<東京怪談ノベル(シングル)>


黒い妖花
 今晩、高級男娼である“黒曜”のお相手となる幸運を手にしたのは、どう見てもこういった店に来るのは初めてだろう青年だった。
 高級男娼の黒曜として、幾人もの客の相手をつとめてきたサリエルには、ひと目でそれがわかった。遊びなれた男かそうでないのかくらいはひと目で見抜けるほどには、サリエルはこの仕事に慣れきっていた。
「ねえ、こういう店に来るのは初めてなの?」
 くす、と笑って、サリエルは青年のあごに手をかける。
 やはり、こうして見ると、サリエル好みの顔をしている。サリエルはふ……と笑みを漏らすと、青年の耳もとにくちびるを寄せた。
「大丈夫、僕が全部教えてあげるからね」
「は……はい」
 それまで口もきけずにいた青年が、サリエルの言葉に、やっと小さな声を発する。
 そんなうぶな反応もまた、サリエルをたかぶらせる。
 こういう、なにも知らない手合いをいちから溺れさせてゆくのも悪くはない。
 慣れた男の愛撫に酔うのも嫌いではないが、やはり、サリエルは彼のようななにも知らない相手に手取り足取り“自分のルール”を教え込んでいくのが好きだ。
「まずは、そこにひざまずくんだ」
 サリエルは床を指す。
 床とはいっても毛足の長い赤い絨毯が敷かれているから、けして座りごこちは悪くないだろう。
 青年が今座っている木の椅子よりは、ずっと座り心地がいいかもしれない。
 だが、サリエルが座しているのは豪奢な金の椅子で、床にひざまずいて見上げると、かなりの威圧感がある。そのことに抵抗があるのか、青年は悩むようなそぶりを見せる。
「なにしてるの? 今日、キミがこの部屋を訪れることができたのは、いったい誰のおかげだと思ってるの?」
 サリエルは高圧的な口調で問い掛けた。
 青年は言葉につまり、おとなしく椅子から降りた。
「そう……いい子だね。さあ、まずは靴を脱がせて」
 サリエルは編み上げ靴につつまれた細く長い足を、青年の方へ伸ばした。
 青年はためらいがちにサリエルの足に手を触れさせる。サリエルがあごをしゃくってうながすと、青年はサリエルのはいている黒い編み上げ靴の紐に手をかける。
「そう、丁寧にほどくんだよ……あせらないようにね」
 笑みをもらしながら、サリエルは青年のおぼつかない手つきを眺める。
 青年はまずは片方の靴を脱がすと、おうかがいを立てるようにサリエルを見上げた。
「いいよ、キミは間違ってない。今のところね」
 サリエルは靴を脱がされた足を引っ込めると、今度は別の方の足を差し出した。青年はそちらの靴も、ゆっくりと脱がせて行く。
「そ、その……次は、どうすれば?」
 黙って眺めているサリエルに、青年が口に出してうかがいをたててきた。
「そうだなあ……靴下止めをはずしてくれる? それから靴下を脱がせて……」
「靴下止めを、ですか?」
 サリエルはただの男娼だというのに、青年はすっかり目上の人間にものを言うような口調になっている。
 それがおかしくて、サリエルは笑みをもらした。
「なに、それとも、つけたままが好みなの? でも僕はキミの好みなんか聞いていないんだよ? 僕が脱がせて、って言ったら脱がせなきゃならないんだ」
 サリエルはややきつい口調で命じる。
 青年は怯えたような表情をすると、サリエルの前に叩頭した。
「……ふふ、いいよ。顔を上げて。靴下の上からでもいいから……キスして」
 サリエルは足をぴんと伸ばした。
 青年は震えるくちびるを、サリエルの足の甲にそっと当てる。
「キスはくちびるを触れさせるだけのものなの? 違うよね?」
 サリエルはささやくような声音で言う。
 青年はびくりと身を震わせると、靴下越しにサリエルの足の指にむしゃぶりついた。
 靴下の上から形をなぞるように誇りも捨てて舌をはわせる青年に、サリエルは冷ややかな視線を向ける。
「……そろそろいいよ。はじめてにしてはよくできたからね……特別、ご褒美をあげる」
 言いながら、サリエルは青年をとどめると、自ら肌を覆う衣服を下へ落とした。
 サリエルの、なめらかな褐色の肌があらわになる。
 青年はそれを見ると、ごくりとのどを鳴らす。欲望の光を瞳に宿す青年に、サリエルは己の身体を見せつけるように、椅子に座りなおして足を組んだ。
「見るだけでいいの?」
 ささやくサリエルの声は、既に熱を帯びている。
 青年は立ち上がると、自分の衣服に手をかけた。
 サリエルは悠然と、そのさまを見守る。
 服を脱いでいく青年の手つきはいかにも慣れておらず、すべて脱いでしまうまでにはまだ少々時間がかかりそうだ。
 だが、それも悪くない。まだまだ夜は長いのだ。