<東京怪談ノベル(シングル)>
世界のすべてを敵に回しても
ふわりと微笑む金色の瞳。誰もが惑わされる絶世の美貌。誘い込むような薄い唇。褐色の肌にさらりと滑る絹糸の如き漆黒の髪。他に何も身に着けていなくとも、絶対に外さない金色の鈴のチョーカー。ほんの僅かの身体の動きで、ちり、と澄んだ音を囀る『それ』。他の何にも代え難い、大切な大切な――僕の御主人様がくれたもの。微かに耳に入るのは含み笑う男の声。僕の上に覆い被さっているその男。そいつの白い指が、戯れるよう無造作に『それ』に触れかかり――。
――刹那、僕はその手を鋭く叩いた。
「触るな」
叩かれた瞬間、目を瞬かせた今宵の客。
直後、美貌の男娼に突然押し退けられ、何が不興をかったのかとやや動揺している。
滅多に触れられない高級男娼。客の方が気を遣うのは当然。
特に今宵のこの男、この娼館は…初めての客。
…とは言え、取り敢えず、遊び慣れてはいるみたいだけど。
結構イイ男かも、って思ったから僕が取ってみただけの話なんだよね。
…でも、無礼だよ。
誰の許しを得て僕の大事なこのチョーカーに触れようとしたの?
「…帰りなよ。もう充分楽しんだでしょ? これ以上は別料金」
「な、なんだと!?」
「うるさいよ。ほら、ドアはあっち」
気だるげに指差しながら、魔性に堕ちた天使の如き絶世の美貌と背徳の馨りを漂わせる高級男娼――サリエルはつまらなさそうな顔をする。…それですら、憂いを帯びた悩ましい表情。
だが、そんな姿に客は怒鳴り散らした。何を怒っているんだろう。ああ、手に入らないとなれば、美しければ美しい程敵意も増すって事なのかな?
「…ふざけるな! お前は今夜一晩俺が買ったんだ! この後に及んで…!」
「何言ってるの?」
「…何?」
「安過ぎるよ。あんなはした金で僕を一晩買えると思ったの?」
もっと可愛い男なんだったら、あれで一晩お付き合いしてあげても良かったけど。
キミはちょっとハズレだったかな…。
「て、てめぇっ!! バカにしやがって!!」
「…ちょっと怒鳴らないでよ。耳が痛い」
客はサリエルの腕を乱暴に掴む。
無理矢理コトに及ぼうと?
「…っ…乱暴だね、キミ?」
「ああ、ここまで来て帰れる訳がねぇだろうがよ…」
ぎらぎら欲情している凶暴な獣みたいな、低い声で囁く客の声。
腕を掴む力は容赦の欠片も無くて。
初めての店、それも滅多に手を出せない高級男娼相手にイイ度胸。
しかも、それで居て案外理性的。
…だって、これ以上は問答無用で襲ってこないし。
ちゃんと僕の様子を窺ってる。
正直、ちょっと見直した。
「…ふぅん」
妖艶に小首を傾げ、けぶる瞳でサリエルは客を見上げる。
銀髪に、深い藍の瞳。
…ちょっとだけ、似てるかな?
本当にちょっとだけ。
本当は、比べるべくも無いけれど。
ほんの、ほんのちょっとだけ。
髪の毛の先くらいだけ、似てるかも。
僕の御主人様に。
…だったら身代わりにしてあげる。
僕に御主人様の夢を見せて。
「…じゃあもう一回だけチャンスをあげるよ」
くすくす笑いながらサリエルは男の首に片腕を絡める。
客の耳許で、囁いた。
「楽しませてくれなかったら殺しちゃうからね?」
光栄に思いなよ?
僕が御主人様の身代わりなんて言い出す事も、二回もチャンスあげるなんて事も、滅多に無いんだからね?
■■■
ねえ。
はやく、貴男の腕に抱かれたいよ。
御主人様。
逢いたいよ。
■■■
…望みが叶う日は、僕の心は歓喜に踊る。
どきどきと心臓が爆発してしまいそうにさえ思える。
それはサリエルが御主人様から求められた日。
入念に用意をしてしまう。
肌に傷は付いていないよね?
服が何処か綻びてもいないよね?
大切なチョーカーも、ちゃんと着け直して。
髪もいつもより丁寧に、何度も梳る。
鏡の前で何度も自分を確かめる。
美しい僕の一番美しい姿を。
美しいものが大好きな貴男の為に。
…貴男だけを愛しています。御主人様。
御主人様の為だけの、とっておきの笑顔を、鏡の前でもう一度。
■■■
…シーツのあわいの中の事。
御主人様の腕の中。
嗜虐に満ちた指先と、月剣の如き口許に。
冷たい紺碧の瞳が僕を見下ろしている。
それでも僕は幸せで。
堪え切れず鳴き声を上げると御主人様は喜んでくれる。
どれ程責め苛まれても。
与えられる痛みはとろけるようにひどく甘い。
御主人様。
御主人様。
ただひとりの前でだけは、従順な闇の天使がそこに居る。
ただひとりの御主人様の前だけでは。
高級男娼の高飛車な姿は何処にもなく。
ただひたすらに、狂おしいまでにひとりの男を愛し身を捧げ、尽くそうとする美しい少年が居るだけ。
貴男が望むなら、僕は何度でも身体を委ねます。
すべて貴男の望むままに。
僕だけが、貴男を満たせるのだから。
僕は貴男を愛する為だけに存在します。
僕のこの生は貴男だけのものです。
貴男が生かして下さいました僕の命。
それだけでも僕は幸せです。
貴男が僕に触れて、造りの美しさを褒め称えてくれる事。
それだけでも僕は嬉しいんです。
貴男の指が僕に触れてくれるだけで。
貴男の声が僕の鼓膜を震わすだけで。
僕は、どれ程の歓喜に満たされるか。
………………貴男はすべて御存知なのでしょうね。
もし、いつか…貴男のその唇で。
僕を愛していると…一度でも仰って下さいましたなら。
僕は至福の時を得るでしょう。
けれど、貴男は僕を愛しているとは決して仰っては下さらない。
僕は貴男にとって、飽きたらいつでも捨てられる、ただの愛玩人形なのでしょう。
わかっています。
けれど。
それでも。
僕は貴男を愛しています。
闇に堕ち狂う貴男は僕と言う月を照らす暗黒の太陽。
貴男が居なければ僕は輝く事すらも出来ない。
僕のすべては貴男のものです。
身も心も…魂さえも。
…貴男だけに、捧げます。
ずっと貴男のおそばに置いて下さい。
なんでも致します。
貴男の為なら。
なんでも、致します…。
………………世界のすべてを、敵に回しても。
【了】
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