<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


翡翠の鏡

「ねぇっ!聞こえてる?お客よ!!」
 黒山羊亭は今日も多くの客が入り、喧騒が絶えない。その中で、踊り子のエスメラルダに向かって、大声を張り上げているものがいた。
「…ちょっと、無視しないでよっ!」
 当のエスメラルダにはその声は聞こえないらしく、カウンターでグラスを片手に接客をしている。
「…もぅっ!!」
 いつになっても自分を『見上げてくれない』踊り子に痺れを切らした声の主は、その場で小さく呪文を唱え始めた。
「ちょっとくらい、私に気がついてよね!!」
 と、言いながら、両手を上に掲げ、短い詠唱を終えると、一瞬だけその場が強い光に包まれる。
 さすがに、その場にいた者たちはそれに驚き、皆が光の発生したほうへと視線を送った。
「……あらあら、珍しいお客さんね」
「やっと気がついたのね!?」
 エスメラルダは別段驚いた様子も無く、声の主を見上げながら、妖艶に笑うのみであった。
 声の主は、四枚羽根を持つ、妖精だったのだ。このサイズで大声を張り上げても、この喧騒の中では聞き取れといったほうが無理な話なのだが、彼女にとっては必死な行動だったらしい。
「…その様子だと、『依頼』の話ね?」
「早々に解ってもらえて嬉しい限りよ。時間がないの…。この鏡に吸い込まれてしまった、私の主人を助けてくれる人を探してるのっ」
 妖精を自分の人差し指へと招きながらエスメラルダがそう言うと、彼女はその指にしがみ付き、捲くし立てるような口調でそう言った。涙目になりながら。
 カウンターには、取っ手、枠、そして鏡面まで翡翠で出来ている鏡が、静かに置かれていた。
「おねがい、誰かセリュウを助けて…!!」
 妖精はエスメラルダの指先で、祈るように、そう懇願した。


 ことり、と音が妖精の耳に届き、うっすら瞳を開けると、目の前に一人の青年がカウンターに置かれたままの鏡を手にしていた。
「鏡面まで翡翠、か…。呪いの鏡と言った所か?」
「…あ、鏡を見つめないで。貴方まで吸い込まれちゃうから…」
 鏡を手にしたままでいる青年に、妖精はエスメラルダの指から離れ、鏡を伏せてカウンターに戻すように促す。すると青年も黙って頷き、彼女に従った。
 端正な顔立ちの、青年だ。尖った耳、金色の髪、紺碧の瞳。そして、その金糸から突き出しているのは、竜の角らしい。彼の名はフィセル・クゥ・レイシズ。魔法剣士である。妖精は一瞬彼に見とれていたが、すぐさま我に帰り、置かれた鏡の前の降り立ち、姿勢を正す。
「私は、ウィスティと言うの。見てのとおり、妖精よ」
 彼女、ウィスティが自己紹介を始めたところで、エスメラルダは言葉も無くその場を離れて、接客に戻っていった。どうやらこの件を彼に任せるらしい。
「…とりあえず、拾った時の状況を詳しく教えてもらえないだろうか?それと鏡の中の主人とやらにも話し掛けてみよう…何かわかるかもしれないしな」
 クールな印象を受けるフィセルは、その整った表情をあまり崩すことなく、ウィスティに言葉を返した。
 ウィスティも彼を信頼したのか、安堵の表情から、少しだけ笑って見せる。
「私の主人はトレジャーハンターをしていて、世界中を旅しているの。名前はセリュウ。この鏡は受けた依頼の宝石を捜している途中で、彼が拾ったのよ。…まさかそれが仲間内で話題になってた『噂の鏡』だとは思わずにね…」
「噂の鏡…?」
 ウィスティはカウンターにちょこんと腰掛けて、両肘を膝に置いて今までの経緯を話し始めた。遠くを見ながら。
 その含みある言葉に、フィセルが彼女の言葉を止める。
「詳しくは知らないんだけど、同業者が話してたのを聞いたの。『最近、あの鏡がまた消えた。気をつけろ。拾っても鏡面を見るな、取り込まれるぞ』って…」
 そこまで話て、彼女は膝を抱えて顔を埋めてしまった。
 彼女と吸い込まれてしまった主人とは、強い何かで繋がれているような、そんな印象をフィセルは受けた。
「…先ほども言ったが、鏡の中の主人と話してみないか?」
「あ、うんっ話しかけてみる」
 遠慮がちに言ったフィセルの言葉に、ウィスティはぱっと顔を上げて、元気に振舞ってみせる。それが余計に、フィセルには痛々しいものを感じさせた。
 そんなフィセルをよそに、ウィスティは鏡を振り返り、主人の名を繰り返し始めた。 ふと、背を向けた彼女の羽根が、珍しい色と形をしているのがフィセルの目に付いたが、今はそれどころではなく。
 珍しい種族には興味があるのだが、彼女の主を救うことが先決。そう気持ちを入れ替え、ウィスティに続き、自分も声を掛けようと鏡に近づいてみる。
「返答可能なら応えてほしい。私はフィセル、君を救いたいと思っている者だ」
『……ウィスティ?』
「セリュウっ」
 遅れてではあるが、鏡の中から低い声が、ウィスティの名を呼んだ。それに彼女は飛びついて、また主人の名を呼ぶ。
『…ウィスティ、俺は大丈夫だ。それから、フィセルと言ったな…。すまない、頼らせてもらう。俺からは、どうにも出来そうに無い…』
「出来るだけ協力する。…状況は、解るだろうか…?彼女の言っていた鏡のことを、もう少し詳しく聴きたいのだが」
 フィセルは身を屈め、鏡に言葉を投げかける。周りのこの喧騒の中でセリュウの声は、あまりに遠いものになっているのだ。
『あんたの思うとおり、これは呪いの鏡だ。探してもらいたいものがあるんだ』
「それは何だ?」
『…この鏡には、対の存在がある。【瑪瑙の鏡】だ。合わせ鏡になっていて、それと鏡面を合わせることによって、出られるらしい。…ウィスティが言っていたと思うが、どうやら長居は出来ないみたいだ…何かに引っ張られてる』
「なるほど。それでは行動を起こすのは早いほうが良いな」
 ウィスティは二人の会話を黙ってみていた。自分も口を開きたいのだが、口を挟んで、混乱を招きたくなかったためだ。
「古物商が街角で店を広げていた。そこへ行ってみよう」
 フィセルはそう言うと直ぐに、手鏡を持ってその場を後にする。ウィスティも飛び立ち、遅れを取らないようにと彼の背中を追いかける。
 二人はそのまま黒山羊亭を、人を掻き分け後にした。


「欠けてる!?」
「はぁ…なにぶん古いものですしなぁ、渡り歩くだけ歩いて、わしらのところに流れてきたモンですから…」
 偶然にも、出向いた古物商の出店には、【瑪瑙の鏡】が置かれていた。しかし、そこにも問題あった。ウィスティが大声を張り上げたように、瑪瑙の鏡は欠陥品になっていると言うのだ。
「…それでは、引き出す力と言うのは、どうなるんだ?」
 実際見せてもらうと、やはり瑪瑙の鏡は鏡面に罅が入り、端が欠けている。どう見ても、『合わせて呪いが解ける』と言う効力からは、かけ離れてしまっていた。
「お客さん、【翡翠】のほうをお持ちで?」
「…ああ。その翡翠に知り合いが取り込まれてしまい、助ける方法を探っている途中なのだが…」
「それでしたら、自力で『戦う』しかありませんなぁ。引き出す力を持つ瑪瑙がこの有様ですから、宿っていた命も絶えてますし…」
「やはり二つとも生きているのか」
「『引き込む力』があれば『引き出す力』と言うものがあるもんです。【呪い】と呼ばれているのはこの二つが分かれてしまい、翡翠が暴走を続けているせいですからなぁ…」
「厄介だな。取り込まれたものは翡翠に『食われている』と言うことなのだろう?」
「まぁ、そういうことになりますな」
 商人とフィセルのやり取りを聞きながら、ウィスティはハラハラせずにはいられなかった。状況から言えば、彼女の主が救い出される確立が、低くなったからだ。
「…こうなったら、無理矢理にでも彼を引き出すしか方法は無さそうだな…」
「待っ…そんなことしたら、フィセルさんだって危ないじゃない…!」
 フィセルが予め布に包んでおいた翡翠を持ち上げて、それを見つめながら、独り言のように話を進めた。当然、ウィスティは制止の声を掛ける。
「このままと言うわけにも行かないだろう? 多少の危険はあるだろうが、試してみないことには解らない事だってある」
「…でも…」
 ウィスティが言葉を続けようとすると、フィセルが人差し指を彼女の口に当て、それを止める。そして軽く笑って見せた。
「お客さん、魔法剣士だね。それなら何とかできるかもしれませんよ」
「どういうことだ?」
「単独で引き出すおつもりでしょう。それでしたら、お知り合いを引き出した瞬間、腰の剣で鏡面を壊せばよろしい」
 商人はそう言うと、フィセルから翡翠の鏡を受け取った。どうやら協力をしてくれるらしい。
「統合したモノと言うのは、同じく統合したモノに、弱いものなんですよ。どちらかが片方が欠けてしまえば、力が半減するようにね…」
「…なるほど」
 フィセルは鏡を掲げる商人に笑いかけながら、ゆっくりとその布を取り、鏡面を露にさせた。するとそれは強烈な光を放ち始めて、目の前のフィセルを取り込もうと、光の固まりが鏡面から湧き出してくる。
「…フィセルさん…ッ!」
 ウィスティの叫び声を横目に、フィセルは光から目を逸らさずに、手を伸ばした。そして無理矢理鏡面に腕を突っ込み、力を込めてセリュウらしき人物を、引きずり出し始めた。
 当然、翡翠もそれを易々と許すことも無く。フィセルごと、セリュウをまた飲み込んでしまおうと光の固まりを大きくする。
「……くっ…!」
「…邪魔しないでッ!!」
 ウィスティがその身体全部を使い、自分の持つ魔力で応戦をし始めた。鏡が放つ光が、聖なるものではないと判断したためだ。翡翠の鏡を持つ商人も、足に力を入れて、必死に力に耐えていた。
「!!」
 ウィスティの放った淡い光が、鏡の効力を一瞬半減させたように思えた。それをフィセルは見逃さずに、一気に力を入れて、セリュウを引き出し、腰の剣に手をかける。
「……っ、今だよ!フィセルさんッ!!」
 ウィスティの掛声が合図になった。抜刀するタイミングともそれがいい具合に合い、フィセルは翡翠の鏡面向かって、自分の剣を、力の限り突き刺した。
「――――!!!」
 辺りが、大きな光に包まれた。昼間の光のように。
 ウィスティも商品もその光に耐え切れずに目を瞑ったが、フィセルだけが剣を構えたまま、鏡があっただろう先を、見つめていた。


 再び、黒山羊亭。
 結局鏡は粉々に割れてしまったのだが、それは商人が快く買い取ってくれた。翡翠は欠片だけでも高く売れるらしい。
 当のセリュウといえば、フィセルが無事に引き出すことに成功していて、今、彼の目の前に、いる。
「…世話になった…苦労かけてすまない」
「いや、礼には及ばない。無事で何よりだ。それより、結局荒業になってしまい、申し訳なかった」
「それはいいんだ。救ってくれただけで、有り難い」
「うんっ。フィセルさんに怪我が無くてよかったよ。助けてくれて、本当に有難う!」
 ウィスティの、満面の笑み。
 フィセルは彼女の笑みを見ながら、自分も、ふ…と笑ってみせる。そして
「二人は、恋人同士なのだろう?」
 と言うと、ウィスティは瞬時に真っ赤になり、セリュウの後ろに隠れてしまった。セリュウも、苦笑いはするも、否定はせずにいる。どうやら、当たりのようだ。
 フィセルはそんな二人を微笑ましく、見つめている。
「…これは礼だ、受け取って欲しい。前の冒険で見つけた、龍の水晶球なんだ。あんた、竜族だろう?」
 セリュウはそう言いながら、金貨の入った皮袋とともに、もう一つ布に巻かれた丸い物体をフィセルに差し出した。
「古代のヒトに会うの、久しぶりだった。私もね、妖精の中ではもう種が残ってないの。…何かの、役に立てば良いなと思って…」
「…私を古代竜族と見抜くとは。さすが、多くの知識を得る種族だけはあるな…」
 フィセルは多少驚きつつも、彼らの『報酬』を受け取った。
 そして、同時に席を立つ。
「本当に有難う。…また、どこかで会えたら声を掛けてくれ」
「…ああ。役に立てて、良かった。それでは私はこれで、失礼する。二人とも元気で」
「フィセルさん、ありがとう!」

 フィセルはうっすらと笑い返し、黒山羊亭を後にした。
 そして依頼人の二人も、それから程なく黒山羊亭を、後にする。根無し草の、旅を再開させるために。


-了-



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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1378/フィセル・クゥ・レイシズ/男/22歳/魔法剣士】

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          ライター通信          
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ライターの桐岬です。この度はご参加有難うございました。
まず、文字数を気にするあまり展開が速く進んでしまったことに、お詫び申し上げます。
フィセルさんの『魅力』を引き出す努力をしてみたのですが…やはり勉強不足です。
もっと経験を摘もうと思います。
文章自体は、楽しく書かせて頂きました。楽しい時間を与えてくださり、有難うございました。
これからも頑張ります。
※誤字脱字の見落としがありましたら、申し訳ありません。

桐岬 美沖。