＜聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記＞
黒い魔犬
「どうしたんだい、浮かない顔をして」
近くの娼館の主人が浮かない顔で杯を傾けているのを見て、エスメラルダは声をかけた。
「いや、実は……近頃、うちの娼婦が何人も殺されていてね……」
「そりゃひどい。たちの悪い客でもいるのかい？」
「そういうわけじゃないんだ。なぜか、館の中で、変死体で見つかるんだよ……まるで、犬に噛み殺されたみたいな様子でね」
言うと、男は真っ青になって、テーブルへ突っ伏してしまう。
「黒い魔犬の仕業だって、うちの連中はみんな噂してるし……うちに来ると呪われる、なんて噂も立つしで、こちとら商売あがったりさ」
「……ああ。それは困るだろうねえ……じゃあ、誰か、声をかけてみようか？ うちの店には冒険者なんかもよく来るからさ」
男がそこまで意気消沈している様子はエスメラルダも見たことがなく、思わずそんなふうに言ってしまう。
すると男はぱっと顔を輝かせ、顔を上げた。
「いいのかい？」
「ああ、もちろん。女に二言はないよ」
大丈夫だ、とでも言うように、エスメラルダは大きくうなずいて見せた。
「黒い魔犬……ですか？」
エスメラルダから声をかけられて、アイラス・サーリアスは首を傾げた。
魔犬、というからには、やはり誰かに召喚されたものなのだろうか。普通の犬とは違うのだろうか。アイラスの中で、むくむくと好奇心がふくらんでいく。
「ああ、知り合いの娼館にちょっと出るみたいでね。もし、興味があるんだったら引き受けてもらえやしないかい？」
「ええ。大丈夫ですよ。人が死んでいるのを、放ってはおけませんから」
「そうかい、じゃあ、今日は一杯あたしのオゴリだよ。なんでも好きなもの、言ってごらん」
アイラスの答えに、エスメラルダは満面の笑みを浮かべた。
それからしばらくして、アイラスは娼婦に変装して娼館へと訪れていた。はじめは客として潜入して情報収集しようかとも思っていたのだが、主に襲われているのが娼婦だということから、どうせならばと囮も兼ねることにしたのだ。
もともと優しげな容貌をしているアイラスは、髪をほどいてドレスをまとい、エスメラルダの化粧をほどこしてもらえば、なかなかに愛らしい少女に見えた。
さて、いったいどこから聞き込みに行くべきか。アイラスは首を傾げ、あたりを見まわした。
アイラスが今いるのは娼館の廊下で、その廊下は娼婦たちの部屋へと続いている。
「お初にお目にかかります。お嬢さん、どうか僕にお話をお聞かせ願えませんか……って、キミ、アイラスじゃあないか」
声をかけられて振りかえると、小さなドラゴンを肩に載せた、見おぼえのある背の高い男が目をぱちくりとさせている。
知人で海賊船の船長をしているキャプテン・ユーリだ。
「ユーリさんじゃあないですか。どうしたんですか、こんなところで」
「それは僕のセリフだよ。キミこそ、いったい、そんなかっこうでなにをしてるっていうんだい？」
「エスメラルダさんに頼まれたんですよ。『黒い魔犬』の噂を調査してほしい、って」
アイラスが答えると、ユーリは大仰に驚いて見せた。それにあわせて、肩に乗っているドラゴンのたまきちも、ユーリの真似をしてポーズをとってみせる。
「おお、それはそれは。実は僕もそうなんだよ」
「ユーリさんも？」
アイラスは訊ね返した。
ユーリは、いかにも、といった様子でうなずく。
「もしかすると、他にも誰か来ているんでしょうか」
アイラスは首を傾げながら、あたりを見まわした。
廊下の向こうに、なにか人影が見える。もしも客だったらあまりじろじろ見ては悪いと、アイラスは視線をそらす。
だが、
「あ、アイラス様！」
と、聞き覚えのある声がした。
頭に大きな黒い耳の生えた小柄な少年が、蝶の触覚とコウモリのつばさを生やした狼を引き連れて、ぶんぶんと手を振りながらアイラスの元へとかけてくる。
以前とある事情で知り合った、ロイド・ハウンドだ。
「知り合いかい？」
ユーリが訊ねてくる。アイラスはロイドに向かってうなずき返した。
「ええ。ロイドさんです。ロイドさん、こちらがユーリさん」
「ユーリ様、ですね。よろしくお願いします！」
ロイドはぴょこんと頭を下げる。
「これはこれは、ご丁寧にどうも」
ユーリも頭を下げ返す。
「ロイドさんも、調査を依頼されたんですか？」
アイラスが訊ねると、ロイドはぴょこんと顔を上げてアイラスを見る。
「ええ、そうなんです。なんだか放っておけなくて……。それで、ガルムと一緒に」
「へえ、その子、ガルムって言うのかい？」
ユーリがガルムを眺めながら訊ねる。珍しい姿をしている生き物だから、興味津々のようだ。
「はい。触っても噛んだりしないから大丈夫です」
そんなやりとりをしていると、ぱたんと後ろでドアが開いた。
中からは、厚く化粧をほどこした女に見送られて、白い仔猫を連れたトランクを手にした男が出てくる。
これはさすがに客だろうと判断して、アイラスは視線をそらす。
「……なんだ、他にもいたのか」
「ああ、ということは、キミも調査に？」
ユーリがそう声をかける。
「ああ。倉梯葵だ。……そのかっこうは？」
答えながら、葵はアイラスを眺めて訊ねてくる。
「変装だよ。ほら、魔犬は娼婦を襲うらしいじゃあないか」
アイラスより先にユーリが答えた。
「……なるほど」
葵は小さくうなずく。
そして今度はロイドに目をとめると、つかつかと近寄っていって耳に触れ
る。
「えっ！？」
ロイドが声をあげるのも気にもとめず、葵は耳をなでたりこねたりする。
「……ああ、すまない。つい興味がわいた」
そしてしばらくして、手を話すと葵はさして悪いとも思っていなさそうな様子で謝罪する。
「まあ、たしかにその耳は興味がわくよねえ」
ユーリが明るく口にする。
「たしかに……」
言われてみればそうかもしれない。
だが、さすがに自分がロイドの耳に触れるのははばかられる。アイラスはぐっと衝動をこらえた。
「ん？ どうしたんだ、たまきち」
そのとき、ユーリの肩に乗っていた子ドラゴンが、じたじたと暴れはじめる。
ユーリが声をかけてもたまきちが大人しくなる気配はない。
ふと、耳になにか生温かい吐息がかかっているのに、アイラスは気づいた。
振り返ると、壁から犬の上半身が生えようとしている。
「わ……！」
アイラスは思わず飛びのいた。
すると犬は壁から出てきて、廊下へと降り立つ。
それはまさしく魔犬と呼ぶのに相応しい姿をしている。普通の犬の倍ほども大きく、色はまるで闇のような黒だ。
「黒い魔犬ですか！？」
ロイドが鋭く叫んだ。
「えっと……その、ダメですよ！ そんなことしたら！」
ロイドが魔犬に話し掛ける。だが、魔犬のほうは、話し合いに応じる気はないようだ。
低くうなって、今にも飛び掛ってきそうな様子だ。
「ダメみたいだねえ」
ユーリが肩をすくめる。
「ううっ、そうみたいです……」
「そういうときはコレだな」
言いながら、葵はトランクを開く。その中には、なにか色々な薬品や武器らしきものなどが入っている。
その中から葵は銃を取り出すと、魔犬に向けて引き金を引く。
「ぎゃうっ！」
当たった瞬間に魔犬は吠えるが、特にどうということはないらしい。いったん壁に叩きつけられたあと、またすぐに立ち上がって唸り声をあげてくる。
「……どうやら、効かないようだ」
葵が銃を見ながらつぶやく。
「でもここは戦うには向かなさそうだねえ」
レピアを抜きつつ、じりじりと間合いを取りながらユーリが言う。
「そうですね」
アイラスもスカートの下に隠していたサイを取り出し、小さくうなずく。
「……おやおや。こんなところで、物騒ですねえ」
そこで、廊下の向こうから声がかかる。
ちらりと見ると、銀の髪に赤い瞳の、貴族のような格好をした背の高い男がゆらゆらとこちらへと歩いてくる。
男の姿を見ると、魔犬は急におとなしくなった。主に叱られた犬のように、しゅんと座って男を見ている。
「その魔犬の処分、私に任せてはもらえませんかね？」
「あなたに……ですか？」
アイラスは目をぱちくりとさせる。
貴族の道楽にしては、あまりにも頓狂な申し出だ。魔犬とはいうが、ただの犬とは違うのだ。
「ええ。ねえ、あなた。私と一緒に来る気はありませんか？ 一風変わった生活ですが、悪いものではありませんよ？」
男は、魔犬に向かって語りかける。
すると魔犬は嘘のようにおとなしくなって、男の手に鼻先を擦りつける。
「……いかがです？」
男は顔を上げ、おうかがいを立てるように全員の顔を見まわす。
「僕は、これ以上魔犬が悪さをしないんだったら、それでいいと思います。……犯人には、少しお仕置きが必要だとも思いますけど」
ロイドが最初にそう答えた。
「まあ、もともと俺には関係のないことだからな」
銃をトランクにしまいながら、葵も肩をすくめる。
「僕も別に、どうしても戦いたいわけじゃないからねえ」
と、ユーリもレピアをおさめる。
他の３人が同意するなら、アイラスも特に異存はない。サイをおさめて、男へと向きなおる。
「そうですか、それでは、失礼いたしましょう。犯人へのお仕置きは……ふふ、乞うご期待、というところでしょうかね」
男はそうして、ゆらゆらと歩きながら、魔犬を従えて去っていく。
「なんだったんでしょうか……？」
ロイドがぽつりとつぶやいた。
けれども、それに答えられる人間は、ひとりとしていなかった。
その後、まるで犬に襲われたかのような傷を負って医者のところへかつぎこまれた、近くの娼館の主人がいたとかいないとか、そんな噂が流れたが、それはまた別の話。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
【1649 ／ アイラス・サーリアス ／ 男 ／ 19 ／ 軽戦士】
【1882 ／ 倉梯・葵 ／ 男 ／ 21 ／ 元・軍人／化学者】
【1505 ／ ロイド・ハウンド ／ 男 ／ 666 ／ 契約魔獣】
【1826 ／ ニフリート・アポカリプス ／ 男 ／ 235 ／ はぐれ魔族】
【1893 ／ キャプテン・ユーリ ／ 男 ／ 24 ／ 海賊船長】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、８度目の発注ありがとうございます。浅葉里樹です。
今回は魔犬退治――ということだったのですが、男性のＰＣが多かったため、アイラスさんにはおとりを……ということで女装をお願いしてしまいました。多分、アイラスさんだったら違和感なくこなせてしまうのかな、などと思ったのですが、いかがでしたでしょうか。
お楽しみいただけていれば、大変嬉しく思います。
もしよろしかったら、ご意見・ご感想・リクエストなどがございましたら、お寄せいただけますと喜びます。ありがとうございました。
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