<東京怪談ノベル(シングル)>
在るべきもの
1、独りきりの我が家
この家、始まって以来の一大事である。
否。珍事と言うべきかもしれない。
目を覚ますと、家の中が無人になっていた。賑やかな子供達の声が聞こえないのである。二人とも、どこかへ外出しているようだ。
だが、驚くべき事に、いないのは彼等だけでは無かった。
廊下をペタペタと歩く白と黒の物体や、大きな口を開けて眠る爬虫類。それに天井からぶら下がる女幽霊に、いつか五十名に近づくかもしれないであろう透けてる精鋭部隊と、不気味な笑いをとどろかせるカエル男爵までもが、忽然といなくなっていたのである。何故か、おっさんの像まで消えていた。
これは、天が塵に与えた孤独と言う試練なのだろうか。
はたまた、騒動と向かい合い巻き込まれる体質の彼に、思う存分休めと言う心遣いかもしれない。
どちらにしても、この静寂は願っても訪れた事の無い、果てしなく有り難いものだった。
子供達の行方はいささか気になるものの、行く場所はそう多くない。用が済めば、いずれ戻ってくるだろう。
塵は大して気にも止めず、嬉々として玄関の戸を開けた。
温々とした陽が差し込んでくる。太陽はすでに午後に近い位置におり、風は緩く気持ちが良かった。
「良い天気だな。布団でも干すか」
一人とは気楽なものである。
塵はよっこらしょと、潰れた布団を持ち上げた。
2、逢魔が時
手持ち無沙汰にぼんやりと時を過ごす内、どうやら寝てしまったようだ。開け放ったままの窓の外が、茜色に染まっていた。
寝る前と同じ静寂が、塵を取り巻いている。
「変だな……まだ、帰ってないのか?」
何かに巻き込まれたのだろうか。危険な目に遭い、戻ってこれないのだろうか。
今頃、どこかで助けを求めているかもしれない。
なまじ心配性なだけに、嫌な考えが塵の脳裏に浮かんでは消える。
「もう、そんな小さな子供じゃないんだったな……」
それに、彼等も『サムライ』である。その気があれば、立派に戦える。
塵は、一人になっても捨てきれない自分の性を呪った。
いればいるで悩み、心配する。
いなければいないで、やはり同じなのだ。
「参ったな……」
ここは一つ、気を落ち着けようと、塵は深呼吸をした。
陽が沈むに連れて、部屋の中の影が動く。不安を駆り立てる光景だ。どんな小さな音も逃すまいと、塵は耳をそばだてた。
そら。今、ドアを開ける音がするぞ。
笑いながら、やってくる声が聞こえては来ないか?
だが、耳は沈黙を捉えるだけだ。ひしひしと孤独感が押し寄せる。
そう。塵は今、孤独だった。
大禍時を迎え、心に魔が住み着いたのかもしれない。
浮き浮きと過ごしたこの静寂が、今は嫌いだった。こんな風に長い時を独りで過ごした事が、未だかつてあっただろうか。
塵は途方に暮れていた。
「あの時代は良かったな。いつも誰かが居た。いつも騒動が起きて、俺はキリキリと胃が痛む思いをした。だが──」
それが、楽しかった。
「そもそも、ここは、どこなんだ? あの時代へは、もう帰れないのか? 奴らに逢う事は出来ないのか?」
ポツリ呟いた言葉が、あぐらの上に垂れた手の甲を滑り落ちる。
ゴツゴツとした節くれだった手。
無骨な剣を引っ提げて、方々を走り回った手だ。
時に、見ず知らずの村人の為。
時に、苦渋喜びをわかちあった友の為。
いつの日も、懸命だった。手を抜いた事は無い。
だが、それでも、救えない命があった。
「……サムライとしての責任は果たしたが、仲間としてはどうだったんだろうな。俺よりも長生きするはずの連中が、俺よりも先に散っていった」
死はいつも突然訪れた。その知らせを聞く度に、鋭い矢尻に射抜かれたような胸の痛みを覚えた。
──待ってくれ。
塵は、いつもそう叫んでいた。
──何故、俺じゃない。何故、俺の仲間を連れて行く。
──昨日まで、そこにいてそいつは笑っていなかったか?
──何故、そんな奴が死ぬ?
──嘘だろう? 勘弁してくれ。
自分が死ぬよりも辛い。それをいくつも味わった。
そして、その度に思うのだ。
もう、何も無くしたくないと。
塵は、顔を上げた。
先ほどより、暗さを増した部屋。目を廻らしても、独りである現実を思い知らされるだけである。
「くよくよしても始まらん……。あいつらを探しに行くか」
溜息を一つ付いた。
一度、後退し始めた思考は、なかなか前へ進もうとはしない。腰は重く、根が張っているようだ。
──帰って来い。頼む、帰ってきてくれ。
焦燥の念が募る。
闇が辺りを支配する頃には、絶望に包まれているかもしれないと、塵は疲れ切った眼を扉に向けた。
その時である。
閉じたドアの向こうで、微かだが声が聞こえたような気がした。
「あいつらか!」
塵は慌てて立ち上がり、窓にかじり付いた
いた。
薄暗がりにハッキリと、手を振る二つの影が見える。
二人は、塵を呼んでいた。
この声の、なんと嬉しい事だろう。
「全く……今日ほど、胃が痛んだ日は無いな」
言葉は苦いが、塵の顔には安堵の笑みが浮かんでいる。
逢魔が時は過ぎ、心に再び明かりが灯ったようだ。
静けさも、孤独もいらない。
塵は玄関の戸を開けた。
「後悔なんぞ、死んでからすれば良い。独りを味わうのも、また然りだ。人生って言う奴を、ギリギリまであがき尽くしてやる。俺はまだ生きていて、護らなきゃならんモノがあるんだからな。騒動があってなんぼ。巻き込まれ上等。それでこそ『俺』だ」
懐に秘めた『焔』の字は、今日も赤々と燃えている。
終
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