<東京怪談ノベル(シングル)>
水妖の歌
今日も海には、歌声が響いている。
聞くもののない歌声。
できることならば、誰も聞くものがないようにと願いながらつむがれる、歌。
歌っているのは、真っ青な長い髪と悲しげな青い瞳を持った、肌もあらわな衣装をまとった、ひとりのセイレーン――チェチーリアだった。
青銀色のうろこにおおわれた魚の尾を持つ彼女は、歌声に波立つ水面を見つめながら、岩場にかけて悲しげな声で歌いつづける。
嵐など、本当は起こしたくないのだ。けれども嵐を起こさずには、彼女は命をつなぐことができない。
生き長らえるためには、チェチーリアは歌うほかないのだった。
「……あら?」
ふと、波間でもがく影を見つけ、チェチーリアは歌うのをやめた。
よく見てみると、どうやら、小さな男の子がおぼれているようだ。
男の子はしばらくはもがいていたが、やがて動きをとめて、水の中へと沈んでいく。
「大変だわ……」
チェチーリアは海へと飛び込んだ。海の中はチェチーリアの領域。人間の子供ひとり、助けることくらいはわけもないことだ。
チェチーリアは水の中へともぐった。そして男の子のもとまで泳いでいくと、意識をなくしてぐったりとしている男の子を、水の上まで引き上げる。
しばらくその顔を見つめていると、男の子は目を覚ました。まだぼんやりとした表情でチェチーリアを見つめてくる。
「よかった。気づいたのね」
「……助けてくれたの?」
男の子が訊ねてくる。チェチーリアはうなずいた。
「ありがとう、助けてくれて」
男の子は笑みを浮かべる。
「……あなたは、私のことを怖がらないのね?」
訊ねると、男の子は大きくうなずく。
「だって、僕のこと、助けてくれたじゃないか」
今度はチェチーリアが微笑んだ。
セイレーンは、海の魔女と呼ばれ、恐れられているのだ。それなのに、彼は自分を怖がらない。それどころか笑いかけてくれる。それが、チェチーリアには嬉しかった。
「でも、どうしてこんなところを流されていたの?」
「……津波だよ。津波がきて……村を……」
「……まあ」
チェチーリアはひかえめに、男の子に村の位置を訊ねた。帰ってきた答えは、ここからはずいぶんと離れた場所だった。
だから、自分の起こした嵐のせいではないのだ、とチェチーリアは思う。けれども、納得などできはしなかった。
自分は、彼のような子供を何人も生み出しているのだ……。
「あなたの村があったところに連れて行ってあげるわ」
だから、せめてもの罪滅ぼしにと、チェチーリアはそう口にした。すると、男の子はぱっと顔を輝かす。
「……いいの?」
「ええ。大丈夫、それくらいならひと泳ぎだわ。行きましょう」
チェチーリアは言うと、男の子の身体が水の中に沈んでしまわないように注意しながら泳ぎはじめた。
セイレーンだけあって、チェチーリアの泳ぎはずいぶんと達者だ。日が傾く頃には、男の子の村があった場所までたどりついた。
チェチーリアはまず、男の子を陸地に上げる。そしてそのあとで、自分も陸地に上がった。
チェチーリアが陸地に上がった瞬間、魚の尾は消え、変わりに2本の足があらわれる。
「……行きましょうか」
チェチーリアはそっと男の子の手を握ると、ゆっくりと歩きはじめた。
村はひどい状態だった。
津波で根こそぎもっていかれてしまったのだろう。家はほとんど瓦礫のような状態で、人の姿はない。
「……」
男の子は悲痛な表情で、けれども声ひとつ上げない。
それがチェチーリアには悲しかった。泣きたいときには泣けばいいのだ。涙で癒される思いもあるのだから。
けれども、そこで泣かないことを選択した彼の強さを、チェチーリアは尊重した。
優しく微笑みかけると、そっと頭をなでてやる。男の子は照れくさそうな顔をした。
「お墓を作ってあげましょうか」
「……うん!」
墓、といっても、なにか埋めるものがあるわけでもない。
ただ、ふたりでちょうどいい木を拾ってきて、十字に組み合わせて墓標を作った。それを、土に突き立てる。
「こうしたら……きっと、みんな、天国に行けるよね?」
「……そうね。行けるかもしれないわ」
「行けるといいな……」
男の子はぽつりとつぶやく。
「……あなたが大切な人のために祈るなら、私はあなたのために歌ってあげるわ」
チェチーリアは優しくささやく。
そして、そっと目を閉じて、小さく歌をつむぎはじめる。
それは鎮魂の歌だった。
せめて、魂がやすらかにあれと、願いをこめてうたう歌。
途中、目を開けて男の子の方を見ると、男の子は目を閉じて歌に聞き入っている。
チェチーリアは目を細めた。
彼の哀しみも、癒されますように。そう願いをこめて、歌をつむぎ続けながら。
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