<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


【 桜花爛漫 】

 いつもと変わらない賑わいを見せる黒山羊亭。人気の踊り子であるエスメラルダの踊りはまだかと、客が騒いでいる。
 そんな客たちの期待を裏切るように、店の中にエスメラルダの姿は見えなかった。
 それは、
「はぁ……」
 店の裏で困り果てていたから。
 この事情を説明するには、時を夕刻までさかのぼらせなければいけない。
 エスメラルダがちょうど店の前を歩いているときだ。何の変哲もない道を歩いているだけなのに、突然引っ張られる感覚を覚えた。
 服を不注意で何かに引っ掛けてしまったのか、それとも誰かに引き止められたのか。とりあえず確認するために足を止め、振り返ると。そこには大きな瞳いっぱいに涙をためた、幼い少女の姿。思わず目が点になる。
「おねえちゃん……おうち、かえりたい……」
 涙混じりに言った言葉で、聞き取れたのはその言葉だった。迷子なのだろうか。
「ここどこ……」
 エスメラルダは次に聞こえた言葉で確信する。迷子だ。間違いない。
「……どこから来たのか、わからない?」
 なるべく驚かせないように、優しく、優しくを心がけて声をかける。エスメラルダに声をかけてきたということもあり、人見知りしている様子は見られない。
 彼女の質問に首を横に振る少女。先ほどよりも増して、涙が頬を伝っている気がする。
「知っている人もいない? この辺りに来たことは?」
 何を聞いても首を横に振り、涙をためるばかり。このままでは埒が明かないとエスメラルダは彼女を抱きかかえ、黒山羊亭へと入ったのだった。
 それからというもの。
 相当疲れていたのだろうか、少女はエスメラルダの腕の中で眠りっぱなしなのだ。ずっと腕の中にいたわけではなく、一時はおろして寝かせていたのだが、泣き出して起きてしまい、仕方なくまた抱きかかえたのだ。
「はぁ……」
 ため息も漏れる。
 どうしてあのまま放って置かなかったのか。いや、こんな幼い少女を放っておくわけにもおかない。
 自分の判断は間違ってはいなかったと思う。
 ただ……

「これからどうしようかしらね……」

 ため息混じりに苦笑しか、今は漏れない。
 少女の身なりをみたところ、かなりいいところの息女であることがわかる。くりくりパーマの金髪に、大きくはっきりとした碧眼。石鹸のように白い肌。
 一目見て愛らしいという言葉が出てくることに、間違いはない。
 そして、中でも一番気になったのは彼女の首に下げてある、ペンダント。悪いとは思ったが、洋服の中から鎖を引き出して見てみると、その先に飾られていたのは指輪。
 少女がつけるには明らかに大きなその銀の指輪に彫られているのは、桜の花をかたどった模様。立派な細工だった。職人技だろう。
「……何か、事件に巻き込まれてここに来てしまったのかも知れない……」
 このまま自分が抱き続けていることもできないが、様々な可能性が見えるため、このまま放りだすわけにもいかない。
「誰かに依頼するしかないわね」
 信用できそうな者に、少女の家を探してもらうのが一番だろう。
 エスメラルダは決心を胸に一つ。少女を抱きなおすと、彼女の登場を今か、今かと待っている店の中へ足を進めた。自分のすぐ横に置いてあった新聞に、『少女行方不明。誘拐の可能性も』と大きく見出しで書かれていたことなど、気づくこともなく。

 ◇ ◇ ◇

「ふえ、ふえ……びえぇぇぇぇっ!」
 背中から突如として響き渡った泣き声に、いても立ってもいられなくなって振り返った。その先に見えた人物の姿に、自分が今振り返ったという事実を取り消してほしいと思ったが時、すでに遅し。
「アイラスくんじゃナイ」
 できたらかかわりたくない男に、捕まってしまった。
「……葉子さん、どうしたんですか? そんなに小さなお子さんを抱えて……」
 捕まったからには、何かしら話をしなければ。そう思って嫌々ながらもその男――葉子・S・ミルノルソルンに言葉を返す。すると、屈託のない笑顔を浮かべた彼が、「エスメラルダと俺の子」とさらりと言って見せる。
「そんなはずないでしょう」
 けれどもすぐに、否定の突っ込み一つ。もちろんそれは、エスメラルダのもの。今日は店に来ていないのかと思っていたが、先ほど登場して一曲踊り終わったところらしい。
「何泣かせてるのよ」
「いやぁ、ダッコしてあげたら突然びえぇーっテネ」
「てね、じゃありませんよ。貸してください」
 アイラスは彼から奪い取るように少女を抱くと、左右にそっと揺れて少女をなだめる。するとすぐに安心したようで、少女はうとうとし始めた。
「もう大丈夫ですよ。怖いお兄ちゃんはいませんからね」
「誰が怖いって? アイラスくん」
「あなたです」
「グサッ」
 はっきりといわれて、少し傷ついたようだが、言葉ほどナイフが刺さった様子はない。
「……率直に聞きますが、どうしたんですか?」
 ふざけている葉子を横目に、しっかりとエスメラルダに視線を合わせて問う。
「迷子よ」
「迷子……ですか……」
 そう言えば、先ほどまで目を通していた新聞にも、そんなことが書かれていたような気が……。
 ふと、そんなことを思いながらも、しっかりと目を覚ました少女を下に置き、立たせると
「こんな幼い少女が……それは心細いでしょうね……。早く両親を見つけてあげたいですね」
 膝を折り、少女と視線を合わせてやわらかく微笑んだ。
「僕の名前はアイラス・サーリアス、貴女の名前を教えていただけますか?」
「ちなみに俺は……」
 と、同じように葉子が視線を合わせると
「ふえ……ふぇ……」
「……ダメだ、こりゃ」
 再び泣かれそうになり、すぐに少女から離れた。

 ◇ ◇ ◇

「さくら、っていうの」
「そう、さくらさんというんですか」
 葉子では泣かせてしまうばかりで、何も始まらないということで、アイラスが彼女と話をすることになった。エスメラルダは店のことで忙しそうだ。
 自分たちに「彼女を家に届けてあげてほしい」と依頼をし、報酬はエスメラルダからもらうわけにもいかないので、届けた後で相談するということになった。巻き込まれてしまったアイラスと葉子はとりあえず、手がかりになりそうなことは何でも彼女から聞き出そうということで、必然的にアイラスがすることになって今の状況。
「パパとママが、いたい、いたいなの」
「パパとママは、どこにいるかわかりますか?」
「くらいおへや」
「それはさくらさんのおうちですか?」
 大きく否定で首を横に振るさくら。
「しらないおうち。こわいおじちゃんがたくさんいて、でも、しってるおじちゃんもいたよ」
「しってるおじちゃん……というのは、前に会ったことがある人でしたか?」
「うん。おうちにきたの」
「さくらさんのおうちはどんなところにあるか、わかりますか?」
「おっきいおうちがいっぱいあるところ」
「そうですか。それじゃあ、明日、一緒に大きいおうちがたくさんあるところに、行ってみましょうね」
「おにいちゃん、つれてってくれるの?」
「お兄ちゃんと、あそこのお兄ちゃんと二人で、さくらさんをおうちに連れてってあげますよ」
「……あのおにいちゃん、こわくない?」
 ぎゅっとアイラスの腕にしがみついて、さくらはにらみつけるように葉子を見る。気は強いようだ。
「怖くないですよ。見た目はああですけど……あ、ほら」
 さくらが見ていることに気づいたのだろうか。葉子は彼女から恐怖心を取り除こうと、真空破を起こす要領で軽く風を起こし、ちょうどその辺りにあったカードを宙に浮かせて見せた。
 すると「わぁ」と少女の口から感嘆の声が漏れて、それはすぐ、葉子にも伝わる。
「こわいおにいちゃんすごい!」
「ズルっ……と、コワイお兄ちゃんじゃなくて、"ようこちゃん"とでも呼んでよ。お嬢サン」
「ようこちゃん?」
「そ、ようこちゃん」
 にっこり笑って近づいてきた葉子を、今度は怖がらずに自分からも近づいていく。さくらの態度にほっとしたアイラスは、さくらを葉子に任せ、先ほどから気になっていた新聞に目を通した。
 少女行方不明、誘拐の可能性も。
 捜査願いを出したのはどうやら両親のようだ。だとすれば、この記事を読んだ先にある住所へと彼女を届ければ……。
 そのときの状況などが書かれた詳しい記事によれば、どうやら彼女は良家の令嬢のようだ。これならば明日、すぐにでも騎士団や兵士の詰め所を訪ねればすぐに問題は解決するし、直接家に彼女を届けたってかまわない。新聞に家の写真が載っているし、そのほうが彼女も安心していいかもしれない。
 そうだ。
 先ほどまでの様子が嘘のように、「きゃっきゃっ」と子供特有のご機嫌な声を上げ、笑顔で葉子と遊んでいる姿を見たら、別に騎士団などに頼まなくても良いのではないかと思ってしまう。
「葉子さん」
「ほいほい? なんでショ?」
「明日、彼女を直接家に届けに行きましょう」
「場所は?」
「ここに」
 新聞を広げて見せるアイラス。眉をひそめて真剣な表情を浮かべる葉子はポツリ「じゃあ今夜のおかーさんは、エスメラルダってことデ」とつぶやくと、アイラスにウインク一つ。
「葉子さん?」
 首をかしげて不思議そうな瞳を向けるアイラスを気にすることなく、エスメラルダにさくらを預けると、葉子は黒山羊亭を去ってしまった。

 ◇ ◇ ◇

 翌日の朝。さくらを迎えに黒山羊亭を訪れたアイラスが目にしたのは、信じられない光景だった。
「……一体、何が……」
 野次馬に囲まれている店の出入り口、分け入ってみると見えた、幼い少女と彼女を抱えている見知った男の姿。それに対峙するように自分に背を向けているのは、自衛団か騎士団か。
「早くお嬢様をこちらへ」
「イヤだね」
 そんな声が聞こえてくる。武装した男たちの真ん中に立っているのは、貴族の風格を見せる青年。
「さくらお嬢様を誘拐した上に、その両親を殺し、屋敷に火を放った罪、許しがたいぞ」
 司令官なのだろうか。それにしては剣を腰に刺している様子はない。
 その青年のことよりも何よりも、アイラスは今の状況と青年の言ったことが信じられなくて、どうにか理解しようとわざと大きな声でこう、隣にいた初老の女に言った。
「一体何があったんですか?」
 その声に少女を抱えている男も気がついたようで、アイラスとしっかりと目を合わせた。
「何でも、あの男があの女の子を誘拐して、両親を殺したっていうのよね。新聞の一面に載ってたわよ」
「そうなんですか」
 丁寧に答えてくれた初老の女に頭を一つ下げると、あらためて犯人――とされている男、葉子を見た。

 少女を保護したことで、犯人と間違えられる可能性は十分にあった。
 それは予想していた事態だ。
 しかし、こうも大きくなってしまうとは、思ってもいなかった。
 どうすればいい。
 どうするのが一番いい。
 思考をめぐらせていろいろ考えてみるが、残念ながらいい方法が見つからない。

 くそっ。
 胸の中で悪態一つ。現状では行動一つ起こすことのできないいらだちを、抱えていたそのとき、
「ようこちゃんはわるくないもん!」
 少女の声が高らかと響いた。
「ようこちゃんは、なにもしてないもん! さくらはようこちゃんに、なにもされてないもん!」
「あ、ちなみに俺、"ようこちゃん"ね。ヨロシク」
「さくらとパパとママのこと、おうちからだしたのは、おじちゃんだもん!」
 青年を指差し、さくらが言った刹那。

「葉子さんっ!」
「ほいよ」

 アイラスが叫ぶ。それを合図に葉子は、昨晩のカード芸の要領を使い、辺りに目くらませの風を起こしカードがばら撒いた。
 葉子を取り囲んでいた男たちの意表をついた行動だったようで、戸惑っているあいだにしっかりさくらを抱えて、黒山羊亭を一目散に出る。
「オハヨ。アイラスくん」
「おはようございます、葉子さん、さくらさん。何をやらかしたかと思いましたよ」
「ははは、ちょっとネ」
「詳しいことは後です。とにかく今は、振り切りましょう」
「りょーかい」
 二人は朝陽を浴びながら、町の中を走り抜けていった。

 ◇ ◇ ◇

 追っ手を振り切っただろうと思われるところで落ち着いていると、葉子がおもむろにあそこまでの経緯を教えてくれた。
 新聞の記事の内容がどこか信じられなかった葉子は、昨夜遅く、単身、さくらの家に行ってみたそうだ。するとそこで、ばったりさくらの家に火を放つ瞬間に居合わせてしまい、追いかけられて逃げた先が――
「黒山羊亭だったってワケ」
「エスメラルダさんがいたんじゃないんですか? さくらさんと一緒ってことは」
「いたけど、裏から逃げてもらったヨ」
「結局は、あの集団を引き連れていた青年が、黒幕ってことですか?」
「さくらちゃんがそう言ったからネ」
 昨晩の話しで、しってるおじちゃんがいた、と確かにさくらは言っていた。だとしたら
「お家騒動に巻き込まれましたね……」
「うーん、たしかに」
「新聞にこのことを載せたのがまず、あの青年だったとしますね。そうすると、誘拐したさくらちゃんは町へ放り出し、わざと誰かに保護させ、その者を犯人に仕立て上げる」
「悪役のやりそうな手」
「両親を殺し、さくらさんの家に火を放ち、行き場を無くした彼女をあの青年が正式に引き取る。そうすれば、彼にきっとつごうよく話がすすむんじゃないですか」
 葉子はぽんと手を叩き、納得した様子を見せると、「頭いいネェ。アイラスくん」と心底関心したようだ。
「褒めていただき光栄ですが、この状況になる前に、気づくべきでした」
 今朝の新聞には、きっと両親が殺されたことも、家に火がつけられたことも載っているだろう。
「いつまでも、相手の策略の中で踊らされているのは気分がいいものではないですね」
「そりゃ、あたりまえデショ」
 間に立って、二人を見上げていたさくらの視線にあわせて、アイラスが膝を折る。優しい笑顔を見せて、さくらの首にかけてあるネックレスを手に取った。
「さくらさん、パパとママはいなくなってしまいました。さくらさんには、帰る家もありません。もしかすれば、この指輪をあの青年に渡せば、さくらさんは助かるかもしれません」
「これを?」
「はい。一つの可能性ですが」
 彼女自身が狙いだった場合はどうしようもないが、身に着けているこの指輪も、かなり高価なものだ。それに何か意味のあるものだとすれば、青年が欲しているものはこれという考えも、悪い考えではない。
「……これはね、パパとママがぜったい、だれにもわたしちゃだめだって、いってたの。だから……」
「わかりました。そうなると、やるしかないですね」
「そっちのほうが、タンジュンメイカイって、わけでいいんじゃない」
「そうですね」
 ふと笑顔を見せる二人つられて、よくわかっていないのだがさくらも微笑みを見せた。
 三人はまず、さくらの家があった火事現場へ足を運び、そこにさくらの他の親戚がいないかどうか確かめた。
「さくらさん、知っている人はいませんか?」
 遠めからみつめることしかできなかったのだが、さくらはしっかりとした口調で一人の老人を指差して「おじいちゃん」と言う。
 しめたとばかりにその老人に近づき、事情を話す。はじめは老人も信じられない様子で聞いていたが、何よりさくらをつれていること、さくらが二人に助けてもらったと自分で言ったことが効いたようで、さくらの祖父である老人も納得した様子を見せた。
「……息子がまさか、そんなことをするとは……」
「権力争いなんデショ?」
「それとも、指輪に何か意味があるんですか?」
 寂しいような、なんとも言えない切なさをこめた瞳。うつされるものが一体なんなのか。アイラスには判断がつかなかった。
「――この子は、人間じゃない。子が恵まれなかった娘夫婦のところにやってきた、精霊のようなものだ」
「え?」
「なっ!」
「わしらは少しばかり大きな武器商で、店の前には大層立派な桜の木が立っておった。その木にちなんで、店を「さくら」という名にし、わしの始めた店は繁盛した。娘夫婦がその武器商を継ぐことになったのだが……」
 息子に継がせようと思っていた店だったが、息子は選ばれなかったのだ。

 店をずっと見守り続けてきた、桜の木に。

「あの桜の木が選んだのは、息子ではなく、娘だった」
 選ばれた娘夫婦のところには、桜の木の使者が訪れ、彼らに祝福を与えた。それが、さくらだというのだ。
「大切な孫を護ってくれてありがとう。二人の若者よ」
「……行き場をなくしたさくらさんは、桜の木へと戻っていくのですか?」
「わからぬ。きっとあの桜の木は、わしらをゆるさんだろう……さくらから、大切な父親と母親を奪ってしまったのだから」
 老人がさくらの頭を撫でる。気持ちよさそうにその手に身を任せながら、さくらは「おじいちゃん……」とつぶやいた。
「息子は今、どこで何をしているかわからぬ。会って話をしたいが……」
「じゃ、会わせマショーか?」
 ウインク一つ、葉子とアイラスは一瞬視線を合わせてうなずくと、
「いま、彼らに追われているんです。僕たち」

 ◇ ◇ ◇

 さくらをつれたアイラスがわざと彼らに捕まり、空から葉子が後をつけ、居場所を突き止める。二人が実行しようとした作戦に、老人は一瞬難しそうな顔をしたものの、首をうなずかせて納得した。
「……とは言ったものの、さすがにこうして捕まるのは、気分がいいものじゃありませんね」
 苦笑しながら暗い部屋の片隅に腰をおろすアイラス。
 さくらと引き離されて、自分独りこの牢に入れられてしまったのだが、さくらは大丈夫だろうか。それだけが心配で仕方が無い。たぶん、葉子とさくらの祖父がすぐに駆けつけてくれるから、大丈夫だろうが。
「おにいちゃん!」
 ふと、目の前から差し込む光。ドアが開いたかと思ったら、さくらが青年に連れられて牢屋の中に飛び込んできた。
「お前に会いたいとうるさいから、つれてきてやった」
「それはどうも、ご親切に」
「このガキのせいで……オレは親父に認めてもらえなかった。なぜ、義兄や姉さんが認められて、オレが認められないんだっ!」
「そんな愚痴を僕にこぼされても困りますが、こんなことをするような人を、誰も認めたりしませんよ」
 人を憎み、憎悪を抱き、殺してしまうような人間を、誰も信用することなんてできないはずだ。多分最初から、桜の木はわかっていたのだろう。だからこそ、さくらの母や父を選び、さくらを使者として送った。
「人は人と助け合い、信頼し合い、他人を受け入れ、認め合わなければ――誰にも認めてもらえません」
「貴様になにがわかるっ!」
 座っていたアイラスのあごの辺りに、青年の蹴りが容赦なく入る。鋭い痛みに歯を食いしばるが抵抗するすべが無い。後ろで手を縛られているのだ。
「このガキのせいで……あの、桜の木のせいで……オレは、オレは……っ!」
「――何もかも他人のせいにしかできないから、認められなかったんだ。お前は」
 声が響いた。落ち着いていて、けれどどこか、あきらめたような声音。
「お……親父……」
「お前の行ったことは全て聞いた。罪を償ってから、認めてもらうことを……考えるんだな」

 その間、さくらはずっと、蹴られたアイラスのあごを心配して、そっと触れていた。
 幼すぎる彼女には、起きた出来事の全てを理解できていないのだろう。
 いや、もしかすると――全てを理解していたのかも、しれない。

「再度すまないが、二人に頼みたいことがある」
「はい? なんデショ?」
「この子を……さくらを、桜の木まで届けてくれないか? 帰る場所はもう、あそこしかない」
 アイラスと葉子の顔を真剣に見つめ、老人は頭を下げる。
「どうする? アイラスくん」
「あなたがそうしてほしいというのなら……」
「……頼む」
 さくらはそんな三人を見合わせて、「さくら、どこかにいくの?」と老人に問う。
「ああ。帰るんだよ。パパとママのところに」
「パパとママにあえる?」
「でも、おじいちゃんとはバイバイだ」
「……それじゃ……」
 さくらはそっと首にかけていたネックレスをはずし、老人に手渡す。
「おじいちゃんにかしてあげる! つぎにおじいちゃんにあったとき、かえしてね」
「……さくら……」
「それじゃ、さくらちゃん、行こうカ?」
「うん!」
 さくらは元気よく返事をすると、葉子とアイラスと手を繋ぎ、何度も振り返りながら別れを告げた。もう、会うこともない――祖父に。

 ◇ ◇ ◇

 少女誘拐事件は無事に解決した。
 騎士団のものたちが青年を連れて行き、全てを老人が話し、大きな武器商のお家騒動から起きたものということもあり、新聞に大きく取り上げられた。
 偽りのない言葉で、全てが記載された記事を読み、アイラスはふと、桜の木の前で別れた少女のことを思い出した。
 少しずつ姿を消していく少女。
 どんどん花を咲かせていく桜の木。
 少女が完全に見えなくなったときには、桜の木は満開に咲き誇り、花びらの一つひとつが、目の前にある店を見守っているようにも見えた。
「アイラスくん、この前の報酬だってサ」
「あ、葉子さん」
「なに? 新聞に載っテル?」
「ええ。こんなに大きく」
 老人の所を訪れて、しっかりと報酬を受け取ってきた葉子が、アイラスに半分手渡す。
「今度、あの桜の下で、にぎやかに花見でもすれば、さくらちゃんよろこぶんじゃナイ?」
「……そうですね……」

 きっとあの桜の下に行けば、彼女の微笑みにも出会えるのだろう。



                          ◇おわり◇



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■       ○ 登場人物一覧 ○       ■
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 ‖アイラス・サーリアス  ‖整理番号:1649 │ 性別:男性 │ 年齢:19歳 │ 職業:軽戦士
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 ‖葉子・S・ミルノルソルン‖整理番号:1353 │ 性別:男性 │ 年齢:156歳 │ 職業:悪魔業+紅茶屋バイト
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■       ○ ライター通信 ○       ■
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ライターのあすなです。この度は発注ありがとうございました!
全体的に詰め込みすぎな内容になってしまいましたが……(汗)いかがでしたでしょう
か。楽しんでいただければ光栄です。

アイラスさん、お久しぶりです。またお会いできて嬉しいです。葉子さんに振り回され
気味で、巻き込まれてしまった風の彼でしたが、やはり行動力抜群でした。今回は頭を
使う場面が多く、切れ者のアイラスさんでした(苦笑)
葉子さんとの会話の掛け合いは、大変楽しみながら執筆させていただきました。 

単独行動を取った場面や少しずつ細かなところが、葉子さん、アイラスさんのそれぞれ
の視点で描かせていただいたため、異なる点がございます。読み比べていただけるとま
た世界が広がるかなと、書いた本人が勝手に思っている次第です。

よろしかったらご意見・ご感想などいただける次への励みになりますので、いただける
と嬉しいです。よろしくお願いします。それでは。この度は、本当にありがとうござい
ました! ぜひまた、どこかでお目にかかれることを願って。

                           あすな 拝