<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
crossing
屈辱を強いられる公務から、解き放たれた時の事。
休日に。
『真紅の髪』に『王位継承者と同じ顔』を生まれ持った、影の身である狂王子は、束の間の静けさを訪れる。
人々からは最早忘れ去られた――王城の、離宮に。
真紅の髪の彼――スピネルが用があるのはその中庭。
一年中、四季折々の花が咲く美しい花園。
ここには、今は亡き母が眠っている墓がある。
生前、母が愛したこの場所で。
母は、永遠の眠りについている。
今日、スピネルがこの場を訪れたのは中庭に咲く花の世話の為。
この王国にしか咲く事の無いオルレシアの花。
…シアンと菫、ひどく儚い赤みを帯びた淡い青。
想い人を思わせる淡い花。
そして今では――想い人でもある彼女自身をも示す、可憐な花。
スピネルはその花を、特に大切に手入れしている。
やり過ぎないよう、水をやる。
日当たりは大丈夫か。
辺りに雑草は伸びていないか。
根は大丈夫か。
土に栄養は。
…こちらは少し剪定しておいた方が良いかもしれない。
慈しむような指先がオルレシアの花、その葉に触れる。
………………他の誰にも、この中庭に手は出させない。
やがて無意識に、スピネルの口から歌が流れ始めた。
ぽつりぽつりと呟くようなテノールの声。
その声が、いつの間にかひとつの旋律に紡がれている。
………………それは、子守唄。
それは、スピネルがまだ幽閉されていた頃にも、口寂しさからよく歌っていた歌。
昔、母に聴かされたもの。
たったひとりにだけ、愛された証。
今のスピネルに遺された、唯一の優しい想い出。
スピネルはしゃがみ込んでいる。
…まだ短い内に、余計な雑草は排除。
この中庭にあるのは良い土だからか、結局、草むしりはいつも必要。いつも通り庭いじり用の手袋をはめ、ぽつぽつ生えている緑の草をひとつひとつ丁寧に取る。
その時のスピネルはひどく静かで穏やかで。
普段とは違い、裏の無い優しさをも感じさせる、その横顔。
なのにそれは何処か、寂しげなものも垣間見え。
………………王宮の誰かがその姿を見たらどう思うだろう?
大切なものを包み込むよう子守唄を口ずさみながら、優しい手付きで、ひとり、土いじりをしているスピネルの姿を。
………………とても意外な姿に見えるに違いない。
■■■
城に来た。
私の生まれた場所。
………………やはりここに来てしまったか。
あの人との事があり。
心ならぬ事とは言えど、刃を向けてしまった自分。
それでも変わらぬ彼らふたりに、どう接したら良いのかわからなくなって。
………………足が向いてしまったのは、こんな私でも何か頼るものが欲しかったから…だろうか。
優しく迎え入れてくれた兄王子。
有難い事だと素直に感謝する。
だが、中を歩けばそれだけでは済まない訳で。
自分の存在を快く思わない者ばかり。
…わかっては、いた事だが。
第一王女、ミカエラ。
…それは彼女の過去の身分。
だが、今は。
王城に居るべき者ではないと自覚している。
何故なら。
魔剣の呪いを言い訳に、穢れた生業に手を染めた女だから。
名誉を汚した王女は要らない。
………………その通り。
それでも。
…私はここに来てしまった。
兄上に甘えて。
だが、いつまでもその好意に甘えている訳にはいかない。
………………これから、何処へ行こうか。
目的もなく思いつつ、ミカエラは城内を散策する。
ごく、幼い頃、幽閉される以前に――見慣れていた風景。
ここは何も変わらない。
………………私は、変わったが。
既に呪いの解けた今も、穢れた生業から手を洗いはしていない。
あの家には恩がある。
…私の手も、まだ動く。
………………ここに私の居場所は無いのだと、自分の心に言い聞かせる。
場所はわかる。
何処に何があるのか。
だから足だけは動いていて。
…やがて、離宮の近くにまでも、来てしまった。
随分、離れているのに。
…帰らなければ。
内心、俄かに焦る。
が。
慌てて元来た道を戻ろうとしたミカエラの耳に。
声が聴こえた。
テノールの。
ちょっとびっくりするくらい、美しい、歌声が。
柔らかい旋律を刻んでいた。
………………誰も居ないと思っていたのに。
ミカエラは思わず声の主を探してしまう。
離宮の中庭。
その、垣根の向こうだ。
…覗いても良いものだろうか。
誰だろう。
躊躇いつつも、ミカエラは垣根越しにその声の主を見た。
そこには。
真っ赤な髪の男の人が居た。
優しげな、寂しげな…何とも言えない、深い想いがあるような、表情の。
その顔は。
良くしてくれる兄上と。
同じ顔。
………………もうひとりの兄王子。
腹違いの。
…確かに、兄上や城の皆が言っている通り。
瓜二つと言えるその顔。
けれど何かが、違って見えて。
…それは別人なのだから、違うのは当然なのだろうが。
違うにしても。
ひどく、引っ掛かる。
…ミカエラの鋭い勘が、何かを訴えてくる。
けれど。
哀しさと、優しさに満ちた表情と、この歌は。
何なのだろう。
…とも思う。
■■■
赤い髪が揺れる。
彼の瞳が、垣根の向こう、ふと、去ろうとする長く伸ばした銀の髪の先を捉えた。
僅かな、残像。
そこに居ただろう、銀髪の持ち主。
スピネルは目を険しくし、歌を止めた。
――誰だ。
咄嗟に思うが、異様な気配の無さと悪意の無さから導き出された答えがひとつ。
悪意が無い――即ち、殆ど自分を知らない相手――ならば本来、城に居る人間では無い。
それでいて気配を完璧にまで消す事の出来る人間。
銀髪。
…兄王子のものであった『魂喰いの魔剣』の呪いを受け、今は暗殺者として生きている筈の、妹王女――ミカエラ?
その身に流れる同じ血故か、スピネルの中から導き出されるその答え。
…けれど追う気も何も無い。
城を追われたあの女ならば、どうと言う事も無いだろう。
俺の事などろくに知らない筈だし。
…ああ、この顔で、俺が誰だかはわかるか。
それでもまぁ、どうでも良い事に変わりは無い。
俺の邪魔をする事さえしなければ。
結局、スピネルは殆ど気にしないまま、再びオルレシアの花を見、寂しげな微笑みを。
………………そんな、静か過ぎる兄妹の出逢い――すれ違いは、ほんのひとときの事で。
後は、互いの運命の時に至るまで――二度と交差する事は無く。
【了】
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