願いします〜」
 ふたりを交互に見ながら、白いウサギはぴょこんと跳ねた。
「よろしいのですか? ああ、これは心強い……!」
「僕もお手伝いしましょうか? 僕はヴィーア・グレア、秘書をしています」
 そこへ、さらに、ゆるくウェーブのかかった金髪の青年が声をかけてくる。
「スゥも手伝ってあげる。儚くなるってよくわからないけど……元気がなくなるのだったら、きっとよくないことだもの」
 足音もたてずに近づいてきて、レースやフリルのたくさんついた黒いドレスを着た小さな女の子が首を傾げる。
「ああ! こんなにたくさんの方々にご助力いただけて、姫も本当に幸せでございます! ああ、ああ!」
 白ウサギはいよいよ感極まったように、上を向いてあえぐように叫ぶ。
「それじゃ、俺も1枚かませてもらうとするかな。おいウサギ、姫さんが元気になったら、報酬はたんまりもらえるんだろうな?」
 白ウサギをうしろから抱きこむようにして、翡翠のような色をした髪の少女が言う。
 白ウサギは面食らったように振り返ると、
「は、はい、それはもちろん。おのぞみの通りに」
 と答えた。
「よし、じゃ、さっさと行こうぜ!」
 それを聞くと、少女はガッツポーズをキメながら叫び声を上げた。

「本日は、わたくしのためにお集まりくださいまして……ありがとうございます」
 アイラスの提案で開かれたお茶会の席で、姫は丁寧に頭を下げた。
 白ウサギの言っていた姫というのは、ウサギの姿をしてはいなかった。足首ほどまである長い黒髪のうつくしい姫君で、淡い桃色のドレスがよく似合っている。だが、『憂い顔の病』にかかってしまっているせいか、笑顔を見せることはなかった。彼女が笑顔を見せたらさぞかし美しいだろうとアイラスは思ったが、さすがにそれを口にはしなかった。本人が病のことを気にしているのだとしたら、失礼に当たるだろうと思ったからだ。
「それではまず、私が失礼いたしますね〜」
 順番に姫を笑わせようとしてみようという話になっていたので、まず最初にとエルダーシャが立ち上がる。
 エルダーシャは微笑みながら腕まくりをすると、姫君へと近づいていく。
「なにをなさいますの?」
 姫君は不思議そうに首を傾げる。
 エルダーシャは姫君に笑顔を返すと、おもむろに姫君のわきの下へと手を差し入れる。
「きゃ」
 姫君は小さく悲鳴を上げる。
 だがエルダーシャはそれを意に介した様子もなく、こしょこしょと姫君をくすぐりはじめる。
「きゃ……いや、やめてください!」
 姫君は悲鳴を上げて身悶えするが、一向に笑い出す気配はない。
「あ、あの、姫君はあまりそういったことに慣れていらっしゃらないのです。ですので、そのあたりでやめてくださいなのです」
 見かねた白ウサギがひかえめに言う。
「そうですか〜……」
 エルダーシャは残念そうに姫君から離れると、またもとの席に戻る。
「まあ、そういうこともありますよ……くすぐるっていうエルダーシャさんの案、よかったと思いますよ」
 アイラスはそうエルダーシャをなぐさめた。
「ええ、くすぐられたときの笑いの衝動は、なかなかあらがいがたいものもありますし」
 ヴィーアもアイラスに同意する。
「ま、短絡的ではあったけどな」
 茶化すようにヒスイが言う。
「そ、そうですよねえ……」
 ヒスイのセリフに、エルダーシャはがっくりと肩を落とした。
「でもエルダーシャさんもがんばったんですし……あ、ほら、このお菓子、おいしいですよ。エルダーシャさんもいかがです?」
 目の前にあった焼き菓子を、アイラスはエルダーシャに向かって差し出した。こんがりときつね色に焼けた焼き菓子は、しっとりとしていておいしそうだ。
「あ……ありがとうございます」
 エルダーシャは微笑んで頭を下げる。
「いえいえ」
 アイラスも微笑み返して、自分の前に置いてあったティーカップに口をつけた。

「さて、やっと俺の出番だな」
 言いながら自信たっぷりな様子でヒスイが立ち上がる。ヒスイの身につけている装飾品がしゃらりと音を立てる。
「特別に踊りを見せてやろうじゃねえか。普段はタダじゃ絶対に踊らないんだぜ? おまえら、おひねりもよろしくな」
 金属でできた扇をひるがえしてポーズを取って、ヒスイが全員に向かってウィンクする。
 ヒスイが白ウサギに報酬の約束を取り付けていたのをしっているアイラスは、苦笑を浮かべた。
 ヒスイの頭に生えた白い角を見れば、苦労をして来たことはひと目でわかる。人間の女とオーガなどの間に生まれた鬼族は、その生い立ちのゆえに迫害されることが多いのだ。
「ねえ、だったら、スゥも一緒に踊らせて」
 スゥが立ち上がって首を傾げる。
「スゥね、もともとはただのマリオネットだったの。楽しい音楽にあわせて、お客さんとダンスを踊るのよ。たくさんの人たちと踊ったわ。みんな、喜んでくれたの。だから、お姫様も一緒に踊りましょう? きっと楽しい気分になるわ」
「わたくしは……そういったことは、あまり、その」
「姫君はあまり、そういったことに慣れてはいらっしゃらないのです」
 白ウサギがフォローする。
「しょうがねぇな、じゃあ、俺たちだけでやるとするか」
 仕方がない、といった様子でヒスイが言う。
「でも、そうだな。なにも音がないんじゃ寂しいか……」
「あ、あの」
 つぶやいたヒスイに向かって、アイラスは手を上げて言った。
「笛でよかったら、吹きましょうか?」
「ああ、おまえ、笛が吹けるのか。だったら明るいやつを1曲頼む」
「はい、明るい曲ですね」
 答えながら、アイラスは手に入れたばかりの横笛を取り出す。
「それなら、僕も一緒に」
 それを口に当てようとしたところで、ヴィーアが言ってくる。
「まあ、ステキですわね〜」
 エルダーシャがにこにことしながら言う。
「なら、踊りましょう」
 スカートをつまんでちょいと持ち上げて一礼してから、スゥがヒスイに向かって手を伸ばす。
「しょうがねえなあ」
 ふん、と鼻を鳴らしつつ、ヒスイはその手を取る。
 アイラスとヴィーアは二言三言交わして曲を決める。そうして視線を交し合うと、笛へ静かに息を吹き入れた。
 それを合図にして、ヒスイとスゥが踊りだす。“動”のヒスイと“静”のスゥの踊りは、反発しあうようでいて、うまくとけあい、交じりあい、はじめて組むとは思えないほどになめらかに続く。
「まあ……」
 それを見、姫君が小さく声を上げる。
 アイラスはちらりとそちらを見たが、姫君は感心した様子ではあっても、笑う様子はない。
 アイラスは内心それを残念に思いながらも、せめて姫君の心を少しでもなぐさめることができればと、ヴィーアとともにやわらかな旋律をかなで続けた。

「次は僕……ですよね。少し、待っていてくださいね」
 ヴィーアは立ち上がると、白ウサギへ向かって目配せする。すると白ウサギも立ち上がって、とことことどこかへ行ってしまう。
「それでは」
 ヴィーアは一礼すると、行ってしまう。
「なにをされるのでしょうね〜」
 エルダーシャがおっとりと言う。
「そうですね……てっきり、先ほど笛を吹いてらっしゃいましたし、そうなのかなと思ったのですけど」
 アイラスは首を傾げて答えた。
 先ほど一緒に吹いていてわかったが、ヴィーアはかなりの吹き手だ。他人とあわせるためには、それなりの能力が必要なのだ。
「でもそれだったら、別にすぐにはじめりゃいいじゃないか」
 拍手やおひねりはもらえたものの姫君を笑わせることができなかったヒスイは、どうやらまだ拗ねているらしく、半眼でティーカップに口をつけながらつぶやく。
「まあ、色々と準備が必要なこともあるのかもしれませんし……」
 アイラスは苦笑しながらヒスイをたしなめた。
 ヒスイはアイラスに向かって舌を出してくる。
「でも、スゥとヒスイちゃんが踊っているときに、ヴィーアちゃん、笛を吹いてたわ。同じことをやってもお姫様は笑わないと思うの」
「なんだか、ドキドキいたしますわ。みなさま、色々なことをしてくださるから……わたくし、なんだか楽しい気分になってまいりました」
 姫君が小さくうなずきながら答える。
「お待たせしました」
 そうしているうちに、ヴィーアが戻ってきた。
 背中のうしろには、小柄な女の子が隠れているようだ。スカートや袖がはみ出しているものの、もじもじとヴィーアの背中のうしろに隠れている。
「実は彼女は、姫様と同じご病気で悩んでいるのです。もしかしたら、彼女と話をすれば気が晴れるのではないかと思いまして」
「まあ……そうですのね」
「ええ、さあ、顔を見せてあげてください」
 ヴィーアは背後の少女に向けて言う。
 すると、おずおずと少女が顔を出した。
「……まあ」
 それを見て、姫君は目をまるくしたあとで、小さく笑い声をたてた。
 ヴィーアの後ろに隠れていたのは、金髪のかつらをかぶり、豪奢なドレスに身を包んだ、あの白ウサギだったのだ。
 そんなかっこうをしているのが恥ずかしいのか、うつむいてふるふると震えている。
「ああ、姫君にお喜びいただけて、光栄の極みでございます! ああ、なんて幸せなのでしょう!」
 ウサギは感極まったように叫びながら、ドレスが汚れるのも気にせずに、姫君の前へひざまずいた。
「よかったですね」
 アイラスは笑みを浮かべながら言った。
 なにを言ったとしても、やはり、姫君のことを一番心配していたのは、あの白ウサギに違いないと思ったのだ。だから、白ウサギが姫君を笑わせることができたことが、なんだか自分のことのように嬉しかった。
「ええ、本当に〜。これで、憂い顔の病は治ったのですよね〜?」
「……なあ、この場合、報酬はどうなるんだ?」
 にこにことしているエルダーシャとは対照的に、どこか憮然とした様子でヒスイが言う。
「みなさまが楽しませてくださったおかげですもの、きちんとみなさまにお渡しいたしますわ」
 姫君は満面の笑みを浮かべながら答える。
「僕への報酬は、あなたの笑顔で充分ですよ。人は笑顔が一番すてきですから」
 ヴィーアが微笑んで姫君に告げる。姫君はその言葉に頬を染め、恥ずかしそうにうつむいた。
「お姫様が元気になってよかったわ。スゥも嬉しい」
 あいかわらずの無表情でスゥが言う。だが、スゥが喜んでいるのは、その様子から察することができた。
「ヒスイさんも笑った方がよろしいですよ〜さあ、お茶をどうぞ」
 エルダーシャがヒスイからは見えないようにこっそりとなにかをお茶へ入れたあとで、そのカップをヒスイに向かって差し出す。
 ヒスイはそれを奪うようにして受け取ると、一気に中身を飲み干した。
 その途端、ヒスイの顔に笑みが浮かぶ。
「ひゃ……ひゃ?」
 うまく声が出ないのか、ヒスイが顔を押さえながら声を上げる。
「笑い茸の粉を入れておきましたの〜。大丈夫、解毒剤もありますから。とりあえずは、みんな楽しくお茶会ができたらと思いまして〜」
 うふふ、と笑いながらエルダーシャが告げる。
 ヒスイが笑い声を上げながら、エルダーシャへ向かってつかみかかった。
「あ、ダメですよ、ヒスイさん!」
 アイラスは立ち上がって、ヒスイを後ろから羽交い絞めにする。
 ヒスイはじたばたと暴れるものの、キノコのせいで力が入らないのか、アイラスを振り払うことができないようだ。
 それを見て、白ウサギが吹きだした。
 それは隣にいた姫君へと伝染し、最後には、全員が笑いはじめた。
 中でもひときわヒスイの笑い声が大きく響いていたのは、言うまでもない。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1649 / アイラス・サーリアス / 男 / 19 / 軽戦士】
【1780 / エルダーシャ / 女 / 999 / 旅人】
【1755 / ヴィーア・グレア / 男 / 22歳 / 秘書】
【0376 / スゥ・シーン / 女 / 10 / マリオネット】
【1798 / ヒスイ / 女 / 17 / ハンター】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、ヒスイさんとお会いするのは初めてですよね。今回、執筆の方を担当させていただきました、ライターの浅葉里樹と申します。
 ヒスイさんは勝気な女の子! ということで、実はひそかに楽しく書かせていただきました。最後に、あんな役割を振ってしまってもよかったかなあ、と少しドキドキしていたりします。いかがでしたでしょうか?
 ヒスイさんはまだノベル商品をお持ちでないPCさんなので、自分の書いたイメージが最初のイメージになってしまうのだろうと思うと、かなりドキドキしてしまいます。お楽しみいただけていれば、大変嬉しく思います。
 もしよろしかったら、ご意見・ご感想・リクエストなどがございましたら、お寄せいただけますと喜びます。ありがとうございました。