<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


故に赫鳥よ高く啼け


【00:PROLOGUE】

 葉擦れの音に、羽音が雑じる。
 鳥は、赤き翼を強く羽ばたかせ、黄色の嘴で天を仰いだ。
 そして、啼く。

 宵闇に、ぽつり、亦ぽつりと店先に灯りが燈されて、或いはその二階の窓から漏れる橙色の光が、ベルファ通りに落ちる。
 遥か望めば既に陽は僅かにその色を残すばかり。皓と照る月が次第に色濃く天空に姿を冴やかにして、間も無い夜の訪れを告げていた。
 通りを過ぐ風の温度は未だ過ごし易いとは言い難い。店の扉に凭れた儘、女――黒山羊亭のエスメラルダは、黒のショールを肩に掛け直した。
 視線の先には、今し方知らせを運んできた男の後姿がある。その背はやがて角を折れて見えなくなった。
 暫し其の儘思案していたエスメラルダだが、開店の準備に掛るため、扉の内に戻ろうとして、ふと、先程の男とは反対の方向からやって来る人影に、気付いた。
 どうやら本日最初の客のようである。

 通りの外れの一角に、赤い屋根の、小さな館が在ることは、この界隈で知らぬ者は居ない。
 錆びた鉄製の黒き門に絡む蔦、高く堅牢な造りの塀が館を取り囲むが、それすら越えて内側から鬱蒼とした草木が繁る。夜は疎か、昼間であっても何処か陰鬱な空気が漂って、館の前の道は態と避けて通るのだ、……と聞けば、幽霊屋敷の定番である。
 しかしその館の知名度を上げているのは、外観だけではなかった。
「例の鳥だけどね」
 鳥。
 館の門柱には、一羽の赤い鳥がずっと留まっているのである。
 その鳥が何時から、本当に何年前から居るのか、詳しいことは分からないけれどと、エスメラルダは言を続けた。
 鳥は何年もの間、門柱に留まっている。赤い羽毛が美しいその鳥は、時折餌を求めてか短い時間離れることはあっても、大抵はじっとその場所に――無言で居る。
 鳥の啼き声を、聞いた者は居なかった。
 何故其処に留まるのかは知らぬが、特に害も無いので今まで館と併せ、放って置かれていたそうである。
 ところが。
「最近になって急に、鳥が啼き出したの」
 初めて鳥が啼き声を上げた時、真夜中にも関わらず周辺住民は何事かと一同に起き出した。それほどに鳥の声はけたたましいものであったのだ。
「住民たちは怒って、鳥は処分されることになったわ。……そこで、その処分だけど、請けてくれないかしら?」
 エスメラルダは寂しげな微笑を零すと、
「それと、なぜ突然鳥が啼き出したのか、気にならない?」
 最後にそう言い添えて、他の客に呼ばれて席を離れた。


 ***


 高い。
 門の前、蔦が視界を邪魔するが、辛うじて内部の様子を窺って、そろりと揃って視線を上げた。
 エルレイル・ナレッジは、眩しく降り注ぐ陽光に手を翳して、門柱の上に居ると思しき鳥の姿を探す。
「どうですか?」
 その傍ら、青年が尋ねた。
「えっと……あ、見えました。赤の、赤い鳥」
 刹那翳った陽射しに、反射で見え難かった門柱の先がはっきりと見て取れた。所々に罅割れが走る鈍色の四角い柱。その上から、赤く長い鳥の尾が垂れている。
 返事を聞いて青年――アイラス・サーリアスは、掛けていた眼鏡を通して自身もそれを確認した。後ろでひとつに結った淡い青の長髪が揺れる。
 エルレイルの腕の中、小さな首長竜がキュウ、と一声鳴いた。

 予想以上に高い。
 館を囲む塀に沿って、ぐるりと一周していた刀伯・塵は、あまりの塀の高さに既にうんざりとしていた。
 塀は六尺を超える塵の身長の、優に三倍の高さはあるように思える。
 塀が高いと云うことはつまり。
 重い頭を努力して持ち上げて、塀を見上げた。長い月日に曝されて傷んだ石の表面は、それでも元来の堅牢な造りを誇り、まるで要塞のように館を護っている。
 その上方。
 枝だ。蔦だ。
 それが外まで鬱蒼と。
 ――どうやら内側は、密林の如き状態らしい。
 内部を調査しようとしていた塵は、大袈裟なまでの溜息を吐くと、やがて一周を始めた場所、正面の門へと戻る。
 門の前には、二つの人影が在った。


【01】 高すぎる門柱

 門は、曲線に彩られた美しい意匠が凝られており、細く、けれど頑丈な鉄製で、錆びて剥がれ落ちた黒色が大変に惜しまれる。それに続く塀は厚く、特別硬い石で以て造られたようで、万一取り壊すことになったとして、容易には崩れそうにも無かった。
「初めまして、塵さん……ですよね?」
 おずおずと首を僅かに傾げる少女の肩で、青紫の不思議な光沢を放つ銀の髪が流れた。見上げる瞳も同様に青みの強い紫、色を除けば人間らしい外見だが、耳は獣のそれであった。
「ああ。俺のことを知ってるとなると、お前さんたちもエスメラルダから頼まれたクチか?」
 対して応じるは、顔を横に真一文字に走る傷を始め、纏う着物の間から覗く鍛えられた肉体にも無数の傷痕を持つ厳つい男。肩に掛けられた朱房の数珠も、腰に提げた刀も、様々な種族、民族が入り雑じる此処エルザードでも、一種異様である。
 少女の隣で、穏やかな微笑みを浮かべた青髪の青年は、男の問いに肯いた。顔の割に大きめな黒縁の眼鏡が印象的だ。その奥で、髪色より深い青の瞳が親しげに細められた。
「僕は何度か依頼でご一緒してますね。改めて、アイラス・サーリアスです。……実は、黒山羊亭で詳しい相談をしようかと思っていたのですが、塵さんはお酒が駄目だそうで」
「エスメラルダから聞いたのか」
 アイラスは再び肯いて、くすりと笑んだ。
「開店前に訪れて、開店と同時に帰ったとも言っていました。本当に苦手なんですね」
「酒の匂いに中てられただけでもな」
 この外見で下戸と思われることは少ない。恐らくは今までに数多の苦労と災難に見舞われてきたのだろう男は、ふっと遠くを眺める眼差しで――思わず目が合った。
「クー♪」
 少女の腕の中で、前鰭を上げてみせた、それ。
 ぱたぱたと鰭と尾を動かして、男に向かって挨拶しているようだ。翠色のすべらかな表皮に、長い首。海生爬虫類に属される首長竜の子供である。
「あまり動くと落ちますよ」
 はしゃぐ首長竜の背を優しく撫でながら、
「あっ、レシーといいます」
 少女は男の視線に気付いて、にっこりと微笑んだ。
「……お前さんの名前がか?」
「違います、この子の……ああ、そういえば私も名告っていませんでした! ご、ごめんなさいっ!」
「いや、謝ることはないがな。俺の方も挨拶がまだだったか。名は塵、通り名を刀伯という」
「私は稀少生物保護官の、エルレイル・ナレッジといいます」
 ぺこりとお辞儀をして、少し赤みを帯びた頬に手を添える。エルレイルを見上げていたレシーも真似をして、ちょんと鰭先に頭を付けてみせた。
「稀少生物保護官?」
「はい、稀少生物の保護や飼育、観察を主に行っています」
「すると、生物の生態なんかには詳しいんだな?」
 エルレイルは、はい、と歯切れ良く返事をすると、ふと思い至った様子で、背後を高く振り仰いだ。
 門柱である。
 聳える塀より少しばかり高い位置、四角い柱の天辺に、空を背景に赤色がちらりと眩しく見えた。
「……あれか? 件の鳥は」
 眇めた目を更に凝らして、塵が呟く。
「僕たちがここに来てから、一度も動いたところを見ていません」
 答えるアイラスは、少々ずれていた眼鏡を指で押し上げて、赤を、鳥をじっと見詰めた。
 アイラスの言葉通り、鳥はまるで彫像の如く微動だにしない。
「どうする? 鳥をなんとかして、あそこから離すか?」
「あの!」
 不意にエルレイルが声を上げる。
 なんだ、と振り向いた塵に、エルレイルはひとつ呼吸すると、強い語調で問うた。
「塵さんは、鳥さんをどうなさるおつもりですか?」
「どうって……」
 エルレイルの勢いにやや気圧されて、塵は僅かに言い淀む。
「エスメラルダからの依頼は、鳥の処分、だったな?」
「そんな……!」
 憤るエルレイルと共にレシーも「クゥ!」と非難染みた鳴き声。言い募ろうとするエルレイルに、塵は苦笑して言葉を継いだ。
「鳥が啼くのは何らかの理由があってのことだろうし、俺は無駄な殺生はしたくない」
「じゃあ……」
「理由が分かれば、殺さずに済む手段が見付かるかもしれんしな」
 ほっと息を吐いたエルレイルの頭に、ぽん、と武骨な手を乗せて、塵は門柱を見上げた儘のアイラスを見遣った。
「お前はどうする?」
 アイラスはゆっくりと視線を戻し、
「鳥を処分するのではなく、『静かにさせる』依頼だと受け取ってもいいですよね」
 微笑んで肯きを落とした。


【02】 相談の末

 事前にアイラスが調べていた館についての情報から、館の所有者は或る小説家の男性らしいことは分かっている。しかし現在の館の様子を見れば一目瞭然、少なくとも此処二十年ほどは、無人の状態であると云う。
 鳥の方は、あまりにも高い門柱の上、存在は知っていても態々見上げて確認する者は少なく、何時から其処に居るのか、詳しいことは分かっていない。ただ、鳥が啼き声を上げるのは毎日必ず深夜の同時刻、と云うことだった。
「時間が足りず、今はこれしか。あとはこれから調べてきますね」
「中には入れるのか」
 鍵が、と言い掛けた塵だが、門をよく見てみれば無造作に巻かれた鎖に繋がる錠が――。
「……壊れてやがるな」
「たまに肝試し感覚で侵入してしまう子供もいるらしいですよ」
 困ったように笑って、アイラスはエルレイルを振り返った。
「さて、僕は聞き込みや図書館などをまわるつもりですが、エルレイルさんはどうしますか?」
 問われ、レシーを撫でつつ悩んだエルレイルは、再び門柱を見上げ、答えた。
「ここからでは詳しい鳥さんの特徴が見えないので、私にもあそこに留まることが習性であるのか、まだ分かりません。他の保護官の仲間にも訊いてみようと思います」
 それから、と強い光を瞳に湛え、エルレイルは真直ぐにアイラスと目を合わせた。
「住民の皆さんを、説得してみます」
 言葉を聞いて、アイラスは笑みを深くする。
「頑張って、くださいね。……集合は日没に再びこの門の前、でいいでしょうか?」
「おう」
「わかりました」
 しっかりと肯く二人。
 アイラスはエルレイルを送り出して、自分は反対の方角の道を辿り駆けてゆく。
 二人の姿が完全に視界から消えるまで見送っていた塵も、「さて、」と気合を掛けると、軋む門の内に消えた。

 鳥は何故啼き出したのか。
 そもそも何故この館の門柱に留まり続けるのか。

 それらの疑問を解決するため、三人はそれぞれに調査を開始した。


【03】 Ithil ―アイラス・サーリアス―

「え……?」
 戸惑うアイラスに、老人は、
「だから、あの館の持ち主はまだ健在だと言っておる」
 そう、繰り返した。
 坂の上に位置する館の裏、入り組んだ路地の一角で、やけにのんびりとした様子の老人に話を聞いていた。
 アイラスは塵とエルレイルと別れた後、館の所有者について彼方此方を調べ歩くうち、なんと館を管理している人物が居るとの情報を得、訪ねた次第である。
 そして、その管理人であるこの老人は、館の所有者は今も生きていると、アイラスに告げたのだ。
「……では、館の持ち主は、現在はどこに居るのですか?」
「さてなあ……確か、この前の手紙では東の方に行くとか書かれていた気がするが……」
「手紙? 手紙が送られてくるのですか?」
「ああ。律儀な男でな。三ヶ月に一度、管理費と一緒に送ってくるわ」
「その手紙、見せて頂いてもよろしいでしょうか?」
 老人は肯くと、一旦家の奥に戻り、小さな木箱を取り出してきた。
 箱の中には二十年分なのだろうか、ぎっしりと封筒が収められている。一番上の封筒を手に取り、消印を確認してみれば、三ヶ月ほど前の日付。その下の手紙も、その亦下も、ちょうど三ヶ月毎に届いているようだ。
「今月の手紙は?」
 老人の言う通り、館の所有者は律儀と云うより、几帳面な性分なのだろう。手紙の消印は出した地域差に依って数日のずれがあるが、手紙の裏面の片隅に、手書きで日付が記されている。投函した日にちのようだった。
 日数を計算すれば、今月分の手紙はもう届いている筈だ。
「今月? ……そういえば、そろそろ届くはずだがなあ」
「まだ届いていないのですか?」
「ここのところ忙しくてな。失念しておったわ」
 アイラスは一番新しい封筒の中身を確認しようと、手に取って傾けた。
 と、シャラン、と音を立て、冷たい感触と共に掌に軽い金属が落ちてきた。
「これは?」
 金色のプレートを、同じく金色のチェーンが丸く繋いでいる。ブレスレットのようだ。
 老人はそれを見ると、渋い顔をして、
「あんた、鳥について調べてると言ったな?」
 訊いた。
 アイラスが「はい」と応えると、老人はブレスレットと共に入っていた手紙を読むようにと促した。言われる儘それを読み終えたアイラスは、老人から手紙の入った箱、ブレスレット、そして館の鍵を預かって、その場を後にした。

 エルザード王立魔法学院、賢者の館。
 ユニコーン地域を中心とした、ソーンのあらゆる情報の収集を目的として設立された機関である。聖都を離れ冒険へ出掛ける者たちの支援も積極的に行っており、申告すれば冒険に必要な物資の支給も受けられることになっている。
 館の主は、小説家であったと云う。彼の綴る物語は専ら冒険小説で、それもフィクションではなく、彼自身が冒険に赴き、経験から得られた上で書かれた小説だった。一種ドキュメンタリーでもあったのだ。
 アイラスは其処に、目を付けた。
 冒険に出たのであれば、賢者の館から何らかの援助を受けていた可能性が高い。
 そう考えて、今まで申告を行った冒険者のリストを当たった。館の持ち主が送ってきた手紙を最近の物から遡って読み進め、約半年前に、一旦聖都へ立ち寄っていたことを知る。当時のリストにも、確かに名前が載っていた。手紙には、今度は東の方へ出掛けるつもりだ、としか書かれていなかったが、リストには行き先がしっかりと記入されている。
「すみません、貴石の谷で、最近何か変わったことはありませんでしたか?」
 アイラスは、館の持ち主が向かった先、貴石の谷について賢者の館の職員に尋ねた。
 貴石の谷とは、聖都の東、ユニコーン地域の外れの谷に造られた坑道である。嘗ては貴重な宝石採掘のために賑わったが、その深部にモンスターが出没するようになり廃棄された場所だ。
「貴石の谷、ですか? 特にこれといった情報は入ってきておりませんが……」
「あったよ」
 職員の言葉に重なるように、頭上から声が降ってきた。
 振り向けば、アイラスより頭ひとつ分ほど高い、大柄な男が立っていた。男はアイラスの視線に気付くと、仏頂面を僅かに崩して軽く頭を下げる。アイラスも礼を返した。
「十日ほど前、大きな崩落事故があったって話だ」
「貴石の谷でですか? 巻き込まれた人はいますか?」
「さあな。俺も近くを通った時に、人伝に聞いただけだ。もう少しすりゃ、もっと正確な情報が入ってくるとは思うが」
 伝えたぞ、と冒険者の男は職員に確認すると、無愛想に館を出て行く。
 アイラスはその後姿を見送りつつ、考えを巡らせていた。
 館の持ち主は、半年ほど前に貴石の谷へ向かった。少なくとも三ヶ月間――手紙を寄越した三ヶ月前まではその周辺に居た筈だ。その後、その場所を離れて他へ冒険に向かったとも考えられる。
 が、しかし。
 十日前に、谷で起こった大きな崩落。
(……十日ほど前。それは)
 鳥が啼き出した時期と、一致する。
 ポケットの中の金のブレスレットに触れ、傾いた陽射しの中、アイラスは館へと戻った。


【04】 故に赫鳥は高く啼く

 まず、長い尾が目を惹く。
 赤い鳥と云うが、嘴は黄色で、角度で見え難いが背の部分に薄い青色が見て取れた。
 すらりと長く細い首に、遠くを眺めるような丸い眼は、禍々しいほどに赤い。
 それが、自然に存在する鳥類で無いと思ったのは、羽色が、赤色に金が僅かに雑じった、不思議な色をしていたからだ。

 カンテラの灯りに照らされた鳥の写真を三人で覗き込む。
 ぼんやりと仄かな暖色に浮かび上がった鳥は、ただ美しいと称してしまうには忍びないほど、何とも幻想的な姿であった。
「……保護官の仲間が、近くの塔から撮ったそうです。既に様々な資料と照らし合わせたそうですが、どの鳥類とも違うと言っていました。私もこんな羽の色の鳥は見たことがありません」
 エルレイルは言って、そっと写真を仕舞った。
 塵も同意して、腕を組んで傍らを高く見上げる。
 闇の中、蒼の月光にきらりと、鳥が輝いたように見えた。

 再び門の前に集合した三人は、各々の調査の結果を一通り報告した。
 館の敷地内を調査した塵は、特に目ぼしいものは見付けられなかった、とだけ言った。実は鳥に対して行動を起こしてみたのだが、些か乱暴にも思えるので、エルレイルの前では敢えて黙っておいた。
 エルレイルの方は、エスメラルダに鳥の処分を依頼した人物の説得に当たり、何とか理解を得られた様子。微かに頬を染めるエルレイルを、不思議そうにレシーは見上げている。少し、眠そうだ。
 そして、アイラスは。
「僕は、館の所有者について調べていたのですが……」
 どう説明するべきかと悩んだ。
 暫くの間を置いて、先を語る。
「結果から言います。恐らくこの鳥は、館の持ち主が亡くなったことを契機に、啼き始めたのだと思います」
 言葉に、塵とエルレイルは虚を衝かれて、目を見開いた。
「どういう……ことですか?」
「館の持ち主である男性は、小説家であるとともに、冒険者でもあったんです。家に戻ることもなく、何十年も各地を旅していたようです」
 旅先から、館の管理人に定期的に送られていた手紙。それには近況が綴られていた。
 現在の居場所、体調、新たな発見、怪我、原稿の進み具合など。
 三ヶ月毎に、報告がなされていた。
 しかし。
「前回の手紙から三ヶ月が経っても、次の手紙はまだ届いていないそうなんです」
 二十年もの間、欠かさず、遅れることもなく届いていた手紙が、突然途絶えたのだ。
 何かが館の主に起こったとしか考えられない。
「しかも、現在彼が居ると思われる場所で、先日大きな事故があった……」
 エルレイルは息を呑む。ぎゅっと腕の中のレシーを抱き締めた。
「……それが、鳥が啼き出した時期と重なるんだな?」
 塵の確認の言葉に、アイラスは静かに肯いた。
 門柱を仰ぎ見ても、鳥は、動かない。


【05】 館の中、主の書斎へ

「だがなあ……」
 塵は、がしがしと頭を掻いて唸った。
「確かに、それが鳥が啼いた理由で間違いないとは思う。思うんだが……」
 今回の目的は、鳥が啼く理由を探るだけではないのだ。
 鳥の処分、或いは何らかの方法を以て鳥の啼き声を止めなければならない。
「アイラス、鳥と館の持ち主の関係についてはどうだった?」
「鳥は、持ち主が住んでいた頃からこの館で飼われていたと、管理人のおじいさんが言っていました。ただ……」
「ただ?」
「留守を任された時、鳥も預かったはずなのだが、いつの間にか門柱の上に居た、と」
「館の持ち主が出掛ける時、逃がしたんじゃないのか?」
「いえ、確かに初めの一月ほどは世話をしていたんだそうです。それで、ある日姿が見えなくなって、真っ青になって周辺を探したけれど見付からなくて、気付いたら」
 門柱の上に居たのだ。
「……それは、どこからか鳥が逃げ出したか、あるいはその爺さんが世話した時にうっかり逃がしちまったってことだろうよ」
「そう、ですかね」
 些か釈然としない様子でアイラスは応じた。
「他に管理人さんは、鳥さんについて何か聞いていないのですか?」
 エルレイルの問いに、アイラスは答える代わりに、傍らに抱えていた木箱の中を探ると、鈍く光を弾く銀色の鍵の束を取り出した。
「……鳥については、主の書斎に訊いた方が早そうです」

 塵は夜の闇の中、あの密林の中を再び進むのかと露骨に嫌そうな顔をしたが、アイラスが持っていた鍵には裏口の物も含まれていた。塀を半周して裏から敷地内に足を踏み入れると、裏口を経由して館の中に入る。
 つん、と埃の匂いがしたかと思ったが、少しすれば慣れて気にならなくなった。
 内部は月に一度は掃除をしているということもあって、外観からは想像も付かないほどに片付いている。
「庭も手入れしておけよ……」
「流石にお一人では、そちらまで手が回らないのでしょう」
 塵のぼやきに、アイラスは小さく苦笑した。
 ベルファ通りの外れに位置しているせいで、館を眺める人は専ら夜に集中する。その上、門から覗き見られる範囲は草木が繁っているために、奥の館の様子までは知らぬ者が多かったのだ。
 此方だと思います、とアイラスの先導で二階に上がり、一番奥の重厚な扉を開けた。
 主の書斎である。
 灯りに照らされた室内は、これと言って特筆すべきところも無い一般的な部屋だった。中央の窓の前に設えられた机に、左右の壁には大きな本棚が並んでいる。
「あ……」
 エルレイルの声に、アイラスは振り向いた。
「どうしましたか?」
 あれ、とエルレイルは書斎の隅を指差した。
「……確かに、ここで飼われてたみたいだな」
 其処には、吊り下げられた鳥籠があった。近付いてよく見てみると、長く使われていないことを示すように底に埃が厚く積っている。扉はしっかりと下ろされていて、試しに上げてみようとしたが、錆び付いていて敵わなかった。
 机の隅に数冊の本が立て掛けられている。アイラスは灯りを寄せ、背表紙を確認すると、一番端にあった深い緑色の厚い一冊を手に取った。
「それか?」
 肯いて、頁を繰る。
 本は手書きで記されていた。書き損じることも構わずに、流れるような優美な文字が延々綴られている。
「観察日誌、のようなものですね」
 アイラスの傍らから本を覗き、エルレイルが言った。
 それは、あの赤い鳥について書かれたものだった。最初の方の頁は、色褪せていて読めない部分が多かったが、館の主が如何にして鳥と出会ったかを記しているようだ。
「冒険の途中で出会ったようなのですが……肝心の場所の名前が、分かりませんね」
 本は、続いて鳥の習性を長く伝えている。アイラスはエルレイルに本を渡した。
「……『鳥は、私の知るどの鳥とも違った。また、私の聞いたどの伝説とも違った』……つまり、見たことも聞いたこともないってことですね」
 真剣な様子でそう要約すると、エルレイルは急いで残りの部分に目を通す。
 塵は手持ち無沙汰に、書斎のカーテンを開けた。明るい月の光が射し込んで、室内は蒼く仄めく。
 窓の外を見れば、門柱の上の鳥が月を背負って黒く影となって映った。
「……そういえば」
 不意にアイラスは前置くと、ポケットを探ってそれを取り出した。
 金色の、ブレスレットのようだった。同色のプレートの左右をチェーンが繋ぐ。塵はアイラスから受け取ると、ふとプレート部分に何かが彫られているのに気付いた。文字のようだが、灯りに当て目を凝らしても分からない。その文字を囲むように散りばめられた装飾の石が、虹色に輝いてみえた。
「なんだ、これは?」
「館の主から、管理人に送られた最後の手紙に入っていたものです。添えられた手紙には『メネルは元気にしているだろうか。これを彼の首に掛けてやってくれ』と書いてありました」
「めねる?」
「多分、あの鳥の名前でしょう。……送られてきたのはいいものの、鳥はあそこから動く様子がありませんから、管理人のおじいさんも困っていました」
 成る程な、と塵は指先でシャラリとそれを玩んだ。
 ふと、雲が月に懸かり、束の間辺りを闇が包む。
 恐らく、それと同時だった。
 エルレイルがその記述を読んだのは。

 塵の掌に、闇の中、ぽうっと、光を放つものがあった。

 そして、羽音が。


【06】 強襲

「塵さんっ!」
 アイラスの叫び声に、エルレイルの悲鳴が重なる。
 机の上に置かれた儘のカンテラの光が、室内に大きな影の存在を知らせる。
 ばさりと翼を広げた鳥が、塵に覆い被さっていた。
「くっそ……!」
 塵は嘴に腕を何度か突かれながらも、既に手は刀の柄を掴んでいる。しかし其の儘抜くことはせず、代わりに高く振り上げた右手に符を出現させた。
「塵さん、伏せて!」
 傍らから聞こえた声に塵は言われる儘身を低くする。アイラスは鳥の翼の下に素早く潜り込むと、鳥の首をサイに掛けて勢い良く上へ弾いた。鳥は大きく体勢を崩され、激しく羽ばたきを繰り返す。そこへ透かさず塵が符を放った。途端、ぴたりと鳥の動きは止まり、僅かに痙攣するのみである。
 月が、照る。
 再び室内を蒼い光が映し出した。
 部屋の中央には、不自然な姿勢で金縛りに動けなくなった鳥が居た。
 塵は立ち上がると、何度か呼吸を繰り返し、ちらりと窓の外を見遣る。
 門柱の上には、何も無い。
「……どういうことだ?」
 窓は、固く閉じられた儘だった。


【07】 鳥と。鳥は、そして。

「鳥さんは……」
「大丈夫だ。十五分ぐらいで効果は消える」
 また襲って来られたら困るけどな、と言って、塵は己の腕の傷の様子を見た。
「! 塵さん、腕を」
「大したことない。それに俺は人間より回復が早いんだ」
 塵はそう言ったが、エルレイルはレシーを机の上に置いて塵の許へ駆け寄ると、組み合わせた手にそっと思いを込める。
 ゆらり、淡い光がエルレイルを包み、それが緩やかに塵を含む辺りに拡がり、清浄な空間が作り上げられた。浄霊域。すべてを清め、治癒する空間である。
 見る間に塵の傷は、跡形もなく癒され、消え失せた。
 塵は感心して、エルレイルに礼を言うと、問うた。
「……それで、これはどういうことなんだ?」
「鳥さんについての記述に、こうありました。『鳥の行く手を阻むことは、何ものにも敵わない。それは絶対だ』。……このこと、でしょうか?」
 エルレイルはレシーを再び腕の中に抱いて、鳥を見詰めた。
 鳥の傍らでは、アイラスが屈んで様子を窺っている。
「あ!」
 エルレイルの発した声に、二人は視線を向けた。
「あの、アイラスさん、今ならさっき言っていたブレスレット、鳥さんに掛けられるんじゃないでしょうか?」
「ああ、そうですね」
 答えて、アイラスは塵を見遣る。
 塵は鳥に襲われる際、手に持っていたブレスレットを懐から取り出した。咄嗟に鳥から隠したのだ。
 取り出しはしたが、塵は直ぐにはアイラスには渡さなかった。
「……鳥は、明らかにこれを狙っていたように思うんだが」
「そのブレスレット、暗闇の中で光ってましたよね」
「ああ」
「見せてください」
 アイラスは塵から受け取ると、両手で包み込み、その隙間からそっと掌の中の金属を覗いた。弱いが、確かに光を放っている。角度を変えて、目を凝らす。光っているのは――石だ。
 プレートに嵌め込まれた石が、微かに光を発している。
「これは……『虹の雫』だと思います」
 塵は説明を求めようと口を開き、ふと動き出した鳥に気付く。
「暴れないで!」
 と、エルレイルの強い声が響いた。
 エルレイルはしっかりとした足取りで鳥に近付くと、その前に屈んで、鳥に目線を合わせる。
「私たちは、あなたを傷付けません。だから、あなたも誰も傷付けては駄目」
 ひとつひとつの言葉を、ゆっくりと、鳥に聞かせる。
 鳥には通じていないかもしれないけれど。
 鳥は、再び飛び立とうと広げていた翼を、閉じた。
 エルレイルはにっこりと微笑んで、肯きを返す。
「おい」
 漸く落ち着いた鳥に、塵は改めて己に武神力を掛けると、話し掛けた。
「俺の言葉、通じてるか?」
 鳥は塵の方に首を向けたが、それだけだった。諦めたように塵が溜息を吐いたのを見ると、長い首を今度はアイラスに伸ばす。アイラスは身構えたが、鳥が自分の拳の上に軽く嘴を置いたのを見て、理解した。
 拳を開く。
 掌に乗っているのは、あの金色のブレスレットだ。
 鳥は器用に嘴でそれを銜えると、す、とエルレイルの前に差し出した。
「ええっと……?」
「掛けて、欲しいんじゃないですか?」
 首に、とアイラスが助け船を出す。
「あ、気付かなくてごめんなさいっ」
 エルレイルは慌てて鳥からブレスレットを受け取り、そっと、その首に通した。
 シャラ。
 澄んだ音が、鳥の首許で止まる。
 鳥は一度エルレイルの指先に頭を寄せると、俄かに翼を広げ、羽ばたいた。
「エルレイルさん!」
「大丈夫です」
 アイラスの声に応え、エルレイルは鳥の動向を見守る。
 赤い羽を散らし、鳥は床から離れると、室内でもう一度大きく羽を鳴らし、

 飛び立った。

 鳥の行く手を阻むことは、何ものにも敵わない。
 蒼白い光が鳥の嘴から尾までを走り、赤い鳥は窓ガラスを通り抜けて、夜空へ飛んだ。
 門柱も、館も、振り向くことなく、月光に煌く翼を使い、高く。
 東へ。


【08:EPILOGUE】

「主の死に啼く鳥、ね」
 三日後。
 やはり開店前の黒山羊亭に、三人の姿はあった。
「鳥を殺さなくて済んで、良かったわね」
 塵の前に烏龍茶を出し、エスメラルダは言った。
「あ、アイラス」
「はい?」
「虹の雫ってのは、なんだったんだ?」
 此方もグラスの中身は同じようだ。一口飲むと、アイラスは答えた。
「貴石の谷で採れる、魔法石です。光を受けると虹色に輝いて見えるんですよ」
「貴石の谷といえば、この前の崩落、大きかったらしいわね。何人か犠牲者も出たって話じゃない」
 エスメラルダは、でも、と続けると、
「その犠牲者の遺体だけどね。最初は見付からないって言われてたのに、昨日の朝早く、谷の入口で発見されたそうよ。……傍らには、赤い鳥の羽が、落ちてたらしいわ」
 思わず三人は顔を見合わせる。
 エルレイルはそして、テーブルの上で酒のつまみ用の小魚を夢中で食べるレシーの背を撫で、微笑んだ。
「鳥は、なぜ館の主の死を知っていて、すぐに主のもとへ向かわなかったのでしょう?」
 ふと浮かんだ疑問を、アイラスは口にした。
 エルレイルは、
「亡くなったことは分かっていても、どこに居るか、それが分からなかったんじゃないでしょうか……?」
 館の主が、鳥のために送ってきたブレスレット。
「鳥にまで首輪を付けようとは思わんがな、俺は」
 しかしそれは、主の居場所を指し示すものとなった。
 二十年もの間、主を待ち続けていた鳥。
 鳥籠を離れ、あの高い門柱の上で、じっと遠くを眺めていた鳥。
「首輪、ですか。……すると、プレートに刻印されていた文字ですが、今思えば、あれはメネルと書いてあったのかもしれませんね」
 Menel。
「……鳥さん、今はどうしているんでしょう」
 エルレイルが呟く。
「さあな。どこかを飛んでるんだろう。鳥だしな」
 そんな塵の返答に、エルレイルもアイラスも、エスメラルダも穏やかに同意を示した。
 レシーだけが、「クゥ」と眠たげに、鳴いた。

 メネル。
 その名は、天空の意を持つ。

 故に赫鳥よ、高く――翔けよ。


 <了>


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1349/エルレイル・ナレッジ/女性/18歳/稀少生物保護官】
【1528/刀伯・塵(とうはく・じん)/男性/30歳/剣匠】
【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/軽戦士】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、ライターの香守桐月(かがみ・きづき)と申します。
黒山羊亭冒険記『故に赫鳥よ高く啼け』へのご参加、ありがとうございました。
聖獣界ソーンでは初の執筆ということで、随所で様々に悩みつつも、楽しく書かせて頂きました。
参加された皆様にも、少しでもお楽しみ頂けましたら、幸いです。
また、【03】の調査の部分は、個別文章となっております。

アイラス・サーリアス様
初めまして、こんにちは。
的確なプレイングに驚かされました(笑)
館の持ち主と鳥の関係を考えて下さったのはアイラスさんだけだったのです。
なので情報も他のPCさまより、多く収集出来ています。
この度はご参加、本当にありがとうございました。