<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


ちいさな、ちいさないらいにん
 それは、うららかな陽気のある日のこと。
 ルディアがいつものように買い物を終えて、籠一杯の食料を抱えて戻ってきた時。
 つんっ。
「きゃっ」
 何か柔らかいものにつまづいて転びかけた。ドアに手を付いてどうにか体勢を保ち、何につまづいたのか足元を見て――目をぱちくりとさせる。
 ふるふるふるふるふるふるふるふる。
 そこにはひたすら震え続ける茶色と白の毛玉がもこんっ、とあり。折りたたまれた長い耳がぴこぴこと揺れて。
「あら…うさぎ?って怪我してるじゃないっ」
 しかも最後の怪我の原因はルディアの足のようで。きゃー、と言いながらばたばたと籠を調理場に運び、マスターの苦い顔を見なかったことにしてまたばたばたと入り口へ戻る。
「まままマスター、薬、薬どこですかぁっ!?」
「……落ち着け。まず。どうしたんだ、それは?」
 ルディアの腕に抱かれた二匹の兎を見てマスターが首を傾げる。
「蹴っちゃったんですー!」
「いや、そうじゃなくてだな」
 パニックになっているルディアにこれ以上詳しい説明は無理と踏んだか、溜息を付きながらマスターは腰を上げた。
 ――柔らかな藁の中に、ぐったりとした茶色の兎が横たわっている。その隣には白い兎が…此方は見た目程怪我はなく、既に復活して野菜くずをしゃくしゃくと夢中で食べていた。
「どうするんだ、これ」
「どうしましょう…成り行きで手当てはしたものの。誰か飼う人いませんかねぇ」
「というより、食べるだろ。兎なんだし」
「…でも、手当てしちゃったし…」
 ぽと。
 妙な音が聞こえたので見ると、野菜屑を落とした白兎がぷるぷると震えながら話をしている2人を見つめていた。

 籠から出た白兎が、なにやらぱたぱたと動き出す。茶兎をしきりと鼻先で差した後、蹴りを入れるような動作をし、すぐその後でそれを庇う真似をし。そして、よろりら、と倒れる白兎。そしてすぐさま起き上がり、前足を合わせてじー、とルディアを見上げる。…人間なら、手を組み合わせて訴えている…というところだろうか。
「…ねえ…敵討ちとか、言わないよね…」
 ――ルディアは初めて知った。
 兎のあの顔でも、喜びの表情が浮かぶことに。

 その日、冒険者求ム、と小さな小さな張り紙が店の隅っこに載った。
     *   *   *
 昼にはまだ少し早い時間。白山羊亭に、客ではないのに4人の男達が集まっていた。客に見えないのは誰一人テーブルに付かず、厨房近くでルディアと真剣に話し込んでいるからだろう。
 兎へと挨拶をしているメイをあっさりと地面へすっ転ばして置いて、ずい、と兎の前にしゃがみ込む。
「ハーイ、初めまして兎ちゃんたち。…何とも美味しそ…じゃなくてデリシャス…ノンノン、可愛らしいじゃねーの♪」
 一言一言、強調する度にびくびく反応する兎が面白くて堪らない。確かにルディアの言うように頭が良いみたいだネェ、そんなことを呟いて葉子・S・ミルノルソルンはにんまりと笑みを浮かべた。
 ――こりゃ楽しそうだ。
 葉子に内緒でそっと外に出てくるからまた何をするつもりかと来て見れば何の事は無い。ただし、依頼主の妙さ加減は大歓迎、とあっさり付いて行くことを決めていた。何やら渋い顔をしている他の者もいるが気にする筈も無く。

 茶色い兎は今も静かに藁の中で眠っている。其れを心配そうに見守っている白兎の黒い瞳がうるうると潤み。
「傷は治したけど…目が覚めないね。疲労が酷いんだろうな。可哀想に」
 ぽふぽふ、と柔らかな毛並みを撫で、ルディアに世話を頼むと1つ返事で請け負ってくれた。そのことに感謝しつつ、白兎を皆で囲む。
「兎なぁ。行く場所がなければ俺のところに住み着いても構わんぞ」
「ああ、それはいいね。そこから俺の店に通ってもらってさ。こんな可愛い子なら看板娘になれそうだし」
「…ウチは『いちおう』飲食店なんデスケドネ」
 強調しつつ語る葉子の言葉をものともせず、話し掛けるメイと塵。だが、兎はそれには頷かず、気がかりとばかりに外を見つめる。
「やはり、外が気になるようですね。敵討ち…とルディアに聞いたんですが」
 ぴこん、と耳が立つ。そして皆へとぱたぱた前足後ろ足を使って何やら必死で説明している様子。
「ああ、わかったわかった。それで、そうなった事情は?」
 …ひそひそと背後から声が聞こえるのは、恐らく兎相手に真面目に語らっている男達4人を見ている店の者だろう。ルディアもその構図に微妙に顔を引きつらせながら、接客の方へと神経を集中させている。
「…語るのは、難しいか」
 俯いてしまった白兎を見れば、言葉が分からない者でも十分に通じる。
「ジャー、早速案内してもらおうかね。ホラ行きましょうか、兎チャン?」
 ぶらん。
 首を掴んだまま手にぶら下げた葉子に、おいおいおいおい、とその場にいた皆――客すらがツッコミを入れた。
「…えー。運ばれる方も楽で良いと思ったのに。じゃしょーがネエ。行きましょう、店長」
 ぐいん。
「あ…やっぱり俺も行かないとダメ?」
 兎のように首を引っ掴まれたメイは、この期に及んで3人を見送れると思っていたらしくがっくりと肩を落とした。
 やはり皆の言っていることが分かるのだろう。ぴょこん、と後ろ足立ちになってからくりん、と首を回し。人間のやや早足な速度でぴょこんぴょこんと走り出す。
「あー!さっきの白いのだ!」
「あのやろう、捕まえろーっ!」
 なにやら、いきりたった子供達が数人、棒切れを振り回しながらぴょこぴょこ走っている兎に駆け寄ってくる。びくん、とその様子に竦みあがった兎が慌てて皆の元へ戻ってきて、足元にしがみつきぶるぶると震え出す。
「おいおい…穏やかじゃないな。こら、お前達。そんなもの振り回したら兎が怪我するだろ」
「いいんだよ!俺たちだって怪我させられたんだ!」
 言う言葉も尤もで、良く見れば追いかけてきた子供達の1人として包帯を巻いていない者はいない。
「だから、渡せよ!」
「それは人にモノを頼む態度じゃないネェ?」
 ぬぅ、と笑顔で顔を近づけて来た葉子にびびりまくりながら、それでも隙あらば白兎を捕まえようと油断ならない目付きで。やれやれ、と塵がその様子にずい、と一歩進む。
「兎如きに怪我をさせられたってのが恥ずかしいだけじゃないのか?」
 ぐっ、と言葉に詰まる子供ら。其処に更に、
「でもおかしいな。…兎ってそんなに強かったっけ?」
 メイの一言がトドメだったらしい。
「う、うわぁぁん、覚えてろぉぉぉ!」
 ――何がなにやら。
 悔しげに走り去って行く子供達を目をぱちくりさせながら見送った皆が、再び先導していく白兎の後を付いて行く。
 思えば。
 あの子供達に良く話を聞いてさえおけば、後々の被害はもっと少なくて済んだかもしれなかったのだが…それは後の話。
     *   *   *
「…一体、どこまで行くつもりなんでしょうね?」
 ソーンの街を過ぎて、南下を続けながらアイラスがぽつりと呟く。
 疲れないのか、それとも疲れを隠して急いでいるのか、兎の速度が衰えることは無い。
 街から離れ、半日以内の距離には村もないだろう、そんな場所へとずんずん踏み入って行く。唯一の救いは地面から生えているモノが全て高くても膝程度でしかなかったことだろう。四方を見回してもだだっ広い平原が続き遠くにぽつんぽつんと小さな森が見える、そんな場所で背を越す程の草原があったとしたらそれは迷えと言っているようなものだ。
 ようやく、その頃になって兎の速度が衰えてきた。と言っても疲れている様子は無く、穏やかな足取りに変わったというだけ。
 そして。
「これはまた、壮観だな…」
 塵がしみじみとした声を上げる。
 どうやら集落のようだった。…兎の。
 一見荒地のように見える、一面の平原。だが良く見れば柔らかそうな草が枯れ草の下を覆っており、そこかしこに小さく盛り上がった土と横向きの穴が見える。これらが全て兎のモノらしいとなると、結構な大きさの集落のようだった。
 ――たん。
 ひくひくと鼻を動かした白兎が、後ろ足で地面をたんたん、たたん、とまるでリズムを刻むように叩く。
 ひょこ。
 ひょこ、ひょこ、とその音が地の下に響いたのか、何匹かの兎が顔を出し、その後に続いて。
 …よぼ。
 いかにも歳を取っていそうな古びた兎が、よろよろと皆の前に行き、
 ――ひしっ。
 白兎と掴みあった――いや、抱き合った。
「ここの兎は皆さん頭がいいんですね」
 人間を恐れる様子も無く、言葉をかければそれにみあった行動をする。1匹2匹かと思っていたのだが。
「いやぁ?違うネ。8割以上は頭カラッポ――つーか、ノーマル?さっきから見てると、反応すんのが統率してるだけダネー。…おもしれぇ」
 にやり、と興味深いことを知ったのか葉子が楽しそうに人の悪そうな笑みを浮かべ。
「…もうじき、来る?何が?」
 屈んで年寄りの兎と会話しているように見える図体の大きな男がふっと顔を上げた。
 ぴょんぴょんと跳ねて来た白兎がまっすぐ黒い瞳を集落の外へ向ける。
 ――兎達が、ざわざわっとざわめき。
 そして――皆の視線の先に、其れは居た。
 ありえねえ。
 その場に居た皆が間違いなくそう思っただろう。

 真黒の、兎。毛並みはやや荒く、どことなくすさんだ雰囲気を漂わせており。その姿は確かに兎だが、背負っている気は間違いなく戦士のモノだった。
「茶色い兎をやっつけたのはアレかい?」
 こくこく。
 後ろ足で立って首を縦に振る白兎が、「お願い」と言うようにひしっと葉子の足にしがみ付く。うんうん、分かった分かった、と頷いた葉子は身体を折って足元の白いのを摘み上げ。
「ほーぉら行け、敵討ちジャーッ」
 ふるふると震えながらしがみ付いていたのが葉子だったことが不幸か。
 むにっと首根っこの皮を捕まれてぽぅんと放り投げられる。それは綺麗な放物線を描いて、黒兎の前にぽてん、と落ち。
「葉子っ!」
 うひゃひゃひゃと楽しそうに笑っている葉子に、塵が怒鳴り声を上げた。

「――敵討ち…ですから、彼のやっていることは間違ってはいないのですけれどね…」
 ぽつりと呟き、剣をいつでも出せるよう柄に手を掛けながらも、まだ迷いがあるのか足を進めないでいるアイラス。
 おろおろおろおろ。
 ひっきりなしに首を左右に振って、一瞬助けを求めるように人間を見たが――覚悟を決めたか、したっと立ち上がって黒兎と対峙しようとし。
 こてん。
 バランスを崩していきなり転ぶ。
 再び立ち上がろうとした兎が、また同じ方向に転がった。
「――ねえ。あの子…足、くじいたんじゃない?」
 僅かに片足が浮いていることを見抜いたメイが、横目で葉子を見る。
「うーわ。兎の癖にアレだけの高さもダメ?情けネー」
 誰のせいだ。
 何処か必死で立ち上がって、よろよろと目の前に近づいてきた白兎を呆然と見ていた黒兎は――

 ――ギンッ

 葉子に激しい殺気を当てると、目の前でようやくキックをかまそうとしている白兎に構わず飛び掛ろうとして、ぐ、っと動きが制限されたかのように動きを鈍らせた。
「何だヨ?なぁにガンくれてんの?」
 自分に対しそんな目つきをするモノは、例え動物でも面白いワケは無い。こっそりと相手の影から足をゆるく掴み、それ以上動かないよう押さえつける。
 それは、黒兎にとっての油断だったのかもしれない。
 ――ぺしっ。
 どう見ても只足を押し当てただけにしか見えない、勢いの無い白兎のキックを喰らったのは。
「オミゴト…ってダメじゃん、それじゃ倒せネーヨ?」
 それを見てするっと手を離し、ぱちぱちと拍手を送りながら、呆然と立ち竦んでいる黒兎の傍でおろおろと周りを見回している白兎へ言葉をかける。
 ――ダン!ダン!ダンダンダンダンダン!!!!!
「…うわ…初めて見た。兎が地団駄踏むところ…」
 メイの呟きは、その場に居た全員の気持ちを代表していた。…だが…
「っ!?」
 ぞわぁっ、とメイが総毛立って辺りを見回す。そして――気付いた。物凄く悔しそうな黒兎の――あからさますぎる殺気に。
 塵、アイラスも流石戦い馴れしているだけあってか、やや表情を引き締めながら黒兎を注視し…そして。
 ――次の動きは、目に見えなかった。

 ――ざっ。
「ぶわっ」
 思い切り後ろ足で蹴り上げた砂が、煙幕を敷く。それとほぼ同時に目前から消える気配。
「――後ろっ!」
 メイの声が『下』から聞こえる。
 砂埃舞う地面が、やや遠い。
 ――ふぅん?
 中で見え隠れする黒い影と、塵、それにアイラスの2人の動きを見て、そしてすぐ近くの集落へ視線を向けた。
 何匹かの兎がじぃっと皆の動向を見守っている。…自分達の巣穴に蓋をして、その隙間から顔を覗かせ。

 べしべしべしべしべしっっ!!
 葉子の視線を砂埃の中に戻したのはそんな妙な音が聞こえたからだった。気配からすると塵。流石だネエ、と呟きながらふよふよと浮き続ける葉子。
 砂埃の中で何が起こっているのか。少なくとも剣を振るっている音でないことだけは確かだが――
「わぁっ、こら、くそっっ」
 どす、とかばき、とか鈍い音の合間にべしんべしん、というやや情けない音が聞こえ。
 そうこうするうちにアイラスがその白兎を連れメイの傍へと駆け寄るのが見えた。戦闘が始まってすぐにあっさりと戦線を離脱し、少し離れた場所から見守っていたらしい。――人の事は言えないが。
 メイは兎に治癒を施している。片やようやく晴れかけた砂から現れた塵は。
 一部の隙もない構えで。
 ――その手には、燦然と日に輝く――ハエタタキが。
「――ぷっ。あっはっはー、何ヤッテんの情けネー格好で」
 ぐっ、と何やら指摘されて一瞬鈍るも、すぐに体勢を立て直し後ろを見ずに怒鳴りつける。
「そこ!浮いてないで手伝え!」
「エー。めんどクセーって。俺はココからの応援に徹してアゲルからさ、こう『ゆうじょーぱわー』とかいうのでぶわーっとレベルアップしてみ?ホラ、伝承の勇者なんてンナモンだし」
「貴様との友情などこれっぽっちも持ち合わせておらんわっ」
 飛び掛る黒兎をハエタタキで見事にあしらいながら、塵が言う。くすくす笑いながらも葉子は降りる気などさらさらない。
 ――その腕にソーセージのような赤い染みが出来ているのは、恐らく其処を黒兎に蹴られたせいだろう。やるネエ、と呟きながら黒兎を見れば、此方は毛が見事なまでに逆立ち毛並みはぐしゃぐしゃに崩れていた。

 ある意味悪夢のような光景ではあっただろう。
 ――剣豪と言っても良い程の腕を持つ男と――やや離れた箇所に対峙する、後ろ足で立つ黒兎の、真剣勝負なのだから。
 …刃物は一切使っていないが。
     *   *   *
「ふぅ…ふぅ…」
 ――何度、刃に似た殺気をやりとりしただろうか。
 やや離れたところから見ているメイ達にも、2人…1人と1匹の動きが鈍ってきたのが分かる。
「良くやるヨ、あいつらも。見てるだけで疲れてコネェ?」
 ふわりと2人の傍に降り立った葉子がふわぁぁ、と大きく欠伸をした。メイなどは、疲れたのか地面に座り込んで観戦モードに入って久しい。
 ――大地は、赤く染まっていた。
「決着の付けようがないのでは…それに、あの茶色い兎の敵討ちを、と言うのなら…本来はこの子の仕事な筈なんですけれどね」
 相手が悪いかな、そんなことを思いながらアイラスが腕の中を覗き込み――そして、黒い瞳と目が合った。
 ぴょこん、とほぼ直後にアイラスの腕からすり抜けた兎が地面へと降り立ち、そしてきょとんとする3人へ後ろ足で立ったままぺこりと頭を下げ…後ろ足を蹴って駆け込んでいく。
 戦闘の場へと。
「あ――おいっ」
 慌てて立ち上がろうとしたメイが、長い間同じ姿勢で座っていたためか起き上がれずにへちゃりと地面へ突っ伏し、其れを見た葉子がすかさず上にのしっとのしかかる。痺れたな?と思えば自然口元に笑みが浮かび、目はきらきらと輝いて。
「ココはどうっかなー♪」
 つんっ。
「おひゃぁっ」
 びくんっっ!と体があらぬ方向へ捻じ曲がる。が、それも再び押さえつけ、今度は痺れている箇所全体をぐい、と踏みつける。――踏まれた箇所全体が、微妙に柔らかい針の束で刺されたように感じているのだろう。全身で身もだえし、
「うはぁぁぁぁ、やめておねがいたのむから」
 常よりもオクターブくらい高い声で泣き叫んでいた。
「こんなトコでずっと座ってる店長が悪いんだヨ?急にアレが襲ってきたらどーするツモリだったのかなぁ?」
 もっともらしく話を付けているが、単なる口実。メイの反応が楽しくて堪らないだけ。
 涙目になりながらようやく葉子を押しのけたメイがぴくっと身体を緊張させ、そしてその意識の向く方向を葉子が見た瞬間。

 ――ばしぃぃん!
 激しい音と共に、先程まであれだけ剣士2人に苦戦させていた黒兎が宙を舞った。
 ほぼ同時に向こうで蹴り上げる格好で固まっていた白兎がぱたりと地面に倒れ、足を引きずりながらメイは2人の居る場所へと近寄って行った。
     *   *   *
「…これで大丈夫。白い子は気を失ってるだけだから、少し休めば治るよ」
 ふてくされたようにちょこんと座っている黒兎を連れて帰り、癒したのはメイ。地面に倒れたままの黒兎を放置するのはどうにも気が咎めたためだ。
「何が原因か知らないけど、もうこれに懲りてあんなことはしないね?」
 ぷい。
 メイの語りかけにそっぽを向く黒兎の首をきゅぅと掴んだのは葉子。
「素直じゃないコはどうなっても知らネーヨ?…例えば今ココでこう、きゅーっととか。あんたは肉付き良いから美味いスープに成るだろうしネェ…」
 にっこり。
 ざざざっ、と周りにいた何匹かの兎が距離を置く中で、ぷらぷらん、と揺らしながらドウスル?と囁く葉子。
 こくこくこくこく。
 ――相手の笑顔の裏にある本気さを嗅ぎ取ったのは流石獣というところか。
「よかったねえ店長。言う事聞いてくれるってサ」
 ぽい。
 わっっ、と慌てて黒兎を受け取ったメイの腕をぐい、と押しのけて立ち上がると、トコトコと横たわっている白兎の傍へ近寄り。
 ――ぺたん、とひざまづいた。
 そのまま少しの間、その寝顔に見入り、そしてすっくと立ち上がると…巣穴の1つへとぴょこぴょこ入っていく。
「――あれ?」
 メイがきょと、と目を丸くする。
「余所者じゃないの?あの黒いの」
 その言葉を聞きつけた1匹が同じくきょとんとした顔をして、それからぷるぷると首を振った――横に。
「何だと」
 唖然とした塵の声に追い討ちをかけるように、蔓草で編んだ荷袋を背負った黒兎が出てくると、誰とも目を合わせようとせずにすたすたと集落の外へ…兎くらいは隠せてしまう野草の茂みの向こうへと立ち去って行った。

「…つまり…どういうことなんですか?」
 外からの侵略者か何かだと思っていたアイラスが呟き。
「…ああ…そう、か。なるほどな」
 塵が、年寄りの兎と何やら話をしている。
「ナニナニ?なんかおもしれー話?」
 塵がじろりと葉子を一瞥し、ふぅ、と深い息を吐くと、
「あの黒いのは、茶色いののライバルだったんだそうだ。…白いのを挟んでな」
 ――はぁ?
「っつーか、ナニ。俺ら、恋人達の鞘当ての後始末しに来させられたってワケ?」
「そうなるな」
 うむうむ、と塵が頷き、はぁぁぁ、と大きく息を吐いたメイがぺたりと地面へ腰を降ろした。
     *   *   *
 もうすっかり辺りは暗い。ようやく起き出してきた白兎が、黒兎が去ったことを聞かされてやや元気がないものの、兎穴に溜めていた食料その他をせっせと地上に居る4人に運び込む手伝いをしている。そんな中、年寄りの兎に呼ばれ、穴の近くで会話していた塵が戻ってきた。
「宝物…ということらしい。乱暴ものを追い出してくれた礼だと言ってな」
 兎達が恭しく差し出した本。何やら受け取った塵が複雑な顔をして、皆へ通訳する。
「それにしては随分浮かない顔してるね?」
 本…紙と見て、メイが塵に近づいて其れを手にし…そして、
「なんだ、これ」
 言いながら2人も見えるように其れを広げた。
 ――本は、兎達に齧られ、半分以上が巣材として千切り取られていた。そのかろうじて読める部分を拾い集めると、兎の知能・能力を際限なく増幅する研究をしていた人物の日記らしいということが分かった。
 何故兎か、と何となく思ってみたりするのだが。
 読み進めるうちに、皆の表情がどんどんげんなりとしていく。
「なんなんだ、これは…」
「兎が好きで好きでたまらないんですね…この人」
 彼――性別が分からないので一応彼ということにしておく――の、兎に対する描写だけは留まる事を知らない。数ページ間が抜けているその先を見てもたった一匹の兎を褒め称える文章が続いていたりするから手に負えない。

「研究は半ば失敗に終わった…だそうですよ」
「そりゃ良かった」
 心底からそう思った塵が言う。先程の黒兎に蹴られた腕がまだじんじんしているのを思えば。

『――残念なことに、能力を引き継ぐ彼らは代を重ねるごとにごく普通の兎の率が増えていってしまう。それもまた非常にらぶりーでぷりちーなのだが。あの能力をなんとかして確実に子孫へ残せないものだろうか。研究の種は尽きない』
「紙は新しいみたいだね」
 そう言いながらメイの口が動くのは何故なのか。口の端に白いものが見えたような気がしたが気のせいと言う事にし、そうなのかと納得だけしておく。
「それってコイツラ作った奴がまだ生きてるカモって事?――へえぇぇ」
 にんまりと。
 嬉しそうに、葉子が笑いながら近くを通りすがった兎の首根っこを掴んでぶらんと持ち上げる。
「おもしれージャン。何処で研究シテンノ?」
 ぷらぷら。
 何の抵抗も無く宙にぶら下っている兎の柔らかさを確かめるように、むにむにと皮を引張って遊んでみる。
「可哀想だろ、やめてやれ」
 むっつりと顔をしかめた塵の言葉に、ハイハイと言いながら放り投げてまた睨まれ。
「場所は…あれ?」
 さっきこの辺にそれらしいのがあったんですけど…と言い訳めいた言葉を呟きながらアイラスがぺらぺらと本を捲る。それをひょいっと覗き込んだメイがあ、と呟いて…そのまますたすたとその場を去ろうとして。
 がし。
 いつの間にか目の前で両肩をしっかりと捕まれている。相手は言わずとしれた悪魔。メイの影から生えて来たらしく足はまだ完全に外へは出ておらず。だがそれでも葉子の方が相手を見下ろしているのが少しばかり悲しい。
「その可愛いお口に手を突っ込まれたい?それとも、自分でどうにかするかぁい?」
 ――選択の余地など、ある筈も無く。

「…やっぱり、ダメですね。さっきちらと見たときもほとんど文字は消えかかっていましたから」
 その上近くの川で水洗いして、インクらしき欠片がほんの僅かこびり付いているだけで。
「諦めろ、縁がなかったと思えばいい」
 ――縁など無い方がいい。
 そんなおもちゃを誰とは言わないが手に入れた日には、何をするか分かったものではないからだ。
 宴会モードに入った兎達に、皿代わりの木の葉に山盛りのナッツを供されるというある種貴重な体験をしつつ、獣臭いことさえ抜きにすれば意外に座り心地の良い巣材を表に敷き…そして夜は更けて行く。
     *   *   *
「まあ、可愛い!…って…これを、兎が?」
「色々美味しいものを食べさせてもらったお礼だそうです」
 クルミの殻を、恐らくは歯で刻んだのだろう。
 それは、小さな彫刻品だった。野の生物や食べ物を模して作られた、立派な芸術品。クルミの殻で数個のクルミが寄せ集まったモノを彫るという妙に凝った物まであり。
「つまづいて蹴っちゃったのはこっちなのに。怒ってるのかと思ってたわ。…ありがとう」
「コレなら店に飾っておけるし。動物を看板にスルよりはマシだよナー。ねえ店長」
「…娘を忘れないで…皮を張るんじゃないんだから」
 葉子の言葉に慌てて訂正するも、一瞬で引きつった顔を見せたルディアが奥へと引っ込んだ後。
 其れを見て、やれやれと塵とアイラスが顔をしかめ、そして小さく笑う。

・ちいさな、ちいさなしょうばいにん
 その後も、時々兎達は何匹かの集団で街へと現れるようになった。目当ては人間が収穫した野菜や、それに付随するシード類。その代わりとあちこちで集めてきたらしい木の実や異様にリズムの良いダンスを披露する。言うなれば兎の行商、兼興行というところか。ごく稀に持って来るクルミや硬い木の彫刻は、物珍しさも手伝ってか人気が高い。
 そして、紅茶屋「mellow」にも、白山羊亭にも、その都度現れてひとくさり踊ってみせる。それがまた評判になって客が寄って来るようにはなった、が。
「能力の高すぎる連中が増えなくて良かった。あの黒いのみたいなのが集団で行動していたらと思うとぞっとする」
 踊る兎を眺めながら、あの時の事を思い出したのか塵がぼそりと呟く。
「エー?おもしれージャン。俺はもっと増えて欲しいけどネ♪」
「嫌がらせの為か?」
「大当たりー☆」
 ぶぅん、と無言で振り下ろしたハエタタキがけらけら笑っていた葉子の顔面を直撃する。
「人並みなヤギなら此処にもいるしー?」
 顔に付いた網目も瞬きする前に消えてしまう。残ったのはチェシャ猫の如きにやにや笑いだけ。
「幸いなのは、その能力を上げる方法が全く書かれていなかったってことですね」
 奥から出てきたメイに香り高い紅茶を注いでもらい、小声で礼を言ったアイラスが上品にカップを口に運びながら呟く。何の話?と穏やかな笑いかけに、くっくっと喉で笑い声を立てる葉子。
「あの本の話ですよ」
「ああ。ぼろぼろだったね。もう食べる気はしないなぁ…あんまり美味しくなかったし」
「いや待て」
 ハエタタキが届く距離にメイがいないことが物凄く悔やまれる顔で塵が言う。
「研究の具体的な内容が書いて無くて良かったと僕は思いますよ。――きっとそれがあったら、喜んで乱用しそうなヒトがいますからね…」
 ずず、と美味しそうに紅茶を啜るアイラスが、口の中に広がる香りにほぅっと息を付いて目を細めた。
 誰がとは言わなくても十分に分かる。
 そして言われた本人にも通じているが楽しそうにけらけら笑っているだけ。

「そうだ。後で俺の所にも遊びに来てくれるか。うちのが喜ぶんでな」
 今は休憩中なのか、店の隅っこで野菜屑を貰って夢中で食べていた兎が顔を上げ、OK、と言うように耳をぱたぱたと動かした。
 そんなわけで。今日も1日、平和な時が過ぎる。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0595/メイ          /男性/ 18/紅茶屋「mellow」店長】
【1353/葉子・S・ミルノルソルン/男性/156/悪魔業+紅茶屋バイト   】
【1528/刀伯・塵        /男性/ 30/剣匠           】
【1649/アイラス・サーリアス  /男性/ 19/軽戦士          】

NPC
ルディア
マスター
うさぎたち

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■         ライター通信          ■
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お待たせしました。「ちいさな、ちいさないらいにん」をお届けします。

これがソーンでの初冒険依頼になります。喜んでいただければ幸いです。
此方での活動はそう頻繁には行いませんが、時々は冒険者の店に姿形を変えて顔を出しますので、その時にご縁があればまたお会いしましょう。
今回の参加、ありがとうございました。
間垣久実