<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


絵本の王様

■オープニング■
「絵本の王様って知ってます? まあ呪いものの絵本なんですけどね。表紙に触れるとその絵本の中に引っ張り込まれるんです。で、その絵本の主人公としての体験が出来るってシロモノで。遺跡なんかからたまーに発掘されるんですけど」
 久々にやってきて開口一番にそう切り出したその少女に、エスメラルダは目を丸くした。
 少女の名前はティア。黒山羊亭にはおおよそ似つかわしくない幼い風情の少女だが、生業は賞金稼ぎ。性格はしっかりしていると言うかちゃっかりしていると言うか――結構えげつない。
 エスメラルダの反応に構わず、ティアは説明を続ける。
 本から戻れる時間は様々だが大抵は一時間か二時間程度。主人公の一生を体験するものなどになるともう少しかかるらしいが、引きずり込まれてもぺろっと吐き出されてしまうので子供の暇つぶしにはもってこいらしい。誰かが入っている間は、その絵本の中身は白紙になっている。
「だから絵本の『王様』なわけね」
 そうです、とティアは頷く。王様と呼ぶに相応しい子供の為の本。
「市場にはまず出回りません。金持ちの好事家が買い漁ってます。何しろ一冊の本で体験できる物語は一つですから、子供は直ぐ飽きちゃいますし」
 言ってティアはポンとカウンターの上に一冊の本を置く。古びている上に所々擦り切れており、おまけになにやら呪いものらしい魔方陣の描かれたカバーまでついている。
「……もしかして」
「絵本の王様です。ああ、表紙には触らないで下さいね」
 きっぱりとティアは言い切る。
「これまで分かってなかったことなんですが、絵本の中で主人公を演じないと、その中に居座れるみたいなんです」
「……つまり?」
「この中に今、人が居るんです」
 苦虫を噛み潰したような顔でティアは言う。その人というのは間違いなくアレだ。
 ティアが仕事の一貫として身元を引き受けている犯罪者バーク・ウィリアムズ。宿代踏み倒しと食い逃げで天文学的な借金を拵えた世紀の大馬鹿犯罪者はティアの管理の元日々借金返済の為に牛馬の如く酷使されている。が、己が悪いことをしたという自覚がない為、事あるごとに逃亡。ティアとおっかけっこのいたちごっこを繰り返している。
「どこで何を演じてくれているのかは分かりませんけど。兎に角この中からバークさんを連れ戻して欲しいんです」
 絵本のタイトルは、シンデレラ、とあった。

■本編■
「これが絵本の王様か?」
 ひょいと横合いから絵本を摘み上げた女に、ティアは目を見張った。長い黒髪も白い肌も見知ったものである。
 シェアラウィーセ・オーキッドは親の敵でも見るような目でその絵本を眺めていた。
 現在ただ今ご機嫌は途方もなく斜め中、とてもそうは見えないのだが。織物を生業にしている彼女は基本的には気に入った注文しか受けないが、それでもたまについうっかり益体もない注文を受けてしまう事もある。また受けたときには問題はなさそうだと感じてもいざ仕事に取り掛かってみるとしょうもない事この上ない仕事だったという場合もある。憂さ晴らしで飲みに出たところで、ティアとエスメラルダの会話が耳に飛び込んできたのである。
「えーと、シェアラさん?」
 問い掛けるティアには構わず、シェアラウィーセは口の端を吊り上げて笑った。
「それはまた面白いじゃないか」
 まるで肉食獣が舌なめずりをするような。
 そんな顔である。
 そしてこの絵本をそう感じたのは何もシェアラウィーセに限ったことではなかった。
「はいはいはいはいはいはーい! ボクも行く〜!」
 テーブルの下から這い出してきた姿に、またしてもティアが目を見張る。ティアの困惑になど一切構わず、そのまま絵本を持っているシェアラウィーセにぴょんと飛びついたその存在はそのまま満面の笑顔でシェアラウィーセを、正確にはシェアラウィーセが手にしている絵本の王様を見つめた。
「絵本だよね絵本! ボク絵本大好きっ!」
 シェアラウィーセの腰のあたりにしがみ付くその存在はファン・ゾーモンセン。こちらもティアには知った顔である。
「ほう。なら一緒に来るか少年? 私も中にはいって見ようかと思っていたところだ」
「うんっ!」
「……ところでティア」
「はい?」
 一瞬呆気に取られていたティアだったが、直ぐに己を取り戻す。というよりも取り戻さざるを得なかった。
「バークの生死は問わないな?」
「生け捕りでお願いします」
 さらっと怖い事を言ってくれたシェアラウィーセに、ティアはきっぱりと言った。

 微妙な光彩と共に、二人の姿は掻き消える。黒山羊亭の酔っ払いたちの目にさえ、その光景は異様に映った。その時ちょうど黒山羊亭の丁稚に借り出されていたその男にとっても、それは異様だった。
「話は聞いてたんだけど……」
「わあ!」
 気配を消して近寄ってきた男に背後から声をかけられて、ティアは跳ね上がった。
「バークさんっていうのが、シンデレラの絵本に入っているんだね。……まさか、シンデレラやってる訳じゃないよね?」
 何処から沸いて出た! と怒鳴りたいのを堪え、ティアはその男に向直る。
「シンデレラやってるのならもう出てきてるはずです」
 つまり、と前置いて、ティアはぴっと人差し指を立てる。
「無理矢理にでもシンデレラを演じさせる必要があるんです」
「……成る程」
 頷いた男、葵(あおい)は沈思した後に絵本の王様を手にとった。そして葵の姿もまた、光彩と共に消えた。




「という訳でシンデレラ。さっさと掃除をしろ。私は今気が立っているんだ」
「なんでだ!?」
 つぎあてだらけのエプロン姿の男が絶叫する。女は微塵も躊躇わずにその男、バーク・ウィリアムズの尻を蹴り上げた。
 絵本の王様に入ったはいいが一緒にきた筈のファンの姿は見えず、しかもこの男ときたらシンデレラの家らしい場所の地下に隠れていた。鼠宜しく食料を消費しつつ隠れていたらしい。
 あまりにもさもしい根性に、ただでさえ悪かったシェアラウィーセの機嫌は一気に血の底まで下降した。とりあえず捕まえて雑巾など持たせると、途端にバークの姿はスカートにボロボロエプロン、三角巾と変わり、シェアラウィーセ当人も妙に上等な着衣に姿が変わってしまった。
「……つまりシンデレラスタートという訳だな」
 そう納得したシェアラウィーセは、己の役割を忠実に果たすべく、バークを蹴り上げている。
「大体なんで俺がシンデレラなんだ!? あの小娘の姿も見えないし快適に暮らしてたって言うのに何の仕打ちだこれは!」
「ほほう?」
 シェアラウィーセは迷わずにバークを蹴り上げる。そのまま前のめりに倒れたバークを踏みつけ、その背中を冷ややかに見下ろした。
「人様の家の食糧貯蔵庫に住み着いて鼠生活を送るのが快適だと抜かすのかお前は」
 床に潰れたバークは答えない。というよりも多分答えられないのだろう。そのバークを今度は無理矢理引きずり起こし、シェアラウィーセは至近からバークの顔を覗きこんだ。
「さて、私達はお城の舞踏会に行くが、お前はここで留守番だ。行きたかろうが王子に会いたかろうが留守番だ」
「誰が王子なんかに会いたいかっ!?」
「あ、い、た、い、よな?」
 びゅううううううう。
 隙間風以上の冷風がその場を通り抜ける。バークは機械人形のようにこくこくこくっと頷いた。

「というわけで魔法使い登場なんだよー!」
「……そーか」
 他にどう言えというのか。ずるずるとサイズのあわなそうなローブを引きずって現れたファンに、バークは肩を落とした。
「バークさ……じゃなくってシンデレラっ! ボクがお城の舞踏会にいかせてあげるねっ!」
「行きたくないわいっ」
「照れなくてもいいよー」
「誰もテレとらん!」
 怒鳴ったバークをファンは綺麗に無視した。何よりも魔法使いという役割が嬉しくて仕方がないらしい。先端に星を象った杖を握ったファンは、そのままえいえいとそれを振り回している。その都度杖からは小さな光が現れてファンを更に喜ばせる。
「えーっと馬車はかぼちゃだよね。で、後はっと……」
「……なあまず人の話を聞くところからはじめんか?」
「えーでもバーク・ウィリアムズがうつったら大人に叱られるし」
「うつるかっ!? って言うか叱られるってなんだ叱られるって!?」
「えーとね、あんな大人になっちゃいけませんって」
「どんな扱いなんだ俺は世間様ではー!!!!」
 自覚がないのも考えものだが、ファンの人の話を一切きかないところもまた考えものである。えいえいと杖を振り回してかぼちゃだわねずみだわが馬車や御者のオプションアイテムに変わって行くのを一通り楽しんだファンは、それからはたと思い出したように手を打った。
「あ、バークさ……じゃなくってシンデレラがまだだったよねっ」
「……おい」
 えい。
 とファンが杖をふるとどろんとバークの衣装がピンクの少女趣味なそれに変じる。流石にバークの顔から血の気が引いた。
「じゃああとはえっとほらガラスの靴!」
 そう言いつつずるずるのローブからどでかいガラスのハイヒールを取り出したファンに溜まらずバークは怒鳴った。
「まさかと思うがこの姿でその靴を履いて人前にでろと言うんじゃないだろうな?」
「うーんと、だってシンデレラだし。王子様とけっこんするんだよ?」
「待てー!!!!!」
 絶叫虚しく、バークは靴を履いて馬車へと乗り込んだ。どうやら一度演じ始めてしまうともう抵抗は適わないらしい。
「いってらっしゃーい!」
 ファンは走り去っていく馬車に無邪気に手を振った。

 ぶんちゃっちゃとワルツ流れるお城は大広間舞踏会会場。
「と、言う訳だから僕と踊ってくれ」
「嫌だ」
 ………………
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 ………………………………………………。
「そうか、そんなに感激してくれるか。姫」
 棒読み口調で王子は語る。しっかりとバークシンデレラの手足はお得意の水芸で縛り上げられていた。
「なんで誰も彼も人の話を聞かないんだっ!?」
「僕だってやりたいわけじゃない」
「しかも俺が男なんだから王子にはせめて美女を用意するのが筋だろう!?」
「王子は普通は男だと思うよ」
「意味が違うっ!」
 と怒鳴っても逃げられる訳ではない。葵はバークの手を取って、身動きできないバークを引きずって踊り始める。
「ところで僕はおまえにこれから結婚を申し込まなければならないらしいんだけど……」
「激烈に断る」
 ………………
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 ………………………………………………。
「そうか。名も明かせぬのなら何か事情もあるんだろうけど……でも僕はおまえを地の果てまで追いかけても結婚したい」
「だから超絶に断る」
「そんな切なそうな顔をしないでくれ」
「してないっ!」
 何時の間にかシーンは切り替わり舞踏会会場からお城の出入りぐちへと移動している。
 葵は階段付近でバークを離すと迷わずその足に履かれている巨大なガラスの靴を片方取り上げた。
「12時の鐘がなる……暫しの別れだねシンデレラ」
「永遠に別れたいわー!!!!」
「きっと迎えにいくからね」
「来るなー!!!!」
 バークの絶叫に構わず、葵はそのままバークの体を階段へと突き飛ばす。落ちていくその姿に、葵は手を差し伸べつつ憂いに満ちた表情で呟いた。
「……姫……」
 そしてけろっと真顔に戻る。
「ええと、これでいいのかな?」
 バークにはよくはなくてもシンデレラとしては正しい展開であった。

 ま、そんなこんなで、シンデレラは探しに来た王子と結婚したという。



 さて、物語が一つ終わって絵本の王様の中。
「まあ、あの実在した馬鹿はティアが今頃捕獲しているだろうからいいとしてだ」
「えっと、でられないよねボクたち? やっぱり……」
「まあ、それしかないだろうな」
 絵本の幕間らしいくらい空間の中、シェアラウィーセは気の毒そうに葵をみやる。シェアラウィーセはいい。シンデレラはミスキャストかもしれないがとりあえず女性である。ファンもまあ、細かい所は気にしないだろう。だが、
「……男と結婚しないと帰れない……のかな?」
 葵は何処ともわからない幕間の暗い空間に視線を彷徨わせた。
 バークがそうであったように。
 葵にもまた試練が訪れようとしていた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0673 / ファン・ゾーモンセン / 男性 / 9歳 / ガキんちょ】
【1514 / シェアラウィーセ・オーキッド / 女性 / 184歳 / 織物師】
【1720 / 葵 / 男性 / 23歳 / 暗躍者(水使い)】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、里子です。今回は参加ありがとうございました。

 そして大変遅くなりまして申し訳ありません。<平伏

 バークとティアの話はこれで四度目になります。何度目でもあまり代わり映えはしません。ただただお馬鹿です。
 なんでもいいですけど御伽話というのは真面目に考えると結構間抜けだったりしますね。何処の国に身元不明の女を生涯の妻と定めて探し歩く王子がいると言うんだどこの国に。

 今回はありがとうございました。また機会がありましたら宜しくお願いします。