<東京怪談ノベル(シングル)>
ここに、きみへの想いを証明しよう
狂おしいまでに求めたその玉座。俺はずっとこの場所が欲しかった。そう、『あの男』など器ではない。俺こそがこの至高の玉座に相応しい。父王の眼鏡は曇っている。それ程に青の色が大切か。魔力が大事か。それだけで己が血を分けた子を厭うか。有り得ぬ真紅を纏う子を、異端を生んだ母を厭うか。何より重く見るべきは王族の象徴である青の髪? 生まれながらに持ち得る筈のその魔力? それ以外はどうでも良い訳か。他は何も関係無いか。生まれてすぐの頃から幽閉されていた俺と言う存在が既に証明している。俺と言う人格は既にどうでも良い部分。生まれた時から母上以外のすべてに否定されていた俺の生。…俺の持たない深い青色の髪と魔力、妾腹である事、そしてたかが生まれた順番――それ以外の何が『あの男』と違うと言う? 俺は『あの男』と同じ顔。…そう、家老たちに与えられた濃青色のウィッグを付けて穏やかな優しい表情を。そして『あの男』と同じ口調で、同じように行動し――。
――当然のように、玉座に座る。
それだけで誰も疑いやしない。
裏事情を知っている家老たち身内以外はね。
誰も気付かない。
対外的には何の問題も起きない。
当然の如く、俺が…兄王子本人だと思われている。
…ああそうさ。
影武者なんて、簡単だよ。
『あの男』――兄王子の代わりなど、簡単過ぎて。
簡単過ぎて。
簡単過ぎるから。
…何故『あの男』ばかりが。
忌々しくて堪らなくなる。
優しいと言えば聞こえは良いが…つまりは生温い事ばかり言っている『あの男』。
代わりで充分過ぎる程務まるその立場。
ならばわざわざ『あの男』が居る必要はあるのかな?
………………何も知らぬまますべてを手に入れ、のうのうと生きている『あの男』が。
表向きは誰も知らないだろう。
兄王子――否、兄などとは、血の繋がった肉親などとは一度も思った事が無い『あの男』を。
いつか蹴落とそうと、ずっと機会を窺っている――などとは。
境遇から見ればそのくらい考えるのは当然かも知れない。だが、少なくとも俺はそんな事を考えているとは思われていないだろう。
…だって、文句ひとつ漏らした事は無いからね?
――聡明で気高い、良く出来た弟王子。
周囲の評価はそれで統一されている。
つまりは影扱いされても文句ひとつ言わない都合の良い道具だ、ってね。
まぁ、勘の良い奴は、ひょっとするとあいつは危ない、程度に思ってるかもしれないけどね。
思った奴がどうなったかは…まぁ、わかるだろうけど。
変な話が広まったら鬱陶しいからね。
大抵、裏に回って――暗殺するよ。
…何の非も無い俺の母上がされたようにね。
俺がこの手で殺してあげる。
他の奴にやらせても信用ならないからね。息の音は自分の手で確実に止めなきゃ安心できないよ。
…って言っても、誰彼構わず殺してばっかりじゃ他から怪しまれ兼ねないし、罪を被ってもらうちょうど良いスケープゴートにも限りがある訳で。ま、だから…そんな理由だったり、色々殺すには面倒な身分の相手だったり…とにかく殺すのが難しいような相手だったら…適当にでっち上げて、失脚させたりね。
聡い奴は莫迦を見る訳だよ。
何やかやと纏わりついてくる愛人連中だって、勿論信用できる相手じゃない。
金と権力と男。甘い蜜を吸えればそれで良いだけの不実な女ども。
だからこそ簡単に懐柔出来るものでもあるんだけどね。
どうせ、あの女どもも俺を『あの男』の身代わりとしか――もしくは、イイ思いをさせてくれる夜の相手、としてしか見ていない訳だから。
どう扱おうと俺の勝手。
ま、それなりに利用価値はあるから、愛しているフリだけはしてやっているけれど。
おかげで良い後ろ盾。
兄王子には美しい妻が居る。
玉座のついでだ。…あの妃も俺がいずれ簒奪する。
妃が来ると話を聞いた時から。
輿入れに来たその女を、一目見たその時から。
決めていた。
生まれながらにすべてを持っている『あの男』。
…まだ足りず、美しい妃まで手に入れる、か。
誰の目にも留まらない中、毒の滴るような笑みが浮かぶ。
いずれあの女は俺のもの。
奴からすべてを奪ってやるよ。
そう、決めていたのに。
憎むべき『あの男』から奪うべき『もの』であって。
…兄王子に輿入れして来た女自身の人格などどうでも良い筈だった。
なのに。
見つけたのは偶然で。
ふたりきりで会する事になったのも偶然。
侵入して来た賊。
裏側に思惑を持つ俺が。
そう、味方としての顔を得ようと、俺が得るべき女、賊などに殺させてやるのが勿体無いと、腰に佩いていた剣を抜いて――躊躇いも何も無く即座に殺し、庇った女に御無事ですかと柔らかく声を掛けた、その後に。
あの女は『俺』を見たんだよ。
怯えたように震え、たっぷり沈黙した姿。どうしようもないなと…誰か呼びに出ようと俺が行こうとしたその時に。
――『貴方様こそ…大事ありませんでした、か、スピネル…様』。
縋るような瞳に目を奪われた。
菫色の瞳に浮かべられているのは絶対の信頼。
疑う事を何ひとつ知らぬ無垢な姫。
俺は名を呼ばれる事すらも久しくて。
スピネル様、と。
鈴を振るような声音で。
影武者。
弟王子。
…ずっと、それだけの存在として、呼ばれて来たのに…ね。
名など必要とされて来なかったのに。
誰も俺と言う人格は見やしない。
なのに、この女――この姫は。
俺の名を呼んだ。
俺を一個の人格だと。
何の裏も無く、ただ、自然に、当たり前のように、認めた。
そしてそれに違和感を覚えていない。
やっと搾り出された震える声は賊への、今目の前で為された事柄への恐怖故。
それでも、助けられたとはわかっている聡明な姫。
卒倒する事も無く。
怯えながらも、俺と言う一個の人格を気遣った。
…困ったな。
兄王子から奪おうと考えていただけの筈なのに。
その人も羨む美貌の妃を、奪ってやろうと。
なのに。
気が付けば、俺の方が奪われてしまっていた。
…心を。
日付は無情に過ぎて行く。
俺は影のまま、ひたすらに城で務めを果たし続けていた。
弟王子の仮面の下、裏側で煮え滾るどろどろした想いは…無論、消えるものでも無かったが。
…否、むしろ。
消えるどころか
…いつしか、他の誰より愛しく想えるようになっていた彼女の隣。
そこに居るのは――誰よりも憎い、生まれながらにすべてを持っていた『あの男』。
彼女を知った、それだけで。
前までにも増して――『あの男』を憎悪している自分が居た。
最早、『あの男』の存在自体が――『あの男』が生きて呼吸をしているだけでも赦せないと思っている、自分がそこに居た。
ふたり並ぶ姿を見。
俺と同じ顔の『あの男』。
その傍らには…透けるような儚いシアンの髪。
彼女のはにかむような幸せそうな微笑みは『あの男』にだけ向けられている。
生涯の伴侶、と言う立場の相手にだけ、向けられるだろう特別なその笑顔。
気が狂いそうになる。
………………そこに居るのがどうして俺じゃないんだよ!?
血を吐くような叫ぶ声は心の中でだけの事。
表向きには静かな微笑みを。
ただ、心の中でだけ――呪うように兄王子の名を呻いていた。
■■■
長く鋭い鋼鉄の爪。
閃くその時には鮮血の筋が空を舞う。
昏い昏い、夜の闇に。
彩られる深い朱。
カードが、足りない。
力が――足りない。
きみを。
きみを得る為の。
力が。
贋物の爪、その先にこびり付いた血――自らが髪と瞳に纏うその色と同じ、ぽたりぽたりと滴る朱。
異端の色彩。
あってはならない。
初めから捨てられていた。
…ああ、兄王子と同じ顔に生ませてくれた事は、父王にも感謝するべき事かもしれないね。
おかげで外に出る事が出来た。
動く余地を作る事が出来た。
恨みを晴らす機会を、家老たちが進んで与えてくれた。
兄王子と同じ顔でなければ外に出る事さえ叶わなかったに違いない。
自由に、城を歩く事すら。
影としてでも僅かな機会が手に入れられた。
最大限に使わない道は無い。
俺を蔑ろにしたすべてに復讐を。
血に餓えた狂王子を作り、育てたのはお前たち。
俺はお前の影では終わらない。
いずれ、表舞台に這い上がる。
お前を追い落とし。
絶対に。
成り代わる。
そして。
――至高の玉座ときみを手に入れる。
…ああ、そうだ。
いま、ここに。
――俺の…きみへの想いを証明しよう。
ざくり、と。
鋭い爪で切り裂かれ、事切れた標的を静かに見つめる。
さて、カードに変えようか。
…まだまだ、この程度じゃ全然足りないよ。
鮮血の道化師は口許だけで微笑する。
絶命した標的の手の中に。
恐怖に駆られぐしゃりと握り潰された手紙が見える。
…あーあ。折角の『道化師の恋文』に酷い仕打ちだね。
無貌の仮面の下で蠱惑的に微笑みつつ、鮮血の道化師は心にも無い事を言い捨てる。
その『恋文』に書かれている筈の決まり文句。
………………『鮮血の道化師ブラッドより、愛をこめて』。
いつも書く『恋文』の、その言葉は。
本来、誰に向けられているものか。
決して振り向いてはくれない、きみ。
面影は離れない。
決して。
…兄王子の影では無く、俺と言う一個の人格を。
もっと、見て欲しい。
知って欲しい。
すべて知られたその瞬間に何もかもが壊れるとしても。
俺は。
――構わない。
待っていて。
迎えに行くから。
…俺は淡い青色の、清楚で可憐な花を摘む。
憎い『あの男』の傍らから、いずれきみを手に入れる。
【了】
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