<東京怪談ノベル(シングル)>


サクラ

傾きかけた天秤の上へ
築き上げていくよ 天よ高く

そんな翔べない 無邪気な天使
朝は届く 色鮮やかに

その手を放さないで
目覚めるこの命を信じて

ひび割れそうでも透明なままで
君を待っていた

 天使の広場。中央に、噴水に囲まれたエンジェル像がある、石が敷き詰められた広大な公園だ。普段から様々な人が通りすがり、たまに異世界からの旅人もここから現れる。適度に植えられた木々とベンチでひと時の休息を得る、エルザードでも有数の娯楽場だ。
 そこではいつも歌っている女性がいる。吟遊詩人、カレンだ。長く伸びた金の髪と緑の瞳が印象的で優しい笑みが似合う女性だ。彼女は、今日も噴水の縁に腰掛け、竪琴を奏で、歌を唄っていた。
「……なあ」
 張りのある低音。カレンが見上げると、青年がカレンを陽から隠していた。探索士・スラッシュ。乱暴に切り揃えられた銀髪と、鋭い銀色をした瞳を持つ青年だ。アルビノであるため肌も白く、直射日光を浴びないように常に外套を羽織り、下も動きやすいように作られた長袖のものを着ている。カレンは笑む。
「何だい?」
「……その歌」
「ああ、この歌、気になるかい?」
「……ああ」
 カレンは笑み、竪琴を横に置いた。
「この歌はね、“異国の財宝”を示すものなんだ。ホラ、最近、突然出現した湖の洞窟があったろう?それの攻略の手がかりになるって、異国の商人は言ってたよ」
「……そうか」
 スラッシュは立ち上がった。メモをしていた紙片をポケットに突っ込む。カレンは笑った。
「行くのかい?」
「……ああ」
「気をつけてね」
 カレンは微笑みながら、手を振った。スラッシュは一度だけ手を上げて立ち去った。

 カレンから聞いた洞窟は、森が鬱蒼と茂っている中にあった。エルザードから半日ほど。陽が翳ってきている。時折聞こえる鳥の鳴き声。スラッシュは、慣れた仕草で枝をナイフで切り開き、奥地に進んだ。それを半刻ほどした後、突然道が開けた。スラッシュは少し目を細める。その空き地は、まるで刳り取ったかのように植物が生えていなかった。その奥に石の扉に閉ざされた洞窟が見える。そして少年がその前に立っていた。胸元には七色の光を放つ玉を下げている。
「……お前は」
 スラッシュの問いに少年は笑む。それきり何も言わない。スラッシュは構わず、洞窟の扉を隅々まで手で調べ、そして、地に置かれた古びた天秤に目をやった。
「……天秤……」
 
『傾きかけた天秤の上へ
築き上げていくよ 天よ高く』

 スラッシュは、空き地に散らばっている小石を集め、その傾いた天秤の片方に乗せた。扉が開く。少年は笑んだ。
「行くの?」
「……ああ」
「じゃ、僕も行くっ」
「……」
 スラッシュは少年とともに洞窟へと入った。

 入った途端に槍が降ってきた。スラッシュは咄嗟に飛びのく。見ると、少年は、立ちすくんでいる。スラッシュはチッと軽く舌打ちをして少年の手を引いた。次の扉まで真っ直ぐ走る。槍が次々と彼らの背中スレスレを通っていく。扉の前まで来た時、スラッシュは肩で息をしていた。後ろを見ると、槍がまるで針の山のように部屋に寸分のスキもなく刺さっていた。スラッシュは軽く息をつく。少年の手を引いたまま、次の部屋に入った。

 その部屋は、巨大なホールだった。中央に背が天井まである天使像があり、上半分の壁すべてが格子窓になっている。スラッシュはその円形の部屋を注意深く右回りに歩いてみた。特に壁と地面はへこむ場所がないか念入りに調査する。すると、ふと、反射機のようなものを見つけた。水晶のようだが、台から好きな方向に曲げられる。スラッシュは試しに右に曲げてみた。光の線が部屋をよぎる。直角線上の同じような道具に当たり、そこで光が途切れる。
「……なるほど」
 スラッシュは、その途切れた道具を同じように触り、次々と光を反射させていった。

『そんな翔べない無邪気な天使
朝は届く 色鮮やかに』

 ついに、その光の線は天使像へと到達した。天使が光り輝く。部屋中が目映いほどの光で満たされ、その後ろの扉が開いた。スラッシュは、一歩踏み出した。だが右手が引っ張られる。少年が足を止めていた。
「……?」
 スラッシュが少し左に首を動かすと、少年が叫んだ。
「お願いっ。振り向かないでっ」
 スラッシュは首を傾げ、振り向いた。
 そこには首を半分以上切り落とされた少年がいた。顔色も土気色になり、瞳も半分、落ちかけていた。
 スラッシュはじっと真っ直ぐに見つめた。そして、そのまま前方へと向き直り、次の部屋へと歩を進める。手は繋いだままだ。
 少年は手を引っ張られ、前のめりになってスラッシュの背に頭をぶつけた。少年は叫ぶ。
「怖くないの?気持ち悪くないの?僕……死んでるんだよ?」
 スラッシュは振り返らない。
「最初から…知っていた…。俺は、『ベルク・マッシュのアミュレット』を持っているからな…魔法生物を感知できる…」
「そっか」
 少年は呟いた。

 次の部屋は、無限回廊だった。先が見えない暗闇の細い一本道で、スラッシュたちが扉を後ろ手に閉めると、扉自体も消滅してしまった。ただ微かに白光が前方に四角く射されている。
 少年は、スラッシュの手を離した。驚き振り返ったスラッシュに首にかけていた玉を差し出す。玉からも一筋の光が出ていた。
「これを離さず持っていれば、光が君を出口に導いてくれる。……ただし、本当に絶対に何があってもこの玉だけは離しちゃダメだよ。……辿り着けないだけじゃなくて、永遠に目印を失って彷徨うことになるから」
「……わかった」
 スラッシュの掌がその玉に触れる。景色が変わった。

 顔の見えない男と語り合う自分。
 忘れ去られた世界。
 擦り抜ける自分の掌。思わずスラッシュは掌を固く握った。流れていく血の色。辿れば、彼がいる。俯く自分。
 全面が鏡張りとなり、無数の過去の自分と彼が映る。笑顔。泣き顔。死に顔。
 スラッシュは思わず玉を投げかける。けれどゆっくりと握り返した。鏡に映る過去の友人の顔を一撫でして目を伏せた。

 幻覚が消える。スラッシュがいる中心部から霧が晴れるようにすべてが露になり、巨大な木の花が現れた。
 隣には、少女がいる。少女は空に浮いていた。
「……お前が」
「そう、私はこの“宝”の番人」
 木の幹には、先ほどの少年の顔が埋め込まれていた。他にもたくさんの人の顔が埋め込まれている。木は真っ赤な花弁を絶えることなく落としていた。
 スラッシュのポケットの中のアミュレットが一段と強く輝く。スラッシュは静かに少女を睨んだ。
「まあ、怖いお顔。そうね。あなた、この少年と随分、仲が良さそうだったものね」
 少女は、少年の額に口付ける。少年は苦しそうに口だけ動かす。スラッシュには「助けて」と言っているのがしっかりと聞き取れた。スラッシュはナイフを構え、聞く。
「……どうして、こんな命を弄ぶようなことをした」
「それは……あなた、あの歌の二番、知ってる?」
「…あの歌?」
「“異国の財宝”のよ」
「ああ……」
「知らないようね。唄ってあげる」

 あなたは夢のように優しくて
 鳥のように自由に
 だから君はいない

 君は世界を羽ばたく
 優しかったね 君の痛み

 悲しみと
 君の心
 信じていたい いつまでも

 ねえ 掘り返して
 ねえ 忘れて

 生きていたい いつまでも

 少女は唄い終ると、妖艶に笑った。
「埋まっているの。ここに、私も。恋人に殺されたのよ」
「…私怨か」
「寂しかったのよ」
 スラッシュは微かにフッと笑ったかに見えた。右の手を、思い切り幹に食い込ませた。そこには魔を斬る銀の刃が握らされていた。
「ぎゃあああああっ!!」
 叫ぶ少女。消えていく幹の顔。少女は真っ赤な炎に包まれ、チリも残らず消滅した。

 スラッシュは大木に寄りかかった。掌を開き、閉じる。ふと、そこに何か白いものが舞い降りてきた。花弁だ。スラッシュは上を見上げた。白に少しだけ紅が混じったような花弁が雪のように散っている。一面の白化粧。スラッシュは、笑った。落ちてくる花弁を一つだけ取り、ポケットに入れた。

 数日後、通りかかると、天使の広場にて吟遊詩人カレンが前と同じようにあの歌を唄っていた。スラッシュは、彼女の隣に静かに座り、ポケットから、あの花弁を取り出し、彼女の膝に落とした。彼女は歌をやめ、不思議そうに彼を見やる。スラッシュは呟いた。
「……紹介料」
 カレンは笑う。
「これが、“異国の財宝”?」
「……ああ」
「キレイね」
 少女の血を吸った花弁はカレンの手の中で輝いていた。