<東京怪談ノベル(シングル)>
仔猫と夕暮れの空と、君と。
歩けば同じように歩き、また立ち止まれば同じように立ち止まる。
――…何時からだったか………。
振り返ると一匹の白い仔猫が、石畳の道の上、行儀良くちょこんと座り俺を見ていた。
こちらを見つめる視線に気付いたのか、嬉しそうに「にゃ♪」と鳴く。
ぱたぱたと形の良い尻尾が、吹く風に合わせるかのように揺れる。
(……参ったな……)
仔猫の鳴き声に、頭を一掻き。
思わず視線を陽が、暮れつつある青味が増した空へ移すと、仔猫は何を見てるのか問うように、倉梯・葵の足元へと近寄り、ジーンズへと爪を立てた。
ガサガサと、ジーンズが持つ生地特有の乾いた音が葵の足元で響く。
解るわけないよなあ…と言いながら、葵はしゃがみ仔猫へと視線を合わせた。
「……や、無視してるわけじゃなくてな? 俺は、あちこち移動するからお前を飼えないんだ」
「にゃぁ……?」
首を傾けつつも嬉しそうな顔を未だ浮かべる仔猫に、ふ、と困ったような…笑った方が良いのか悩んでいるような微苦笑を葵は浮かべ、再び本日の宿を探すべく歩き出した。
意地が悪いかもしれない――とは、思ったが、いつもの足取りより、かなり早く。
数日前からついて来ているのは知ってはいたが、此処までついて来られるとは思いもよらなかった、と言うのももしかしたらあるのかもしれない。
…実際、猫は犬に比べれば気まぐれな性質だし、すぐに気が変わって自分ではない誰か――例えば、同種の猫であるとか――を、追いかけるだろうと思っていただけに、あの仔猫の取る行動は計算外の行動に他ならず……。
(……あいつが居たら…抱きとめて離さないんだろうけどな……)
じっと、こちらを見てにっこり花のような笑顔を浮かべ――こう、言うだろう。
"一緒に連れて行っても良いでしょう?"と。
そして自分も"仕方が無いな"と言いながら頷いてしまうだろうとも。
だが、その人物は今――、葵の隣に居ない。
居ない、と言うよりも迷子になってしまっていると言うのが正しいだろうか?
とにもかくにも、ホンの少し目を離していた隙に――初めから隣にさえ居なかったように消えてしまっていたのだから。
探してやらないと、ずっとずっと迷子になり続けてしまうかもしれない。
何と言っても、あいつは凄まじく道を覚えるのが下手だ。
どれだけ言い聞かせても右と言うところを左に曲がり歩いて、直線で行かなくていい所を真っ直ぐ進んで行き止まりにぶつかってしまうような奴だから。
(全く……何処に居るのやら)
ふう……と溜息をつきながら歩いている事暫し。
ふと、こじんまりとした佇まいの宿屋が葵の目に入った。
特に人目を引く…と言うような造りの建物ではないが何処かほっとするような雰囲気が其処にはあり……葵は夜、寝泊りする分には申し分ないだろう宿へと、ゆっくり足を踏み入れた。
が。
宿を取るべく記帳を済ませようとしたところで訝しげな亭主の視線とぶつかる。
「悪いな兄ちゃん。ウチは動物お断りだよ」
「………は? 俺は動物なんて連れてないが?」
「ほう。じゃあアンタの後ろに居るそいつは一体、何なんだい?」
と言う亭主の言葉に、葵は一瞬目を丸くするが、すぐにいつもの表情に戻ると考え込むように視線を床へと落とした。
落ち着いた色合いの床と敷かれた絨毯の色合いが瞳に優しい。
まさか、と思う。
かなり早歩きで来た――つもりだ。
(それとも、あいつの歩調に合わせてきたから、すっかりのんびり歩きになってるのか……?)
いや、幾らなんでもそれは無いだろう。
あいつが居ない所では、いつもの自分のペースで歩いていたのだし、時に「歩くのが早すぎる!」とある人物に言われたこともあるくらいだ。
だが、動物お断りと言われるからには……意を決して葵は振り返ると、
「にゃー♪」
……楽しそうに鳴いて葵へと擦り寄ってくる白い仔猫が居るばかりで。
「おいおい……」
追いかけっこをしてた訳じゃないんだぞ?
とは言えずに俺は子猫を抱き上げ、ふわふわとした毛並みを数度撫でた。
此処に来る前……連れていた猫に対し、あいつが良くやっていた仕草だ。
「…仕方ないな……一緒に来るか?」
「……なぉ?」
猫は気持ち良さ気に瞳を細め、眠るような表情を見せたかと思うと俺の頬へと擦り寄ってくる。
……猫の柔らかな感触があいつとダブる様で、どうしようもない程に抱き寄せる腕に力がこもってしまう。
(……やれやれ)
あいつが居ても、居なくても。
……もしかすると俺は何かを連れて歩くようになっているのかもしれない。
苦笑と同時に楽しくて仕方がないような声が出るのを堪えると、背後で亭主の咳払いが3度、響いた。
葵は、表情を変える事無く振り返ると顎に手を置き考え込む亭主へと目を合わせた。
「…で? どうすんだい兄ちゃん。そいつが兄ちゃんの連れだって言うんなら俺は出てってくれ、と言うし……連れじゃないと言うなら猫は店から出してくれ、と俺はお願いするんだがね?」
「…悪い、他をあたる」
「そうかい。じゃあ……猫が居ない時にでも泊まりに来てくんな、その時なら大歓迎だ」
「ああ、この猫に逃げられた暁にはお世話になるよ」
はははっ。
笑い声がその場に、響き渡り――葵は手を振ると宿屋から出、仔猫へとどうするべきか問うように鼻をつんつん突付いた。
「全く…何時の間に俺は、こんなに面倒見が良くなったんだか」
その時、脳裏に浮かんだのは探している少女の声。
『だって葵は本当に優しいもの』
にっこり優しく微笑いながら、言った――あの時と同じ声。
このように仔猫を抱きかかえている俺を見たら、やはりまた『葵は優しい』のだと、あいつは言うんだろうか―――――
仰ぐように空へと視線を向ける。
曇りなど無い、晴天の空は、じきに陽が暮れるのを告げるように青から薄い紫へと変化を告げる。
その色合いに逢いたい人物の髪と瞳の色を重ね、寂しそうに俯く後ろ姿を思いながら、葵は猫へと向き直り、呟いた。
「…名前が要るな」
「にゃ?」
「…にゃ、じゃなくて……そうだな、次の宿に入る前までに考るか……」
陽が完全に落ちてしまえば、その日の宿を取れればいいという訳には行かなくなる。
まだ寒さと温かさを繰り返す時期なだけに夜の寒さは仔猫にも堪えるだろう。
仔猫を腕に抱いたまま、葵は次の宿を探すべく歩き出す。
石畳の街の中、何処からか美味しそうなスープの匂いが漂うのを感じながら。
・End・
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