<東京怪談ノベル(シングル)>
『やさしい蝶たちの時間 ― 奇跡の夜に星降りの地で咲くライラックの花 ― 』
― 【逢瀬の地で】 ―
とくん、心が脈打った。
彼女は胸の前で両手を組み合わせて、ただ耳にすべての意識を集中させる。
ちりーん。
深い藍色の夜空に散りばめられたような星空の下。耳にその透明で澄んだ鈴の音色が聴こえた瞬間に、彼女の胸が熱くなる。
とくん。とくん。とくん。
心臓は愛しいあの人の腰紐に結ばれた鈴の音色に合わせて喜びに歌を詠う。
ちりーん。
その鈴は彼が自分にだけ教えてくれた逢瀬の合図。
ちりーん。
二人の逢瀬の時間は新月の夜だけ。
ちりーん。
その新月の夜にだけ愛しいあの人は自分に逢いにきてくれる。
ちりーん。
この星降りの地に。二人の逢瀬の地に。
ちりーん。
たゆたう夜の夜気が孕むあの人の気配。濃密になっていく気配。その気配に彼女の背中の羽根が喜び打ち震える。
ちりーん。
心が苦しい。大切なあの人への愛おしさが狂おしいほどに心から溢れ出てくる。
ちりーん。
心が求めている。愛しいあの人を。
ちりーん。
『新月の夜。星降る地で、わたしと逢いましょう。二人の逢瀬の時を報せる合図はわたしがこの腰紐につけた鈴の音色。それがあなたにわたしの存在を報せてくれます。だけどどうかこの鈴の音色に心のすべてを奪われないでください。
この鈴はかの吟遊詩人が与えてくれし魔法の鈴。あなたにわたしの存在を教えてくれし鈴なれど、だけどどうじにあなた以外の者にもわたしの存在を教えます。だからどうか心のすべてまでこの音色に・・・・・・」
ちりー・・・・
鈴の音色が途切れた。
―――あまりもの驚きと唐突に襲われたその痛みに・・・・
しまった。と、想ったその時は遅かった。
遥か下に遠のいていく逢瀬の地。小さくなっていくライラックの花。艶やかな紫だったライラックの花の色は、死者に捧げられる白の色のライラックに変わっている。
―――それは確定してしまった死の恐怖に絶望する彼女の心のせい。
鈴の音は夜鳥を呼び寄せた。そして自分は格好のそれの餌。
この胸に広がっていく悲しみは誰がため?
ごめんなさい。あたしの愛しいあなた。
ごめんなさい。あたしの愛しいあなた。
あなたを置いていく悲しみと罪悪感、そしてもう逢えない大切な人への悲しみに彼女の心は砕け散る。
ちりーん。
鈴は硝子が砕け散る瞬間のような悲しげな音色を奏で、やんだ。
― 【ライラックの髪の少女】 ―
「きゃぁー、くすぐったい。待ってください。皆さんの分はちゃんとありますから、順番に・・・」
麗しき水の都と謳われるその街にひとりの少女の明るい声が軽やかに響いた。
ライラックの色のふわふわの髪に縁取られた美貌に天使が如く笑みを浮かべる彼女はどこまでも透明で澄み切った空に向けた両の手の平の上に、昨日買った春苺のジャムのクッキーを砕いた欠片を広げて、すずめたちに分け与えている。
すずめたちはその美味しい朝ごはんに嬉しそうに少女の手の平に舞い降りて、その欠片を啄ばむのだけど、少女にはその感触がひどくこそばゆい。だから戯れるように集まってくるすずめたちのなかで少女は春の陽光に優しく包み込まれながらくすくすと笑ってしまう。
それはとても絵になる光景で、街の中央にある広場の噴水に散歩がてらにお話をしに集まってくるこの街の老人や、その付き添いの子どもたち、それ目当ての露天商の人間たちの心の癒しとなっていた。
そんな優しい風景があるこの広場の空気は清らかに澄んだ水の香りを称えているものだが、その空気を震わせて伝わってくる音色がひとつ。
それは心打ち震えるように・・・
この頭上に果てしなく広がる青い空のように・・・・・
この水の都と謳われる街を流れる透明な水のように・・・・・・
ただどこまでも清らかに澄んでいて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「これは何の音ですの?」
彼女の右肩にとまって、髪の毛いっぽん嘴にくわえてクッキーをねだっていたすずめは、その音色にあわせるかのように少女が小首を傾げさせたので、慌ててくわえていた髪の毛を離して、青い空に舞い上がる。
それにも気が付かないようで少女はふわふわの髪と同じライラックの色の瞳を幼い子どものようにきらきらとさせながら、ここ数日ですっかりとお友達になった女の子に訊いた。
女の子はにこりと笑う。
「吟遊詩人さまのリュートだよ♪」
「吟遊詩人さまのリュート?」
瞳を瞬かせた少女に、女の子はこくりと嬉しそうに頷いた。
「うん。すご〜くすご〜く綺麗で、お歌がお上手なの。そうだ。リラも行こうよぉ」
女の子が紫の髪の少女…リラの右手を掴む。そして周りにいた男の子も同じようにリラの左手を掴んで引っ張った。
「うん、行こうよ、リラ。吟遊詩人様にお願いして、リュートと歌を聴かせてもらおうよ」
すっかりとリラは子どもたちに懐かれているようで、それでリラはちらりと周りの老人たちを見るのだが、やっぱりその老人たちも優しい穏やかな微笑を浮かべながら、リラに頷いた。
「行っておいで、リラ。すずめたちにはあたしらが餌をあげておいてあげるから。孫たちをよろしくね」
それを聞いたリラはその瞬間にとても愛くるしい笑みを浮かべて頷くのだった。
「はい」
― 【吟遊詩人】 ―
内潟と外海を隔てる堰をバックにアーチ型の橋の真ん中で、その吟遊詩人の少女はリュートを奏でていた。
ほんの少しリラよりも上ぐらいだろうか?
膝の位置まで伸びた長い黒髪に縁取れた硝子細工のような美貌に静かな表情を称えた彼女は愛しい人との逢瀬の日に、しかしその愛しい人と出逢う前に暴漢に襲われて死んでしまった少女の悲しい物語を、リュートを奏でながら切々と詠っていた。
その悲しい恋する乙女の詩にリラははっと息を呑む。
―――どこか似ていた、夢の中のあの人と、自分の関係に・・・。
夢の中のあなた・・・
愛しいあなた・・・
眠りにつく前に毎夜、私は祈るのです。
今夜も私が見る夢に変わらずにあなたが出てきてくれることを。
夢見る世界。
そこにあなたがいる。
朝の光の中で、すずめたちはその朝を謳う歌を詠うけれども、その囀りを聴きながら私の心はいつもあなたと引き離されてしまった寂しさに震えている。
だから私はひとりに震え泣き哀しむ心を包み込もうとするように左胸に両手をあてるのです。
―――私の手に残る夢の中のあなたの優しい手の温もりでその心を慰めるように。
感じる温もりはゆめまぼろしではないですよね?
このうつつの世界の何処かにいるあなた・・・
私は今日もあなたを探しています。
「リラ? リラ。リぃラぁ〜?」
誰かが自分を呼ぶ声。
リラはそれに意識を現実に呼び戻されると、自分の目の前にいて、めいっぱい背伸びして顔を覗き込んでくる女の子と目を合わせた瞬間に、びっくりとしてしまう。
「きゃぁ」
女の子の頬がぷぅーっと膨らむ。
そして尖らせた口から頬を膨らませた息を吐き出すと、リラの手を掴んだ。
「きゃぁ、じゃないよ、リラ。行こう。戻ろうよ」
「え? あ、あの、はい?」
リラはふわふわの髪を軽やかに浮かせて周りを見回す。
吟遊詩人の少女が詩を詠っていた時には多くの人がいたものだけど、今はそこにいるのはリラとお友達の子どもたち、それと・・・
「リラ? ライラックの花のもうひとつの呼び名だね。とてもおまえにあった良き名だ」
吟遊詩人の少女は前髪をしなやかな人差し指で掻きあげながら微笑んだ。
そしてふわりと額を覆ったその前髪の奥にある紫暗の瞳で、リラの瞳を見据える。それはどこか吸い込まれてしまうような印象を持つとても不思議な力を持つ瞳だった。
吟遊詩人の少女は仔犬のように目を瞬かせるリラから、その視線を子どもたち皆平等に向けながら歌うように言った。
「ごめんね。子どもたち。ほんの少しの間、おまえたちのリラを貸しておくれ。大丈夫。別に取って喰ったりはしないから」
にこりと軽い冗談を交えながらそう言った吟遊詩人は子どもらの返事も聞かずにきょとんとしているリラの手を取ると、その手を引いて軽やかな足取りで前に歩き出す。子どもらは唖然としたようにその二人を見送った。
吟遊詩人に連れられていくリラ。
「あ、あの、吟遊詩人さま?」
さすがにリラも戸惑うようだ。
静かだった水面を波立たせた強い風が吹くと同時に長い黒髪と同じく黒のスカートの裾を翻らせながら振り返った吟遊詩人の少女は空いているもう片方の手でリラの形のいい顎を掴むと、悪戯っぽく紫暗の瞳を細めながら顔を近づけて、ブルーウイッシュという青いルージュが塗られた唇を囁かせた。
「おまえに興味がわいた。だからおまえの時間をほんの少しだけあたしにおくれ」
― 【虫篭】 ―
水の都であるこの街の収入源でもあり、ここに住む人々の足でもあるゴンドラ。
リラはそのゴンドラに乗っていた。吟遊詩人の少女と向かい合って。
(本当に、どうしてこんな事になったのでしょう?)
ライラックの色の前髪を揺らしてリラは小首を傾げる。その彼女の表情に吟遊詩人の少女は軽く握った拳を口元にあててくすくすと笑った。
「本当におまえは面白いね。いや、かわいいね」
吟遊詩人の少女は胸元から煙管を取り出すと、それをくわえた。ただそれだけ。口寂しいのだろうか?
―――だったら棒キャンディーをくわえればいいのに。それだったらすごく甘いし。
それを言ったら、吟遊詩人の少女はまた声をたてて笑った。
そして右手をゴンドラが浮かぶ水に浸す。リラもそれを真似てみた。水がすごく冷たく気持ちいい。
「リラ。リラはリラ、何と言うの?」
「サファト。リラ・サファトです」
「リラ・サファト?」
「はい」
リラは無邪気に頷いた。
「そうかい、リラ・サファト。本当に良き名だね」
そして吟遊詩人の少女は紫暗の瞳を細めながらひとつ頷くと物語を紡ぎ出す。とても軽やかなリュートの音色を奏でながら。
「とある所に噺家(はなしか)がいたとさ。
こやつの話は泣いてる赤子すら笑わせる。
言葉の魔術師。
笑わせの天才。
ある日、そいつのところに男の子がやってきたさ。
その子はそいつに言った。
『どうか、僕のおじいちゃんを笑わせてやっておくれ』
と。
そいつは引き受けた。こりゃ腕が鳴る。なんでもその子の爺さんは偏屈爺さん。無愛想で有名。返事もしねー。だったらこりゃあ、意地でも笑わせなきゃならねー。
さあ、だけど数時間後にそいつは酒場で愚痴ってる。結果は失敗しっぱい大失敗。そいつは偏屈爺さん笑わせられなかったとさ」
そこでリュートを奏でる手を止めた吟遊詩人の少女は真っ直ぐにリラの紫の瞳を見据える。
「リラ、さあ、問題です。どうしてその男は偏屈爺さんを笑わせられなかったのでしょう?」
物語が途中で止まってしまってとても残念そうなリラは、口元に右手の人差し指をあてて小首を傾げる。
「さあ、どうしてでしょう? わかりませんわ」
リラは後ろを振り返って、ゴンドラの後ろでオールを漕いでいた男の顔を答えを求めるように眺める。だけどその男もリラと同じように物語が途中で止まってしまった事を残念がる表情が浮かんだ顔を傾げるばかり。
そして二人揃って吟遊詩人の少女の顔を見据える。ライラックの色の瞳と翡翠色の瞳が言っている。考えるのは放棄。続きを聞かせて、と。その懇願する瞳は捨てられた仔犬のようだ。可憐な美少女のリラがそんな瞳をするのは大いに大歓迎だが、筋骨隆々の男がそんな瞳をするものだから、吟遊詩人の少女は苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。
そしてふぅーと吐いた息で前髪をふわりと浮かせると、また再びリュートを奏でながら物語を詠う。
「こいつは噺家の矜持にかけてあの偏屈爺さんを笑わせなきゃなんねー。だからそいつは毎日毎日、その偏屈爺さんの家に行ったさ。
だけど結果は失敗しっぱい大失敗。
虎の子の噺までしたってのに、その偏屈爺さんはちっとも笑わねー。
そうなったらもうそいつのプライドはずたずたさ。
酒場でえぐえぐと泣きべそをかいていた。
そしたらそこにそいつの同業者がやってきた。
そいつはもうこうなったら何が何でもあの偏屈爺さんを笑わせなきゃならねーって、その同業者に偏屈爺さんの事を話した。どうかその偏屈爺さんを笑わせてやってくれってな。こいつはもう自分と偏屈爺さんの戦いじゃねー。自分ら噺家と偏屈爺さんとの戦いだ。こりゃあ昔の血が騒ぎやがる。
しかししかしだがしかし、その同業者は大笑い。
その理由を聞いてそいつは口を大きくあんぐり。
その同業者はそいつに言ったね。
『そりゃあ、当たり前だよ、おまえ。だってあの偏屈爺さんは耳が聞こえねーんだから』
とな」
詠い終わった吟遊詩人の少女はおどけたように肩をすくめながらくすりと笑うと、リラを細めた瞳で見据えリュートをぽろーんと鳴らした。
「リラ、おまえはあたしの話すあの詩を聞きながらただひとり瞳から涙を流さなかったね。おまえは涙を瞳から零せないのだね?」
別にそれには責める響きも侮蔑する響きも無い。ただ優しく訊く声。そう、たとえば母親がお腹を鳴らす幼い子どもにお腹が空いたの? と優しく確認するよう。
だけどリラはとても淋しそうに、そうまるで悪戯をしたのがばれて親の前に出された子どものように顔を俯かせてしまった。
風が静かな水面を波立たせて、ゴンドラを揺らす。
ふわふわのライラックの髪がリラの額の上で軽やかにワルツを踊る。
吟遊詩人の少女は、そのリラの髪を指で梳きながら優しく笑う。宥めるように。慈母が如く。
「泣けないのが淋しいのだね。そうだよね、淋しいよね。だけどねリラ、あたしがおまえを呼んだのはそれを問いただすためじゃないんだよ。おまえにお願い事があるから」
吟遊詩人の少女の手から零れ落ちた髪がリラの頬を叩く。
リラは小首を傾げる。
「お願い事、ですか? 私に」
「そう、お願い事。リラ、どうかこの虫篭の中の蝶を連れて行ってあげて。星降りの地へ。鈴の音が鳴る場所へ。今日の新月の夜に」
― 【鈴の音】 ―
夜のソーンの世界。
リラは右手にランプ。左手に鳥篭のような形に竹で編んだ虫篭を下げていた。
その虫篭の中には蒼銀色の蝶がいた。
リラが歩く道の先は二つに分かれている。だからリラは瞼を閉じた。
ちりーん。
聴こえた鈴の音色。
左手に下げる竹編みの虫篭の持つところに結ばれた鈴が鳴っている。
二人の逢瀬の合図。今は方向音痴のリラを導いてくれる音色。虫篭の中の蝶ははやるように羽根を動かせる。それを見て、リラはライラックの色の髪の下にある美貌に笑みを浮かべた。
「嬉しいですよね。私もすごく嬉しいと想います。あなたたちが出逢える事が」
そして彼女は頭上の星空を見上げる。
ああ、願わくはいつか私も夢で出逢うあの人と、
―――この夜空の下にいるはずのあの人と出逢えますように。
昼間、あのゴンドラの上ではあの後にこんな会話の続きがあった。
「そう、お願い事。リラ、どうかこの虫篭の中の蝶を連れて行ってあげて。星降りの地へ。鈴の音が鳴る場所へ。今日の新月の夜に」
「私が、ですか?」
リラは小首を傾げる。そして両手で持つその虫篭の中をリラは覗き込んだ。その蝶は蒼銀色の蝶でとても美しい蝶だ。ただかわいそうに羽根が一枚少し破れていた。もはやそれでは空を長く飛ぶ事は望めない。
リラはそれを哀しんだ。とてもとてもとても。心の奥底からとても哀しく想った。
そして、
ちりーん、
と、鈴が鳴った。
―――親指と人差し指で持つその鈴の音色に合わせて詠うように吟遊詩人の少女が唇を動かせる。
「また泣いて」
やさしく宥めるようにそう言った吟遊詩人の少女はそっとリラの頬に人差し指で触れた。まるで涙を拭うように。
「あ、あの?」
リラは慌てる。
「涙は何も瞳だけで流すものじゃないよ。心だって涙を流す。リラ、あたしの目には見えているよ。今、おまえの流す涙が。あたしがおまえを呼んだのはね、おまえが誰よりもあの逢瀬の日に恋人に出逢う前に死んでしまった女の物語に哀しそうに泣いていたからさ。そして今、だからおまえにこれを頼もうと想って呼んだ事を本当に良かったと想うのだよ」
リラは自然に言っていた。幼い娘が優しい母親に話すように。訥々と。
「私にもいますから。逢いたい人が。誰よりも何よりも大切で逢いたいと願う人が。その人は毎晩私の夢の中に出てきてくれる人で、ゆっくり、ゆっくり、歩く私に彼は歩調を合わせてくれるそんな人。とても優しい人。優しさが何なのか知ってる人。凄く凄く、強い人。私が逢いたい人。だから彼女の気持ちもわかるから。それにこの蝶だってきっと逢いたい人がいるだろうに、この羽根じゃ・・・」
―――その人のところへ飛んではいけない。
「うん、だからリラ、この蝶を連れて行ってあげて」
「何処へ?」
リラは小首を傾げる。
吟遊詩人の少女はリラに鈴を差し出す。
「この鈴の鳴る方角にこの蝶が逢いたい人・・・行きたい場所・・・星降りの地がある。鈴は導きの音色。これが教えてくれる。やさしいリラに。そしてあたしからはそのお礼にリラにとっておきの伝説を教えてあげる。リラという名のおまえに相応しい伝説を」
さぁーっと風が静かに流れていく中で、リラはそれを教えられた。
ちりーん。
鈴が導く星降りの地。
―――彼と彼女の逢瀬の場所。
ちりーん。
蝶が羽根を動かす。
ちりーん。
心がはやる。
ちりーん。
ちりーん。
―――ちりーん。
ちりーん。
―――ちりーん。
ちりーん。
―――ちりーん。
重なり合う鈴と鈴の音色。
「これは・・・」
リラは瞼を閉じる。
耳に届くは二つの音色。
ひとつはリラの。
もうひとつは・・・
「彼の?」
リラは気持ち足を早くして、道を行った。
ちりーん。
―――ちりーん。
吹く風。奏でられる鈴の音色に、梢が揺れる音。
ちりーん。
―――ちりーん。
そこは逢瀬の地。約束の場所。白のライラック・・・いや、紫のライラックが咲く地。
ちりーん。
―――ちりーん。
夜の気配が濃密になっていく。厳かで静謐な夜。まるでどこか神殿に迷い込んだような。
リラの心臓が軽やかなワルツを踊る。
鼻腔をくすぐるライラックの芳しい香り。
星降るような空の下、そんな香りに包まれたこの地で二人は再び出逢うのだ。
リラは小さく開けた口から、感嘆のため息を吐き出した。
ちりーん。
―――ちりーん。
『リラさん、籠の蓋を開けてください。あの人が来てくれます』
―――蝶が羽根を広げる。
「あ、はい」
リラは急いで蓋を開けた。
そこから蝶は傷ついた羽根をそれでも羽ばたかせて、ライラックの香りに満ちた夜の空間に舞う。
ちりーん。そして静謐で厳かな夜の濃密な気配が凝縮し、そこにひとりの青年が現れた。
―――それはこのソーンに住まう夜の精霊たちの長。
月の神かのように蒼銀色の長い髪に縁取れたその美貌に彼は穏やかな微笑を浮かべて、蝶に手を差し伸べた。
そしてその指先の先で、空間を舞う蝶は人へと変わる。背中に蝶の羽根を持つ人に。彼女は鈴のような形をした白い花が咲き乱れる大地を蹴って、彼に抱きつく。
彼は力強く彼女を抱きとめ、
お互いがもうその大切な人を放さないと、ぎゅっと背にまわした手に力をこめる。
よかった。
リラは胸の前で手をあわせて、小さく傾げさせた顔にとても幸せそうな微笑を浮かべた。
その彼女を抱き合う二人が見つめ、同時に唇を囁かせた。
「「ありがとう。リラさん。どうか、あなたもあなたが探し求める愛しい人と出逢えますように」」
そして一陣の強い風が吹き、リラの視界がライラックの髪に隠されて、それで彼女がその髪を掻きあげて視界にもう一度そこを映した時にはしかし、もうそこには二人はいなかった。
ただその空間には蝶たちがいた。
数え切れないほどの無限とも想える蝶たち。月の眷属と言われる蒼銀色の蝶。ここソーンにおいてその蝶を見る事ができるのはほんの一握りの者だけ。
そんな美しい蝶たちが舞う場所で、リラはその群れから一匹離れて空間を飛ぶ蝶を見た。
ライラックの瞳を瞬かせたリラは小首を傾げる。
その蝶はどうやらリラをどこかに連れて行ってくれようというようだ。
リラは蝶舞う空間を歩いていく。今度はその蝶に導かれて。
リラ、こっちへおいで。こっちへ。あなたが幸せになれる場所へ
「あっ・・・」
リラは驚きの声を漏らした小さく開けた口を両手の先で隠した。
蝶が舞うすぐそこで咲いているライラックの花。通常のライラックの花びらの枚数は4枚。だけどそのライラックの花は・・・
『リラ。お礼におまえにライラックの花の伝説を教えてあげる。通常のライラックの花の花びらの枚数は4枚。だけどね、稀にライラックの花の中には花びらが5枚のものがあるのだよ。その花びら5枚のライラックの花は幸運をもたらすし、それにね、それを黙って飲み込むと、大好きな人が永遠に心変わりをしないというのさ。見つけられるといいね、花びら5枚のラッキーライラックの花』
星降るような夜空に向けたのリラの両の手の平の上に、その花びら5枚のライラックの花が落ちてくる。
ふわりと小さな手の平に乗ったそれ。
それを黙って飲めば・・・
だけどリラはくすりと微笑んだ顔を小さく横に振った。
そしてライラックの香りが満ちたその場所で無限とも想えるほどの蝶が戯れるように周りを舞い飛ぶ空間でリラは降るような星々が輝く空を見上げる。花びら5枚のライラックの花をそっと包み込むように両手で持ちながら。
「こんどは私から見つけますから、だから待っていてください・・・。私の夢の中のあなた」
夢の中の彼はいつもゆっくりゆっくりと歩く自分に合わせてゆっくりとやさしく歩いてくれる。迷子の自分を捜して、見つけてくれる。だから今度は自分がきっと…いや、絶対に迷子の自分を探してくれている彼を見つけるのだ。彼の後ろ姿を見ればそれが彼だってわかるから。
リラはリラの季節・・・一年で一番心地が良い季節と呼ばれる夜の中で、いつまでもいつまでも星降るような夜空を見つめていた。
舞い飛ぶ蝶たちにだけ見える涙を流しながら。
想いは届く。
想いは奇跡を起こす。
強き想いが。
だから強く強く願えば、その想いは届き、いつかきっと必ず・・・・・。
あなたに逢えますように・・・・。
**ライターより**
こんにちは、リラ・サファトさま。はじめまして。
このたび担当させていただきましたライターの草摩一護です。
ご依頼ありがとうございました。^^
さてさて、今回はリラさんの色んな設定に合わせてこのお話を書かせていただいたのですが、お気に召していただけましたでしょうか?
この物語に出てくる彼と彼女のように、いつかリラさんと彼もお逢いできる事を願っております。^^
ライラックの花の伝説・・・ラッキーライラックの扱い方に関しては最初、ちょっと悩みました。^^;
星降りの地で、蝶たちに囲まれながら、ラッキーライラックを飲み込むリラさんもすごく素敵で絵になるだろうなー、と想ったのですが、でもリラさんの夢の中に出てくる彼はそんな事をせずとも心変わりはしないと確信できる彼であったし、また夢の中でいつも出逢う彼を想うリラさんも故にラッキーライラックを飲み込む事はしないかなと想いまして。こうしました。^^
書き手としてもこちらのお話の方が好きですね。
このお二人の繋がりはすごく強いですからね。本当に。
それと白のライラックはイギリスの伝説をちょっとアレンジしてあーいう表現にさせていただきました。その伝説では恋人に裏切られ、傷心のあまりに死んでしまった少女に供えられた薄紫のライラックの花が次の日には白に変わっており、その少女が埋葬された教会の墓地には白いライラックが今も咲いているということです。
それでは今回はこの辺で失礼させていただきます。
本当にご依頼ありがとうございました。^^
強く念じれば想いは必ず叶う。このソーンの世界ではなお更だと想います。少しでも早くリラさんと彼が出逢えるその日を心待ちにさせていただきますね。
それでは。^^
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