<東京怪談ノベル(シングル)>


TILL DEATH DO US PART

 夢なのか、夢ではない"現実"なのか――此処最近、ううん……この世界に来てからというもの私は凄く、夜眠りに就くと必ず、見る夢がある。
 誰かの夢。
 凄く、大事な人のような気がする――見ると、安心するような……胸の痛みを覚える、夢。

 遠ざかる事の無い後ろ姿。
 何時しか後ろ姿だった筈の人の姿が振り返り、そして――。

(見えない)

(――見えないの……)

 逆光が重なったかのように、彼の顔が――見えなくなる。
 ……振り返って私を見てくれている筈なのに顔が、解らない。

(――貴方は、誰ですか?)

 何度も心の中で問い返す。
 けれど、答えが返る筈も無く――私は溜息をひとつ、眠る前に編む筈の髪もそのままに横になる。

 コツ…コツ…ッ……。

 ふと、辺りを見渡せばベッド脇、サイドテーブルに備え付けられた時計が微かな音を立てる。
 天窓からは優しい月の光。
(明日も迷子にならなければいいのだけれど……)
 煌々と輝く月の光を見ながらゆっくり、ゆっくり、リラ・サファトは瞼を閉じる。
 瞬間、誰かがリラに向かい手を差し伸べてくれている様な安心感が訪れ――何時しか、リラは穏やかな寝息を立てていた。


                       ◇◆◇

(――何処)

 ――ねぇ……何処なの?

 誰かを私は懸命に探している。
 晴れ渡った空の気持ち良い気候の中である筈なのに、何故か世界はモノクロで統一されているように暗くて。
 私は、心細い気持ちのまま、誰かを探している。
 素足のまま、瓦礫を踏む感触。
 痛みよりもまず、瓦礫の持つ冷たさが――寧ろ、恐ろしかった。

(……怖い……)

 もし、探している誰かが居なくなってしまっていたら?
 私は――この場所に一人、置いていかれたのだとしたら?

 唇から、声にならない声が出るようで――堪らなくて、手を伸ばすと。
 握り返してくれる掌があった。
 瞳を開ければ其処に必ず居てくれた人。
 夢だから、と……眠るまで、本当の意味で私が眠りにつくまで傍に居てくれて頭を撫でてくれた人。

「……お休み。見ていた全ては夢だから」
「うん……」

 落ち着いた声。
 撫でてくれる掌。
 だからこそ安心して私は眠りに就けた。

 怖い夢を見ても――いつも、其処に貴方が居てくれるって知ってたから。

 場面は変わる。

 人じゃない……良く出来ているけれど、半ば機械の身体で作られている私。
 その事を知ると、大抵「施設」に居た人は眉間に皺を寄せた後、私をまじまじと見――やがて、薄く笑う。
『人ではない』と知った瞬間に変わってしまう態度、まるで「私」を無視するように私が「機械」なのだと決め付けるような視線へと変わってしまうのに。

 ……その人だけは違った。

 半分機械だと知っても、接する態度を崩さずに傍に居てくれて、歩く時はいつもゆっくりな私の歩調に合わせてくれた。
 ゆっくり、ゆっくり、私は歩いて。
 ゆっくり、ゆっくり、彼は隣で微かに笑いながら歩みを重ね。

 まるで追いかけっこのよう。
 楽しいけれど追いかけて来てくれる人の負担にならないかと考えてしまう。
 
――だから。

「先に歩いても良いよ?」
 って、私はその人に首を傾げながら言うのだけれど。
 返ってくる答えは、いつも、いつも。
「どうせ俺が先に行くと高い確率でリラは迷子になるんだ。……なら、ゆっくりででも一緒に歩いた方が良い」
 と言うもので。

 その度、私は怒るのだけれど――彼は「良いから、ゆっくり歩け」と言うばかり。
 暗に「気にするな」と言ってくれてるんだって解ったのは何時の日だったろう。
 たまに冷たい言葉を聞くこともあるけれど、でも言葉の端々はとても優しかった人。
 冷めた口調の中に優しさが垣間見えるのは、諦めへの怒りさえ捨ててはいなかったから。
 凄く凄く、強い人。
 自分だけではなく、優しさが何なのか知ってる人。

(――逢いたい)

 でも……この人は誰?
 …何で私は顔さえも解らないこの人に、こんなにも逢いたいんだろう……。

 眠るリラの眦に一粒の涙が浮かび――伝い、流れ落ちる。
 弾けて消えた涙に、時計はただ時を刻み………。
 緩やかに、ただ緩やかに夢は巡り、変わってゆく――万華鏡の如く。


                       ◇◆◇

 先ほどの場面とは打って変わって、しん……と静まり返った廃墟。
 其処に隠れるようにリラは居た。
 冷たさを孕んだ風が容赦なく吹き抜け、リラの柔らかな頬を叩く。

「……ごめんね。寒い?」

 にゃあ、と仔猫が鳴く。
 仔猫が寒くないよう、リラは自分が着ている誰かのコートごと抱いてやると、擦り寄るように猫はリラの腕の中で瞳を閉じた。
 その仕草にリラは瞳を細め、微笑を浮かべる。

「……遅いね……」

 確か、随分と前に仔猫の為に牛乳を調達してくると言い、出て行ったはずなのに。

(何か…あったのかなあ)

 一瞬、過ぎった考えに私は首をぶるぶると強く振り、その思考を追い払うように仔猫を抱きしめた。
 何かある筈なんて無い。
 いつも、いつも大丈夫だったんだもの。

(でも――もしも今回だけは、大丈夫じゃなかったら?)

 ……どうしよう。
 何か本当にあったなら、このまま帰って来ないままだったら。
 最期にさえ逢えないまま、終わってしまったら?
「………!」
 どうしようもない気持ちに居てもたっても居られず、立ち上がろうとすると――ふと影が差し仔猫が嬉しそうに「にゃ♪」と鳴いた。
(………?)
「……悪い、遅くなった」
 仔猫に対して言ったのか、私に対して言ったのか……頭上から届く声と抱き寄せる手に私は、ほっと安堵し、そして――、
「心配、したんだから……!」
 と言えないままに目が醒めた。

 目に飛び込むのは――彼ではない、宿屋の天窓。
 天窓から差し込む鮮やかな陽の色が、ただ映し出されていて。

(……え?)

 何度も何度も、瞬きを繰り返す。
 どちらが夢だったかなんて――もう、解りきっているのに。

 誰かに向かい、伸ばした腕。
 触れようとした掌さえも届かない現実。
 言葉も、届かないままに目覚める、夢。

 逢いたいのに、名前が――顔が、解らない。
 夢の中でのみしか逢えない人。

(――貴方は……本当に……)

 私にとって、どう言う人だったんだろうと……私は、私自身と…まだ見ぬ誰かに問いかける。
 答えなんて決して返っては来ないのに――何度でも繰り返してしまう、不思議な問いかけ。

 逢いたい。

 ――逢いたいよ……。

 叶うのなら今すぐにでも。
 夢で見る、貴方の後ろ姿なら、きっと私は間違えないから。






・End・