<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


ちいさな、ちいさないらいにん
 それは、うららかな陽気のある日のこと。
 ルディアがいつものように買い物を終えて、籠一杯の食料を抱えて戻ってきた時。
 つんっ。
「きゃっ」
 何か柔らかいものにつまづいて転びかけた。ドアに手を付いてどうにか体勢を保ち、何につまづいたのか足元を見て――目をぱちくりとさせる。
 ふるふるふるふるふるふるふるふる。
 そこにはひたすら震え続ける茶色と白の毛玉がもこんっ、とあり。折りたたまれた長い耳がぴこぴこと揺れて。
「あら…うさぎ?って怪我してるじゃないっ」
 しかも最後の怪我の原因はルディアの足のようで。きゃー、と言いながらばたばたと籠を調理場に運び、マスターの苦い顔を見なかったことにしてまたばたばたと入り口へ戻る。
「まままマスター、薬、薬どこですかぁっ!?」
「……落ち着け。まず。どうしたんだ、それは?」
 ルディアの腕に抱かれた二匹の兎を見てマスターが首を傾げる。
「蹴っちゃったんですー!」
「いや、そうじゃなくてだな」
 パニックになっているルディアにこれ以上詳しい説明は無理と踏んだか、溜息を付きながらマスターは腰を上げた。
 ――柔らかな藁の中に、ぐったりとした茶色の兎が横たわっている。その隣には白い兎が…此方は見た目程怪我はなく、既に復活して野菜くずをしゃくしゃくと夢中で食べていた。
「どうするんだ、これ」
「どうしましょう…成り行きで手当てはしたものの。誰か飼う人いませんかねぇ」
「というより、食べるだろ。兎なんだし」
「…でも、手当てしちゃったし…」
 ぽと。
 妙な音が聞こえたので見ると、野菜屑を落とした白兎がぷるぷると震えながら話をしている2人を見つめていた。

 籠から出た白兎が、なにやらぱたぱたと動き出す。茶兎をしきりと鼻先で差した後、蹴りを入れるような動作をし、すぐその後でそれを庇う真似をし。そして、よろりら、と倒れる白兎。そしてすぐさま起き上がり、前足を合わせてじー、とルディアを見上げる。…人間なら、手を組み合わせて訴えている…というところだろうか。
「…ねえ…敵討ちとか、言わないよね…」
 ――ルディアは初めて知った。
 兎のあの顔でも、喜びの表情が浮かぶことに。

 その日、冒険者求ム、と小さな小さな張り紙が店の隅っこに載った。
     *   *   *
 昼にはまだ少し早い時間。白山羊亭に、客ではないのに4人の男達が集まっていた。客に見えないのは誰一人テーブルに付かず、厨房近くでルディアと真剣に話し込んでいるからだろう。
 ……なんでこの男がここにいる。
 むっつりと押し黙った塵は、集まった中の1人からあからさまに視線を逸らして内心でぶつぶつと呟いていた。
 …今日の運勢は良くない方面へ進んでいるらしい。
 幸いなことに葉子はメイと兎をからかうことで忙しいらしく、それだけが救いだった。

 茶色い兎は今も静かに藁の中で眠っている。其れを心配そうに見守っている白兎の黒い瞳がうるうると潤み。
「傷は治したけど…目が覚めないね。疲労が酷いんだろうな。可哀想に」
 ぽふぽふ、と柔らかな毛並みを撫で、ルディアに世話を頼むと1つ返事で請け負ってくれた。そのことに感謝しつつ、白兎を皆で囲む。
「兎なぁ。行く場所がなければ俺のところに住み着いても構わんぞ」
「ああ、それはいいね。そこから俺の店に通ってもらってさ。こんな可愛い子なら看板娘になれそうだし」
「…ウチは『いちおう』飲食店なんデスケドネ」
 強調しつつ語る葉子の言葉をものともせず、話し掛けるメイと塵。だが、兎はそれには頷かず、気がかりとばかりに外を見つめる。
「やはり、外が気になるようですね。敵討ち…とルディアに聞いたんですが」
 ぴこん、と耳が立つ。そして皆へとぱたぱた前足後ろ足を使って何やら必死で説明している様子。
 其れを見て意識を集中させつつ、兎の語るところを聞くと――
 ――白兎の訴えは、ルディアに聞いた話そのまま。大切な茶色い兎が倒されたので敵討ちをして欲しいと言うもの。
「ああ、わかったわかった。それで、そうなった事情は?」
 ひそひそと背後から声が聞こえるのは、恐らく兎相手に真面目に語らっている男達4人を見ている店の者だろう。ルディアもその構図に微妙に顔を引きつらせながら、接客の方へと神経を集中させている。
「…語るのは、難しいか」
 俯いてしまった白兎を見れば、言葉が分からない者でも十分に通じる。
「ジャー、早速案内してもらおうかね。ホラ行きましょうか、兎チャン?」
 ぶらん。
 首を掴んだまま手にぶら下げた葉子に、おいおいおいおい、とその場にいた皆――客すらがツッコミを入れた。
「…えー。運ばれる方も楽で良いと思ったのに。じゃしょーがネエ。行きましょう、店長」
 ぐいん。
「あ…やっぱり俺も行かないとダメ?」
 兎のように首を引っ掴まれたメイは、この期に及んで3人を見送れると思っていたらしくがっくりと肩を落とした。
 やはり皆の言っていることが分かるのだろう。ぴょこん、と後ろ足立ちになってからくりん、と首を回し。人間のやや早足な速度でぴょこんぴょこんと走り出す。
「あー!さっきの白いのだ!」
「あのやろう、捕まえろーっ!」
 なにやら、いきりたった子供達が数人、棒切れを振り回しながらぴょこぴょこ走っている兎に駆け寄ってくる。びくん、とその様子に竦みあがった兎が慌てて皆の元へ戻ってきて、足元にしがみつきぶるぶると震え出す。
「おいおい…穏やかじゃないな。こら、お前達。そんなもの振り回したら兎が怪我するだろ」
「いいんだよ!俺たちだって怪我させられたんだ!」
 言う言葉も尤もで、良く見れば追いかけてきた子供達の1人として包帯を巻いていない者はいない。
「だから、渡せよ!」
「それは人にモノを頼む態度じゃないネェ?」
 ぬぅ、と笑顔で顔を近づけて来た葉子にびびりまくりながら、それでも隙あらば白兎を捕まえようと油断ならない目付きで。やれやれ、と塵がその様子にずい、と一歩進む。
「兎如きに怪我をさせられたってのが恥ずかしいだけじゃないのか?」
 ぐっ、と言葉に詰まる子供ら。其処に更に、
「でもおかしいな。…兎ってそんなに強かったっけ?」
 メイの一言がトドメだったらしい。
「う、うわぁぁん、覚えてろぉぉぉ!」
 ――何がなにやら。
 悔しげに走り去って行く子供達を目をぱちくりさせながら見送った皆が、再び先導していく白兎の後を付いて行く。
 思えば。
 あの子供達に良く話を聞いてさえおけば、後々の被害はもっと少なくて済んだかもしれなかったのだが…それは後の話。
     *   *   *
「…一体、どこまで行くつもりなんでしょうね?」
 ソーンの街を過ぎて、南下を続けながらアイラスがぽつりと呟く。
 疲れないのか、それとも疲れを隠して急いでいるのか、兎の速度が衰えることは無い。
 街から離れ、半日以内の距離には村もないだろう、そんな場所へとずんずん踏み入って行く。唯一の救いは地面から生えているモノが全て高くても膝程度でしかなかったことだろう。四方を見回してもだだっ広い平原が続き遠くにぽつんぽつんと小さな森が見える、そんな場所で背を越す程の草原があったとしたらそれは迷えと言っているようなものだ。
 ようやく、その頃になって兎の速度が衰えてきた。と言っても疲れている様子は無く、穏やかな足取りに変わったというだけ。
 そして。
「これはまた、壮観だな…」
 塵がしみじみとした声を上げる。
 どうやら集落のようだった。…兎の。
 一見荒地のように見える、一面の平原。だが良く見れば柔らかそうな草が枯れ草の下を覆っており、そこかしこに小さく盛り上がった土と横向きの穴が見える。これらが全て兎のモノらしいとなると、結構な大きさの集落のようだった。
 ――たん。
 ひくひくと鼻を動かした白兎が、後ろ足で地面をたんたん、たたん、とまるでリズムを刻むように叩く。
 ひょこ、ひょこ、ひょこ、と何匹かの兎が顔を出し、その後に続いて。
 …よぼ。
 いかにも歳を取っていそうな古びた兎が、よろよろと皆の前に行き、
 ――ひしっ。
 白兎と掴みあった――いや、抱き合った。
「ここの兎は皆さん頭がいいんですね」
 人間を恐れる様子も無く、言葉をかければそれにみあった行動をする。1匹2匹かと思っていたのだが。
「いやぁ?違うネ。8割以上は頭カラッポ――つーか、ノーマル?さっきから見てると、反応すんのが統率してるだけダネー。…おもしれぇ」
 にやり、と興味深いことを知ったのか葉子が楽しそうに人の悪そうな笑みを浮かべ。
 年を取った兎が塵に、慌てて語りだす。――来る、もうじき、と。
「…もうじき、来る?何が?」
 屈んで年寄りの兎の声を聞いた図体の大きな男がふっと顔を上げた。
 ぴょんぴょんと跳ねて来た白兎がまっすぐ黒い瞳を集落の外へ向ける。
 ――兎達が、ざわざわっとざわめき。
 そして――皆の視線の先に、其れは居た。
 ありえねえ。
 その場に居た皆が間違いなくそう思っただろう。

 真黒の、兎。毛並みはやや荒く、どことなくすさんだ雰囲気を漂わせており。その姿は確かに兎だが、背負っている気は間違いなく戦士のモノだった。
「茶色い兎をやっつけたのはアレかい?」
 こくこく。
 後ろ足で立って首を縦に振る白兎が、「お願い」と言うようにひしっと葉子の足にしがみ付く。うんうん、分かった分かった、と頷いた葉子は身体を折って足元の白いのを摘み上げ。
「ほーぉら行け、敵討ちジャーッ」
 ふるふると震えながらしがみ付いていたのが葉子だったことが不幸か。
 むにっと首根っこの皮を捕まれてぽぅんと放り投げられる。それは綺麗な放物線を描いて、黒兎の前にぽてん、と落ち。
「葉子っ!」
 うひゃひゃひゃと楽しそうに笑っている葉子に、塵が怒鳴り声を上げた。

「――敵討ち…ですから、彼のやっていることは間違ってはいないのですけれどね…」
 ぽつりと呟き、剣をいつでも出せるよう柄に手を掛けながらも、まだ迷いがあるのか足を進めないでいるアイラス。
 おろおろおろおろ。
 ひっきりなしに首を左右に振って、一瞬助けを求めるように人間を見たが――覚悟を決めたか、したっと立ち上がって黒兎と対峙しようとし。
 こてん。
 バランスを崩していきなり転ぶ。
 再び立ち上がろうとした兎が、また同じ方向に転がった。
「――ねえ。あの子…足、くじいたんじゃない?」
 僅かに片足が浮いていることを見抜いたメイが、横目で葉子を見る。
「うーわ。兎の癖にアレだけの高さもダメ?情けネー」
 誰のせいだ。
 何処か必死で立ち上がって、よろよろと目の前に近づいてきた白兎を呆然と見ていた黒兎は――

 ――ギンッ

 葉子に激しい殺気を当てると、目の前でようやくキックをかまそうとしている白兎に構わず飛び掛ろうとして、ぐ、っと動きが制限されたかのように動きを鈍らせた。
「何だヨ?なぁにガンくれてんの?」
 それは、黒兎にとっての油断だったのかもしれない。
 ――ぺしっ。
 どう見ても只足を押し当てただけにしか見えない、勢いの無い白兎のキックを喰らったのは。
「オミゴト…ってダメじゃん、それじゃ倒せネーヨ?」
 ぱちぱちと拍手を送りながら、呆然と立ち竦んでいる黒兎の傍でおろおろと周りを見回している白兎へ言葉をかける。
 ――ダン!ダン!ダンダンダンダンダン!!!!!
「…うわ…初めて見た。兎が地団駄踏むところ…」
 メイの呟きは、その場に居た全員の気持ちを代表していた。…だが…
「っ!?」
 ぞわぁっ、とメイが総毛立って辺りを見回す。そして――気付いた。物凄く悔しそうな黒兎の――あからさますぎる殺気に。
 塵、アイラスも流石戦い馴れしているだけあってか、やや表情を引き締めながら黒兎を注視し…そして。
 ――次の動きは、目に見えなかった。

 ――ざっ。
「ぶわっ」
 只の兎じゃない、と白いのを見た時から思っていたが、いきなり目隠しとは思わずまともに其れを浴びる塵。
「――後ろっ!」
 メイの言葉が聞こえた直後、
 どげしっ!
「つ――」
 すぐ近くに居たアイラスの何かを堪える声が聞こえた。
「刀伯さんっ、フォローお願いします!あの子を拾いに行きますので」
 おうっ、と言葉を返し、そして――次に来るだろう攻撃を思う。
 ――白兎を捕まえに行く人間の背は――無防備。
 自分に来るよりは、確実に意識を他所に向けている方へ行くだろうと攻撃の矛先を予想し、そして――抜き放った。
 ――ガッ!
「――ッッ!?」
 鈍い音がアイラスから聞こえる。何処かおかしくしたわけではなさそうな続く足取りに安心しつつ、神経を集中させた。――次は。
 ひゅ、と空気が動き、そして迷い無くその方向へと腕を突き出す。
 べしべしべしべしべしっっ!!
 一瞬自分の選んだ道を後悔しつつも、手応えのあったことを思い次の攻撃に備えた。何しろ、この武器はリーチが効かない。どのみち至近距離での戦いにしか――と思えば、すぐさま腕にずしんとした衝撃が走る。
「わぁっ、こら、くそっっ」
 飛び掛る細かい相手を想定するのも難しく、しかもかなりな腕利きで、目で追っていては間に合わない事も多く。翻弄されつつもきちんと借りは返しつつ何度か蹴りを受けた分相手にぶち当てた。
 丁度その時、ようやく砂が納まって辺りが明るく見える。
 ――ハエタタキを見事な型に合わせて構えている自分の姿も見えてしまったんだろうな、ともう一度この武器?を選んだ事を後悔した。更に。
「――ぷっ。あっはっはー、何ヤッテんの情けネー格好で」
 どうやらすぐ近くで見物していたらしい葉子の笑い声に内心で頭を抱え、そしてもう1つの妄想で葉子を遥か遠くへ蹴り飛ばす。同時に腹立たしげに怒鳴りつけ。
「そこ!浮いてないで手伝え!」
「エー。めんどクセーって。俺はココからの応援に徹してアゲルからさ、こう『ゆうじょーぱわー』とかいうのでぶわーっとレベルアップしてみ?ホラ、伝承の勇者なんてンナモンだし」
「貴様との友情などこれっぽっちも持ち合わせておらんわっ」
 飛び掛る黒兎をハエタタキで見事にあしらいながら、塵が言う。くすくす笑いながらも葉子は降りる気などさらさらないのだろう。言わなくても分かっていたが、口に出さずには居れなかった。

 ある意味悪夢のような光景ではあっただろう。
 ――剣豪と言っても良い程の腕を持つ男と――やや離れた箇所に対峙する、後ろ足で立つ黒兎の、真剣勝負なのだから。
 …刃物は一切使っていないが。
     *   *   *
「ふぅ…ふぅ…」
 ――何度、刃に似た殺気をやりとりしただろうか。
 腕の速度は戦闘を始めた頃から見ればかなり落ちている。それでも腕を振れるのは、剣ではなく持っているのがハエタタキだからだろう。
 対する黒兎も、余裕っぽく見せてはいるが毛並みは打ち続く塵の攻撃でこれ以上無いという程荒れ、そしてジャンプ力にも切れはない。…尤も、これでも一般人よりは十分強いだろうと思わせる辺り、只者ではないのだが。
 …そうか。
 べしぃん、と飛び掛って来た兎の顔面を捉えながら塵が納得した。
 傷だらけな上に疲労でへろへろになりながらも子供達に怪我を負わせたのは――と、今更のように思い付いたためだ。
 納得するよ…。
 呟きながらも、ふんっ、と地面に足を付いてしっかりと相手を睨み据える。
 気付けば――大地は、赤く染まっていた。

「ん?」
 勝負に割り込みを掛けるように入ってきた白兎に、再び飛び掛ろうとしていた塵と兎が虚を突かれてぴたりと動きを止める。その後ろには追いかけてきたのかアイラスの姿も見え。
 ――カタキ、ウチマス。
「…本気か?」
 塵をちらりと見、庇うようにぴしりと黒兎の前に立ちはだかる白兎。一瞬呆然としていたものの、黒兎もすぐさま戦闘態勢に入り…だが、その動きには疲れの為か切れはあまり無く。
 ――したんっ。
 だん!と後ろ足で地面を激しく蹴りこんだ白兎が、一気に相手の懐へと飛び込むのをぎりぎりの位置で避ける黒兎。続けざまに放ったうさぎぱんちも余裕で避けるとふ、と両前足を上げ、肩を竦める真似をする。
「拙い、早まるな!」
 相手の誘いに乗せられた白兎の続けざまのぱんちは、だが踏み込みが足らず力も勢いもない。その上、大振りになり…そして、その隙を逃す事無く見ていた黒兎が軽く身を屈めると飛び上がりざまに後ろ足で蹴りを叩き込んだ。
 ――ふわり、と白兎の体が浮く。
「――っ!」
 剣を抜きかけたアイラス、だが。
 ぱしん、とアイラスの胸にハエタタキを軽く叩きつけ、動きを止める。くってかかるのは承知の上だ。
「どうして!助けないと危険ですよ、あの兎は普通じゃない…」
「わかってる。…だが…まだだ」
 歯がゆいのは此方も同じ。――ぐっと握られたハエタタキの柄が、めきっ、と小さく音を立てた。
 …たんっ。
 軽い足音がアイラスの耳に届く。見れば、白兎が軽いステップで再び黒兎へと飛び掛っていった音で。
 ――ぱしっ。
 白兎の蹴りが、あっさりと黒兎の前足で止められる。決定的な力の差を見せ付けられるも、すぐに屈んで一瞬立ち上がりかけ、頭突きを警戒してか黒兎が前足を首の辺りでクロスに組む。
 ――が。
 ばしぃぃん!
 次の瞬間、激しい音と共に黒兎が宙を舞った。

 前足を地面にしっかと付け、天高々と跳ね上げた後ろ足を誇示するようぴんと立てた白兎が、くるんと回転して地面へ降り立つ。
「…頭突きをかますと見せかけて、前転して足蹴にしたか…」
 小柄な白兎だからできた事でもあり、そのお陰でノーガードだった柔らかな腹にまともに後ろ足がめり込んだ事もあり…腹を出してひっくり返った黒兎は、暫くぴくりとも動く事がなかった。
「――お見事です」
 思わずアイラスの口を突いて出たのはこんな言葉。抜きかけた鞘を元に戻し、にこりと笑いかける。
 振り向いた白兎は、人間だとしたら満足げな笑みを浮かべたように見え――そして。
 ぱたりと。
 その場に倒れこんだ。
     *   *   *
「…これで大丈夫。白い子は気を失ってるだけだから、少し休めば治るよ」
 ふてくされたようにちょこんと座っている黒兎を連れて帰り、癒したのはメイ。地面に倒れたままの黒兎を放置するのはどうにも気が咎めたためだ。
「何が原因か知らないけど、もうこれに懲りてあんなことはしないね?」
 ぷい。
 メイの語りかけにそっぽを向く黒兎の首をきゅぅと掴んだのは葉子。
「素直じゃないコはどうなっても知らネーヨ?…例えば今ココでこう、きゅーっととか。あんたは肉付き良いから美味いスープに成るだろうしネェ…」
 にっこり。
 ざざざっ、と周りにいた何匹かの兎が距離を置く中で、ぷらぷらん、と揺らしながらドウスル?と囁く葉子。
 こくこくこくこく。
 ――相手の笑顔の裏にある本気さを嗅ぎ取ったのは流石獣というところか。
「よかったねえ店長。言う事聞いてくれるってサ」
 ぽい。
 わっっ、と慌てて黒兎を受け取ったメイの腕をぐい、と押しのけて立ち上がると、トコトコと横たわっている白兎の傍へ近寄り。
 ――ぺたん、とひざまづいた。
 そのまま少しの間、その寝顔に見入り、そしてすっくと立ち上がると…巣穴の1つへとぴょこぴょこ入っていく。
「――あれ?」
 メイがきょと、と目を丸くする。
「余所者じゃないの?あの黒いの」
 その言葉を聞きつけた1匹が同じくきょとんとした顔をして、それからぷるぷると首を振った――横に。
「何だと」
 唖然とした塵の声に追い討ちをかけるように、蔓草で編んだ荷袋を背負った黒兎が出てくると、誰とも目を合わせようとせずにすたすたと集落の外へ…兎くらいは隠せてしまう野草の茂みの向こうへと立ち去って行った。

「…つまり…どういうことなんですか?」
 外からの侵略者か何かだと思っていたアイラスが呟き。
 ――白い雌の兎に2匹の雄が恋をしたのが始まりだった…といつの間にか傍に来ていた年寄り兎が語りだす。どうやら妙に長い話になりそうなので、
「…ああ…そう、か。なるほどな」
 納得したふりをして話を無理に打ち切った。物凄く不満そうな顔を無視しつつ。
「ナニナニ?なんかおもしれー話?」
 塵がじろりと葉子を一瞥し、ふぅ、と深い息を吐くと、
「あの黒いのは、茶色いののライバルだったんだそうだ。…白いのを挟んでな」
 ――はぁ?
「っつーか、ナニ。俺ら、恋人達の鞘当ての後始末しに来させられたってワケ?」
「そうなるな」
 うむうむ、と塵が頷き、はぁぁぁ、と大きく息を吐いたメイがぺたりと地面へ腰を降ろした。
     *   *   *
 もうすっかり辺りは暗い。ようやく起き出してきた白兎が、黒兎が去ったことを聞かされてやや元気がないものの、兎穴に溜めていた食料その他をせっせと地上に居る4人に運び込む手伝いをしている。そんな中、年寄りの兎に呼ばれ、穴の近くで会話していた塵が戻ってきた。
「宝物…ということらしい。乱暴ものを追い出してくれた礼だと言ってな」
 兎達が恭しく差し出した本。何やら受け取った塵が複雑な顔をして、皆へ通訳する。
「それにしては随分浮かない顔してるね?」
 本…紙と見て、メイが塵に近づいて其れを手にし…そして、
「なんだ、これ」
 言いながら2人も見えるように其れを広げた。
 ――本は、兎達に齧られ、半分以上が巣材として千切り取られていた。そのかろうじて読める部分を拾い集めると、兎の知能・能力を際限なく増幅する研究をしていた人物の日記らしいということが分かった。
 何故兎か、と何となく思ってみたりするのだが。
 読み進めるうちに、皆の表情がどんどんげんなりとしていく。
「なんなんだ、これは…」
「兎が好きで好きでたまらないんですね…この人」
 彼――性別が分からないので一応彼ということにしておく――の、兎に対する描写だけは留まる事を知らない。数ページ間が抜けているその先を見てもたった一匹の兎を褒め称える文章が続いていたりするから手に負えない。

「研究は半ば失敗に終わった…だそうですよ」
「そりゃ良かった」
 心底からそう思った塵が言う。先程の黒兎に蹴られた腕がまだじんじんしているのを思えば。

『――残念なことに、能力を引き継ぐ彼らは代を重ねるごとにごく普通の兎の率が増えていってしまう。それもまた非常にらぶりーでぷりちーなのだが。あの能力をなんとかして確実に子孫へ残せないものだろうか。研究の種は尽きない』
「紙は新しいみたいだね」
 そう言いながらメイの口が動くのは何故なのか。口の端に白いものが見えたような気がしたが気のせいと言う事にし、そうなのかと納得だけしておく。
「それってコイツラ作った奴がまだ生きてるカモって事?――へえぇぇ」
 にんまりと。
 嬉しそうに、葉子が笑いながら近くを通りすがった兎の首根っこを掴んでぶらんと持ち上げる。
「おもしれージャン。何処で研究シテンノ?」
 ぷらぷら。
 何の抵抗も無く宙にぶら下っている兎の柔らかさを確かめるように、むにむにと皮を引張って遊んでみる。
「可哀想だろ、やめてやれ」
 むっつりと顔をしかめた塵の言葉に、ハイハイと言いながら放り投げてまた睨まれ。
「場所は…あれ?」
 さっきこの辺にそれらしいのがあったんですけど…と言い訳めいた言葉を呟きながらアイラスがぺらぺらと本を捲る。それをひょいっと覗き込んだメイがあ、と呟いて…そのまますたすたとその場を去ろうとして。
 がし。
 いつの間にか目の前で両肩をしっかりと捕まれている。相手は言わずとしれた悪魔。メイの影から生えて来たらしく足はまだ完全に外へは出ておらず。だがそれでも葉子の方が相手を見下ろしているのが少しばかり悲しい。
「その可愛いお口に手を突っ込まれたい?それとも、自分でどうにかするかぁい?」
 ――選択の余地など、ある筈も無く。

「…やっぱり、ダメですね。さっきちらと見たときもほとんど文字は消えかかっていましたから」
 その上近くの川で水洗いして、インクらしき欠片がほんの僅かこびり付いているだけで。
「諦めろ、縁がなかったと思えばいい」
 ――縁など無い方がいい。
 そんなおもちゃを誰とは言わないが手に入れた日には、何をするか分かったものではないからだ。
 宴会モードに入った兎達に、皿代わりの木の葉に山盛りのナッツを供されるというある種貴重な体験をしつつ、獣臭いことさえ抜きにすれば意外に座り心地の良い巣材を表に敷き…そして夜は更けて行く。
     *   *   *
「まあ、可愛い!…って…これを、兎が?」
「色々美味しいものを食べさせてもらったお礼だそうです」
 クルミの殻を、恐らくは歯で刻んだのだろう。
 それは、小さな彫刻品だった。野の生物や食べ物を模して作られた、立派な芸術品。クルミの殻で数個のクルミが寄せ集まったモノを彫るという妙に凝った物まであり。
「つまづいて蹴っちゃったのはこっちなのに。怒ってるのかと思ってたわ。…ありがとう」
「コレなら店に飾っておけるし。動物を看板にスルよりはマシだよナー。ねえ店長」
「…娘を忘れないで…皮を張るんじゃないんだから」
 葉子の言葉に慌てて訂正するも、一瞬で引きつった顔を見せたルディアが奥へと引っ込んだ後。
 其れを見て、やれやれと塵とアイラスが顔をしかめ、そして小さく笑う。

・ちいさな、ちいさなしょうばいにん
 その後も、時々兎達は何匹かの集団で街へと現れるようになった。目当ては人間が収穫した野菜や、それに付随するシード類。その代わりとあちこちで集めてきたらしい木の実や異様にリズムの良いダンスを披露する。言うなれば兎の行商、兼興行というところか。ごく稀に持って来るクルミや硬い木の彫刻は、物珍しさも手伝ってか人気が高い。
 そして、紅茶屋「mellow」にも、白山羊亭にも、その都度現れてひとくさり踊ってみせる。それがまた評判になって客が寄って来るようにはなった、が。
「能力の高すぎる連中が増えなくて良かった。あの黒いのみたいなのが集団で行動していたらと思うとぞっとする」
 踊る兎を眺めながら、あの時の事を思い出したのか塵がぼそりと呟く。
「エー?おもしれージャン。俺はもっと増えて欲しいけどネ♪」
「嫌がらせの為か?」
「大当たりー☆」
 ぶぅん、と無言で振り下ろしたハエタタキがけらけら笑っていた葉子の顔面を直撃する。
「人並みなヤギなら此処にもいるしー?」
 顔に付いた網目も瞬きする前に消えてしまう。残ったのはチェシャ猫の如きにやにや笑いだけ。
「幸いなのは、その能力を上げる方法が全く書かれていなかったってことですね」
 奥から出てきたメイに香り高い紅茶を注いでもらい、小声で礼を言ったアイラスが上品にカップを口に運びながら呟く。何の話?と穏やかな笑いかけに、くっくっと喉で笑い声を立てる葉子。
「あの本の話ですよ」
「ああ。ぼろぼろだったね。もう食べる気はしないなぁ…あんまり美味しくなかったし」
「いや待て」
 ハエタタキが届く距離にメイがいないことが物凄く悔やまれる顔で塵が言う。
「研究の具体的な内容が書いて無くて良かったと僕は思いますよ。――きっとそれがあったら、喜んで乱用しそうなヒトがいますからね…」
 ずず、と美味しそうに紅茶を啜るアイラスが、口の中に広がる香りにほぅっと息を付いて目を細めた。
 誰がとは言わなくても十分に分かる。
 そして言われた本人にも通じているが楽しそうにけらけら笑っているだけ。

「そうだ。後で俺の所にも遊びに来てくれるか。うちのが喜ぶんでな」
 今は休憩中なのか、店の隅っこで野菜屑を貰って夢中で食べていた兎が顔を上げ、OK、と言うように耳をぱたぱたと動かした。
 そんなわけで。今日も1日、平和な時が過ぎる。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0595/メイ          /男性/ 18/紅茶屋「mellow」店長】
【1353/葉子・S・ミルノルソルン/男性/156/悪魔業+紅茶屋バイト   】
【1528/刀伯・塵        /男性/ 30/剣匠           】
【1649/アイラス・サーリアス  /男性/ 19/軽戦士          】

NPC
ルディア
マスター
うさぎたち

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■         ライター通信          ■
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0595/メイ          /男性/ 18/紅茶屋「mellow」店長】
【1353/葉子・S・ミルノルソルン/男性/156/悪魔業+紅茶屋バイト   】
【1528/刀伯・塵        /男性/ 30/剣匠           】
【1649/アイラス・サーリアス  /男性/ 19/軽戦士          】

NPC
ルディア
マスター
うさぎたち

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■         ライター通信          ■
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お待たせしました。「ちいさな、ちいさないらいにん」をお届けします。

これがソーンでの初冒険依頼になります。喜んでいただければ幸いです。
此方での活動はそう頻繁には行いませんが、時々は冒険者の店に姿形を変えて顔を出しますので、その時にご縁があればまたお会いしましょう。
今回の参加、ありがとうございました。
間垣久実